第十四話 オルデン子爵
王都の中心に堀によって囲まれた城がある。ひねりもないが町の名と同じくエルミラ城と呼ばれている。ざっと見たところ敷地は不定形で、元々の地形に合わせた建築なのだろう。
塔は細く壁は薄く作られているように見受けられ、張り出しなど防御設備もあまり見受けられない。あまり戦いを考えた城ではないのだろう。
また城の周囲には瀟洒な建物が並ぶ。王国の藩屏たる貴族達の私邸だ。まるで自らの勢力を誇示するように、広く豪華に作る事を競っているようだ。
そのうちの一軒……周囲を低い生垣で囲まれた、煉瓦造りの邸宅の前に教授とリンデルはやってきた。
ウェルナーシュはいない。彼はエルフ達が王都に置いている駐在施設に顔を出すとかで、一行から離れていた。
「リンデル一等徴税吏だ。オルデン子爵にお目通りを願いたい」
門に立つ使用人に取次ぎを頼むと、リンデルの顔を確認しただけで余分な誰何は一切無かった。すでに話を通してあったのだろう。
お仕着せらしい揃いの服を着た使用人たちはきびきびと動き、すぐに広間に通された。
(リンデルが信用されているのか、使用人のレベルが高いのか……)
おそらく双方なのだろう。これまで貴族社会に縁の無かった教授は、物珍しそうに周囲を眺めた。
玄関ホールから扉一つ挟んだ広間は食堂と続きになっており、普段から晩餐や歓談になどに使われる部屋のようだった。床には分厚い絨毯が敷かれ、壁には大きなタペストリーが飾られている。両方とも、羊製品を特産とするオルデン領を現しているのかも知れない。
南向きの窓は大きくとられ、夏の陽光を過不足なく取り込んでいる。窓の外は敷石の置かれた庭園になっており、こじんまりとした作りの割に手が込んでいそうだった。
大きさはさほどではないが、そのぶん贅沢に作られている……そんな感じの邸宅だった。教授
が想像していたような、ケチや欲張りといった人物像からは考えられないような、洗練された雰囲気がある(芸術には詳しくないので、あくまで教授の印象だが)。
玄関ホールからばたばたという足音が響く。誰か、二階から駆け下りてきたらしい。
「アミア、アミア! よく戻ってくれた!」
扉を開けるなり甲高い声で叫んだ小男は、リンデルの元に駆け寄ると足元にすがり付いた。
「元気だったかい、アミア! あんな僻地でさぞつらかったろうね!」
「子爵のおかげをもちまして」
リンデルは微苦笑を浮かべた表情で言う。教授がちらりと周囲を見回すと、古参らしい使用人は無表情にその様子を見ているが……若い使用人からは興味の色が透けて見えた。
「うんうん、元気ならよかった! それで今日は」
「事前に書面でお知らせしたように……」
「ああ、そうだったね! 明日だ、うん明日、城で大臣と一緒に詳しく説明を聞くよ」
頭の回転は悪くなさそうじゃが、とその舞い上がった様子の子爵を見て思った。
(はて、リンデルは子爵に隔意があると思っておったが……こりゃ意味が違ったかの)
てっきり親である子爵に対する恨みつらみからだと思っていたが、実は過保護な親からの逃亡であったのかも知れない。
なんともはや。教授も苦笑を浮かべ、ソファに深く身を沈めた。
その動きが目に入ったのかそれとも単に落ち着いてきただけか、子爵は教授に目を向けた。
「アミア、この方かね?」
「はい子爵。ご紹介します。現在オルデン役場付きとなっております、鷲塚教授です」
その言葉を聞き、教授は座り直したソファからよっこらしょと立ち上がった。
「峰川大学教授、鷲塚宗治じゃ」
「おお、おお!」
子爵は大げさに叫び、大きく両手を頭上に振りかぶった。
「私を救ってくれる救世主とはあなたか! お待ちしておりましたぞ!」
喜んでいるのは確かなようじゃが、と内心首を傾げた。
「私もあの村……デクセン村には不安を持っていたのです」
また落ち着いてきたらしい。子爵は教授に椅子を勧めると、自分も席に着き話し始めた。
「当時……三年前ですか。我が家でやっていた交易で大きな損害が出ましてな。早急に穴埋めの資金が必要となったのです。
そこで援助金を目当てにして、王国政府からの難民受け入れを決めたのですが」
子爵は苦い笑みを浮かべた。
「もう、氷河は降りてこないと思ったのですがね。考えが甘すぎましたか」
「また氷河が戻ってくる、と助言した者もおるようじゃが」
「数十年、いや数百年あそこにあった氷河です。戻ってくるにも百年かかると思っておったのです」
教授はゆっくりと首を振った。
「ここ数年の暑い陽気が、その数十年来のものじゃから」
やはり頭の回転は悪くないらしい。その言葉を吟味するようにゆっくりと頷くと、子爵は跳ねるようにして席を立った。
「ささ、御客人は長旅でお疲れだ! 部屋に案内してさし上げろ!」
甲高い声で使用人に指示を飛ばす子爵を呆れたように見た教授は視線を感じ、ちらりと横目でリンデルを見た。
さきほどから微苦笑を浮かべたままのリンデルは、唇を微かに動かした。
こういう人なのです。そう教授には読めた。
●
「そう我が家といいますか、子爵領の交易ですな!」
料理の脂のせいか食前のワインのせいか、愛娘が同席しているからか……夕食の席での子爵の口は滑らかだった。
「オルデンからいらしたのであればご存知でしょうが、我が子爵領は畜産、特に羊の放牧に力を入れております。
羊の毛を紡いで糸を作り、糸を織って布を作ります。そうして作った布や毛皮を、南の国に卸して、小麦を買っておるわけです」
教授は頷いた。国内から買ってるんだとばかり思っていたが、国外からだったらしい。その疑問に答えるように子爵は続けた。
「南の国は交易が盛んでしてな。ユグラスと言いますが。そちらへ持ち込めばうちの商品が高く捌けます。またユグラスは平地がちな国で、農業が盛んです。小麦が安いのですよ。
ただ、三年前から気候が暑くなりましてな。羊毛も毛皮も、売れ行きが悪くなったのです。
ユグラスも戦争に巻き込まれ、農民が軍に動員されて農作物の収穫高も落ち……」
「高い小麦を買わざるを得なくなった、と。そのために赤字を出し……」
「まあ、そういうことです。ユグラスからの難民ということで、うちの領地に農業を導入したい、という色気もありましたが」
空いている土地が無く、あんな僻地に入植せざるを得なかった、ということだ。
もし彼らに農業の心得が無かったら、デクセン村は最初の冬を越せずに離散していただろう。
(頭は悪くないんじゃが、お人よし過ぎるんじゃな……)
土地の経営から離れて交易に注力している事で、実際に土地にしがみ付いて生きている人間の事を想像出来なくなっているのかも知れない。
また交易と言っても土地の特産を小麦に変えるだけで新規に商品を取り扱うわけでもないのだろうし、売買価格も海千山千の商人相手では適正な値かどうか。
「詳しい説明をしますかの」
教授に言われ、蝋燭の灯りの向こうにいる子爵は首を振った。
「二度手間でしょう。明日を楽しみにしておりますよ。その……デクセン村の事情については、恥ずかしながら大臣もご存知ですしな」
ほのかな明かりに照らされた子爵の顔は寂しげに揺れた。