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ANDOLL*ACTTIONクラリス編  作者: 文丸くじら


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21/39

感情ぽろぽろ

夕飯前、崋山優香のデバイスに通信が入る。

セイロンからのメールで、傘を持って公園に迎えに来てほしいとのこと。

何かあったのかしらと思いつつ、母親に断りを入れてから公園へ向かう。


公園の真ん中、そこに濡れ坊主のまま突っ立ている竜宮健斗がいた。

崋山優香は慌てて傘を持って傍に行く。

いくら馬鹿とはいえこの雨の中では風邪をひいてしまう。


「ケン、なにやって…」


俯いて帽子で顔に影を落とす竜宮健斗。

その様子に崋山優香は言葉を続けることが出来なかった。

セイロンもずぶ濡れで、竜宮健斗の服の裾で雨宿りしているような状態だ。

崋山優香はとりあえず公園にある屋根のある休憩場へ竜宮健斗を連れていく。


念のため持ってきたタオルで水滴を吸い取る。

しかし長時間濡れていたらしく、拭いてもきりがなかった。


「…律音くんは?一緒じゃなかったの?」


出された名前に竜宮健斗の肩が震える。

セイロンも項垂れ、話そうかどうか迷う素振りを見せる。


「…ケン。よく聞いて」

「………なんだよ」

「馬鹿だから大事なことは間違えたくない…そう言ったのはあなたでしょ?ここで黙り続けるのが大事なことなの?」

「っ!?」

「辛いことがあったら相談する、那岐くんにそう言ったってセイロンに聞いたわ」

「優香…」




「馬鹿でもいいの!!でも間違えないで!!大事なことはいつだって目の前にあるでしょ!!?」




両手で頬を包まれ、視線を合わされる。

真っ直ぐな崋山優香の目が、竜宮健斗の目を見る。

涙が溜まった目を見て、ああ間違えかけていたのかと竜宮健斗は気付く。

守りたいのかも、と言った相手を泣かせてしまうのは男の恥だなとどこか冷静な頭が言う。


「ごめん。優香…俺が馬鹿なせいで…」

「本当よ。でもいいの、そうやってケンをフォローするのが昔から私の役目でしょ?」


満足そうに笑う崋山優香に、竜宮健斗も弱々しくも笑みを見せる。

やはり崋山優香を呼んで正解だったと、セイロンは自分の判断に喜ぶ。





帰りながら起こったことを静かに話していく。

崋山優香は何も言わず聞いていた。途中で驚きのあまり声が出そうになった。

それを押し殺して竜宮健斗が話すままに任せた。


「…終わり。俺さ、友達じゃなくて実験動物だって言われた」

「だから?まさか影響されて自分は人間じゃないとか言うつもりじゃないでしょうね?」

「言わねーよ!言わねーけど…ショックだ」


止まない雨はアスファルトの地面に水たまりを作る。

水たまりに街灯や民家の明かりが反射する。


「俺は律音のこと、なんにも知らなかった…それで、友達って言ってたのか」

「ケン。セイロンのことどれくらい知ってる?」

「は?」

<どうした優香?>

「二人と言うには少しおかしいけど、お互い知らないことたくさんあるでしょ?それでも二人は友達でしょ」


竜宮健斗は肩に乗っているセイロンと顔を見合わせる。

セイロンはアニマルデータになった古代人と仮定して、その過去はほぼ謎だ。

本人も覚えてないことは多いが、話していないこともたくさんある。

少しだけ思い出した街並みや後姿の女性、それらをセイロンは竜宮健斗に話していない。

それでもお互いの信頼は揺らがない。呆れることも言い合いすることもあるが、離れることはない。


「友達だから全て話す?違うでしょ。友達だから助けたい、秘密にしたい、嫌われたくない、ってあるでしょ」

「優香もあるのか?」

「あるに決まってるわ!それでも私とケンの関係は変わらないわ」


胸をそらしつつ自信満々に言う崋山優香。

時間に負けない深い絆もあるかもしれない、しかし長い時間をかけた絆は強い。

竜宮健斗と崋山優香の繋がりは、生きてきた時間が証明する。


「律音くんが友達じゃないと言っても、私は友達よ。友達だと思ってる」


