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第十話 セールス・トーク

「そうですか。氷河がね……」


 デクセン村長からの紹介状を読み、教授から氷河の危険性についての説明を聞いたリンデルは室内に視線を彷徨わせた。


「あくまで可能性のお話ですね? ならば子爵様にお願いするのは如何なものかと」


 その表情を見た教授はぴんと来た。

 彼女は知っている。あの土地にかつて、氷河があった事を。


「そう、可能性の話じゃな。デクセン村長もそう思ってくれればよいのじゃが」


 教授の言葉を受け、リンデルは居心地悪そうに身じろぎをした。

 理知的な雰囲気にも関わらず……いやだからこそか、彼女は強い言葉に弱い雰囲気がある。

 オルデン子爵からもそうせよと言われているのだろう。断れる立場ではないはずだった。


「可能性の話じゃが、氷河によって押し潰されたデクセン村の人たちが新たな土地を求め、子爵を飛び越して王国政府に助けを求める事があるかも知れんの。

 その時熱心な官吏が、台帳に長らく『存在しなかった』あの土地へ難民を入植させた……という事に気づく可能性も、あるかも知れんのう」


 リンデルは青白い顔をさらに白くした。厄介な事に思い至ったのだろう。


「氷河によって押し潰された。そりゃ悲劇じゃ。だが領主には、その悲劇を最低限に抑える責任があるはずじゃ。違うかの」


「いえ、それは……」


「だが!」


 教授は勢いをつけて立ち上がり、教壇の上よろしく人差し指を立ててリンデルに「講義」する。


「今回、オルデン子爵は災害を未然に防ぐどころか、将来災害が起こるであろう土地に入植させてしまった!

 わかるかね。もしあの村が氷河に潰されれば、それは人災に等しいんじゃ」


 そして。教授はファウスト博士を誘惑するメフィストフェレスのような表情で続けた。


「ただでさえ領民の信頼を失いつつある子爵にとって、これは大きな失点であるし大きな汚点となるじゃろうな」


 領主は領民を守り、そのために税を納める。封建制的な考え方であり、ある意味では両者の間の「契約」にも等しいだろう。

 だが今回、子爵は短期的な収入のために、領民となるべき人々を見捨てたわけだ。このオルデンの町に住む人々も思うだろう。我々もいつか、見捨てられるかも知れないと。


「最悪、改易や降格もあるかも知れませんね……」


 リンデルは疲れたように言った。彼女は理知的な女性である。おそらく彼女自身、その可能性に気づいていたのだろう。


「教授。あなたはここに、何をしにいらしたのですか?」


 彼女の言葉を聞き、教授はにんまりと笑った。彼は、賭けに勝ったのだ。


「そう、何をすべきか。それを相談に来たのじゃよ」


                         ●


 当初の教授の考えでは、土地の欠陥を突きつけて子爵を脅しつけるか、王国政府に密告するか。そのへんで考えていた。ただそのためには子爵の詳しい人となりを知る必要があった。


 以前上げた例で言えば、子爵がケチなら「難民入植の報奨金の返還」あたりから交渉なり脅すなりしたほうがいいし、欲張りなら「王国政府へ密告すればもっと辺境の土地へ改易もありうる」という線で交渉してもいい。

 ケチは身銭を切るのを嫌うし、欲張りは入ってくる収入が減るのを嫌がるからだ。


 ただ、アミア・リンデル一等徴税吏が味方となれば、交渉はもっと楽になるだろう。教授はそう思っていた。


「あの土地について、詳しくわかるかね」


「そうですね……」


 彼女は立ち上がり、棚に収められた羊皮紙の束を一冊抜き出し、応接机の上に広げた。


「ごらんの通り、台帳に新規登録されたのは三年前になります。ああ、これは納税についてですが」


 と言われても、教授は言葉は使えてもこちらの文字はさっぱりわからない。筆記体らしき流暢な文字が書かれた羊皮紙を眺め……理解を諦めてリンデルに問うた。


「それ以前についてはどうじゃね?」

 

「三年前は暑い……そうですね、今年より暑い日が春前から続いて、あの渓谷の氷が一気に無くなったのです。

 ……それと入植前、町の古老からの又聞きなのですが」


 いささか言いにくそうだったが、意を決して続けた。


「古老が子供の頃から氷の谷間と呼ばれていたと。またすぐに氷は帰ってくるだろうと」


「やはり、知っててやらかしたんじゃな……」


 二人は椅子に腰掛け、疲れたような笑みを浮かべた。さて、ここからが本番だった。


「教授は、村長から全権を任されている。そう思ってよろしいですか」


「そうじゃろうな」


 あの人の良さそうな熊に交渉事が出来るとは思えんしの。そう言うとリンデルもくすりと笑った。


「村の移住、と考えて宜しいのでしょうか」


「氷河を止められない以上、そうなるじゃろう」 


「……止められませんか」


 冗談かと思ったが、案外リンデルの目は真剣だった。


「わしゃこれでも人間なんでの。魔法も使えんし、土木工事の経験もない」


 教授は苦笑しながら続けた。さて、例の鬼、クロプトとやらは魔法を使えるのかの。


「この陽気が続けば、氷河は降りてこんよ。だが、それが続くと信じられん以上……」


「失礼。詮無い事を申しました」


 謝罪して軽く顔を下げたリンデルに、教授は尋ねた。


「正直どうなんじゃ。子爵の領内に、百人もの人間を受け入れる土地があるのかね」


「難しいですね。無かったからこそ、あの渓谷が与えられた訳で」


 たとえばこの町の周りは、なだらかな丘が続く広大な牧草地になっている。だがそこへ入植する事は出来ない。何故広大な牧草地が必要かと言えば羊が食べる草がそれだけ必要だからであり、その牧草地を減らす事になれば、羊を減らす必要がある。


 特産品の羊をだ。それは羊皮紙や羊乳酒、獣油、羊毛や羊肉など羊に関わる人間の仕事を減らすことにも繋がってしまう。治安の悪化や税収の低下を考えれば、定職につく人間が減ることは避けたい、そういうことだった。


「ふむ。……ふむふむ」


 羊か。なるほど羊。頷きながら部屋をうろうろと徘徊する教授を見て、リンデルはウェルナーシュに助けを求めるように見上げた。

 返って来たのは、諦めきったような表情と肩をすくめるジェスチャーだった。


「うむ。何とかなるかも知れん」


 半信半疑のまま、リンデルは教授の説明に耳を傾けた……。

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