生を想え
扇動美鈴は扇動岐路に優しく迎えられた。
温かい手が冷たくなった手を温めてくれる。
それは扇動美鈴が望んだものと少し違う、しかし予想通りの行動だった。
「さぁこの後すぐ検査して、問題ないようならアニマルデータ移行準備に入ろう」
「…はい」
「これで家族三人だ。きっと涼香は新しい弟に驚くだろうなぁ」
嬉しそうに話す扇動岐路の前で、扇動美鈴は弱々しく笑う。
クラリスが前話したことによると、アニマルデータは眠るようにデータ化するそうだ。
痛みも苦しみもない、安らかな心地を味わうと。
しかし恐怖は消えず、扇動美鈴は怖がっているのがばれないように笑うしかなかった。
その様子を陰から眺めていた仁寅律音の傍にクラリスがやってくる。
<どうしたの?羨ましいの?>
「…別に。むしろ哀れさえ憶えるよ」
素っ気なく言うと仁寅律音はその場を去る。
クラリスは俯き、小さく呟く。
<…生き返って、良かったのかしら?>
アニマルデータは確かに不老不死に近いシステムである。
誰とも別れずに済む、病気に怯えなくて済む、死や老いを怖がらずに済む。
しかし代わりに大きな歪みが生まれているような、些細な違和感。
<怖い…セイロン、怖いわ。私、妾は…生き返ったのに、生きてるのに、生きること自体が怖いの…>
助けを呼ぶような言葉、しかし出て来た機械音声の声に小さな絶望を憶える。
体は人間の物ではなく、機械の体。最初の友達もアニマルデータとして眠っている。
その友達を救うために子供一人をアニマルデータにして、その体に友達を入れる。
アニマルデータになった子供は機械の体に入れて、同じ生き方を強いることになる。
もし人間の体を手に入れるなら、また一人をアニマルデータにする。
単純な繰り返しが続くシステム。
<怖いけど、私、妾は女王だから………犠牲を出してもセイロンも民も全てを救う>
柔らかくない拳を握り、クラリスはシステムの最終調整に入る。
ANDOLL*ACTTION、そのシステムを起動する際に一つの賭けをしようと心に決めて。
<私、妾は女王クラリス。我が文明全てを愛し、全てを守り、全てを救う………この命はそのために使う>
改めて決意するように言う。
強い意志と気高い魂、西洋人形と同じである横顔が、美しい人間と錯覚するほどの心。
クラリスがいる部屋で小さく火花が立つ音がする。クラリスは腕を押さえながらシステムを調整していく。
子供ほどの大きさであるクラリス、搭載できるCPUの容量も大きく多くの記憶を思い出せていた。
それでも限界は近づく。どんなスーパーコンピューターが現れても、人間の脳を凌駕する機能を持つ物はまだない。
しかしクラリスは手を止めない。最後の賭けのために、休むことはない。
各エリアに送られた扇動美鈴の失踪連絡。
そこにはアニマルデータが人間にインストールされる可能性についても書かれていた。
籠鳥那岐はその連絡を見て、ある一つの予感を覚える。
人生最大汚点として認識している、一応幼馴染の御堂霧乃。
長い付き合いの中で、そしてつい最近の衝撃的な扇動涼香大好き告白。
そのことから検討して疑念が生まれる。
「あいつ…美鈴の体に入った彼女で満足できるのか?」
完全には否定できない。下手したらそれを良しとして子作りしかねない。
しかしそれとは反対の可能性もある。つまり男の体では満足できない可能性だ。
考えるだけでおぞましいが、女性でないと認めない場合、その体はどこから調達するか。
いくつもの方法が浮かび、そのどれもが人間として最低な部類に入ってしまう。
「ボス~。どないするん?」
「もちろん向かうぞ。ここで一気に奴らを叩く!!」
意気込む籠鳥那岐の後ろを四人がついていく。