話を聞いて判断するに、仁寅律音は関わった者達全てを実験動物だと思っているだろう。

それを理解した上で崋山優香は確固たる意志を持って言う。


「だから今度会ったら喧嘩するわ!本音をぶつけて、手だって出していい!」

「え、それはいくらなんでもやりすぎじゃ…」

「言葉じゃ伝わらない想いだってあるの!律音くんが演奏して伝えたかったように…」


音で表現した無言の訴えを、竜宮健斗を思い出す。

ヴァイオリンから奏でられる音楽は、素人の竜宮健斗でさえその想いを理解した。

それほど高度で魂を込めた演奏だった。全ては母親と、自分のために。


「ケンも次会ったらそれくらい…あ」

「どうした?」

「律音くん……どこに帰ったのかしら?」


崋山優香の問いに、竜宮健斗も間抜けな声を出す。

普通に考えれば自分の家だろう。しかし母親を狂わせて病院から姿を消した。

前に話した様子では母方の祖父母と三人暮らしと言っていた。

もし家に帰れば祖父母の追及が待っている、そこへ素直に帰れるだろうか。

父の遺品であるヴァイオリンケースを壊し、母の病状を悪化させてまでの実験。

そして竜宮健斗への正体暴露、そこまでしたというのに日常に存在する家に帰るだろうか。


「お、俺…家に帰って連絡網を」

「それより事務所に行きましょう!団員登録でデバイスの連絡先と実家への連絡先が登録されてるはず!!」


崋山優香の意見に賛成し、二人で水たまりも気にせずに走りだす。

事務所はメンバー全員が鍵を持っており、誰もいなくなる時は鍵をかけるようにしている。

竜宮健斗は慌てながらも鍵を差し込み、扉を開く。

濡れた体から床へ水滴がいくつも零れ落ちる。


「ケンは律音くんに連絡を!私は実家にかけるわ」

「応!頼む!!」


そうして電話をかけてみたものの、仁寅律音のデバイスには繋がらなかった。

代わりに一コールで実家の電話の方に繋がる。


『こちら仁寅です!律音ちゃんかい?』

「あ、すいません。同じクラスの崋山優香です。仁寅律音くんのことなんですけど…」


スピーカーにした電話の向こうから落胆した空気を感じ取る。


『孫は…まだ帰っておりません。妻は今、娘の看病で病院に…』

「律音くんのお母さんですね。実はその時に友達の竜宮健斗が居合せまして…」


崋山優香はかいつまんで事情を説明する。

事務的ながらも竜宮健斗に出来ない手腕である。

マネージャーになってから鍛えられた対応だった。


『そうですか…ワシらのせいですな…あの子を追い詰めたのは』

「私達も律音くんが心配です。行く宛とかは…ご存知ですか?」

『恥ずかしながら思い当たりません…今から警察に捜索願を出そうと思っていたところです』

「分かりました。お忙しいところ連絡して申し訳ありません。なにか分かったらまた連絡します」


通話が切れた後、崋山優香はパソコンを立ち上げる。

起動してすぐに捜査して、あるプログラムを立ち上げる。

それは御堂霧乃が各エリア事務所に残した、緊急連絡プログラム。

エリアメンバーのデバイスだけに送られる連絡網だった。


「こうなったら南西北も巻き込みましょう!ついでに霧乃ちゃんも探す!」

「応!那岐と神楽と…おそらく明良も協力してくれるはず!」


北の引き籠りボスについては言いよどんだものの、竜宮健斗は全員協力してくれると信じていた。

大人には任せられない問題がある、任せたくない問題がある。

大人な対応を待っていられる状況ではないことと、二人は判断したのだった。




連絡した三エリア、また東エリアの三人も協力を承諾した。

特に葛西神楽は絶対確実に探し出すと息巻いていた。

南と北はあとで詳しい事情を必ず話すように念を押してくる。


「傘じゃなくてレインコートの方が動きやすいな。おら、馬鹿」

「ありがとう、聡史!」

「優香ちゃんは残って連絡待ちしてくれるかな?」

「分かったわ」

「それじゃあ遅くなる前に見つけるんよー」


出ていく四人を見送って、崋山優香は早く画面が動くようにと祈るようにパソコンを見つめた。



四エリアが必死に自エリアを探す。

しかし一つだけ抜けているエリアがある。

それは御堂霧乃がいざというときのために残した布石のエリア。


中央エリア。時計台を中心としたNYRONのシンボルエリア。


