出立
次の日の朝の事だ。
ライリアルたちに合わせて少し遅い朝食を摂りながらマリアは言う。
「それで、賢者殿はここを視察してみてどう思ったのよ。私は現状以上のことはできないと思ってるのよ。特に、天使に対してはね」
硬いパンをスープに浸し、ライリアルはマリアの言葉に応えた。
「私も、これ以上は望めないと思う。竜がいれば別だろうが」
「冗談。この国に残った竜は西方面の国境で手いっぱいよ。あなたが国境を守るなら別でしょうけど」
マリアが肩をすくめる。
会話から取り残されたトーマスたちはひそひそと小声で話し合った。
「西の方に竜がいるんですの?」
「風の竜……だったかな。敢えてこの国に残ることを選んだ竜たちだって言い伝えで聞いてる。建国されるまで隠れ住んでたって」
キャロルとトーマスがそれぞれに口を出せば、アーノルドも口を挟む。
「そういや、レイム以外の竜って初めてだな。竜たちって複数いるんだろ」
「そう聞いてます。特に北西の、ガンスとの国境を守る兵は全員竜らしいです」
トーマスの言葉にキャロルは首を傾げる。
確か竜は人間との契約なしでは、力を使えないとかレイムが言っているのを、キャロルは聞いたことがある。
「でも、それは……」
疑問を口にする前に、トーマスが先を続ける。
「北西の国境付近に限ってなんですが、契約しなければ力を振るえないという制約は変更されているそうなんです。この話については俺も詳しくは知らないんで、行った先で直接聞いた方がいいです」
「ふぅん……そんな例外聞いたことないけどなぁ」
トーマスの話を聞いて、アーノルドは疑わしそうにぼやいた。
確かにそんな例外が発生するなら、竜はもう少し多くこの大陸に残っているのではないかとキャロルも思った。
キャロルもレイムから、北大陸に竜たちが移り住んだ時の話は聞いている。
一族が丸ごと残ったのは闇の竜だけだとも。
「何か、あるのでしょうか……」
「さてな。やっぱり直接行って確かめるしかないな」
アーノルドが話を締めたところで、マリアとの話が終わったのかライリアルが会話に参加する。
「何の話だ?」
「風の竜が、北西の国境を守ってるって話ですよ、先生」
トーマスがライリアルに説明すると、ライリアルは何かを思い出すように頷いた。
「ああ、そうだったな」
懐かしそうな表情に、トーマスたちは顔を見合わせた。
何だかこの旅に出てからライリアルの新たな一面を知ることの方が多い気がする。
「北西には、昔の友人の母がいるんだ」
「はい?」
「友人の母親……!? 風の竜だろ!? お前の交友関係どうなってんだ!」
ライリアルの発した言葉に古くから彼を知っているマリアはともかく、残りの三人は唖然とした。
「友人って言っても子どもの時の話だ。父親が亡くなって村に引き取られた子がいてな。父親は何の力もない人間だったが、母親は風の竜だった。建国の時に再会するまで、一回しか会ったことはなかったけど、彼女は私を覚えていたよ」
ライリアルは1000年近く生きている。それ故に今を生きるアーノルドたちには到底理解できない話だ。
「先生の昔の話って、何だか神話を聞いてるような気分になります。俺からするとぶっ飛びすぎてるんで……」
トーマスは大げさにため息をついて見せてから大きな声で笑った。
砦を出立する時、また外にイノスの姿を見た。
来た時と同じように、壁にもたれて座り込み、動かない。
「ほんとに昨日、動いてたのかな……」
夜、月明かりの下で動いて喋る彼を見たトーマスは疑わしそうに呟く。
「……昨日、いつの間に彼と会ったんだ?」
耳ざとくライリアルが聞くと、ヒヤッと肩をすくめてしまった。
そういえばあの時は誰も起きていない真夜中だったのだとトーマスは思い出した。
「あー……昨夜先生たちが寝た後でこっそり探しに行ったんです……ごめんなさい」
「何か変な事を言われなかったか?」
「言動が全部変だと思ったんですが……」
聞けば回答は返ってくるのだが、こちらの知識がないからなのか要領を得ないことが多々あった。
変なアドバイスについてもそうだが、あれも『予言』の一種というものだろうか。
「とりあえず、めちゃくちゃ変な人だっていうのはわかりました。先生も変な事を言われました?」
「ああ。全く意味が分からないことを言われたよ。『気をつけろ』ということなんだろうけど」
トーマスとライリアルの会話がひと段落するのを待っていたのか、見送りに出てきたマリアがにこっと笑う。
「久々に元気な顔を見れて良かったわ。ねぇ、ライル」
マリアがライリアルを『賢者殿』と呼ぶのを止めて名を呼んだ。
ライリアルが戸惑ったように瞬きを繰り返す。
「あの馬鹿からの伝言。忘れてたわ。『いつか、必ず説明するからごめんな』って」
マリアの言葉に対して、ライリアルは無言。
何も答えずにいるライリアルを見て、キャロルとトーマスは揃ってマリアの表情を見る。
申し訳なさそうな表情ではなく、何かを面白がってるような彼女の悪戯っぽ瞳を。