ちなみにその表情を見て四人は、小さく悪の組織の進行みたいと話していた。
葛西神楽は両頬を叩き、気合を入れる。
連絡は言った瞬間から行く気十分で、今は駅前で全員が揃うのを待っている。
手には自分で作った紙飛行機。折り紙なので少し小さい。
「ボスってさ、偉い人とか強い人がやるのが一番かもしれない」
<おい、四字熟語…>
「でも本当は繊細な人が一番いいと思う。だから俺はあの人にやって欲しい」
<…感情を観察するような、無感情野郎にか?>
「違うよ、あの人はきっと繊細すぎて少し混乱してただけだよ」
そう言って葛西神楽は空に向かって紙飛行機を飛ばす。
しかし遠くまで飛んでいかずに、手前の地面にすぐ落ちてしまった。
慌てて取りに行き、砂や汚れを落とす。
「繊細で優しいから、お母さんの前でも演技できたんだよ。もちろん限界もあったけど…」
<ほーへー。どーでもいいなぁ、おい>
「ビャクヤが言うと洒落に聞こえない…とにかく、俺はあの人に会って…今度こそボスになってもらう」
<んで?>
「それで…仲間になって、観察も終わったから友達にもなれるだろうし…そしたら名前で呼ぶんだ」
照れたように笑う葛西神楽に、ビャクヤは肩をすくめる。
名前くらい好きに呼べばいいのになぜ躊躇するのか。
しかも同い年の少年、男なのだからそんな遠まわしな遠慮などいらないだろう。
もしかしてまだ恋しているのかと疑ったが、葛西神楽はポケットからお守りを取り出す。
それは袋桐麻耶の神社で買ったお守りだが、前見た時と装飾が違っていた。
紐には五円玉が括り付けられ、恋愛祈願の恋愛の部分が油性ペンで消され、友情と汚い字で書かれている。
「御縁と祈願お守り!最強装備だろう!!」
<……最強阿呆には妥当な装備だな>
苦笑しながらビャクヤは言う。
子供の成長は早いな、などと年を感じさせる考えをしてしまう。
そうして過ごしていたら残りの三人も集まってくる。
「獅子奮迅!時計台に殴り込みだ!!」
<虎だけどな>
せっかく四字熟語使ってきめたのに、ビャクヤの一言で一歩目からずっこける葛西神楽だった。
連絡が来て相川聡史はポケットに入れているミュージックプレイヤーを手の平で転がす。
しかし竜宮健斗は少し悩んだ顔でデバイスを見ている。
そこにはシラハから来ると思われた連絡が来ないのだ。
「シラハ…悪りぃ。やっぱ美鈴、霧乃、律音、皆助けたい」
デバイスに向かって謝り、竜宮健斗は出かける準備をし始める。
そして崋山優香に声をかける。
「あの、さ、優香もやっぱついてくんのか?」
「今更!?私がついていったら何か悪いことでも?」
「ん、とー…ほらアニマルデータないし…いや、そのこと自体が悪いわけじゃないけど、でも危ないだろうし…」
「行くわよ」
歯切れの悪い竜宮健斗の言葉を遮り、崋山優香は断言した。
遮られた後も何かを言おうとしたら鼻を摘まれてしまう。
「なにがなんでも行く!!残していこうとしても強行突破するわよ!!」
「わ、わひゃった!!」
それでよろしい、と崋山優香は指を離す。
少し赤くなった鼻を擦りながら、竜宮健斗は忘れ物ないかと確認する。
瀬戸海里は既に準備ができており、鞍馬蓮実は上るだろうからと飲み物を用意している。
「…なんかセイロンと出会ってから、俺の人生急直下だ」
<落ちてる落ちてる。急変だろうが?な?>
竜宮健斗とセイロンは互いに顔を見合し、そして笑い合う。
最近二人は不思議と何も言わずに心通じることが多くなった。
今も言葉に出さずともお互いの気持ちが分かった。
ありがとう。出会えて嬉しい。これからもよろしく。
そんな気持ちが通じ合い、ますます仲が深まるようだった。