ここにエリアチームは作られていない。作られる予定もない。

四ボスと四エリアで統括予定の地だが、その体制もまだ整ってない。

御堂霧乃があえて整えなかった。東西南北エリアだけでも広い。

各エリアのメンバーも人数がいるとはいえ、中央エリアにまで手が回らない。

それを見越して正体がばれた時に身を隠せるよう、中央エリアをある程度の無法地帯にした。





仁寅律音はその中央エリアにいた。手にはヴァイオリンケース、肩には白馬のアンドールであるシラハ。




御堂霧乃の隠された意図に気付いたわけでなく、ただ帰れないと思って彷徨っていたら辿り着いた結果である。

体はずぶ濡れで傘もない。あっても取り出す気力がなかった。

そんな仁寅律音が歩いていると横から傘を差し出す影が一つ。


「うぃーす。風邪ひくぜ?とイケメン台詞吐く美少女とかどうよ?」

「……」

「ここでなにしてんのかにゃー?ん?まさか帰れない家出少年とか?」


まるで全て分かっているかのような口ぶりに、仁寅律音は鈍く顔を上げる。

生まれ変わって誕生するはずだった自我は、生気のない抜け殻。

遺品のヴァイオリンケースを壊した時、仁寅律音自身も何かを壊してしまった。

その結果だけが存在していた。生ける屍のように。


「…僕は、誰?」

「北の中二みたいな台詞だな、おい。アタシが知ってる範囲なら仁寅律音と名乗っていたな」

「…死にました。その名前の彼は十年前に死にました」


面倒だなこいつという表情を隠さず、御堂霧乃は大きなため息をつく。

ポケットからチョコボールを取り出して、口に放り込む。

口の中でチョコボールを噛み砕きながら話を続ける。


「マザコンこじらせて中二を発揮か?誰得だよ……ったく、しょうがねーな」


御堂霧乃は無理矢理仁寅律音の手を握り連れていく。

シラハ何かを言おうとしたが、どの言葉も事態を好転させるものではなかった。

されるがまま引っ張られる仁寅律音は、小さくどこへと疑問を投げる。


「アタシの隠れ家で雨宿りしなよ。父さんもなっちゃんも、誰も知らない場所」

「誰も知らない…」

「そう。そんでさ、雨宿りの礼に…協力して欲しいことがあるんだ」


御堂霧乃が意地悪く笑う。魅力的で寒気がする微笑。

少女とは思えない妖艶な笑みが街灯に照らされる。


「…いいよ。僕には何も…もうない」

「へーへー。中二台詞はいいから」


二人の姿が雨の中に消えていく。

行く先を知るものは誰もいない。




各エリアの仁寅律音の捜索は九時で終了した。

結果は手掛かりすらなく宛もない。竜宮健斗は帰った後で怒り心頭の親に怒られた。

他のメンバーも同じようなもので、寝る時間でしょうがとすぐさま風呂に入れられてベットへと直行させられる。

しかし多くの者が寝られず、竜宮健斗はセイロンに小声で話しかける。


「今度会ったら…喧嘩、してみようかな」

<痛いぞ?>

「うん。でも俺は馬鹿だから…言葉では伝えられない」


助けられなかった、見つけられなかった、分かってやれなかった、色んな悔しさが混じる感情。

その感情をバネにして動かなければいけない。気持ちを伝えなければいけない。

上手くいかないかもしれないし、深く傷つけてしまうかもしれない。


「律音が音楽に想いを込めたように、俺は拳に込めるんだ…セイロン」

<なんだ?>

「もう一度、律音のお母さんに会ってみる。色々謝らなきゃいけないから」


激情のまま怒鳴ってしまった。

相手は最愛の人を失くして弱っていたのに。

心を病んで息子のことすら思い出せない人だった。

刺激してしまうかもしれないけど、無視する訳にはいかない。


「そんでもう一回、言うんだ。俺は律音の友達です、って」

<ああ…いい考えだ>


竜宮健斗が出した答えに、セイロンは満足そうに賛同する。

外の雨は止まないが、少しだけ弱まっていた。




翌日、雨が降り続けている。

病院に崋山優香と一緒に病室を訪ねる。

事前に仁寅律音の祖父母に謝罪と伺ってもよいかと連絡している。

少し悩まれたが熱心に頼み込んだおかげで、了承がもらえた。

仁寅董子の病室は昨日と変わらない様子だったが、付き添いの祖母の顔が少し暗かった。

