ライリアル
夕闇が迫るマイズ山を、一人の青年が登っていく。
日が落ちれば灯りも持っていない青年では山を歩くのは困難だろう。
しかしその足取りは確かで迷いは全くなかった。
時に足を止め、空を見上げる。また時には眠そうにあくびをする。
線の細い印象のある女顔の青年だが、体力はあるようで少し足を止めた後でも足取りのペースは足を止める前とほとんど変わらない。
そのうちに木々の合間の遠くに小さな家が見え隠れする。
家に近づくにつれて視界は広がり、そこだけ開けた広場のようだ。
家の周りも落ち葉が散った様子もなく、丁寧に手入れされているようだ。
ただ、家の裏手には一本だけ木が生えていた。
黒い髪の青年は薄暗くなる空の下、迷いなくその家に入った。
青年が家に足を踏み入れると、暗かった家の中に明かりがつく。
スタスタと彼は夕飯の支度をするために台所へと向かった。
廊下を歩くうちに、人の気配を感じて青年は顔をしかめる。
この家は青年の家であり、彼は一人暮らしである。
他の人間などいるわけがない。
それでも青年は心当たりが一人だけいたので、気配のする居間として使ってる部屋をノックもせずに開けた。
「よお」
そこにいたのは青年の予想通りの相手だった。
「お前が外出なんて珍しいなぁ、ライ」
読んでいた本を丁寧に閉じ、おどけた様子で青年に話しかけてきたのは、見た目で言えば黒髪の青年と同じぐらいの歳の金髪の青年だった。
二十代半ばから後半に見える黒髪の青年は細身で、女顔のため性別を間違われることを嫌って髪を短くしている。淡い菫の優しい色の瞳は目の前の相手に呆れた視線を送っていた。
一方金髪の青年は長身で、ややがっしりとしている。背中の中まで伸ばした金髪を首の後ろで軽く縛っていた。青い澄んだ瞳はニヤニヤと笑っている。
「慣れ慣れしく呼ぶなと何度言ったらわかるんだ、アーノルド」
静かに力を込めた青年が、アーノルド相手に唸った。
明らかに苛ついている青年に対して、アーノルドは態度を変えない。
「じゃあどう呼ぶのがいい? マイズ山の賢者様よ」
「普通に呼べばいいだろう。ライリアルと。勝手に愛称を作って呼ぶんじゃない」
不機嫌に言い放つライリアルにもアーノルドは動じない。
これは彼らが出会う度に交わされている会話だった。
もっとも、ライリアルは自分から望んでアーノルドに会いに行ったことはない。
いつもどこに住んでいるかも知らないアーノルドが、いつもライリアルに会いに来てしまうのだ。
「はいはい、わかったわかった。それにしてもお前外出してどこ行ってたんだ? 待ちくたびれたぞ」
いつものようにライリアルの注文を受け流したアーノルドが、まるで口うるさい母親のように外出先を聞いてくる。
「村に降りて本を探してたんだ」
「手ぶらってことはいいのがなかったのか」
「だから、お前は何故そんなに私の行動を知りたがるんだ」
「いやだって、お前すっげぇ面倒くさがりじゃん」
アーノルドの言っていることは事実だった。
ライリアルは朝早く起きて、家の裏手にある畑を手入れする以外はほとんど部屋に籠もって本を読んでいる。
畑の手入れも魔法頼りだし、書庫は地下にあるというのに行くのが面倒だからと読みたい本を召喚する魔法まで編み出した。
しかし返す方の魔法はまだ作っていないので、下手をすると部屋が読み終わった本で埋もれてしまう。
一度アーノルドは、部屋の中で本に埋まったライリアルを見たことがあった。
「お前のような引きこもりに魔法の才能があるのか全く理解できねぇよ」
「私からしてみれば、才能というより魔力の量の違いだと思うけどね?」
「それが才能だって言ってるんだよ」
呆れた顔でアーノルドが首を振る。
ライリアルはそれが理解できないようで、不思議そうに首を傾げていた。
ライリアルは自身にどれだけ魔力があって、価値があるのかをわかっていないのだ。
魔法の才能は魔力の量とコントロールで決まる。
ライリアルは普段、無意識に魔法を行使していた。
常人ではすぐに暴走を起こしてしまうような危険な行為だ。
やはり生まれ持った才能のせいか、ライリアルはそれがどれだけ困難なことか知らなかった。
「まあ、それはいいとして。アーノルド、わざわざ何をしに来たんだ?」
「ただ飯食いに」
ライリアルが用件をようやくたずねると、アーノルドはあっさりと答えた。
「ついでに泊めてくれ」
図々しい要求にライリアルは相手をするのも面倒くさそうに、肩をすくめた。
「……そのためにわざわざここに来たのか」
「いや、本当はお前と勝負したかったんだけどよ。お前がいなかったから」
アーノルドは何故かライリアルをライバル視してきて、幾度となくライリアルに勝負を仕掛けてきている。
アーノルド自身も魔法使いとしては、強い部類に入るのだがライリアルの魔力と制御能力が圧倒的に高すぎて勝つには至っていない。
それでも懲りずに勝負を仕掛けてくる姿は尊敬に値する。
こうした努力への情熱を失って久しいライリアルは彼の情熱を密かにうらやましいと思っていた。
「……明日なら勝負してもいい」
断る理由を探すのも面倒になったライリアルは、夕飯の支度をするために台所へと向かった。