第七話 夕日の町
昼食後、ろくに食休みも取らず村を出た二人は丸一日掛けて歩き、夕暮れから夜が迫る頃に麓の町に入ることが出来た。
麓の町、と村長は呼んでいたが実は立派な名前がある。
オルデン。子爵領の中では最大の町であり、かつて代々の子爵が住んでいた城の城下町として発展し、現在も子爵の姓を戴く町なのだった。
大通りは石畳が敷かれ、建物もがっしりとした石造りが多い。貧しいデクセン村とは大違いだった。
村長からあらかじめ聞いていた知識と照らし合わせ、教授はきょろきょろと町を見回した。
(さすがに、この時間では役場はやっておらんだろうが……)
赤い夕日はすでに山の峰に沈みつつあった。
遊び疲れて家路に急いでいるのだろう。笑いさざめきながら駆けていく子供たちを見つけた教授は、その子らに話しかけた。
「おーい、そこの子供達。ちょっとええかの?」
「え? うわっ」
上背が高く大きなワシ鼻に白髪頭をした老人に、夕日を背にして突然話しかけられた子供は驚いて飛び上がった。
「ちと道を……」
「クロプトだ! クロプトが出たよ!」
叫びながら子供達はあっという間に逃げ去ってしまった。
教授は普段から容貌で子供……どころか学生にすら怖がられている。慣れたもので教授は一つ鼻を鳴らしただけだった。
「クロプト? なんじゃいそれは」
くつくつという笑い声がする。見れば、今まで無表情だったウェルナーシュが口元を押さえて笑っているではないか。
「失礼した、教授。クロプトというのはこの辺りの言い伝えで、子供をさらう鬼の事だ」
「それは何とも……」
憮然とした顔が夕日の残光で朱色に染まり、いよいよ悪鬼じみた顔になったのを見て、ウェルナーシュはまたくすりと笑った。
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時期が良かったのか、大通りから一本外れた立地のためか、その酒場兼宿屋はがらんと静まり返っていた。
今日のうちに役場の場所を聞いておきたいという教授を連れ、ウェルナーシュが案内してきたのである。
「白兎亭、という」
なるほど、店の前に下がっていた看板に描かれていたのは兎だったか、と教授は得心した。
(……てっきりケサラン・パサランかと思ったが、口に出さなくて良かったわい)
「いらっしゃいませー。……あらウェルナーシュさん、お久しぶりー」
出てきた給仕の女性に軽く手を上げて挨拶したウェルナーシュは、テーブル席の一つに腰を下ろした。
「適当に頼む。あと一部屋借りたいが」
「部屋は空いてますよー。今日だとメニューは魚だけど?」
ウェルナーシュの視線を受け、席に着いた教授は頷いた。
「二人分だ」
「はーいー」
エルフの男は教授の好奇心の視線を浴び続け、居心地悪そうに身じろぎした。
「エルフは森に住むが、森の恵みで全てを賄えるわけではない。たとえば塩や、保存食に使う香辛料などだ。
それらを買出しに出るのは若い者の役目で、私も何度か買出しに来てこの宿に泊まっている。
そのための費用は主に狩りで稼いでいる。デクセン村のような、森の近くの村に卸す事が多い」
「ふむふむ。すると岩塩などは産出しないのか」
ウェルナーシュは細い顎をつまんだ。
「出る森もある、と聞いたことはある。ただあれは山を掘るドワーフの領分だから、我等が岩塩を買い付ける事は稀だと思う」
「費用と言ったが、そういえば経済はどうなっとるんじゃ? 貨幣はあるのか?」
ふむ、と頷いた彼は懐から皮袋をいくつか取り出し、中身をテーブルの上にあけた。
「これが銅貨。一番安い」
つまみあげた一枚を教授に手渡す。彼はしげしげとその銅貨に見入った。
一番安い。なるほど、作りもかなり安っぽかった。熱した銅の小さな塊に、刻印の刻まれたハンマーを打ち付けて製造するような荒っぽい作りなのだろう。完全な円形ではなく、かなりでこぼことした形だった。
「これが銀貨だ。今だと……確か銅貨二十八枚くらいの価値だったと思う」
教授はうなり声を上げた。どうやら金か銀の本位制の世界らしい。
現代の地球ではほぼ、一基本通貨に対して百補助通貨、たとえば一ポンドが百ペンスというように切りが良いので計算しやすいが、つい数十年前のイギリスですら一ポンドが二十シリング(=二百四十ペンス)という計算しにくい単位だった事もある。
それは今、教授が手に持つ銅貨と銀貨のように、価値が一定しなかった頃の名残なのだ。
ちなみに国家が貨幣の量を調整し、価値を一定に保っている現代社会の制度は「管理通貨制度」という。
「金貨は銀貨何枚じゃろう?」
尋ねると、ウェルナーシュは貨幣を袋に戻しながら器用に首をすくめた。
「さて。金貨には縁が無い。両替商にでも聞かないと分からない」
察するに、庶民に金貨が出回るほどの経済規模ではないのかも知れない。
給仕の女の子が運んでくる魚料理を見ながら、教授は腕を組んで考えた。
「おまたせしましたー。お客さんたち運がいいよ。活きのいい魚が入ったところだったんだ」
手際よく並べられる魚料理を見て、教授は相好を崩した。
外見こそ日本人離れしてはいるが、中身は古き良き純日本人。やはり魚は好物なのだ。
「おぉ、こりゃうまそうじゃ。川魚かね」
「そうですよー。南のシレジア川で捕って、すぐにこっちにまで運んだものですー」
物問いたげな教授の視線に口元だけ微笑んだウェルナーシュが補足する。
「南のシレジアは大河だそうだ。隣国ユグラスとの国境線になっているらしい」
「私は行った事ありませんけどねー。ではごゆっくりー」
陽気な給仕娘が下がると、ウェルナーシュは一緒に出てきた容器を持ち、教授の杯に中身を注いだ。
その白い色とにおい。教授はぴんと来て尋ねた。
「乳酒か? 何の乳じゃね」
「ほう、良くわかる。……羊乳酒だ。この町の特産だ」
ふむ。バターをかけて焼かれた魚にざっくりとフォークを入れながら、教授はふと思った。
(魚と乳酒があるなら、この世界も悪くは無いかも知れんのう……)
書いておいてこう言うのも何だが……
食べ物の描写多いなあw