窓の外、雨をひたすら眺める仁寅董子の腕の中には壊れたヴァイオリンケース。


「失礼します。昨日はごめんなさい」

「あなたが健斗くんね。今は穏やかだから少し話せると思うわ…」


そう言って祖母はベット横の椅子に案内してくれた。

仁寅董子はそのことに気付かないまま、外を眺め続ける。


「こんにちは。昨日訪ねた竜宮健斗です」

「…奏さんの友達?」

「俺は律音の友達です。律音のこと分かります?」

「…だぁれ?」


外を眺めたまま話し続ける仁寅董子。

崋山優香は短い会話を聞いただけでもショックを受けていた。

本当に仁寅董子は仁寅律音を、息子を憶えていなかった。


「…俺の友達に、A-108便ハイジャック事件で家族を亡くした奴がいます」

「A-108…な、んだったかしら?」

「そいつは両親と赤ん坊の弟亡くしたって言ってました。部屋もそのまま残している」

「A-…ひこう、き」

「引き籠りですけど、良い奴です。でも忘れられないって」

「ひこ、う、き…」

「忘れなくていいです!でも、律音を忘れないでください…あいつはあなたに助けてって、お母さんって音楽に込めてた」


話しながら辛くなる竜宮健斗は顔を上げれず、膝の上で拳を握り俯く。

崋山優香は横目でそれを見た後、仁寅董子の様子を見る。

すると右手がなにかの動作をするように動いている。

祖母も驚いたようにその動作を見るが、まるで物を飛ばすような動きで何回も繰り返している。


「ひこ…奏さん、折るの下手だから…飛ばせなくて…」

「董子?なにを言っているの?」

「ひこ、うき…いいえ、奏さんは折れなくて、私が…」


崋山優香は飛行機という単語と腕の動作で何を言っているか分かった。

西エリアで葛西神楽が話していた。音楽家の子供と出会うきっかけ。







「紙飛行機…」







崋山優香の言葉に仁寅董子の手の動作が止まる。

竜宮健斗が顔を上げて、何の話かと首を傾げる。


「紙飛行機…そう、上手く弾けなくてふくれて…楽譜破くものだから…」

「それって…」

「奏さんが怒って、ふふ、泣いちゃったから私がお空に飛ばしちゃおうって…」

「董子…」

「紙飛行機にして…あの子と、一緒に…奏さん呆れてたわ。君達は………………親子、だねって…」


仁寅董子は壊れたヴァイオリンケースを抱きしめ、肩を震わせながら俯く。





「でも顔は奏さんそっくりで…私、私、帰ってきたと勘違いして………あの子のこと、忘れてしまったの」




顔に両手をあてて口から嗚咽が漏れないように塞ぐ。

しかし両目から外の雨に負けないような涙の量が流れていく。


「私だけ、楽、しようとして……は、はおや、なのに……お母さん、私酷い娘だわ!!」

「董子!?いいの、あなたも辛かったでしょ!」

「それ以上に辛いことを、あの子に、律音に!!私があの子を殺したようなものだわっ!!!」


泣き崩れる董子を祖母は肩を抱き、一緒に涙を流す。

たくさんの出会いと偶然ときっかけ、そして仁寅律音が昔からしていた楽譜の紙飛行機。

一つ欠けていたらどうなっていたのだろうが。でも欠けなかった。

崋山優香も涙を零す中、竜宮健斗はある一つのことに気付く。

壊れたヴァイオリンケースには焦げがついている。しかしヴァイオリン自体には焦げがない。

使い込まれているようには見えたが、大人が使うヴァイオリンよりサイズが小さく見える。


「おか、じゃなくてすみ、でもなく、律音のお母さん!そのヴァイオリン!」

「…え?」

「もしかして壊れたのって奏さんのケースと、律音のヴァイオリンじゃ…」


はっとして仁寅董子は壊れた残骸を確かめる。

振り落す時、雷で何も見えなくなった。音だけが聞こえた。

その時にすり替えられてもおかしくない。確認の答えを待つ。


「あなたの、言う通り…これは奏さんのヴァイオリンじゃない」

「律音は…やっぱりお母さんのこと好きなんだ。だから自分のとすり替えたんじゃ…」


演技も実験も観察も音楽も紙飛行機も、全て母親に繋がっていく。

観察実験で大きなデメリットが発生することを懸念し、保険として残していたのかもしれない。

全ては母親が自分を見てくれることを期待して。

