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やはり彼の青春ラヴコメは間違っている

崋山優香はウィンドウケースの前で悩んでいた。

目の前にあるのは赤と黒の帽子である。年頃の男の子が被るようなもの。

しかし女の子である崋山優香がその帽子で悩んでいるのは、心配の元凶である竜宮健斗のことだ。

竜宮健斗は東エリアのボスであり、その証のバッジを持っている。

だがそのバッジをすぐ忘れる上に、何度も失くしそうな事態が起こる。

常に服に付けていればいいのかもしれないが、竜宮健斗の大雑把な性格を鑑みると洗濯機に一緒に放り込むだろう。

そこで崋山優香は帽子のつばに付けるという考えを思いついた。

ただ一つ重大な問題が残る。



記念日以外でプレゼントを渡すのは気まずい、ということだ。



崋山優香自体は竜宮健斗に特別な想いを抱いているが、竜宮健斗にその思いは一切ない。

まず竜宮健斗に恋愛に関する知識を埋め込ませない限り、二人の仲に進展はないだろう。

同じエリアチームである相川聡史から言わせれば、じれったいの一言に尽きる二人である。

竜宮健斗の鈍さと崋山優香の奥手なところが、二人の現在の関係を続行させている要因だろう。

そのためいきなり帽子をプレゼントしても、竜宮健斗からすれば不審な行動にしか見られない。

なんとか違和感なく渡せる方法がないかと、頭を悩ませる崋山優香に声をかける少女が一人。


「うぃーす。なに悩んでんの?」


たこ焼きを頬張りながら御堂霧乃が崋山優香を見つけたのだ。

外見は完璧美少女だが中身が少し残念な御堂霧乃に、崋山優香は思い切って相談してみた。

するとポケットから折りたたんだポスターを取り出す。


「エリア合同大会?そういえばそんなお知らせが…」

「残念賞、褒美賞、理由ならいくらでも作れるとは思わないか?」


それだ、と思った崋山優香はお礼を言ってすぐにお店に入る。

嬉しそうに会計する崋山優香の姿を見て、御堂霧乃は悪戯を思いついたように笑う。

たこ焼きを二つまとめて口に放り込み、その場を去っていく後ろ姿を崋山優香は気づかなかった。






大きな事故があった。

新聞で一面を騒がせた飛行機事故。生存者0という最悪な事件である。

玄武明良はその事故で両親と赤ん坊だった弟を亡くした。

事故を免れたのは、風邪ひいて猪山家に預けられていたため。


しかしそれを皮切りに玄武明良は外を出ることが極端に少なくなった。

天才児として学校に通わずに済んでいる、そのため友達や仲間という存在もいない。

猪山早紀はそんな状況を変えたかった。そんな時に玄武明良のパソコンに届いた一通のメール。

ミスターSと名乗る者から設計図らしきものが描かれたファイルがついているだけのメール。

現状に少し退屈していた玄武明良は、好奇心と頭脳を総動員してその設計図の謎を解いた。

ガトと名乗ったアニマルデータが黒い狼のアンドールにインストールされた。


そのガトは現在猪山早紀と一緒に玄武明良を部屋から連れ出そうと奮闘していた。


「明良くんは少し日に焼けたほうがいいって!!」

「常に雪降っているこの北エリアでは無縁な言葉だな」

<お主はひきこもりというのだな。嫁殿の家のテレビでやっていた>

「猪山早紀、この人形に変なもの見せるな」


一人と一匹の奮闘は効果が見られず、玄武明良はパソコンの前から動こうとしなかった。

その動作はパソコンの全データから、あるファイルを探していた。

全てのデータを見終わり疲れた目を押さえながら、玄武明良は舌打ちをする。


「やっぱり自動消滅してやがる!おい、ガト!」

<ワシがなにか?>

「あの設計図はアニマルデータと言って、お前の魂とか言ってやがったな?保存していたデータがお前にインストールした後消えている!」

<当たり前だ。魂は一つしかあらぬ>


一人と一匹の会話の内容についていけない猪山早紀は、つまりどういうことなのかと聞く。

玄武明良は目頭を痛めながら苛立つように話し始める。


「考えたくないが、この天才的な頭脳が非現実な仮定を生み出した」

