第十五話 王宮にて。
「さて」
上座に座る老人が咳払いと共に告げた。鷲塚教授とは正反対、生気に乏しい顔色と脂の抜けきったような白髪の、仙人のような雰囲気の老人だった。
「そろそろ時間ですな。始めて頂こう」
老人、ハーツェル大臣は場を仕切るように、卓についた人間の顔をぐるりと見回した。特に、見慣れぬ異邦の老人の顔を。
会議の前に自己紹介を済ませていたが、それによるとハーツェルは大臣は大臣でも、宰相と言っていい立場の人間のようだ。つまり、王族を除けば王国の政権ナンバー2。そんな人間が話を聞きたいというのだから、今日の話への期待も大きいのだろう。
教授は勢い良く立ち上がり、卓の上の羊皮紙の束を手に取った。
「まず、こちらをお配りする。今回の話の要点をまとめたものじゃ」
教授はリンデルに字を習い練習を重ねていたが、今回それが実を結んだ。夕べオルデン子爵の館で、教授自らペンを握って人数分複写したのである。
「ふむ……」
羊皮紙を配る教授を見て、ハーツェル老人は鼻を鳴らした。こういった形での会議の進め方を見た事が無いのだろう。
「わしが今回提案するのは、農業についての改革案。ズバリ、二期作と輪作じゃ」
二期作というのは言うまでもなく、年に二度収穫を行う農法のことだ。具体的には麦の場合、冬に種を蒔き晩春に収穫し、初夏に種に蒔いて秋に収穫する。ま た、同じ作物を年に二回収穫するものを二期作、違う作物を二回収穫する(麦と豆の組み合わせなど)の場合は二毛作という。
輪作は一つの畑で、年毎に違う種類の作物を植える農法のことだ。たとえば一年目は麦を二期作、二年目は豆、三年目は休耕地……という風に使うことで、土地の地力を回復させ、収穫量を上げる事が出来る。
ちなみにかつて地球はイギリスで「農業革命」が始まった時は麦・カブ・クローバー(家畜の餌用)という輪作が行われた。ノーフォーク式輪作である。
「……ということじゃ。クローバーまたはレンゲの種を蒔いて、羊の餌にするのがええじゃろう。それらは根っこに窒素……あー、栄養を蓄える性質がある。翌年の麦の植え付けの際、良い肥料になる」
説明を聞くオルデン子爵とハーツェル大臣は教授の顔と手元の羊皮紙を交互に見ながら、その内容について考え込んでいるようだった。
「麦の切り株も羊の餌になる。クローバーと合わせれば、羊の牧草地を削って農地とした場合の埋め合わせも、完全ではないが出来るじゃろ。
また羊が踏み固めてしまった農地を掘り起こすための、鉄製の農具の製作も進めておる」
軽く咳払いをした教授は二人の顔を見渡す。それを見たオルデン子爵がおずおずと手を上げた。
「ええ、お話はわかりましたが……実現可能なのですか?」
学者が机上でこねくり回した空論ではないか、と疑っているらしい。
「わしのいたところでは数百年も前からやっておる農法じゃ。こちらとは農具も作物も多少違うようじゃから、必ずうまくいくとは限らないがの」
麦の二期作をやるにしても、冬場に育つ麦でなければ枯れて終わりになるだけだ。寒冷な山間のデクセン村で育っていたから何とかなるじゃろ、とたかをくくっていたが。
「とりあえずは実験的にやるしかないの。わしも農法の専門家ではないので手探りじゃが」
オルデン子爵は見るからに情けない表情を浮かべた。絶対の自信があるという言葉が欲しかったのだろう。
それを横目で見たハーツェル老人は軽く咳払いをした。
「まぁ、よろしいでしょう。王国からの支援金も出します。実験的にですか、進めてください」
「大臣!?」
驚きの声を上げた子爵を視線だけで黙らせると、ハーツェルは羊皮紙を掲げた。
「これがうまく行けば、我が王国の農業生産力は格段に増える。国内で麦を全て生産する事が出来れば、諸外国の麦価に一喜一憂することもなくなる。
今回の話の発端となったデクセン村の人々のような難民も、多く受け入れる事が出来るようになるでしょう。
ユグラスの国力を増やす事に繋がる、良い計画です。国庫から資金を出す甲斐はありますとも」
●
教授と子爵に支援を約束し、会議は解散となった。ハーツェルは会議室の卓についたまま羊皮紙に目を落としていたが……おもむろに口を開いた。
「陛下、もうよろしいですよ」
窓際のカーテンが大きく揺れた。カーテンの影に人が潜んでいたのだ。
いや、カーテンの影ではなく、壁とカーテンの間に大きく空間が作られていた。人間が潜むための仕掛けがあったのだ。
「ハーツェル、ご苦労であったな」
ねぎらいの声をかけた男は颯爽とした歩調で歩き、ハーツェルの対面に腰を下ろした。
歳の頃は四十代半ばであろうか。赤毛の偉丈夫である。
「いかがでしたか、会議の様子は」
羊皮紙を手渡しながら尋ねると、男は愉快そうな笑みを浮かべた。
「話は聞いておった。農業生産が増えるからくりだな?」
「その通りです、陛下。まず今年に……二期作ですか、麦の年二回収穫をやらせてみます。うまく行くようなら、来年から王国直轄領で始めてみてよろしいかと」
男は羊皮紙を見ながら大きく頷いた。
「農業は国の基だ。収穫が多くなれば人は増える。人が増えれば国力も増える」
「……直轄領の力が増えれば、他の貴族を圧倒する事もかないましょう」
「そういうことだ! あの老人、ユグラス王家の救いの神になるかも知れんな」
ハーツェル老人は溜息をつき、ゆっくりと首を振った。
「お戯れを……まぁ、いきなり会議を覗き見したいと申された時も、戯れと思いましたが」
男、ユグラス国王ラインバルト二世は楽しげな笑い声を上げた。
「人となりは見た。正直実感は沸かんが……で、あの老人が、そうなのだな?」
ハーツェルは表情を引き締めた。あまり大声で言える内容ではないのだ。
「おそらくは。確証はございませんので、団に人をやっているところです」
ラインバルトも笑いを納め、顎をさすりながら呟いた。
「我が国に降臨するとはなぁ……これは何かの天命なのか」
その言葉を聴き、ハーツェルはもう一度溜息をついた。