言葉では伝えられない想いがある、そして行動の結果で伝わる想いがある。


「ご、めんなさい、律音、私こんなに酷い母親なのに、それなのに、律音…」

「ケン。よく気付いたわね…」

「うーん、俺も不思議…でも気付けて良かったと思う」


小声で話しつつ、竜宮健斗は安心したように笑う。

酷いことも言われたし、お互いを傷つけるような言葉も口にした。

それでも仁寅律音の優しさに少し触れたような気持になる。

尚更思うことは早く見つけなければいけないこと。いまだ見つかったという連絡はない。


「お母さん、律音は?私、いっぱい謝らないと…」

「董子、それが…」


祖母の暗い顔に仁寅董子の顔が絶望に染まる。

今にも悲痛な叫び声を上げそうな顔だったが、竜宮健斗がはっきり言う。


「俺が律音を見つける!!そしてここに連れてくる!!だから待ってて!」

「け、んとく、ん?」

「絶対、律音を、友達を連れて帰る!だから、忘れないで…」


いくつもの想いを込めた、忘れないで。

それは今度こそ仁寅董子の心を揺さぶった。

竜宮健斗の手を両手で包み、お願いと懇願する。

力強く頷き、走って飛び出そうとする竜宮健斗の襟を掴む崋山優香。


「院内は走るの禁止!この馬鹿!!」

「ぐえっ、す、すまん…」

「あと、もう一つ忘れてるでしょ?」

「あ、そうだ!律音のお母さん、昨日は怒鳴ってすいませんでした!!!」


九十度に腰を曲げて謝る竜宮健斗は今度こそ早歩きで病室から出ていく。

その後を追いかけようとお辞儀をしてから去ろうとする崋山優香に、仁寅董子が言う。


「音の調律で律音。私と奏さんがあの子に付けた、私達の大切な存在になるようにつけたの」

「名前の由来?」

「ええ。あの子にあったら謝罪とそれを伝えて。ちゃんと意味があるの、名前に、存在に!」

「あとは、ありますか?」

「…家でお母さんは待ってる、と。今は、それだけ」


帰ってきたら伝えきれないほどの話をするのだろう。

弱々しくも笑みを見せる仁寅董子に分かりましたと言い、崋山優香は去る。

二人を見送った仁寅董子はまた泣く。まだ立ち上がれる力がないのだ。


「お母さん、奏さんが死んでしまったこと…まだ辛いわ」

「そうね…まだ若かったもの。やりたいこと、たくさんあったと思うわ」

「でも私が辛い時、お父さんとお母さんが支えてくれて、律音を育ててくれた」

「当たり前じゃない。家族だもの…だから頼りなさい」

「ありがとう。今度は、私が…律音を支える。お母さんのように、立派な母親になるの」


いまだ止まらない涙を流し、二人で抱き合う。

体いっぱいに感じる人の体温に、また涙が増える。

仁寅董子の心を覆っていたフィルターが晴れていく。

それと同調するように雨が止み、雲の隙間から日差しが差し込んだ。









昨日探していない範囲、中央エリアまで走ってきた竜宮健斗。

さすがに疲れたので時計台がある公園の木の根元に座る。

雨が降っていたのでズボンが濡れるが、気にしていられるほどの余裕はなかった。

かぶっていた帽子を扇代わりに煽ぎ、汗だらけの顔に風を送る。


「ちゅ、うおうエリア遠かったな…」

<電車使えばよかったのに>

「走ってる途中で会うかなーって……ん?」


木の上で何かが動く音がし、見上げると視界いっぱいの白。

続く衝撃に白い物体が落ちてきたことを認識し、なんだと慌てる。

するとセイロンが驚いたように叫ぶ。


<シラハッ!!?>


それは探している仁寅律音が所有するアンドールの名前である。


「シラハ!?てことは律音も近くに…」

<いない。俺だけだ>


シラハの返答に明らかに竜宮健斗は肩を落とす。

しかし続く疑問に思考を移す。なぜシラハだけが行動しているのか。

そしてなぜ竜宮健斗の居場所が分かったのか。


「シラハ、律音は?なんでここに一人…というか一匹?俺達の場所とか…」

<一気に質問されてもな…まず律音は今、人に会える状況じゃない>

「え?」

<実験で思いがけず自分にダメージを負った。あいつは今、自分が何者か分からず目標もない抜け殻だ>

<そんなに酷いことになっているのか!?>

<ああ。そしてお前達は見張られている…アニマルデータを介してな>


シラハの続く言葉に衝撃を受ける。

