アロガンス
時間を少し遡る。
アーノルドはジョシュアと対峙していた。肩で息をするアーノルドと違い、ジョシュアは余裕の表情で立っている。
正直言って、強い。それがアーノルドのジョシュアに対する評価だった。
最初に懐に踏み込まれたのがいけなかった。顎を狙って振り上げられた拳は後ろに跳び退ることでよけたが、それ以降防戦一方だ。
こちらから魔法を撃ち込むどころか、通常の魔法使いとしての集中さえ隙を与えてくれない。
今アーノルドが集中を要さず使えるのは、魔法使いとして偽装するために得た能力ではなく、生来持ち合わせた能力の方だけだろう。
アーノルドは持っている能力の片方だけを解放する。彼が持っているのは時間と空間を操る能力。その一つ、空間を操作する力を使った。
アーノルドの姿が揺らぎ、ジョシュアから離れる。
「ふぅ……」
この能力は竜と契約して手に入れた、ということにしている。もっともその能力を持っている竜など自分だけしかいないのだが。
「へぇ……面白い力を使うんだな」
ジョシュアが興味深げにアーノルドを見る。アーノルドは苦々しい表情で一時的に遠ざかった敵を睨む。
「これは竜の力だ。なるべく使いたくなかったんだがな」
「契約者か……面白いな。実に、面白い」
相手が竜の契約者だと知ってもジョシュアには動揺が見られない。
仮にも竜の力を持つライリアルの師匠をしていただけあって、契約者だろうと物ともしないだけの自信があるのかもしれない。
「はははっ! 俺を警戒してんのか? そりゃそうだな。正解だ」
ジョシュアがまたアーノルドの方へ跳躍する。身を低くして突進してくるジョシュアの後ろに空間を捻じ曲げてアーノルドが跳んだ。
全くの背後。相手は隙だらけだ。そう思い、アーノルドは至近距離で魔法を放つ。
しかし、それはアーノルドが身体を捻り、伸ばした手により散らされた。
「げっ……!」
防御魔法でもなんでもない。ただ魔力の籠った手だけで受け止めた魔力を握りつぶしたのだ。
それだけではなく、ジョシュアはさらに手を伸ばしてアーノルドの腕を掴んだ。
「っ……!?」
アーノルドはその瞬間から身体の支配を失った。自分の意志では指一本動かせない。
時間が止まっているわけではない。それができるのは力を全て解放したアーノルドだけだ。
周りからは枝葉が風に揺られて立てる音が響く。止まっているのは時間ではなく、自分の身体だった。
握りこまれた腕の部分から、何かがじわじわとアーノルドに浸透している。彼がわかったのはそれだけだった。
「捕まえたっと」
ジョシュアが完全に振り返って、アーノルドの腕を引き寄せた。当然のように動かない彼の身体は逆らいもせずジョシュアに引かれる。
空いたジョシュアのもう一方の手がアーノルドの額に触れた。気がつくと目の前のジョシュアの銀色の髪が長く伸びて、風に揺れている。
「悪く思うなよ。お前の頭の中を弄ることを」
髪をあっという間に腰まで伸ばしたジョシュアは藍の瞳を揺らしながらも口の端を上げた。
「師匠!」
ライリアルはフォーレシアたちを置いて単身森に足を踏み入れ、見つけた銀色の流れに声を掛ける。
先ほどまで短かったジョシュアの髪に変化が起きていることをライリアルは驚かない。ただ、アーノルドがいないことと、代わりに片手にぐったりした誰かをぶら下げていた。
衣服はどこにでもいそうな村の少年に見えるが、背中に白い翼がある。ライリアルはその少年の姿を見て顔をしかめた。
「師匠。その天使はともかく、アーノルドはどうしました?」
ここにいないということは、もうジョシュアに負けて去って行ったのだろうか。
ジョシュアの髪が伸びているということは、少なくともふだんは使わない彼特有の魔法を使ったはずであった。
「あいつならもう一人の天使を捕まえに行ってるぜ。かなり面白い『魔法使い』だな。あいつは」
「もう一人いたんですか。というか勝負は?」
「なしだ、なし。俺が優勢だったんだけどな。色々予想外の事が起きてこうなった」
にやにやと笑いながら、アーノルドは言う。
「家の周り、結構すごいことになってるんですが師匠の仕業ですか?」
呆れたようにライリアルが師に問うとジョシュアは肩をすくめた。
「どっちかっつーと天使が派手にぶちかましたせいだ」
ジョシュアは天使を引きずったままライリアルのそばに来る。
「で? 追っ払ったお前が何で来た?」
