第9話 貴女を見ている
アイルークに連れられて里に帰った時、私は心の何処かで惨めな気持ちを抱いていた。
自分からご主人様の所を飛び出して、結果的にはサーティとも別れて……おばあちゃんのいない古家に帰ってこれからどうすればいいのか、と。
そんな私に、お帰りなさい、と微笑みながら言ってくれたのはエメリナ様だった。
- 貴女を見ている -
「私は、エメリナ様の意志に従う。だから……ここで2人を衝突させるわけにはいかないっ」
力任せに叫んだ、その瞬間だった。
激しい轟音と共に地面が揺れる。まるで大地を揺すぶるかのような衝撃で、私は咄嗟にしゃがみ込んだ。
「何!?」
「今のは……」
揺れが収まった途端、ハッとした表情でリクハルドが城を見上げる。アイルークは辺りを見回し、小さく舌打ちをした。
私はノロノロと立ち上がると、中庭を振り返って呆然とする。
「これは……」
中庭全体を覆う半透明の薄い膜。まるで切り取られた箱のように、庭に覆い被さっていた。
これには見覚えがある。小さい頃、ファーレン様が子供達に教えてくれた。結界と呼ぶ、魔術の一種のことを。
アイルークは私が下りてきた階段へと歩み寄る。しかし、すぐに膜に阻まれた。アイルークは膜に手を伸ばすと、それを軽く叩く。音はしないけれど、ノックした拳は壁を叩く時と同じ様に膜の辺りで止まった。
「あー……これは堅いなぁ」
どうやらこの結界はこの中庭と外を遮断しているらしい。私はアイルークに問いかける。
「でも、どうしてこんな所に結界が?それに、これって相手を閉じ込める為の結界なんじゃ……」
「そう。どうやら俺たちは気付かれたらしいな。リクハルドの『本命』に」
私は瞬きをしてリクハルドを振り返る。リクハルドは噴水の縁に腰掛けると、深く息を吐く。
「……本当にお前は厄介だ、アイルーク」
「話の腰を折られたし、今回は褒め言葉として受け取っておこう。……さて、アラセリ嬢」
アイルークは閉ざされたままの結界に背を向けると、中庭へ向かって歩き出した。私はその後ろをついていく。
「さっきキミはリクハルドが本当に俺達を狙っているのかって言っていたね?」
「え?あ、うん」
「なら『本命』は何処にいると思う?」
本命。二度目の言葉に私は足を止めて考える。リクハルドは集会に紛れ込んでいた。なら、出席者の誰かだと考えるべきだと思う。
まずそれを口にすると、アイルークは頷いた。
「その通り。じゃあもう1つ、少し話を変えて考えよう。……リクハルドは、俺やアラセリ嬢より先に里を出ている。知ってた?」
「……え!?」
驚いた目でリクハルドを見ると、彼はフードを下してこちらを見つめ返してきた。相変わらず表情に乏しいけれど、抗議の色が瞳に浮かんでいる。
「遠回しに言うのはやめろ。……余計な勘違いをする」
人がオブラートに包んで言ってやってるのに、とアイルークは肩を竦めてブツブツ言っていたけれど、仕方なく話し始めた。
「リクハルドの家は、里から追い出されたのさ。俺達が里を出るより少し前だ」
私は目を丸くした。里から追い出されたなんて聞いたことがない。詳しく聞くと、おばあちゃんが亡くなった頃と前後しているらしく、私の耳に入らなかったのも当然だと言われた。
アイルークは耳をかきながら、中庭の花に目を向ける。
「……随分前から一家に対する風当たりが悪かった。プライドの高い奴らが仕切りにリクハルドの母親に嫌味やら嫌がらせしてるのを見たことがある。まあ、俺の母親も例外じゃない」
「そんな……」
「元々こいつの父親はそこまで名声のある魔術師じゃなかった。その上、仕えていた主人が変死して、本人が失踪したんじゃ悪い噂も立つだろう」
リクハルドはアイルークの言葉に反応を示さなかった。私は視線を落とす。まさか、そんなことが起きているなんて知らなかった。いや、私は落ちこぼれ組だったから知らずにいられたのかもしれない。