アニマルデータはまだ謎が多く、全ては解明しきれていない。

その謎の一つには誰も気づいていなかった。


<扇動岐路がデータ化したアニマルデータは全て、ある場所で様子見できる仕様だ。と言っても音声データと現在地のみだ>

「それってプライスの侵害じゃ…」

<プライバシーだ。プライバシー>

<例外があるとすれば玄武明良のガトのみだ。あれは純粋にデータ再現されただけだからな>


つまり今の状況さえ筒抜けだということだ。

恐ろしい状況なのだが、竜宮健斗はじゃあ俺の弱音とか丸聞こえ、と変なところで恥ずかしがる。

セイロンがそういう問題じゃないだろう、と呆れたように言う。


<と言ってもデータは保存できないから、一度に見れるのは一体だ。それに常に見ているわけではない>

「なんだー、良かった」

<俺が一人でここに来たのは、律音のためだ>

「律音?」




<俺は今、黙ってここに来た。律音の信頼を犠牲にした………俺では助けられない、律音を救ってくれ、健斗>




搾り取るような言葉。シラハの本音だった。

全て仁寅律音のためなら協力できたし、誰を裏切っても良かった。

しかし結果は散々な上に、今は仁寅律音という芽生えかけた自我も壊れた。

それでも捨てれない存在だから、プライドと信頼を捨てて助けを求めに来た。

救える可能性の一つ、奇想天外な馬鹿である竜宮健斗に。

でも騙したことは事実で、あっさりと受け入れてもらえるとは思ってない。

だから何度も頼み込む気でいるシラハの耳にありえない言葉が聞こえた。


「もちろん!俺は律音の友達だ!」

<健斗………>

「出会ったら少し喧嘩して、一緒に律音のこと思い出した董子さんの所に戻るんだ!そのために探してるんだ!!」


仁寅董子が思い出したという情報に、シラハは驚きつつも喜んだ。

もう一つの救える可能性が、仁寅律音の母親が戻ってきた。

これならいけると思ったシラハは、竜宮健斗のデバイスに通信を入れる。


「これは?」

<もし時が来たら、そこに通信を入れる。そしたら表示された場所に来てくれ>

<今では駄目なのか?>

<…恐ろしい計画がある。それに律音は巻き込まれた。計画も壊してほしい>


頼む、とシラハはセイロンと竜宮健斗に言う。

シラハその計画が竜宮健斗達の持っている情報よりも恐ろしいことを知った。

犠牲なしでは何も得られない。だからといって見過ごせる犠牲が出るという生易しい物じゃなかった。


「…分かった。シラハ、律音のこと頼むな」

<当たり前だ…俺はあいつの味方だ>


そう言ってシラハは竜宮健斗達から離れ、草むらに隠れるように去っていく。

後を追おうとも思ったが、シラハの言葉を信じ待つことにした。

シラハはどんな時でも仁寅律音の味方。その位置を裏切ることはない。

竜宮健斗はセイロンに帰るかと言った瞬間、一つ思い出す。


「やっべ…優香のこと放置してた…」

<…今すぐ連絡入れろ>


デバイスを通じて連絡を入れた瞬間、崋山優香の心配したという怒声が響き渡った。




思い出したからといって全てが良くなるわけではない。

当面は入院を続け、様子を見る。結果が良好なら一時退院などして生活面に問題がないか確認する。

仁寅董子の前には大きな課題がいくつもあった。それだけ心の病は重かった。

それに悲しみが癒えた訳でもない。受け止めきれない心もある。

壊れたヴァイオリンケースの焦げをなぞり、静かに涙する。

狂うことはなくなった、けど立ち上がるには時間が必要だった。


「ゆうやぁけ、こやけぇの、あかとんぼぉ…」


懐かしい童謡を口ずさむ。

若かった頃、仁寅奏と手を繋ぎながら歌った思い出の歌。

お腹に赤ん坊がいることが分かった日に、二人で夕焼けの中帰る際に歌った。

仁寅奏は嬉しそうに笑い、同じ笑みを仁寅董子は返した。

幸せな日々は消えない。辛い日々も消えない。


「おわれぇて、みたのぉは、いつのひぃかぁ…」


仁寅董子は歌いながら目を閉じる。

赤い赤い夕焼けの中、こちらに向かって笑ってくれている愛おしい人。

優しくて丁寧で、でも音楽には少し厳しい人。そういえば意外と手先が不器用で折り紙が折れなかった。

そういえばそのことで幼い仁寅律音に笑われていた。本人は覚えていないだろうけど。