「うん、それで?」


あっさりと嫌みを流され、玄武明良はまた舌打ちしつつ説明する。


「アニマルデータは設計図という形の魂。データとして復元した後設計図が消えている・・・そして意志を持った人形」

「えっと…もっと内容まとめてくれないと分からないよ!」




「………ガト。お前は元は人間じゃないか?というくだらない思考だ馬鹿野郎!!」




自分が出した答えに腹が立ち、叫ぶように言葉を吐き出す。

そんな玄武明良に対しガトは簡単な返事をする。


<わからん。記憶がないからのぅ>


一瞬部屋の中の空気が固まったように体感する。

玄武明良は疲れたような微笑みを作った後、寝るとだけ言ってソファの上に倒れこむ。

猪山早紀は慌てて床に落ちている掛布団を、玄武明良の上にかける。


<さっきの微笑み殺気があったな>

「うん。疲れてたから寝たけど、そうじゃなかったら逃げなきゃ危なかったかも」


ガトの正しい感想に猪山早紀はいつもの対応を思い出して苦笑いをする。

そして子供をあやすようにそっと頬にキスをするのを、ガトは見て見ぬフリした。

猪山早紀は照れもせずに、ガトに静かに部屋を出ようと話しかける。


<…嫁殿は、主には少しもったいない気がするな>

「そうでもないよ?自分が明良くんに釣り合うよう頑張ってるだけだもん」


そう話しながら部屋を出た二人は知らない。

寝た表情のまま玄武明良が耳だけを真っ赤にしていることを。





有川有栖は基山葉月と布動俊介と遊びつつ、小さく呟く。


「健斗さんって少しカッコイーよね」

「うん!僕も憧れてる!!」

「そうじゃなくて!!彼氏にしてみたいなーとか、そういうの」

「ふははは!!甘いぞ有栖!!あの人には崋山優香さんという彼女が…」

「彼女なの?」


基山葉月の高笑いを無視しつつ、有川有栖は単純な疑問を口にする。

あの二人は幼馴染でいつも一緒にいるが、誰も付き合っているとは明言したことない。

そのことに気付いた基山葉月や布動俊介も、あれそうだっけと頭をかしげる。


「彼女いないならー……いいよね?」


年齢に釣り合わない女性らしい微笑みに、基山葉月と布動俊介は背筋に悪寒が走った気がした。



伊藤三月は南エリアの事務所前で立ち往生していた。

両手が買い出しの荷物で塞がって、扉が開けれないのだ。

兄二人は見回りでいないし、錦山善彦と籠鳥那岐も所用で今日は事務所にいない。

脆い涙腺が涙を大量生産しようとしたとき、後ろから明るく声をかけられる。


「扉開けれないのか?少しどいてくれ」


伊藤三月の横をすり抜け、竜宮健斗は扉を代りに開ける。

入っていいぞーという声に反応して、慌てて事務所の中に入る。

重い荷物をテーブルの上に置き、伊藤三月はお礼を言う。


「いいって。それより那岐は?」

「きょ、今日は用事があるって…ぐすっ」

「あちゃー、やっぱり先に連絡しとけばよかった」


言いながら竜宮健斗は近くに置いてあったティッシュ箱を伊藤三月に差し出す。

伊藤三月は差し出されたティッシュで目元を拭きながら、竜宮健斗の顔を見ながら評価する。

容姿や身長は平凡ながら、明るい性格に無意識な気遣い、年上なうえに東エリアボス。

いつもは泣いている顔が小さく微笑みを作る。


「お、笑うと可愛いじゃん。じゃ、俺は帰るな」

「はい、次会えるの楽しみにしています!」


さりげない落とし文句に、伊藤三月の心は決まった。

見回りから帰ってきた伊藤三月の兄である二葉と一哉は、珍しく笑っている妹を見て叫び声をあげた。

伊藤三月が泣き顔でなく笑顔になる時、それは何かを企んでいる時の表情であり、必ずと言っていいほど兄達が被害にあうのだ。





東エリアで凛道都子は道に迷っていた。

葛西神楽の指示で袋桐麻耶と一緒に途中までは歩いていたのだ。

しかし袋桐麻耶は何かを見つけると同時に走り出し、凛道都子は一人取り残されてしまった。

大きなサングラスの向こう側の目は混乱でぐるぐる回っている。

アライグマのアンドールであるススギを腕の中で強く抱きしめ、必死に辺りを見回す。


「そう、太陽は東に沈んで西に昇るはず!!」


