真実と誇りとはったりと
新聞王のお嬢さんの逆襲。
新聞記事が出て、すぐに侯爵とその息子の元婚約者が我が家にやって来た。
貴族なのに、先触れもなく。
新聞を出していると、たまにこのようなクレームが来る。
父は出社しているし、さて、どうしましょうか。母と顔を見合わせた。
応接室に通すのもためらわれ、廊下の突き当たりにあるテーブルセットにご案内した。
日当たりがよく、ちょっとした休憩に使っているスペースだ。
侯爵は「こんな扱いは無礼だ!」と怒ったが、こんな状態の男性を応接室に通して対面するのは恐ろしい。
下手な会話をして言質を取られると困るので、飲み物だけ出して、放置させてもらった。
元平民はこれだからと文句を言うけれど、いきなり来る方が悪いんじゃないかな。
侯爵は渋々腰を下ろしているけど、怒った勢いで帰ってくれたら、その方がありがたいんですよ?
しばらくして、社屋の方で会うと父から連絡が来て、侯爵は出て行った。
最初からそっちに行ってくれればいいのに。
ほっとして振り返ったら……ヤツがいた。
侯爵家の次男。芸術家気取りの元婚約者。
廊下の柱の陰に隠れるように立っていて、思わず声をあげてしまう。
「ぎゃあ! ……なんで、まだいるんです?」
てっきり、父親と一緒に帰ったのかと思っていた。
「どうして、こんなことをするんだい?」
腕を掴まれてしまった。恐い、恐い、恐い。
「あなたたちの行動が非常識だと、知ってもらうためです!」
記事では名前を伏せていたから「何のこと?」と、しらばっくれようかと思ったけど……正面から闘おう。
もう、これに懲りて近づかないでほしい。
「僕たちの何がいけないと言うんだ!」
「まだ、そんなことを言っているんですか?!」
通りかかったメイドが悲鳴を上げ、すぐに庭師を呼びに行ってくれた。
「僕たちは貴族社会に馴染んでいないマルグリットに、親切にしようとしているだけだ」
「私だって貴族になりたてですよ。
私には『こんなこともできないのか』って言うくせに、あっちは『仕方ないね』ってかばうの、おかしいでしょう」
流石に、ぐっと詰まったようだ。
ドタドタと庭師が駆けつけてくれたが、貴族に怪我をさせてはいけない。私たちの間に、大きな体をずいっと入れることで、私を守ってくれた。
「お坊ちゃま、お嬢様のお手を離していただけませんかね」
ようやく掴んでいた腕を放してくれた。ジンジンと痺れるような痛みが走り、不快感が増す。
「どうして、わかってくれないんだ」と、つぶやく姿に背筋がゾッとした。
本気で言ってるの? 浮気された女が浮気相手に同情するわけ、なくない?
この期に及んで、浮気相手が「かわいそうだ」とブツブツ言いながら立ち尽くす男。何と言ったら帰ってくれるだろうと思案する。
そこへ駆けつけた母が、冷えた声で命じた。
「マルゴの部屋から、録音機を持ってきなさい」
メイドがパタパタと走り、録音機を抱えて戻ってきた。
私は大きく息を吸い込み、震えそうな指で再生ボタンを押す。
『身の程知らずにも、彼女に嫉妬するとは醜いよ。自分で蒔いた種だろう? 勝手にしぼんで枯れたまえ』
その声に、はじかれたように浮気男は顔を上げる。
ああ、やはり、覚えてもいないのか。
――この傲慢な言葉は、紛れもなく彼自身の口から出たものなのに。
「あなたたちの関係なんか理解したくもないので、二度と来ないでください。迷惑です。
こんなことを言われてまで、関係を築きたいとは思いません」
そう言い切ると、庭師とメイドが同時にうなずいた。
男の顔がみるみる赤くなる。
懸命に貴族社会に馴染もうとしている最中に投げつけられた暴言。
当時の苦労を思い出して、涙が出てきた。
ここにいるのは、平民のころから働いてくれていた庭師とメイド、そして母。
思い切り自分をさらけ出してもいい相手に、気が緩んだ。
子どものように大きな声で泣いてしまおう。もう、いいや。どうせ、淑女じゃないもん。
母も涙ぐんで「どこが紳士なのかしら。ひどいわね」と頭をなでてくれる。
ひとしきり泣いて……涙と鼻水がすごい。
いつの間にか側にきた侍女が、ハンカチを差し出してくれた。
裾で拭いたりしないのが、今の貴族になってからの生活だ。
鼻をかみ、はーっと熱い息を吐き出した。悔しかった想いが、少し軽くなったかもしれない。
「第五王子殿下も記事にするのか? 不敬だぞ」
不機嫌な声がして驚いた。
まだ、帰ってなかったのか、こいつ。
「しないわよ。そんなリスクは冒さない」
――もちろん、これは表向きの話だ。
うちは王家の息がかかった新聞社だもの。
平民や男爵からの横やりを拒絶するために与えられた子爵位。しばらく様子を見て、伯爵に昇爵させる計画がある。
それに備えて、侯爵との関係を作っておこうと宰相閣下がこの婚約を整えた。
そんな我が家だから、王家の不利になるようなことは記事にしない。
……と思うでしょう?
