賢者と少女
次の日の朝はとてもいい天気だった。ライリアルは朝早くに畑に出て、すがすがしい空気に大きく胸を張る。
もっとも、畑の世話自体は魔法でさっさとすませてしまったが。
ついでに食べごろの野菜を収穫して、台所へと戻った。
朝食の準備を、切る事以外ほぼ魔法に頼りながら進めてライリアルはため息をつく。
ただ一人で暮らす気楽な隠遁生活だというのに、今朝は招かれざる客が家の中にいる。
彼はあまり他人と関わるのを好まない。
それはライリアル自身が見た目の年齢よりずっと長い時間を生きてきたせいだ。
たとえ普通の人間と親しくなったところで、皆ライリアルを置いて逝ってしまう。
アーノルドは今まで出会った人の中では、長生きなほうだ。
魔法使いとしての実力もあり、自信に満ち溢れている。
だから、こんなに何度もライリアルに挑戦してくるのだろうか。
様々なことを考えながら、切った材料に味付けをして鍋に放り込む。
そして、調味料がだいぶ減っていることに、どうしたものかと思案した。
アゾードは海のない完全に内陸部の国だ。
塩は岩塩が採掘される地域でなければ交易でしか手に入らない。
悲しいことに、この近辺は岩塩の採掘地ではなかった。
村の市場にちょうど売っていれば、買ってくるのだが昨日村には一度降りたところだ。
気づくのが一日早ければ買ってきたのに。
自分の失敗を内心で悔やみながら、スープを煮込む。
食欲をくすぐるような匂いが、ゆっくりと広がっていった。
男二人で取る朝食という、とても味気ない時間を過ごした後にライリアルを待っていたのは、アーノルドとの勝負という、面倒ごとだった。
ライリアルとしては一番面倒な村での買い物が控えているのに、アーノルドとの勝負でよけいな体力を消耗したくはない。
家の外に出て、アーノルドと対峙する。
「おい、やる気あんのか?」
いかにもやる気がなさそうな、気だるげなライリアルの態度にアーノルドが文句を付けた。
「そんなもの、はじめからあるわけないだろう」
「……お前にやる気がある方が珍しいのはわかるんだけどよ、いくら何でもやる気なさすぎるだろ!」
魔法の行使には、構えも詠唱も特には必要はない。
複雑な魔法ならば、呪文の詠唱、印を結ぶ、魔法陣を描くなどの準備も必要にはなるが。
それでも、人対人の魔法の勝負の時には構えたりするものだ。
アーノルドは臨戦態勢に入り、ライリアルの挙動を見逃すまいと警戒しているのに対し、ライリアルは全くの自然体だった。
「今回私は防御だけに徹するから」
「いや、お前にやる気なさすぎるから今回はいい……」
がっくりと肩を落とし、アーノルドはため息とともにこぼす。
「だいたい何で今日は構えもしないぐらいやる気ないんだよ」
まるで子どものように口をとがらせて、アーノルドが文句を付けた。
「あー……すまない。多分、後で村に降りる用事があるから……」
「お前さ、悪いとは実は思ってないだろ」
「わりと、そう」
あっさりと認めたライリアルに、アーノルドは呆れて肩をすくめる。
「それで、昨日の今日で一体何の用が村にあるっていうんだよ」
「今朝気づいたんだが、調味料が切れかかっているんだ。香草類はこの辺でも手に入るからいいとして、塩だけは早急に必要だ」
出かける準備をするために、一度家の中に戻ろうと踵を返したライリアルはそう言った。
いつの間にか太陽は高く昇っている。
今日も夜までいい天気が続きそうだった。
学校の授業は昼までだった。
ティアレスは未だにレポートの題材を見つけれずにいた。
図書館に行ってまたおとぎ話のような歴史書でも読もうかと彼女は思う。
しかし今日は、図書館に籠もるのも躊躇うようないい天気である。
「どうしようかなぁ」
迷いながら図書館に向かい歩き出すと、何人か村では見かけない風体の男たちとすれ違った。
この村は魔法の道具や薬草の交易をしているので、行商人が訪れることはある。
彼らもそうかとティアレスは一瞬思ったが、男たちは行商人にしては何やら不穏な雰囲気をまとっていた。
それが気にかかり、少女は男たちが向かった方角に何があるか記憶を辿る。
村から見て、山とは反対側の方角だ。そこは立ち入り厳禁の竜の遺跡がある。