凛道都子、彼女は最大級のドジっ子であり方向音痴であった。

アライグマのススギが機械音声で、訂正を求める、という声すら混乱している凛道都子の耳に入っていなかった。

彼女は太陽を見て、愕然とする。太陽は真上に輝いており西か東かすらわからない状態である。


「太陽が真上の時は、えーと、確か……」

「あ、西のマネージャー」


混乱しながら真上は北と言い出そうとした凛道都子を見かけ、竜宮健斗は声をかける。

恥ずかしいところを見られた凛道都子は、顔を真っ赤にした後に何度も頭を下げ始める。


「ごめんなさい、迷っててすいません、出会って申し訳ないです!!」

「え?え!?ど、どうしたんだよ」


あらゆる謝りの言語を発する凛道都子に圧倒されつつ、竜宮健斗はなんとか事情を聞き出す。




その一方で走ってどこかにいった袋桐麻耶は、無言で瀬戸海里に向かって小さな小袋を投げつけた。

挨拶をしようとした瀬戸海里は事態に追いつけず、とりあえず投げつけられた小袋を受け取る。

再度声をかけようとした時には袋桐麻耶は姿を消していた。

小袋を触っていると中に紙が入っている感触があり、取り出して読み始める。


『袋ありがとうなんて言わない!!絶対言わないからな!!キツネ顔!!』


紙を一通り眺め、それ以上のことが書かれてないと分かると小さくため息つきつつ呟く。


「キツネ顔は余計だよ・・・」


後日、その紙は達筆な添削をされて袋桐麻耶に返された。

書道を習う瀬戸海里からの小さな仕返しであり、それ以来二人は奇妙な文通をすることになった。





竜宮健斗に東エリアの案内をされつつ、凛道都子は他愛ない話をしていた。


「私本当に本当にクズでのろまで方向音痴で、いつも麻耶くんや太郎くん、神楽くんに迷惑ばっかかけてて…」

「大丈夫だって。俺もボスだけど皆に迷惑かけてばっかだし」

「でも神楽くんはこんな私でも必要と言ってくれて、それに本当のボスは顔見たことないけど優しい気がするんです!」


西エリアの話をする凛道都子は心の底から笑っており、竜宮健斗はつられて笑う。

しかし最初の印象が最悪だった分、どうしても疑心が抜けないままでいる。

試しに凛道都子から更に西エリアの話を聞く。


「都子も西エリアの暗幕見たことないのか?」

<暗躍だ、いい加減覚えろ>


間違える竜宮健斗の言葉を、頭の上に乗っていたセイロンが訂正する。

竜宮健斗は笑いながら今度は間違えないから、と大して気にしていない様子で返事する。

凛道都子はその様子を羨ましそうに眺める。


「ボスは神楽くんとしか連絡とらないから……それより本当にセイロンは饒舌ですね」

「都子のえっと…」

<返答要求確認。名前、ススギ>

「こんな感じです。でも神楽くんのビャクヤは四字熟語とかも喋れるんですよ!」


四字熟語と聞いて竜宮健斗は頭にハテナを浮かべ、セイロンがそれとなくフォローをする。

セイロンの説明を受けてそういえば葛西神楽も同じ言葉を使っていたかと思い出す。


「あの、私もよく分からないんですけどシンクロとか現象とか…」

「シンクロ現象!?」


竜宮健斗は大声で驚き、凛道都子は慌てて謝りたおし始める。

それを宥めつつ、竜宮健斗は苦い思い出を頭の中から引き出す。

ユーザーの中でも一部の者しかできない、シンクロ現象。

アニマルデータをインストールした当日からその現象を起こし、鼻血を出したエリア大会の思い出。

そして籠鳥那岐からの情報によれば、シンクロ現象は限界を引き出すために体に過大な負荷をかけるということ。

警告されるべき症状であり、竜宮健斗もあまり起こしたくないと思っている事柄である。

その現象を葛西神楽は意図的に起こそうとしている、重大な事実である。


「あ、あのでも、上手くいかないとか話してたので、その……」

「そう、か…えっと、ごめんな、大声出して」


納得はしていないものの、これ以上聞き出すと凛道都子に迷惑をかけると思い竜宮健斗は話を変える。


「そういえばなんで東エリアに?」

「神楽くんに律音くんの様子を定期的に見てほしいって…」


知っている人物の名前を出されて、竜宮健斗の動きが小さく止まる。

