二話:喪失者2
助けを求めて走って来る男の姿に、シオンは足を踏み出した。
「助けなければ」
「え?」
「うん、もしやあれが魔王軍か?」
「ち、違うけど、助けるの?」
「助けを求められただろう?」
当たり前に返すシオンに、メイは驚いた様子を見せる。
途端にシオンは迷う。
自らの記憶がない今、さらには男の自認があるにもかかわらず女の姿という奇妙な状況。
軽挙がはばかられる以上に、自らの判断が信用できない。
そうしてシオンとメイが見つめ合っている内に、男は少女二人の元へと駆け込んできた。
近くで見れば赤みの強い茶色の髪に、裾をからげた股引姿。
「助けてくれー! 魔王軍に追われてるんだ!」
「はぁ!? 追われてって、何したの!」
メイが叱るように聞くが、男は頭を低くしてシオンとメイの後ろに隠れる。
途端に黒い詰襟に短いマント、軍帽を被って佩刀をした男二人が現れた。
「貴様ら、その者の仲間か!?」
「抵抗すれば斬る! 容赦はせんぞ!」
「へ、へへ…………。ここは任せた! 仲間だろ!」
魔王軍という黒い制服が誰何の声を上げてシオンとメイを睨む。
途端に赤茶色の髪の男は下卑た笑みを浮かべて大声で言った。
さらにはそのままシオンとメイを背中から押して前に出すと、自分だけ走り去って逃げて行く。
「ちょ、私たち関係ない!」
メイは訴えるが、判別のつかな魔王軍からすればそれこそ関係がない。
「話はあとで聞く! 大人しくしろ! 娘と言えど容赦はしないぞ!」
「…………その前にちょっと個別に聞いてやってもいいんじゃないか?」
「おい、いいのか?」
「ちょうど二人だ」
話も聞かず威圧したかと思えば、女二人と見て下心を覗かせた。
「軍の規律はどうしたんだ?」
「そんなの、怖い上官の前だけだよ! 自分の身は自分で守らないと!」
メイはすでに魔王軍の説得を放り出している。
シオンはそう言われて、メイに倣って腰の太刀に手を置いた。
「顕現!」
メイがそう宣言すると、今までなかった光を織ったような領巾が腕に現れる。
さらには風もないのに立ち上がり、天女の羽衣のように優しく揺れた。
「顕現? それは、なんだろう。メイ」
「え、あ、そうか! 記憶喪失じゃ顕現ないんだ!」
慌てるメイがシオンの状況を口にすると、途端に魔王軍二人は声をあげて笑った。
「顕現も露わにできない不良品か。どうせその顔で生きて来たんだろう。だったら少しは愛想よくしてみたらどうだ?」
「しかも何が出るかと思えば領巾。そんなもので精強な我らをどうするつもりだ? 天女の如く岩を撫でるか?」
蔑みと侮りの言葉で、メイは謂れのない罵倒と屈辱に顔を赤くする。
実感のないシオンだが、メイの反応と逃げた男と変わらない魔王軍の下卑た笑いだけはわかった。
(つまり、私たちは虐げられようとしているのか)
そうして状況を飲み込むシオンの前で、魔王軍二人はさらに悪辣な相談を始める。
「足はいらないな、腱を切るか。顔は絶対に傷をつけるなよ」
「腕のほうがいらなくないか? 歯は折りたいんだが」
勝手なことを言っているが、嗜虐の喜びと意気だけは高まり、暴力的な空気を醸す。
そのまま金属の音を派手に鳴らしながら、腰に佩いた直刀を抜いた。
細身で片刃、太刀よりも短い剣を構えて、魔王軍二人はメイと同じ言葉を唱える。
「「顕現」」
そう言った途端、直刀が形を変えた。
片や柄は短いが刃の小ぶりな斧と、片や錆の浮いた手入れの悪い刀に。
「直刀が、斧と刀? どういうことだろう?」
「簡単に言うと、武器になるもの出せるの。けど私みたいに攻撃力ないのもあるの。で、魔王軍はどんな力でも武器になるように特別な剣持たせてるの。あと、あの二人はそんなのなくても攻撃的な顕現だったの!」
状況を飲み込めずにいるシオンに、メイが焦りを隠しもせず教えた。
(わからないが、状況が悪く焦っているのはわかる。ならば、やるだけか)
シオンは太刀を抜く。
無駄な音はなく、構えも滑らかだ。
(重い? これも記憶がないせいか?)
