これぞ実力
幸盛が同人誌『北斗』に参加して五年が過ぎた。この間、二ページのショートショートを毎号発表してきたが、それとは別に、四年がかりでこつこつ書き進めた二百枚ほどの小説を昨年七回に分けて発表した。
その小説が、第二回日本大衆小説大賞の特別賞に選ばれて出版されることが決まった。この賞は、文藝春秋社、新潮社、講談社などの大手出版社七社を除外した、中堅・零細出版社二十八社と大書店三社から資金を集めて昨年創設されたばかりの賞で、純利益を出資比率で分配するという画期的な賞だ。
昨年実施された第一回の場合は、「活字文化の復興を目指す」という大義名分を掲げ、宣伝広告をエージェントに一任して巨額を投じ、作品にも恵まれたため、出版した各部門受賞の三冊ともがミリオンセラーになった。
それまで幸盛は二人のこどもに恵まれ美人の妻と幸せに暮らしていた。小二の息子とキャッチボールをし、五歳の娘に絵本を読んでやり、妻が趣味で絵を描いていたので美術館や友人知人の個展などに月に二度は一緒に出かけていた。それが、受賞の報せを聞いた途端に欲が出て、寝食を忘れて受賞第一作に取り組み始めた。会社を辞めて書くほどの度胸も自信もないため、仕事を終えてから家族とふれあう時間を割いて書いてきたのだが、それでも家族はつい最近までは協力してくれていた、そう、受賞作を妻が読むまでは。
その受賞作『夫は地球人』がいよいよ発売された。その直後の土曜日と日曜日に、幸盛の地元ということで、名古屋市内の六カ所の大書店を、一日三カ所ずつサイン会をして回った。これも、事前にエージェントが全新聞社の朝刊と夕刊に広告を載せ、各テレビ局にも手を回してニュースで流れたため、サイン会を行った書店はすべて完売だった。
ところが、その受賞作は職場の女性との不倫小説だった。まさか本になるとは思わない幸盛は本名で発表した。受賞するほどの作品だからリアルに描かれている事この上なく、登場する地名や会社名は変えてあるものの、幸盛と同じ職場の者なら誰でもが、主人公が不倫した相手は実際に存在する誰かである、と勘ぐっても不思議はないほどの、見事な出来栄えだった。幸盛はある程度の好奇の目にさらされることを覚悟し、出版されて三日後の月曜日に出社した。
朝、作業服に着替えてインスタントコーヒーを飲むために湯沸かし室に行くと、追いかけるように事務員の棚橋が入ってきた。
「山中さん、本読んだわよ」
「ありがとう、それにしても早いなあ、宣伝の力はすごいね」
「相手は竹中さんでしょ?」
おいおい、いきなり詮索かよ。幸盛はあらかじめ用意してきた言い訳を口にした。
「あれはあくまでフィクションだってば」
「ふーん」
と彼女は冷ややかな笑みを消そうとしない。覚悟はしていたものの、幸盛はげっそりしながら嘘をついた。
「何を隠そう、タンポポの綿毛のようにやわらかい髪、というのは君の髪をイメージして書いたんだけどね」
「光栄ですわ」
彼女はうすら笑いを浮かべたまま去って行った。
棚橋と入れ違いに、今度は栄養士の竹中がやってきて、手にしていた紙コップのインスタントコーヒーが飛び散るほど強く幸盛の肩を叩いてニコニコ笑いかけた。
「なかなかやりますねぇ、相手は棚橋さんですか?」
「まいった。いま棚橋さんから相手は君じゃないかと勘ぐられたばかりなんだけど、あれはあくまで小説なんだからね」
「いえいえ、あの小説は絶対に、実際に体験した人でないと書けない筆致ですよ。それじゃあ、秘書課の尾関さん?」
「よしてくれ。よりによってあんな作品が本になっちまうなんて、応募するんじゃなかったよ」
「またまたー、そんなこと言ってごまかそうとしても私は騙されませんよ。じゃあ、営業の駒瀬さん?」
「だからぁ、十分騙されてるじゃないか」
「あんなすてきな奥さんを裏切るだなんて」
「かんべんしてよ」
反響は職場だけではなかった。同人誌の月例会ではさすがにそのような愚問を投げ掛ける者はいなかったが、受賞が決まると、祝いの電話をしてきたついでに「修行僧のような生活をしているんじゃなかった?」などとからかう、大西のような同人も出てきた。
幸盛は閉口した。とりわけ深刻なのは妻の反応だった。三日前の金曜日のことだ。仕事を終えて帰宅した幸盛の目の前でその本をバリバリと引き裂き、機関銃の如く投げつけてオイオイ号泣した。表紙の角が幸盛の額に命中し、血をダラダラ流しながら「小説だ、小説なんだ」と何度説明しても聞く耳を持たなかった。おまけに子供達も母親に味方して口をきかなくなり、翌日サイン会から帰宅してみると、あらかたの家財道具と共に三人ともが消えていた。
幸盛はインスタントコーヒーを一口すすってつぶやいた。
「なるほど、受賞するわけだ」
*文芸同人誌「北斗」第557号(平成21年5月号)に掲載
*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ http://12393912.at.webry.info/