思い出せば教育パパで、まだ小さいのにヴァイオリンを持たせていた。

嬉しかったのだろう、なにせ初めての自分の子供だ。


「……ここにいたのに、私は無視していたのね」


歌って思い出して、また涙を流す。

いつだって仁寅奏は自分の中で笑っていたのに、仁寅律音に無理矢理重ねていた。

二人を殺したのは自分かもしれないと、自問自答で自責する。

そして思い出すのは仁寅律音のために自分に向かって怒ってくれた男の子。

必ず連れて戻ってくると言ってくれた、青い竜を肩に乗せていた気がする。おそらくぬいぐるみなのだろう。

涙を拭いて外を見る。真っ赤な夕焼けの中で遠くに時計台が見える。


「綺麗ね…祝福されてるようだわ」






そうだね、董子さん。夫婦から家族になるお祝いだよ。





聞こえないはずの声が思い出の中から飛び出して答えてくれる。

それを感じて仁寅董子は微笑む。仁寅律音を宿したと判明した日と同じような夕焼け。

また先程の童謡を歌う。今度はしっかりとした音程で。

立ち上がることはできないけど、声が張りと力を取り戻していく。

歌えば歌うほど思い出す、力をくれる思い出達。出会いのきっかけであるオペラの歌声。

愛を歌えば返歌のヴァイオリン。悲しみを歌えば抱きしめて止めてくれた。

今度は自分が返して、抱きしめよう。夕焼けに祝福された息子のために。

少し遅くなったけど、傷つけてしまったけど、もう一回やり直してみよう。


「律音、ありがとう…私のために演じてくれて。今度は私が母親をする番、ね」





夕焼けを見て仁寅律音は鼻歌を奏でる。

それは懐かしい童謡で、帰ってきたシラハは機械音声で合わせてみる。


<夕焼け小焼けの赤とんぼ~>

「…下手だね」

<…悪かったな>


音程を外しまくったシラハは居心地悪そうに言う。

仁寅律音は母さんはオペラ歌手だったから上手だったよと呟く。

でもその顔には感情がなく、何を考えて言ったのかが分からない。


<…律音。今は何したい?>

「……ヴァイオリンには触りたくない」


部屋の隅に置かれているヴァイオリンは焦げがついている大人用のもの。

ぞんざいに床に置かれており、ケースはすぐ傍に蓋を開いたまま置かれている。

机の上には楽譜が何枚も置いており、その内数枚は紙飛行機に折られている。


「…シラハ。この計画…でさ、本当に死んだ人が生き返るのかな?」

<理論上なら…でもそれが正しいのかはわからない>

「正しいか………僕の実験は正しかったのかな」


シラハその問いに答えなかった。

きっとこの世には善悪や正誤じゃ語れないものがある。

それでも求めなきゃいけない、求めたい問題があるのだと知っていた。


「…父さんはさ、紙飛行機折れなかったんだよ」

<そうなのか?初めて聞いた…>

「うん、なんか思い出した。夕焼け見てたら小さい頃に笑った覚えがある…」


真っ赤な夕焼けが少しずつ夜の闇に覆われていく。

紫と藍が混じって街灯が点灯し始める。


「笑ってた…怒られて泣いたこともあって…練習が嫌で怒ったこともある」

<それは…>

「僕も母さんと同じさ。忘れてた。それだけなんだよ……感情なんて観察実験する必要なんてなかった」


そのまま体育座りして膝に顔を埋める仁寅律音。

シラハは何も言わずに傍にいた。

大人になってから分かることもあるように子供にしか分からないこともある。

大人が何気なく放った言葉が子供にはトラウマになることもある。子供の何気ない行動に傷つく大人もいる。

傷つけたと思ったら傷ついていた、その繰り返し。


<…生きるって難しいな>

「…」


シラハの言葉に仁寅律音は顔を上げない。

傷だらけの子供の傍で、白馬は寄り添うだけ。

王子様はお姫様の所にしか来ないが、友達は嫌と言っても助けに来るだろう。

仁寅律音は気付いていない、傷つけられても手を伸ばしてくる馬鹿な友達が助けに来てくれることを。

その手を掴んで立ち上がるかは仁寅律音次第だ。シラハは合図を出すだけ。

夜の闇が街を覆って、静かな時間を告げた。



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