結界の中に風が吹き込んでくる。冷たい空気が体を冷やしていくのが分かった。
「でも、どうして?両親の経歴だけなら、私や他の子だって……」
落ちこぼれには似たような境遇の子供が多かった。なのに何故、リクハルドの家だけがそんなに冷たい仕打ちを受けなければいけなかったのか。
風が強く吹き付けてくる。リクハルドに視線を向けると、彼は集会の会場を見上げていた。その横顔に小さい頃の彼の面影が過る。
確かに、昔から口数の少ない子だった。それは周囲との軋轢から生じたものだったのかもしれない。
「それは……」
アイルークが口を開いた瞬間、リクハルドの表情が変わった。大きく見開かれた瞳が、上空へ。
「……来る」
「え……っ!?」
刹那、私達とリクハルドの間に黒っぽい影が過った。砂埃と共に着地したその物体が大きく羽を広げる。
「なっ」
いつの間に結界の中に現れたのか。大きな翼を持つ鳥に似た生物が首を振って奇声をあげる。耳をつんざく高い音に頭が割れそうになった。
咄嗟にアイルークを見ると、彼は顔を顰めて呟いた。
「精霊か……っ」
有能な魔術師は蛉人以外に中級の精霊を複数使役することが出来る。精霊の中で最上級の力を誇るのが蛉人だけれど、大抵の魔術師は蛉人との契約で許容量がいっぱいになってしまう。だから、中級の精霊まで使役する人間は数少ない。
私の知る中で言えば、ファーレン様や……フォルカー様くらいのもの。
リクハルドは咆哮する精霊を睨みつけ、そしてアイルークに言う。
「何故こうも簡単に気付かれた!」
「俺に言わないで欲しいな!この結界といい、アラセリ嬢の叫び声程度で発動するとは……っ」
鳥の姿をした精霊は地面を蹴りつけて上空へ飛び上がると、大きく息を吸い込んだ。そして次の瞬間、黄色く尖ったクチバシから猛火が吹き出す。
「っ」
アイルークに肩を掴まれ地面へ伏せる。炎が中庭を焼き、花壇の花は火の色へと変化した。
咄嗟に集会の会場を見上げる。庭でこんなことが起きているのに、バルコニーにいる魔術師達は気付いていない。私を庇っていたアイルークは言う。
「どうやら此処は結界の上にカモフラージュまでされてるらしい……助けは望めそうにないな」
「なら、どうすれば……」
再び精霊が息を吸い込み始めた。先ほどよりも空気を貯めているのか、胸部が異常なまでに膨れ上がる。
アイルークは立ち上がった私をリクハルドの方へと押しやった。リクハルドの後ろには噴水がある。その影に隠れて、と言われ、私は噴水に視線を向けた。
しかし、その時。精霊の視線がはっきりと私を見た。ひと際大きな奇声をあげて、貯めた炎を吐き出そうとする。
「アラセリっ」
目の前が真っ赤に染まった。その瞬間、心の何処かで冷静な私が呟く。この精霊の獲物はアイルークでもリクハルドでもない。おそらく、私だ。
先ほどの威嚇とは違う、獲物を仕留める為の一撃が繰り出される。炎が風を纏って槍のように鋭利に私の体を抉ろうとしてくる。
アイルークがフィオを呼び出すのが見える。リクハルドが手を伸ばすのが見える。でも、駄目。間に合わない!
「アラセリっ!!」
灼熱の炎が私の体を覆うように変化する。けれどその直前、私の腰に何かが巻き付いた。
私はハッとする。気付けば両手両足も拘束されている。これは……蔦?
しかし事態を把握するより先に、私の体は宙に投げ出された。炎の槍が脇腹をかすめていく。そして次の瞬間、視界が大きくうねる何かに覆われた。遅れて水音が耳へ届く。
(水……噴水の、中……?)
両手両足に絡み付いた蔦が、私を水の底へと引きずり込んだ。月の揺らぐ水面が徐々に遠くなっていく。噴水とはこんなに深いものだっただろうか。
遠ざかる水面を見つめながら、同時に意識が薄れていく。それは眠りにつくときの微睡みにもよく似ていた。




