建前を建前だと分からない無能な婚約者に婚約破棄されました。むしろこっちから願い下げです。必ず思い知らせます。
「――――――」
「…………もう一度、言って下さる?」
周囲のざわめきが騒がしい。
きっとそのせいだろう。聞こえるはずのない幻聴が聞こえたのは。
目の前に立つ婚約者、ルーク・シラスは静かに私を見つめていた。
「何度も言うよ。僕は確かに君を愛してる。」
胸が熱くなる。
そうでしょうとも。
七つの頃から十年間。共に学び、共に笑い、未来を誓い合った。
冬の日には私の手が冷えないよう手袋を贈ってくれた。
初めて馬に乗れた日は誰よりも喜んでくれた。
学院の試験で一番を取れば、一緒に祝ってくれた。
誰よりも私の才覚を理解し、誰よりも私を認めてくれた。
私への愛を疑ったことなどない。
両者ともに才覚に恵まれた夫婦となり、
共に繁栄すべく支え合うものだと信じていた。
だから。やはり。幻聴に違いないのだ。
「……その先に、何か、言葉が、続いていたかしら?」
ルークは小さく息を吐いた。
「悲しいけれど、僕たちの婚約は破棄だ。」
改めて周囲がざわめいた。
婚約破棄。
しかも社交界の真ん中で。
なんて残酷なのだろう。
私は十年間、この人だけを見てきた。
侯爵夫人となるため礼儀も学んだ。
領地経営も学んだ。
経済も勉強した。
それなのに。
こんな仕打ちが。
裏切りが。
あって許されるはずがない!
「理由くらいは聞かせていただけるのでしょうね?」
私は毅然と笑って言う。
「……親しげに話していた平民出の娘を排除したこと?」
学院へ突然現れた、平民上がりの少女。
婚約者へ馴れ馴れしく話しかける不届き者。
身の程を教えて差し上げたまでだが......
もしや、あんな女に篭絡されたのだろうか?
「あれには僕も困惑していたから構わない。」
「……そう。」
少しだけ胸を撫で下ろす。
では。
「私の愛情表現に難があったのかしら?」
ちょっとだけ手紙が多すぎた...かもしれない。
ちょっとだけアピールが強すぎた...かもしれない。
ちょっとだけ束縛が強すぎた...かもしれない。
ちょっとだけ......討論に本気すぎたかもしれない。
『辟易とされてしまう恐れは無くて?』
まさか彼に限ってそんなはずは、と聞き流していた友人の言葉が脳裏をよぎる。
「それくらいなら受け入れるさ。」
......
「では……見当がつかないわね。」
ルークは静かに尋ねる。
「昨年から君は、学院内でサロンを開いているだろう?」
「『ゴマと百姓は絞りつくせ領地経営サロン』に何の問題が?」
その瞬間。
広間の空気が凍った。
何人もの貴族が目を伏せる。
誰かが小さくため息をついた。
ルークだけは静かだった。
「……何度も言うよ。僕は確かに君を愛している。」
「その先に、何が、続くのかしら?」
「国家反逆罪を問わなければならないんだ......」
思わず笑ってしまった。
「冗談がお上手なのね。」
「冗談ではない。」
「利益を出す方法を語り合っていただけよ。」
「......」
「農民は生かさず殺さず。」
「......」
「忠誠心は痛みで刻む。」
「......」
「税は取れるだけ取る。」
「......」
「我がウシハク家の繁栄の基礎と教え込まれたわ」
「......」
「それの何が悪いの?」
「全部だ。」
私は肩を竦めた。
侯爵家らしい綺麗事だ。
民を宝とせよ。
慈悲を忘れるな。
誇りある貴族たれ。
そんなものは勝者が口にする飾り言葉でしかない。
父も言っていた。
「本気で信じる者などいない。」
「利益を得る者が勝者だ。」
「徳など負け犬の慰めだ。」
私はそれを疑ったことなど一度もない。
ルークは悲しそうに目を閉じた。
「何度も言ったけど、建前ではないんだよ。」
私は眉をひそめる。
「……何が?」
「民は宝である。それはこの国の根幹なんだ」
......全く。この冗談だけは理解できない。
いつになったら改めるのだろうと思い続けていた欠点だ。
一つくらいは目をつぶってあげていたと言うのに......
ルークはゆっくりと語り始めた。
「十年前、婚約を結んだ理由を覚えているか。」
もちろんだ。
新興伯爵家である我が家と、王国屈指の侯爵家との縁談。
父は歓喜した。
侯爵家の知識を学び、更なる成功を掴める、と。
「違う。」
ルークは首を振った。
「商業の才能は国の宝だった。」
「だからこそ我々は君たちを迎えた。」
「君たちを利用するためではない。」
「共に国を支える貴族になって欲しかった。」
思わず吹き出す。
「本気だったの?」
「本気だった。」
「そんな建前。」
「建前ではない。」
「民は宝だ。」
「だからこそ貴族がある。」
私は笑う。
「利益を生まない宝に価値はないわ。」
その一言で。
ルークは静かに目を閉じた。
「……四年前。」
「我々は教育を諦め始めた。」
「七年間。」
「王妃殿下も。」
「学院長も。」
「シラス家も。」
「何度も忠告した。」
「君は全て一笑に付した。」
そうだったかしら。
覚えていない。
「そして去年だ。」
「君はサロンを作った。」
「若い令息令嬢へ。」
「ウシハク家の思想を広め始めた。」
「それがどうしたの?」
「未来の領主候補へ国家転覆思想を教えた。」
「効率的な統治よ。」
「違う。」
「暴政の種だ。」
その瞬間、扉が開く。
近衛騎士団だった。
広間の周囲を取り囲む。
ざわめきが広がる。
「ミネルヴァ・ウシハク。」
「ウシハク伯爵家。」
「及び反国家思想を広めた関係貴族数家。」
「王命により爵位を剥奪。」
「全財産没収。」
「国家反逆罪の容疑で拘束する。」
「陰謀よ!」
私は叫ぶ。
「成功者への嫉妬だわ!」
「まさか最初から財産の収奪を企んでいたの!?」
「民に媚びる愚かな王家派閥が!」
誰も反論しない。
ただ静かに拘束される。
連れて行かれながら私は笑った。
「真実はいずれ明らかになる!」
「歴史が私を証明するわ!」
最後に見えたルークの表情だけが、どうしても忘れられなかった。
怒りではない。
軽蔑でもない。
救えなかった者を見る、深い悲しみだった。
◇
「終わりました。」
近衛隊長が頭を下げる。
王は静かに窓の外を見つめていた。
「……学院の運用は前途多難じゃの。」
学院長が答える。
「まずは、各領地の実態を把握する場としての功績が上がったと考えましょう」
「救うことは出来なかったものかのう。」
「知識は教えられました。」
「礼法も。」
「歴史も。」
「しかし徳は。」
「血族の価値観には届きませんでした。」
ルークはゆっくり頭を垂れた。
「私の......力不足でした......。」
王は長く沈黙し、静かに言った。
「結果として辛い役目を負わせたの。」
「くれぐれも自死だけは禁ずる。」
「今日は下がって良い。」
「国が一つの家族であるかのように、か......。」
建国から80余年、建国の理念が実現へ至る道はいまだに整備の途上である。
この作品は古事記の世界観をベースにしています。
もし気に入った方は笑い100%展開のシン・コジキもどうぞ。
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