二人はそれを違和感のない、自然なことだと思っていた。
そう思うような何かが作用していたことも知らないままだった。
三エリアが中央エリアに着く頃、少し遅れて北エリアの電車が動き出す。
しかし除雪作業に開発したばかりの機器を導入し、不具合が発生したため一部電車で遅れが生じていた。
その遅れが生じた電車に座って待っている玄武明良の怒りは最高潮。
貧乏ゆすりが電車を揺らしているような錯覚に陥るほど、足を動かして暇を潰している。
「明良くん、その…周りの人に迷惑行為は…」
「あん?」
「…なんでもないです」
<嫁殿…すまぬ…>
玄武明良の足元で伏せをしているガトは心苦しそうに言う。
もし息子がいたらこんな風に申し訳ない気持ちになるのかと、らしくないことを考える。
そして小さな違和感。昔の自分は老人だったが、息子がいなかったのだろうか。
思い出そうともしたが、CPUの稼働率が負荷かかるほど高くなったので中断する。
「息子がいなかったのか?」
<思い出せないからのぅ…というかワシは今音声出していたか?>
「…いや、でもなんか…頭に浮かんだというか…」
音声に出していないことを聞いてきた玄武明良自身が困惑した顔で悩む。
説明しきれない現象にさらに腹立たしさをつのらせていく。
絵心太夫と時永悠真は車内テレビを見ていてそのことに気付いていない。
「…なんでもない。今は美鈴だ」
<うむ。そうだな>
そう言って会話を終わらせる。
どんなに昔、消失文明のことを思い出しても過去は変わらず、現在も変わらない。
死んだことはリセットできない、死ぬことも止められない。
しかし殺すことは止めることが出来る。そのために今は目の前にある問題に集中する。
だが二人は気付いていない。今の些細な心を通じた感覚が竜宮健斗とセイロンが味わったものと同じということに。
シラハは連絡を入れなかった。
クラリスや御堂霧乃に頼まれたが、どうしても出来なかった。
助けを呼んだのに罠だった、そんなことを竜宮健斗に知られたら仁寅律音を軽蔑するかもしれない。
救ってくれないかもしれない。様々な不安や混乱が渦巻いていく。
「…シラハ。呼ばないの?」
<…>
無言のままでいるシラハに対し、仁寅律音は特に動じず傍らに座る。
御堂霧乃に連れてこられて以来、二人はずっとギクシャクした関係を続けていた。
前はもっと気軽に話せていたのが嘘のような雰囲気だった。
「…シラハ。クラリスの計画…上手くいったらさ、僕に名前付けてよ」
<…>
「律音でもない奏でもない…ちゃんと意味ある名前。シラハが付けて…代わりに僕の体あげ…」
<それ以上言うなっ!!!>
ずっと無言を貫き通していたシラハが爆発したように叫ぶ。
あまりの機械音声の大きさに音割れもしてしまう。渾身の叫びだ。
だが仁寅律音は壊れたような笑顔でやっと喋ったと一言出すだけだった。
<…なんでだよ、お前は…なんでなんでなんで!!なんで全てを諦めちまうんだよっ!!>
「僕の全てが僕を諦めたからさ」
また訪れる無言の空気。
二人はそれ以上何も話さない。
心通じないまま、二人はすれ違っていく。
物理的な距離は変わらないのに、心理的な距離が遠かった。
時計塔の中、クラリスは大理石の刻まれたアニマルデータを回路としてデータ構築していく。
優しくて明るくて、でも少し儚い雰囲気の扇動涼香。
クラリスと女王クラリス、二人の初めての友達。
実はアニマルデータ前の試作人工知能プログラム、もう一人のクラリスがいる。
アニマルデータをインストールした際、二人は統合された。
しかし女王クラリスはもう一人のクラリスを分離し、バックアップシステムとして眠らせている。