仁寅律音は西エリアから東エリアに引っ越してきた少年で、竜宮健斗と同じクラスでもある。

ヴァイオリンを習っており、白い馬のアンドールであるシラハを連れている。

シラハもセイロンと同じでアニマルデータをインストールされた、インストーラーである。


「え、と、なんで神楽は律音を?」

「友達みたいです。お母さんの病院がこちらに移ったので東エリアに引っ越してきたらしいです」

「あー、そういえばそんなこと言っていたような気が…」

「なんか複雑な事情らしくて、何かあったらすぐ助けられるように、と思っているらしいです」


やっぱり神楽くんは偉いですよね、と嬉しそうに話す凛道都子にそれ以上の追及ができない竜宮健斗。

それ以降は凛道都子の話す西エリア、及び葛西神楽達の自慢話が延々と続くことになる。


「それでですね、太郎くん前にお婆さん助けてて…」


話しているうちに日が暮れてしまい、夕焼け空が広がり始める。

そのことに気付いた凛道都子は慌てて帰らなきゃ、と焦りだす。


「えっと、今日はありがとうございます!!話せてとても楽しかったです!」

「応。こっちも楽しかったぜ」

「えっと、私の予想で悪いんですが…本当のボスは女の子だと思うんです!」

「…え?」

「神楽くんの顔を見てるとそんな気がして……恋って素敵ですよね!!」


顔を真っ赤にしつつうっとりと言う凛道都子、そして恋ということに全く興味がない竜宮健斗は反応できないまま立ち尽くす。

そこに息を切らした袋桐麻耶が罵詈雑言を叫びながら、二人に近づいてきた。


「このドジ!!方向音痴!!お前のせいであちこち走り回ったじゃねぇか馬鹿野郎!!」

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!!!」


怒っている袋桐麻耶に圧倒され、謝りの言葉が止まらなくなる凛道都子。

その様子を見て竜宮健斗は場違いなコメントをする。




「都子のことずっと探してたのか。麻耶は良い奴だな」




言われた瞬間、袋桐麻耶は鳥肌を立たせながら気色悪いと叫ぶ。


「お前まじふざけんな!!空っぽ、単細胞、鈍感、天然!!!!」


本当に気持ち悪いらしく鳥肌が立った腕をさすりながら罵倒を言い続ける。

竜宮健斗は言われている内容の単語が、習ったことのない単語だなー、とぼんやり受け止めていた。


「都子は麻耶と会えたからこれで無事に帰れるな、良かった良かった!」

「あ、はい!麻耶くん今日は帰ろう」

「ちっ、わかったよ、ウッゼー一日だ!!合同大会覚えてろよ、ボスザル!!」

「応!負けないからな!!」


そうじゃなくてボスザルのところ突っ込めよと苛立ちつつ、袋桐麻耶は凛道都子を引っ張りながら駅へと向かう。

竜宮健斗はそんな二人に手を振り、凛道都子は顔を真っ赤にしつつまたお会いしましょうと叫ぶ。




夕日が沈んでいく中、電車の中で袋桐麻耶は苛立ちが最高潮だった。

その原因は隣に座って顔を真っ赤にしつつにやけている凛道都子という存在のせいだった。


「え、えへへ。健斗くん優しかったな。話も聞いてくれて、ね?」



「爆発しろ!!!!!」




早く目的地に着けと念じつつ、袋桐麻耶は力の限り叫んだ。





神社に売っているお守りを凝視している葛西神楽、その肩でビャクヤは呆れ果てていた。


「恋愛成就・・・このお守り買うべきか否か。それが問題だ」

<問題解決。その恋は叶わないから諦めろ>

「解決拒否!!俺とボスの明るい未来のため買うぞー!!」

<…四字熟語抜きで言うけどな、早く間違いに気づけ>


確かに指細くて綺麗で体つきも女みたいで顔も整っているけどよ、とビャクヤはため息をつく。




東エリアの公園の手前を仁寅律音は歩いていた。

その肩にはシラハが乗っている。


「はっ、くちん!」

<なんか女みたいなくしゃみだな>

「…一応気にしてるんだけど」

<よかったじゃないか、コンプレックスという感情だ>

「それでは母さんの心は動かせないんだよ」


鼻の下をこすりながら仁寅律音は帰路を歩き続けた。

