ティアレス
竜の巨体が、すぐそばで彼を見上げている人間たちを見下ろしていた。
彼らは疲弊している。傷ついている。
竜にとっては何の敵にもならぬ人々だった。
それでも竜は、彼らの代表者の話に耳を傾ける。
「どうか、我々に居場所を……!」
追われてきた人々の懇願に竜は頷いた。
『いいだろう。この地はお前たちに譲ろう』
竜は地に響く低い声で、彼らに伝えた。
こうして、彼らはこの地に迎え入れられる。
代わりに竜達はこの地を去った。
それが彼らの言い伝えだった。
ティアレスはパタンと読んでいた本を閉じる。
それはこの国の歴史の本だった。
歴史学の授業のレポートを書きたかったのだが、惹かれるような題材はない。
この図書館にあるどんな本を読んでも心を動かされないのだ。
ティアレスのような魔法使いの卵にとっては、信じられぬような話ばっかりなのだ。
例えば――。
数百年前にこの国を建国した初代国王に助力した賢者が未だに国を助けるために尽力している。
この大陸にはかつて竜が棲んでいて、ティアレス達の先祖がこの地に来たことで竜達は北の大陸へ去った。
などなど、言い伝えのような話ばかりなのだ。
ティアレスの住むこの国アゾードは、この大陸唯一の魔法使いの為の国である。
その建国の理由も他の国で迫害される魔法使いの保護のためであり、建国王は隣国の天使から魔法使いを守るために戦ったのだという。
建国からもう数百年経った今では、魔法使い達が迫害されていたということが、そもそも信じられない若者が多い。
ティアレスもその一人だった。
「だいたい天使とか竜って言ったって見たこともないもの」
竜達はこの大陸から消え、天使は未だ魔法使いを敵視してこの国を狙う北の帝国に潜んでいる。
平和な国内で暮らす彼女たちには、目にすることもない。
ため息をついて、ティアレスは本を本棚に戻しに行く。
「ティア、いい本あった?」
クラスメイトの少女が、本棚から本を抱えて来てティアレスに訊ねた。
ティアレスは首を振るしかない。
「この国の歴史なんて言ってもピンと来ないわ」
「やっぱりティアもそう思うよね。どうせなら、先生もこの村の近くの遺跡見学ぐらいさせてくれればいいのに」
彼女が言う遺跡は竜の遺跡であると言われているが、立ち入り禁止となっている。
ティアレスと彼女は一度こっそり近くに行ってみたことがあるのだが、石で入り口を補強しただけの洞窟に見えてつまらなく思い、帰ってしまったのだ。
後にして思うと入り口だけでなく、洞窟の中も石で補強されていたような気もする。
そして入り口は人が何人も通れるような巨大な物だったように思えた。
「それは面白そうだけど、やっぱり不気味かも」
ティアレスはその時のことを思い出して顔をしかめる。
「じゃあ、村の近くにある山でも登るとか? あの山って確か賢者様が住んでるって言い伝えられていなかった?」
「あの山ー? 薬草とか取りに行っても何もないじゃない。眉唾よ」
村の近く、遺跡とはちょうど逆側の位置には小さな山がある。
山には建国王に助力した賢者が住んでいると言い伝えられているが、この村の住人にとって山は薬草の宝庫であり、登る人も多い。
かといってあの山に誰かが住んでいるなど聞いたこともなかった。
「でもでも、賢者様って何百年も生きてる凄い魔法使いなんだから、魔法で隠せば……」
「そんな凄い賢者様なら、私たちが登ったところで見つけられないわよ」
「もう、ティアったら夢がないんだからー」
彼女が呆れたときに、さすがに声が大きかったのか図書館の司書が注意をとばした。
「図書館では静粛に」
「あ、ごめんなさい」
彼女たちは小さく謝り、そそくさとお互いに離れた。
彼女は席へ、ティアレスは本棚へと。
数時間図書館にいたが、いい本は見つからなかった。
村で一つしかない図書館だから、先にいい本を誰かが借りていった可能性もある。
しかし、そもそもこの村の図書館にいい本があるのかというのは疑問に思う。
小さな村の図書館に有名な学者の本はあっても、最近の学者の出した本がすぐ入るわけがないのだ。
その割に、蔵書の数は多かったとティアレスは振り返って思った。
ティアレスのような魔法使いの卵には難しい魔法書の類が何冊もある。
それは当然大きな街でも高価なはずの本で、こんな村にあること自体が不釣り合いだった。
「どういうことなのかなぁ……」
この国の歴史よりも、その理由を探す方がずっと面白そうだった。
マイズ村と呼ばれているこの村は、村と同じ名前の近くの山で採れる薬草の加工、小麦、魔法の道具の交易などで細々とした収入を得ている村だ。
魔法使いの勉強をしているティアレスも、将来は父と同じ薬草の加工をする仕事に就くことになっている。
働く父の姿を見ても、この村に上がる収益が少ないことはわかっていた。
それなのに村の図書館に高価な書物がたくさんあることは本当に不思議だった。
ティアレスは不思議に思いながら、家に向かう。
この疑問よりも、目先のレポート課題だ。
提出は一週間先だが、題材が決まらない以上書けるわけもない。
肩を落としながら帰路についたティアレスは、きちんと前を向いて歩いていなかったせいで正面から歩いてきた青年にぶつかりそうになり慌てて謝った。
「あ、ごめんなさい」
一度頭を下げて、顔を上げたティアレスはぶつかった青年の顔立ちが整っていることにドギマギとしてしまう。
「いや、こちらこそ」
優しい声がそう言って去っていった。
村では見たこともない人だが、まるで近くに住んでいるかのような軽装な青年だ。
「誰なんだろう……」
しばらく遠ざかる後ろ姿を見つめていたティアレスだったが、しばらくしてハッと我に返ると家路を急いだ。