ジョシュアのひやりとした声がライリアルに向けられる。
ライリアルはびくっと肩を震えさせて、ここに来た理由を告げる。
「村に住んでいる古いリトカが、師匠がアロガンスだって聞いて話が聞きたいって」
「村に古いリトカ? いるのか?」
ジョシュアの疑問はもっともなものだ。ライリアルも村を出てからは師以上に古いリトカを見たことがないのだ。
「ええ。竜の遺跡のリトミアから目覚めた方です」
ライリアルの答えにジョシュアは納得したように頷いた。
「ああ。だからアロガンスの名に敏感なんだな。用件もわかった。行くぞ」
ジョシュアは手元の荷物も特に気にせず家の方向へ歩き出す。ライリアルは一拍遅れてそれを追った。
二人が木々の合間から抜け出すと、荒れた地面の向こうに一本立つリトミアの前で女性三人が待っていた。
その中でもフォーレシアはライリアルが見たこともないほど不信感を露わにして、彼の隣に立つ銀髪の男を見ている。そしてジョシュアの手元を見た少女二人は不安そうに身構えた。
「賢者さん。その人が?」
先に口を開いたのはフォーレシアの方だ。ライリアルは頷いて答えた。
「そう……。ちょっと聞いていいかしら?」
フォーレシアは険のある声でジョシュアに声を掛ける。
「貴方が掴んでいる天使、貴方が変えたの?」
彼女の問いに、ジョシュアの笑みが深くなった。
「いんや。俺は天使の味方じゃないんでね。お前が竜の遺跡のリトミアなら俺たちの現状を知らないだろう?」
「あの……フォーレシアさん。話が見えないんですけれど……」
フォーレシアの隣で困惑した表情を浮かべてティアレスが問いかける。
「さっき天使の事を話したじゃない? リトカを天使に変えた部族。それがアロガンス」
ティアレス達は信じられないといった表情でジョシュアに視線を移した。ライリアルもだ。
視線を一身に集めたジョシュアは低い笑い声を漏らした。
「ライル。お前も天使の成り立ちは聞いたのか?」
答えないライリアルに視線をやってジョシュアは再度口を開く。
「俺が怖いか?」
「……師匠は昔から怖い人ですよ」
ライリアルは苦笑して答えた。
「古きリトミア。もし俺が世界を救うために動いてるっつったら信じるか?」
ジョシュアが質問を投げると、フォーレシアは首を振った。
「貴方の言うことは信じられないわ。その天使はまだ若い。神が生み出した物でもアンジェブランシェでもない。アロガンス以外の何者が作れるって言うのよ?」
フォーレシアの言葉にジョシュアは笑う。それはどこか自嘲しているような笑みだ。
「昔、ライリアルを拾うよりずっと前だな。魔獣の群れが俺の部族を襲った」
「……」
「生き残ったのは俺だけだ。まあ、うるせぇ長老達は死体もなかったし、連れ去られたのかもな」
ジョシュアは未だ引きずったままだった天使を前方へと放り出す。
「こいつから俺が部族の長だって聞いたんだろ? ならわかるはずだ。一瞬力を使うだけでも強い天使ができるってな」
「……そうね。貴方が本当にアロガンスの長ならそうよね。証明できるの?」
疑うフォーレシアに対し、ジョシュアは地面に膝をつき傷ついた大地に手をついた。
「ふふん……んじゃ、見せてやるよ」
両手から光が迸る。その瞬間から穴だらけの地面が塗り変わって行く。元通りの踏み固められた大地へと。普通に埋めるだけではこうはならない。
魔法で人の傷を治すのと大差なく、あっという間に地面を元通りにしたジョシュアは立ち上がり、土のついた膝を払った。
「俺の能力は自分の魔力を流し込んで、触れた物を改変する事。人であれば翼を生やすことも、魔力を強めることもできる。頭の中を弄ることもな。でもよ、下準備もせずにこんな真似、普通じゃ無理だろ?」
手もパンパンと打ち、砂を落とすジョシュアにフォーレシアは渋々といった風に頷く。
ライリアルも師の能力については知っていた。それでもこんな大がかりな魔法の使い方は初めて見た。ライリアルも昔人間に対しては大規模な回復魔法を使ったことがあるが、それは竜の魔力があってこそだ。
そう思うとジョシュアのこの魔法は人間の使うものを逸脱している。
「そうね。貴方が長だというのは認めるわ。でも貴方が天使の味方ではない事は証明できていないわよ」
「ま、そりゃそうだ」
警戒心も露わなフォーレシアにジョシュアがやれやれとため息を着いた時、アーノルドが天使を一人肩に担いで歩いてきた。
「ありゃ? 何だよ戻って来たのか」