「まさか、ね……」
村の外の人間が遺跡の存在を知っているはずがない。
彼らが遺跡に向かったとも限らないと、不安に思ったことを頭から追い出して歩きだした。
ティアレスはもう図書館に行く気はなくなっていた。
昼ご飯も食べていない少女はお腹が鳴るので、商店が建ち並ぶ通りに向かう。
空腹も少し我慢して歩き続けると、通りの外れの屋台から肉を焼く香ばしい匂いがしてティアレスは財布を取りだした。
「おじさん、一個ください」
ティアレスが銅貨を差し出すと、屋台の店主は焼いていた肉を切れ目を入れたパンに挟んで差し出した。
「ありがとう」
受け取ったティアレスはまた歩き出しながら昼ご飯を頬張る。
焼いた肉の味が口いっぱいに広がった。
歩きながら食べるのはティアレス自身、行儀が悪いとは思っている。
とはいえ、この青空の下で行儀の悪い食事をするのもたまには悪くないと思う。
食事を終えたティアレスはハンカチで汚れた手を拭いて、通りに並ぶ商店を見ながら歩く。
「あれ?」
ふと、ティアレスは視界の端で気になるものを見つけて立ち止まった。
黒い髪の青年が、金髪の青年と歩いてこちらに向かってくる。
金髪の青年は今までに見たことない人だが、黒い髪の青年は昨日も見かけた人だ。
旅装束の金髪の青年と違い、黒髪の青年は昨日と同じ軽装だった。
昨日と違うところは、何か包みを抱えていることだった。
近づいてくる金と黒の二人組が、立ち止まったままのティアレスの横を通り過ぎる。
ティアレスが何となく二人を視線で追いかけて振り返るのと、黒髪の青年が腰につけた皮袋を落として銅貨や銀貨を道に蒔いてしまったのが同時だった。
「あ……」
皮袋の持ち主の青年が慌てて落ちたお金を拾いだす。
金髪の青年も何やら苦笑いしながら手伝いだしたので、ティアレスも思わずしゃがんでお金を拾った。
「すまない。助かった。ありがとう」
ティアレスが拾い集めたお金を持ち主の黒髪の青年に渡すと、青年は微笑んでそれを受け取った。
「拾い主に一割あげろよ、ライリアル」
金髪の青年が揶揄するようにそう言って、自分が拾ったお金を懐にしまいこむ。
「拾った一割どころか全部取るな、アーノルド。懐にしまったものを全部出してもらおうか」
ライリアルがティアレスに礼を述べたときと全く違う態度で連れに冷たく言い放った。
「……ったく。冗談が通じない奴め」
アーノルドが一度しまったお金を出して、持ち主に返す。
ライリアルはそれを皮袋にしまって、ちぎれてしまった袋の紐を残念そうに見た。
もう腰につけることもできないようで、ライリアルは抱えた包みの中にそれをしまう。
「間違えても中身と一緒に売るなよ?」
「さすがにそんなへまはしない」
からかうようなアーノルドの口調に、気分を害したようにライリアルが言い返した。
「あ、そうそう。君この村の子だよね」
「あ、はい……そうですけど……」
「村の外から来る交易品ってどこで売ってる?」
ライリアルに質問されて、ティアレスは首を傾げる。
「うーん……種類によりますけれども」
彼らが旅人だとしても交易品に何の用があるというのだろうか。
その疑問はライリアルが探している物を聞いて払拭された。
「塩が入ってきてないか知りたいんだ」
それは、旅人でも村の住人でも必要なものだ。
旅人が野宿をするときでも、塩さえあれば味気ない食事をせずにすむと言うものだ。
「それならわかります。案内しましょうか?」
「場所さえ教えてもらえば、後で行くよ。先に用事があるんだ」
「私、午後は暇ですし、お二人の用事が住むまで待ってますよ。ここからの行き方は口では説明しにくいですし」
そもそもティアレスは道案内をしたことがない。
どう説明したらいいかも未知の領域であるし、この二人組に興味もあった。
「そうか。それなら好意に甘えよう。少し待っててくれないか」
ライリアルは優しげに微笑んで、アーノルドと共に歩きだす。
しばらく二人の後ろを見つめていたティアレスだったが、二人がある店に入るのを見て疑問が再び湧き上がった。
「何であんなところに用があるの……?」
その店は村に一軒だけある古書店だった。