その外見は暗がりなせいか、女の子に間違われそうな容姿に見えた。



南エリアにある遺跡。

そこはアニマルデータの設計図が見つかった遺跡であり、今も研究が行われている場所だった。

籠鳥那岐は父親がルーペを片手に真剣に悩んでいる顔を見て、どうしたのかと声をかける。


「ああ那岐、やっと来たんだね」

「親父が呼んだんだろ?何があった」

「シュモンも久しぶりだね。那岐に友達はできたかい?」

<安心なされ。なんと最近…>

「何があった」


シュモンが意気揚々と語りだそうとしたところで、籠鳥那岐は数段低くなった声で同じ言葉を繰り返す。

なんで自分はこんなのほほんとした男から生まれたのかと、生命の神秘に苛立ち始める。


「ああ那岐、最近母さんに似てきたね。クールで言葉の圧力加減がそっくりだよ」

「何があった」

「母さんはまた海外でお仕事かい?早くこの仕事終わらせて母さんの帰りを待ちたいよ」

「なにがあった」

「そして踏まれ……ああ、いや今のはなし。それより那岐、妹や弟がそろそろ欲しくないかい?」

「ナニガアッタ」

「僕は今度女の子がいいなあ。母さんそっくりのあの冷たい視線が刺さる感じの可愛い子…」

「………」

「…うん。本題に移るからその握りしめた拳をほどこうか」


本気で怒り今にも飛びかかってきそうな籠鳥那岐を宥め、タブレット型パソコンを操作し始める。

そこにはアニマルデータ設計図の写真がいくつも表示される。

更に遺跡内にて確認された設計図の数量推移グラフなどが表示されていく。


「アニマルデータは設計図が完璧にトレースした場合、遺跡から消えていくことは以前教えたかな?」

「ああ。写真、手書き、なんにしろ完全模写すれば、だろ。そのメカニズムが分かったのか?」

「ううん。でも数が減っている。まるで誰かが完全模写して持ち出したみたいに」


籠鳥那岐は遺跡の入り口を見つめる。

遺跡と言っても洞窟であり、まるで地の底に続くように深く長い遺跡だ。

天井、壁、床、全てに年数かけても数え切れないほどの設計図が描かれている。

その設計図は完全模写をしない限りは踏んでも、土を被せても消えずに跡を残す。

まるで無害な呪いのように、存在し続け形を残す。


アニマルデータ開発が停止されるまで完全模写されたのは一八七つ。


それ以来は籠鳥那岐の父親を筆頭とした研究チームが、年代調査やメカニズム研究のため保存し続けている。

なので数は減るはずがない。誰かが勝手に持ち出さない限り。


「目星は?」

「全然。でもアニマルデータはインストールされ続けている。これは詳しい者でなければ関与できない」

「つまり、限られてくる、だろう?」

「実は……ありえないけど、僕の勘がある人物の名前を浮き彫りにする」


父親の口から出てきた名前に、籠鳥那岐は目を丸くする。

そんな息子の様子を見て、苦々しい笑みを作りながら父親は言う。


「勘、だけど…用心しといてね」

「親父の勘は当たるから嫌いだ」


憎まれ口を叩きつつ、籠鳥那岐は了解したと小さく言う。


「で、那岐は妹と弟どっち欲しい?それともりょうほ…」

「帰る」


今すぐ惚気を始めそうな父親に背を向け、籠鳥那岐は足早に立ち去る。

シュモンが女の子がいいんじゃないかと呟くのを、視線で黙らせながら家路を辿った。



中央エリアにある時計塔の閉ざされたはずの小さな扉から、出ていく影が一つ。

腕の中には豆柴犬のアンドール。首には少し色あせた白いマフラー。

影は泣きながら走り、雪の降る北エリアへと走っていく。

豆柴犬のアンドールが機械音声を発する。


<家出、行く場所該当なし。戻ることを推奨>


その機械音声に答えず、影はただ泣いていた。手で拭う余裕もない。

息がだんだん白くなり、視界も白で埋まっていく。

ここで寝ていたら、父さんは心配して迎えに来てくれるかなと影は考える。

そして道の端に蹲り、目を閉じる。

小さな体に雪が積もっていき、その姿を隠そうとした矢先に声をかけるものが一人。


「おい餓鬼。この天才の家の横で自殺するな。他所でやれ」


珍しく外出しようとした玄武明良が、迷惑そうな顔で言い放つ。