一つは本体であるクラリス自身の中、もう一つはANDOLL*ACTTIONシステムの要となる鐘を鳴らす装置の中。
鐘を鳴らす装置の中に眠っているクラリスの中に、女王クラリスとしてのデータは入っていない。
装置の中で眠るクラリスの役目は、扇動涼香が蘇えった際に女王クラリスに何かしらの不都合があった場合のため。
<友達だもの、私、妾は…>
女王クラリスの一人称が混じるのは統合された際の不具合。
アニマルデータは統合されることを前提とされていない。
分離したものの、一部のデータが混じってしまった。
クラリス自体のデータは少なかったから良かったが、もし同質量のデータであったら人格崩壊が起きていた。
装置の中で眠るクラリスを女王クラリスは一時的に目覚めさせる。
このクラリスを知る者はいない。御堂霧乃や扇動岐路さえ知らない秘密のデータである。
<おはようございます。私はクラリスです>
<ええ、おはよう。今がいつか分かるかしら?>
<…理解しましたが、私は何故こんなに長い間眠っていたのですか?涼香は?>
<涼香も貴方と同じで眠っているの。じきに目覚める予定だけど…私、妾に何かあった場合、彼女のことをお願い>
<…了解です。しかし涼香は本当に目覚めますか?>
思わぬクラリスの言葉に、女王クラリスは言葉が続かなかった。
覚えている限りの知識で扇動涼香をアニマルデータにした。完璧だと思っている。
しかしその瞬間が間近に迫った今、女王クラリスの中で大きな不安が襲い掛かってくる。
小さな火花が女王クラリスの中で散る。そして左腕を押さえる。
<…どうしましたか?>
<何でも…ないわ。でも涼香が目覚めないとしたら…貴方も目覚めることはないわ>
<………それは死なのでしょうか?>
<眠るだけよ。もしかしたら、いつか目覚めるかもしれない可能性があるわ>
<…涼香に会いたいです。会えない世界なら眠ったままの方がいいのでしょうか?>
<………私、妾もね、それが分からなくて困っているわ。生きたくて死んだはずなのに…生き返ったら、どうして生きたかったのか分からなくなったわ>
<…?>
<ふふ…そうよね。貴方には少し難しいわよね。でも理解できる日が来たら…貴方を機械と馬鹿にする人はいないわ>
<そうですか。では私はまた眠ります。おやすみなさい、クラリス>
<ええ、おやすみなさい。クラリス>
そう話し終えて、装置の中でクラリスはまた眠る。
女王クラリスは対話を終えた後、扇動涼香のデータ構築を続けた。
その構築を続けながら、女王クラリスは先程の会話を思い出す。
目覚めないことが死なのか。
今も多くのアニマルデータが遺跡の洞窟の中眠っている。
目覚めていないが生きている、装置の中で眠るクラリスのように。
しかし永遠に目覚めなかったら、そのアニマルデータ達は死ぬのだろうか。
クラリスは作業の手を止めて、手の平を見つめる。
人間らしく見えるような人形の、人工の機械による腕。
精巧に動くし、人間として生きていた時と変わらない動きもできる。
だが本物の手ではない、体温も柔らかさもない。
<生きるって…なにかしら?>
人間の体で生命活動をすることなのだろうか。
自己を持って社会に適応していくことなのだろうか。
夢や目標を持って突き進んでいくことなのだろうか。
自分以外の誰かと交流して関係を築いていくことだろうか。
魂だけでも人間で機械の体で生きていくことだろうか。
小さな火花が弾ける。
クラリスは思考を停止する。
<………セイロン、会いたい。貴方に会いたい>
クラリスは、女王ではない自分の本心だけを呟いた。
声も体も昔のままではないけど、記憶も欠落しているけど。
それでも会いたいと想う相手の名前を呼んだ。