「……それなら、返事を伝えてもらおうか。『そういうことは直接言え、馬鹿野郎』と」
ライリアルからの返事にマリアは小さく吹き出した。
わざとらしく重々しく告げたライリアルも笑った。
「またね、次に会う時が戦場じゃないことを祈ってるわ」
「ああ、私もそうだ。互いに王都で会えることを祈る」
そう、出立の時に挨拶を交わしてライリアルたちは歩き出した。
「さっきの伝言って何だったんだ? お前ら二人だけでわかりあってたわけだけど」
しばらく歩いて、砦が小さくなった頃アーノルドがライリアルに訪ねる。
「ああ、あれはトーマスからの伝言。多分あのタイミングで彼女が私に伝えたってことは、トーマスがあそこにいたんだろう。自分は私の前に姿を見せないのに、私の顔を見て安心したらしい」
「どうしても言わずにはおれなかったって奴か」
ライリアルの自称親友としては、昔の友人とやらが気になるのかふむふむと考え込む。
「いたなら俺も会いたかったなぁ。初代国王……」
トーマスは自分の遠い先祖があそこにいたかもしれないと聞いて、そわそわと後ろを振り返る。
ライリアルにも、初代国王の王妃のマリアにも似ている似ていると言われて、どれほど似ているのか気になって仕方ないのだ。
「あいつが会いに来るころには外見の年齢が追いついていたりしてな。きっと、そうなると間違い探しになるかもしれないな」
楽しげに笑うライリアルが珍しく、キャロルはアーノルドと顔を見合わせた。
昔のライリアルについてこの中の誰も知らない。
例えば初代国王トーマスやマリアと共に建国した時はこんな性格だったのだろうか。
トーマスは今と昔のライリアルのことを考えながら、深刻な表情でひっそりため息をついた。
「どうしたんですの?」
「うん……先生が楽しく笑えてない今っていう事を思うと……」
小声でこっそり尋ねてきたキャロルにトーマスはそう返答した。
クロムとローレンスは二人当てもない旅を続けていた。
「空が遠いねぇ……」
休憩に、木陰に座り、手をかざしてローレンスは空を見る。
クロムは何も言わない。
今までは移動時、ほとんどの時間をローレンスの影の中で過ごしていたクロムだが、兄の所を訪れてから外に出ることが多くなった。
「空を飛びたいなら、手を貸す」
しばらく黙っていたクロムだったが、唐突に返事を返す。
それが少しズレていて、ローレンスは小さく笑った。
少しずつ自分たちに変化が訪れている。
兄のライリアルの所で命を捨てようとした自分を、クロムは必要だと止めてくれた。
1000年近いクロムとの旅の中であまり会話したこともなかった。
「僕が言いたいのはそうじゃなくて……」
笑いながら説明しようとしたローレンスだったが、クロムが突然振り返った。
「クロム?」
次いでローレンスも気付いた。
辺りに満ちる異様な雰囲気に。
「のんびり休憩もしていられなくなったな」
クロムが呟くと、どこからか炎が飛んできた。
「クロム!」
「問題ない」
クロムが手を一閃させると炎が四散する。
「そこにいるのだろう? 何者かは知らんが、主に害を為すなら容赦はしない」
ゆらっと空気が揺らめいて、そこに現れたのは赤毛に緑の目をした天使だった。
顔の下半分を布を隠しているが、見た目が派手なので隠した意味がない。
翼は炎のように鮮やかに赤い。
「クロム、天使だ」
「――わかっている」
クロムがドンと足を鳴らすと、足元から影が伸びて天使に向かう。
「おっと……。やっと見つけたと思ったら物騒な奴連れてんだな。話を聞いたときはだまし討ちだと思ったけど、そうじゃなさそうだ」
「何だよ、お前」
空を飛び、クロムの影から逃れた天使は緑の目を丸くして、布越しの籠った声を出す。
それに対してローレンスは、睨みつけて声を張り上げた。
「何って。俺はお前に用があって来たんだ。俺と一緒に来てもらおうか。その、物騒な天使は置いて、さ」
天使の用件を聞くや否や、クロムは大地を蹴って飛んだ。
背中に被膜の張った翼が現れる。
手の形が変わった。爪が伸び、攻撃的な形になった。
「主は渡さない」
天使の反応速度が遅れる。
クロムが振り下ろした爪は、引き裂いた布を空に撒いた。
「何だ、その顔は」
少し遠い所にいたローレンスにもクロムが言いたいことがわかる。
クロムが引き裂いたのは天使の顔の下半分を覆い隠していた布だった。
布が切り裂かれたせいで、見えた天使の顔。左頬には鋭い爪を模った紋がある。
ローレンスの片手の甲にはそれと同じ紋がある。
ただし、色が違う。大きさも違う。
ローレンスの紋は白で、天使の頬にあるのは黒。
隠された物を暴かれた天使は据わった目でクロムを捉える。
「見たな? 殺してやる!」
天使の赤い翼が光る。
それだけで周囲の温度が上がっていくのが離れたローレンスにもわかった。
何か結界を張らなければと思ったローレンスを、自らの影が包み込む。
「しばらく、我慢をしていてほしい」
クロムは自分の手を黒く染めて、ローレンスに声を掛け、天使に飛びかかった。