声をかけられた際期待にこもっていた目が、すぐに涙を溜めていく。


そして決壊するように溢れ出し、大声で泣き始める。


「おい泣くな!!男、いやそれは学術的根拠ではなく精神論に・・・」

「うわああああああああああああああああああ!!」

「ええい!!うるさい!!名前を言え!!今すぐに!!」


泣き続ける子供を慰めようともせず、怒鳴る玄武明良は頭が痛くなる。

その子供は玄武明良の弟が生きていたら、同じ年頃になっていたであろう少年だった。

弟の顔を思い出そうとして、霞む光景に玄武明良は舌打ちする。


「……っ、おい餓鬼。帰る場所は?」

「うっ、くっ、ず…ない」

「親は?」

「父さんだけ……でも帰れない」

「…少し待ってろ」


ポケットから携帯を出して、猪山早紀の番号をメモも見ずに素早く打ち込む。

すると代わりに出てきたのは渡したはずのアンドールであるガトだった。


≪主か。如何なされた?嫁殿に深夜の逢瀬の約束でも…≫

「今すぐに猪山早紀と代われ」

≪入浴中だ。お望みならそちらのデバイスと通信を繋げてテレビ電話にでも≫

「ふざけんなよ。今すぐその古臭い口調のデータを削除してやろうか?ああ!?」


苛立ち始めた玄武明良の白衣コートの端を掴む少年は、電話の内容にハラハラしてしまいいつの間にか泣き止んでいた。

むしろ本当に待ってて大丈夫なのかと疑心暗鬼になっている。


『ガト、自分の携帯になにか……え?明良くん!!』


床を蹴る騒がしい足音の後、猪山早紀が無事に代わってくれて少し苛立ちが収まる玄武明良。

しかし電話向こうから聞こえてきたガトの言葉に、思わず通話を切ることになる。




≪主。嫁殿は今タオル一枚だがテレビ電わ…≫




電源ボタンをすぐさま押した自分の指を眺め、少ししてから失態を犯してしまったと後悔する。



「あ、んの…アニマルデータとかいうやつ、ふざけんなよちくしょう……」

「お、お兄さん…蹲って大丈夫!?」


いきなり屈みこんだ玄武明良を心配しつつ、少年は周りを見回す。

誰も通らないことを確認して、悲しそうな顔をする少年。


<思春期の青少年において体を作り上げるため…>

「その犬…なんで喋る?」


話題を変えようと玄武明良が、少年のほうを振り返る。

そこにはそれ以上豆柴犬の会話を続けさせないため、という目的もあった。


「アニマルデータをインストールしたから…え?お兄さんはメンテナンス機械に繋げたんじゃ?」

「その話詳しく聞かせろ!とりあえずこの天才の家に入れ!!で、名前は?」

「あ、み、美鈴!」

「そうか俺は玄武明良。好きに呼べ」


手を引っ張るというより、首根っこを掴んで引きずっていくような光景は誰にも見られなかった。

その数十分後に電話を急に切られたことを不審に思った猪山早紀がガトを連れてやってくる。

話を聞いていた玄武明良はガトを見るなり、データを削除しようと作業台へとガトを連れて行こうとする。

美鈴と猪山早紀はそれを止めようと必死になり、ガトは気を使っただけじゃないかーと叫び続けていた。




御堂霧乃はゲームをしていた。

ゲームはエンディングを迎えており、最後魔王と一緒に死んだと思った勇者が蘇えり仲間たちのところに戻る。

愛という奇跡で蘇えったというオチに、そうだよなと小さく呟く御堂霧乃。


「どうしたんだい?」


父親である御堂正義が、その呟きを聞き取り聞き返す。


「蘇えったら嬉しいよな、って」


その言葉を聞いて御堂正義は少し悲しそうな顔をする。

御堂正義の妻は、御堂霧乃が幼いころに死んでしまった。

まだ母恋しい年頃であるのだろう、と真剣な表情で言う。


「霧乃、死んだからって悲しむことはない。代わりにはならないが、父さんはお前のことを誰よりも愛している」

「……知ってる。私も父さん好きだから。それに代わりなんていらない」


その言葉を聞いて少しホッとした御堂正義は、そのあと小さく呟かれた言葉を聞き取ることができなかった。








「本物しかいらない」




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