アーノルドは村に降りたはずのライリアル達を見て目を丸くする。
先ほど別れた時とは全く変わらないアーノルドは肩に載せた天使を、ジョシュアが放り出した天使の横に降ろした。
「遅かったな」
「俺は基本的に普通の魔法使いだからな」
アーノルドは、フォーレシアが何故か警戒する魔法使いだ。それは人間の記憶を感じ取ることのできる彼女が記憶を感じ取ることが出来ないことに起因している、とライリアルは思っていた。
「二人揃って悪巧みか何かかしら?」
「そう警戒すんなって」
手を振るジョシュアを睨んだまま、フォーレシアは一歩踏み出した。
「そう。私は天使の事よりも、もう一つ、賢者さんの事を聞きたいわ」
「ライルを一人で閉じ込めてることか? そのことならさっきこいつと話がついたぞ」
「え?」
ジョシュアの発言にライリアルとキャロルが疑問の声を発する。ジョシュアはライリアルの環境からアーノルドを排除するために戦いを仕掛けたはずだった。
それなのに話がついたとは一体どういうことだろうか。
「師匠、話がついた……とは。アーノルドはもうここには来ないということですか?」
「いんや、逆逆。こいつは村に住むんだよ」
「は?」
「え?」
「うそでしょ……」
「……」
ライリアルたちはそれぞれに驚愕の表情を見せる。
「あれ? そこまで譲歩すんのか?」
首を捻るアーノルドに驚きの表情はない。本当に話はついていたようだ。
「まあ、リトミアと竜が村にいるっつうなら、もうライルから人を遠ざけておかなくても大丈夫だろ」
「師匠……」
「だからライル。今日からお前は自由だ。この家を守らなくてもいいし、村で暮らしたきゃそうしろ。俺は止めない」
歯をむき出しにして笑う師にライリアルは何も言えなかった。何もかもが突然すぎる。
「弟子も手放したくなきゃ傍に置いてきゃいいし」
ジョシュアは昔からやることが唐突だった。それはライリアルも知っている。ジョシュアに弟子にされた時も、ジョシュアがこの家をライリアルに任せて出て行った時も突然だった。それを思い出すとライリアルは深々とため息をついた。
「……私が聞きたいのはそんなんじゃないわ」
頭痛でも起こしたかのように、額に手を当て緑色の髪を揺らしてフォーレシアが言う。
「賢者さんに何か魔法を掛けてるんじゃないの?」
その場にいる人間の視線が全てフォーレシアに向いた。当のライリアルは不思議そうに漏らす。
「何でわかったんだ?」
「え? ライリアル様……?」
フォーレシアが苦虫を噛んだような顔になるのと同時に、キャロルが声を上げた。
「人をある程度遠ざけるために、私の心は少し師匠に弄られている。枷がついているようなものかな。それは私も納得の上で掛けてもらっているんだ」
ライリアルは説明するが、フォーレシアは納得していないようだ。
「でも――」
もう一度口を開きかけたフォーレシアを制し、ジョシュアは言った。
「その辺は後で古いリトカ同士、じっくり話し合おうじゃねぇか。若い奴らにはついていけない話だぜ」
フォーレシアは傍の二人を見てそれ以上追及するのをやめる。見習いの少女たちはこれまでに聞いたことだけでも頭がいっぱいなようで困惑の表情がますます強くなっていた。
「そうね……私たちは今日のところは帰るわ。ティアレスちゃん。行きましょ」
麓から来た二人はジョシュアに背を向けリトミアの木に手を当てる。女性二人が消えた後不安そうにジョシュアを見るキャロルが残され、彼は肩をすくめた。
一方でアーノルドは馴れ馴れしくライリアルの肩に手を置いて、楽しげに笑う。
「これからよろしくな、ライル」
「いや、よろしくされたくはないんだが……。師匠の許可はわかったけれど、私はまだ師匠の魔法の影響下だしな」
ライリアルは複雑そうな表情で唸った。
「後でその魔法解いてやるよ。だから、麓で酒買って来い」
ジョシュアの軽い一言でライリアルはがっくりと肩を落とす。フォーレシアは帰ってしまい、ライリアルは再び自分の足で村まで行かなくてはならない。
「今日は泊まるんですね……」
「お前の魔法を解くのに準備がいるし、この天使たちをどうするか、考えなきゃならんだろ」
ジョシュアがしゃがみこみ、意識を喪失したまま転がっていた天使を小突く。
「う……うう……」
外からの刺激に反応したのか小突かれた天使が呻いて、目を開く。まだまだ面倒なことになりそうだとライリアルはしみじみと思った。