シオンは違和感を覚えながら、それでも向かってくる斧相手に遅れることなく太刀を振った。
まともに打ち合うようなことはせず、相手の刃から抜けて太刀を振るおうとする。
しかし重さに体がついて行かない。
想定よりも遅い身ごなしで太刀を振った時には、斧の柄とぶつかり力負けしていた。
(あんな型も何もないだけの暴力、恐れるまでもない。そうは思っても、感覚がおかしい)
そもそも思うだけで、型とは何かをシオン自身思い出せない。
「シオン、大丈夫!?」
押し負けたシオンに、慌ててメイが駆け寄る。
メイは刀を相手にしたせいで、領巾が切り裂かれていた。
「斧だと避けられるな。だが、太刀に振り回されてるならその内体力も尽きる」
「あいつ、思ったより力が強い。蹴りやがって。領巾ごと切り刻んでやる」
魔王軍は余裕だが、蹴られたほうが痛みに顔を歪め怒りをあらわにする。
その暴力的な視線にとらえられたメイは震えた。
シオンはメイと相手の体格を見比べて、声を落とす。
「何かしたのか? 蹴っただけであれほど痛むとは思えない」
「私の顕現、力強めるの。けど、防御はほとんどなくて、切られたら切れるんだ」
「それは、私も強くできるだろうか? 腕の力や足の力を」
「え、他の人にやってみたことないし、力強くなっても戦えるのとは別だよ?」
「いい。やってみてくれ」
メイは不安そうに集中し始めた。
すると、領巾が一度シオンを押し包む。
「あ、できた。こんな動きするんだ。えっと、腕と、足と。面倒だから全体でいいや」
「なるほど、確かに先ほどは足りなかった力強さを感じる。これなら…………」
言って、シオンは太刀を構え直すと滑るように走った。
身に添わせることで太刀を隠して走り寄り、怒りで判断の鈍った刀の相手へ。
不意打ちながら刀を構えて振る相手に合わせ、シオンは鎬を上げると滑らせた。
そのまま撫でるように、相手の手首の内側を斬りつける。
途端に刀を握っていられなくなり落とすと、光を放って元の直刀に戻った。
斧の相手が慌てて、退くシオンを追うがそれも誘いだ。
「うをぅ!?」
跳ねるように、退く姿勢から前に出たシオンは相手の目測を狂わせる。
退くことなど考えていない足運びのまま、シオンに距離を詰められ、瞬く間に太刀が首にあてがわれた。
「動けば斬る。このまま退くなら追わない。私たちはあの男など知らない。いいな?」
「わ、わかった」
淡々と太刀を首にあてたまま告げるシオンに、魔王軍は顕現の斧を元の直刀に戻して応じる。
直刀を鞘に戻すのを見て、シオンも太刀を引いた。
途端に、魔王軍二人は逃げるが負け惜しみを叫ぶ。
「こんなことをして許されると思うな!」
「反逆だ! 我らの王に弓引く悪だ!」
「横暴なことだな」
「ふっざけるなー!」
呆れるシオンに、メイは負け惜しみにも怒りを滲ませる。
シオンも太刀を鞘に納めると、途端に背後で草の音が鳴った。
シオンとメイが目を向けると、逃げたはずの赤茶色の髪の男がにやにやと笑っている。
「おいおい、魔王軍に手を挙げていいのかねぇ。大人しくまた開いてりゃいい思いもできたかもしれないのによぉ」
「ふざけないで! っていうか助けたのに言うことがそれ!?」
赤茶の髪の男は、メイに怒鳴られてもその怒りさえ嘲弄するように笑う。
「へ、ぼうっと突っ立てる馬鹿な奴らを賢く使ってやったんだろ」
面白がり、嬲るような男に距離を詰めるシオン。
太刀にも触れないことで男が気を抜いていると、顎を狙って無言で殴った。
顎を真横から揺らされた途端、男は目を回して膝から頽れる。
シオンは倒れた男を見下ろした後、思いのほか痛かった拳を撫でた。
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