実際は逆で、王家には別の新聞社に目をつけてほしいくらいなのだ。
爵位を受けるかどうか、一族で会議をした。結果、「自由な報道」は叔父たちに任せると役割分担をすることにしただけ。
「真実を伝える」という理念を、譲り渡したりはしないわ。
つまり、私たちが硬派な新聞、叔父さんたちはスキャンダルを中心に真偽を曖昧にした雑誌を発行しているの。
規制されないギリギリを攻めて、新聞に載せられなかった事柄を巧みに暴露する……こともあるかもしれない。
来週辺り、仲良しの女子学生の記事が雑誌に載って……隣国の侯爵令嬢と私みたいな新興の子爵令嬢、由緒正しいけど男爵令嬢。
どんな繋がりで仲良くなったのか、読者の興味を引いても――それは皆様の自由だからね。
――ふぅ、こうなったら、最後に特大の嫌味を言ってしまおうかな。
「それで? あなたは、いつ絵を発表するの?
私と婚約している間、ついに一枚も完成しなかったわね。
私が創作意欲をかき立てなかったなら、ごめんなさいね? 婚約破棄して正解だわね」
出来映えによっては文芸欄に載せるという約束も、当然、破棄よ。
「『彼女は僕のミューズ』と言っていたものね? あなたのこれからのご活躍を遠くから、楽しみにしているわ」
「っ……!」
彼は言葉を失い、悔しそうな顔をした。
恋にうつつを抜かして何もしていないのね、やっぱり。ミューズが聞いて呆れるわ。
才能もなければ誠意もない。あるのは言い訳だけね、ふふん。
突然だけど、半年前の「眼鏡の淑女とオシャレ」という雑誌の特集は、私が提案したもの。公私混同の企画だけど、読者の反応はよかったらしい。
真剣に読んだけど、私自身はオシャレに変身!……は、できませんでした。まあ、追々、身につくよう努力しますよ。
そうやって、頑張ってはいたのよ、私だって。
みっともない、ダサいと言われて、反省したわ。
生粋の貴族のあなたに、少しでも近づこうって努力した。結局、実を結ばず、踏みにじられたけど。
新聞王の娘は、泣いて赤くなった目に怒りをたたえて、告げる。
「ああ、そうだわ。
これで、注目の的になったら、あの浮気女をお茶会に呼んで話を聞こうとする、ゴシップ好きがいるわよ、きっと。
図らずも、あなたの望みを叶えてあげたことになったわね?」
廊下に沈黙が落ちる。
……ちょっと言い過ぎたかしら?
芸術家気取りの元婚約者は、打ちのめされたように踵を返し、出て行った。
自分に都合のいいようにしか考えない、夢見がちなお坊ちゃま。これで、さよなら。
母さんが私の背中に手を置いた。
「言いたいことは言えた?」
「うん。……貴族は偉いと思っていたけど、変な人もいるんだね」
「いるいる、いっぱいいる。マルゴも取材に行くようになったら、会えるわよ」
「え~、尊敬できる人と会いたいよ」
「でもね、そういう変な人から何を引き出して、どう記事にするか。記者としての腕の見せ所よ」
母にウインクされてしまいました。大人かわいいって、こういう人を言うのかな。
ちなみに、侯爵が新聞社で名誉毀損だと騒いだが、顧問弁護士に一蹴されたそうだ。
「こちらは真実性を担保しているので、裁判をしたければどうぞ」と。
新聞王の家に、無礼な侯爵たちが来ることは二度となかった。
予定より長い連載になってしまいましたが、多分、次で最終回です。