第10話 思わぬ闖入者
エメリナ様の意志。そう叫んだアラセリの言葉が状況を変えた。リクハルドはどうか知らないが、少なくともいつもの悪いクセが出ていた俺を止めるのには役立ったと思う。
全ては敬愛するエメリナ様のため。少しくらいのいざこざは水に流すのが紳士というものだ。
- 思わぬ闖入者 -
アラセリの体が噴水に引きずり込まれる。その体に巻き付いた蔦には見覚えがあった。
「アラセリっ!」
咄嗟に名前を呼ぶものの、飛沫があがった噴水に彼女の姿が見えない。いくらアラセリが小柄とはいえ、噴水の中に体全体が隠れるほど深いわけがない。
僅かにナラカの空気に似た香りが鼻をくすぐった。あの噴水からか。
小さく舌打ちをして、鳥の形をした精霊に視線を戻す。奴はどうやらターゲットを見失い、獲物を俺とリクハルドに変更したようだった。
リクハルドもまた、意識をアラセリの消えた水面から敵へと向ける。目の色が僅かに赤く変化する。
「ルーティルアイラント。……奴をナラカに引き摺り下ろせ」
そう言った瞬間、リクハルドの前に小さな人影が現れた。身丈は少年のように小さいが、背中に燃えるような炎を纏い、黒い肌をしている。あいつの蛉人か。
何処かで聞いたことがある。ルーティルアイラント、通称は『ルート』。炎術を主に扱う蛉人の中でも最上級クラスだ。
ルートは敵を目視すると、両手をパチン、と叩き、そして交差させた。次の瞬間、攻撃の準備に入っていた精霊の体の周りから、赤い炎がうねる様に広がり、その体を包む。炎は球体のように丸くなり、そして空中にふわりと浮かび上がる。中から聞こえる精霊の奇声は断末魔のようにも思えた。
最後にルートは両の目を閉じ、そっと手を合わせた。刹那、炎の球体が爆ぜる。
「っ……」
爆風に身を屈めてやり過ごす。再び目を開けた時には、そこに精霊の姿は跡形もなかった。ただ爆風によって花壇が破壊され、レンガやこげた草木が散っている。
地面に落ちた火の粉を踏みしめ、俺は噴水に歩み寄る。水面に手を突っ込んでみると、やはり簡単に指先が底に届いた。
リクハルドが寄ってくる。傍らにいたルートは噴水をじっと見つめていた。
「アラセリは?」
「見ての通り、何処にもいない。……フィオ」
簡略化した詠唱でフィオを呼び出す。と、言ってもほぼ名前を呼ぶだけだ。リクハルドが顔を顰めるが、それを無視して噴水の横に現れたフィオを見る。
「今の気配は」
『……サーティで間違いありません。おそらく、あの魔術師の声に呼応したのだと……。結界の発動と精霊の奇襲も、おそらくサーティの気配が引き金かと思われます』
「参ったな。契約を解除させてからも、ずっとアラセリ嬢の周りにいたのか」
サクリティスこと、『サーティ』はアラセリと異常契約を結んでいた相手だ。フィオ曰く悪いものではないらしいが、いかんせん蛉人として若い。不安定な部分も多いために、契約は破棄させた。……そのはずなのに。
こちらの心の中を察してか、フィオが頭を下げた。
『申し訳ありません。まさかあの魔術師にこれだけ固執するとは……』
「キミが謝ることじゃない、フィオ。少なくとも、サーティはアラセリに危害を加えたりはしないだろう。そうゆう意味では一番安全だよ」
フィオは再び頭を下げると、スッと姿を消した。俺は大きくため息をついて噴水の縁に腰を下ろす。ややこしいことになってきた。
足を組んで顔を上げると、こちらを見下ろすリクハルドと目が合った。そう睨まないでほしいな、と俺は肩を竦めてみせる。
「……今の会話で分かっただろう?ネオ・オリでのアラセリ嬢の一件はサーティによるものだ。異常契約を持ちかけたのも蛉人の方。アラセリ自身に罪はない」
俺がそう言うと、リクハルドは深くため息をついた。
「元々アラセリの危険因子としてのレベルは低いからな……その件は審議にかけ直すことも出来る。だが、お前はそうはいかないぞ」
「……」
「仕事とはいえ、仕えた先での残忍な行為。主人や同僚殺しも含んだ大量虐殺。更には『過去の予言書』を手に入れる為に得体の知れない者達とつるんで各地で事件を起こした。……お前の危険因子レベルはDだぞ」
俺は首を回しながらリクハルドの小言を聞き流した。今更自分の罪状を並べ立てられても、特に感慨は湧いてこない。反論すらする気が起きないのは、その血なまぐさい1つ1つが今の自分を形成してると分かっているからだ。そのどれかを否定すれば、おそらく今の自分に疑問がわいてくる。勿論、否定する気は全く無いけど。
反省の色がない俺にルートが顔を顰めた。俺は気付かないふりをして口を開く。
「じゃあフレイはどうなんだ?アイツだって予言書争いに参加して、最後には全部燃やした。今だって、得体の知れない奴とつるんで遊び回ってる。……俺はアラセリ嬢よりアイツの方が危険だと思うけど」
僅かにリクハルドが眉根を寄せる。俺はその様子に鼻を鳴らした。
こいつはフレイに弱い。昔からそうだ。一家爪弾きにされていた頃に付き合いがあったから、だけではない。そこにあるのは友情とは違う。ぴったりの言葉は浮かばないが、罪悪感、贖罪……そんなものだ。
面白いものを見る様に笑う俺に、リクハルドは刺すような瞳で見つめ返してくる。
「……予言書の焼失に関して、魔術連盟はその意向を汲む。もともとあれはフレイの所有だ、こちらに口を出す権利は無い。だが」
言葉を切って、リクハルドは低く呟く。
「フレイに関しては、今のところ、様子見の決定が下されている」
「ふぅん。じゃあ、アイツも今後の身の振り方次第では処分対象なわけだ」
今では俺自身もすっかりこの生活に慣れてしまったけれど、魔術師がこうやって自由気ままに旅をするのは俺かフレイくらいのものだろう。それだけで、模範的な『魔術師』からは逸脱している。
俺は頬杖をついた。魔術連盟とかいうものの存在を知った時は、すぐ潰れる組織だと思ったが……リクハルドの話を聞く限り、考えていたほどの馬鹿の集まりでもないらしい。予言書の一件まで耳に入っているのは予想外だった。
俺はため息1つついて辺りを見回した。精霊は消えたものの、まだ結界は張られたままだ。反撃によって敵は俺たちを警戒しているはず。
「……さっきお前は俺のレベルがDだとかなんとか言ったけど」
視線を移す。立ったままのリクハルドに向かって言う。
「お前の『本命』はどう評価されてる奴なんだ?」
「……。奴はお前と違って死体を出さない。調書に残るのは被害者の過労死か蒸発の文字だけだ。危険因子のレベルはE。連盟の中で最も危険視されている人物」
過労死に蒸発。僅かに口角を上げた。
しかも俺より上、ね。
「それは面白そうな話だな。詳しく聞かせろよ、リク」
ニヤけた面で昔のあだ名でそう呼ぶと、リクハルドはあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、肩を竦めた。




