第3話 いやいや、放っておいて欲しいんだって
「おはようございます」
いつものように、だれにも気に留められることなく詰め所に入って、やや低めのトーンで挨拶をした。
「おはようございます。あら、先生、散髪したわね。男前が上がったわ」
師長が大きな声でそんなことを言うものだから、申し送り中のナースの何人かが俺の方を一瞥したが、興味がないのだろう、すぐにまた申し送りの画面に視線を戻した。
「師長さん、今どきそんな言い回しなんかしませんよ。というか、なんで私が散髪したとかチェックするんですか。そんなチェックするの師長さんだけですよ」
「あら、そう? でもいいじゃない、変化に気づいてもらえるのって」
「本当ね、先生、散髪したのね。男前が上がったかどうかはわからないけど、髪型も印象もあんまり変わんないわね。先生、どこでカットしてもらってるの?」
ナースの日高さんが詰め所中に通るトーンで声をかけてきた。
彼女は今日はフリーらしく、申し送りをする相手はいない、つまり野放し状態で私に盛大に絡んできたというわけだ。
「いやいや、だから、散髪したとか放っておいて欲しいんだって。散髪は駅の裏の店に行ってるよ」
「駅の裏でヘアサロンあったっけ。知らないな~」
「ヘアサロンというか散髪屋で、シャンプー込みで2055円」
「へー、ヘアサロンじゃなくて散髪屋さんに行くんだ。確かになんか、こう、小洒落たとこに行ってるイメージは無いよね、先生は」
「前に理容室に行って、何センチ切るか聞かれて、よくわからないから『2センチ切ってください』って言ったら、『そんなに切るんですか』って言われて、面倒だから帰ってきたことがあるんだ。それ以来、オシャレな理容室には行けなくなったんだよ。行けなくなったっていうか、それ以来行ったことないけど」
「あはは、トラウマになったんだ」
朝から疲れた。
散髪がアダになった。
師長や彼女に悪気はないんだろうけど、注目は浴びたくないんだって。
何でもないやり取りだが、俺にはちょっと面倒だ。
申し送り中の詰め所にそっと入って、小さく挨拶して、患者さんを見回ってから外来に降りて、診察が終わって昼飯を食う。
夕にもう一回病棟見回って、医局に帰って論文を書いたり学会準備したりして家に帰る。
そんな平凡な毎日を送りたいだけなんだが、このナース、なぜ、俺のこう平穏をかき乱すんだろう。
ところで今、入院の受け持ち患者のひとりに18歳の女の子がいる。
アカラシアの患者で、今回はバルーン拡張のため入院している。
もちろん拡張は消化器内科がするが、入院中の受け持ちはなぜか総合内科の担当になっている。
術前後の指示は全てパスが走っているの特別何かする必要もなく、初診が総合内科だったので、入居を切るのも、入院中の受け持ちも総合内科というわけだ。
彼女はというと、一見おとなしい感じだが、時々タバコを吸っているようだ。
なんでタバコを吸うかと聞いたら、吸うと食べ物の通りがよくなるからだそうだ。
理にかなっているが、カルシウム拮抗薬が効かないのにニコチン作用でアカラシアが軽快するのだろうか。
このおとなしい見た目の女の子は、彼氏の影響で意外にも車が大好きだそうで、さらに驚きなのは、好きなジャンルはドリフト系だそうだ。
そして私がマーチに乗ってるというと、車の話で花が咲いた。
「先生、お医者さんだったらGT-Rに乗りなよ」
と言ってきた。
「ああ、そのうち買うよ」
と言ってお茶を濁した。
18歳といえば世間知らずでまだまだ子供なので、非常勤医師の安月給を知らないのも無理はない。
この女の子は今回バルーン拡張で入院してきたが、外来では右胸の痛みを訴えていた。
もちろんアカラシアでも胸痛はあるだろうが、痛みはやや右側で、夜間に多いらしく、外来でPPIを処方されていたが、改善しないようだ。
入院後に病室で一通りの診察をしたが、やはり右胸痛を訴えている。
正確には右背部の痛みで、同じ部位をピンポイントで痛がる。
外来では胸部CTを撮影されていて、神経鞘腫、骨腫瘍、胸膜の疾患など器質的な変化による痛みはなさそうで、外来での診断では当然メンタルでかたずけられた様だが、例のあれがふと頭をよぎった。
「今晩試してみよう」
さて、今回の患者は現在大学病院に入院中でなので、Google Earthで病院を見てみた。
病院の敷地内の道路のストリートビューに入れるようなので、PC上では病棟のかなり近くまで近寄れているから、精神体内に入れるはずだ。
この状態で眠ってみて、患者の体内に入り込めるかどうかだ。
30分ほどスマホで本を読んでいるうちに、いつの間にか寝入ってしまったようだ。
気がつくと、精神体内にうまく入りこめているようだ。精神体内と表現しているが、単に私が名づけたもので、医学的でも科学的でもない、よくわからない世界だが、今回もその中に入ることができた。
そして、その精神体内に入り込めたということは、このアカラシアの女の子の右胸痛は、邪鬼による症状だったということなのだろう。
いつもどおり肝鎌状間膜に立っており、そこから腹腔内をひととおり見回って、横隔膜を通過して本題の胸腔内に入った。
タバコを吸うので肺が真っ黒かと思ったら、きれいな肺だった。
当たり前だ、また数年しか吸っていないし、お通じと食道のLES圧を下げるためだけに、食後に一服吸うだけだから、肺が真っ黒になっているはずもない。
さて、この辺りに、ああ、いたいた。
手足が細く、太った体で猫背がひどい老女のようなヤツだ。
まずはお決まりのローキックを出してみた。
細いが意外と頑丈で、組み付こうとしたり噛みつこうとしたりして向かってくる。
何度もローキックをしているうちに右の大腿骨が折れて砕けたようで、前のめりに倒れこんだ。
よく、骨が粉々に砕けた状態を”複雑骨折”という人がいるが、医学的には砕けただけだと”粉砕骨折”で、複雑骨折は、折れた骨が皮膚を突き破って飛び出した状態のことを言うのだ。
老女のような邪鬼が倒れているので、患者が痛がっていた右胸部を力いっぱいかかとで踏み込むと、グフッという音と、鈍い感触とともに胸郭がつぶれて動かなくなった。
ヘタッピがする胸骨圧迫、いわゆる心臓マッサージで、ボキボキろっ骨が折れる感触と似たものが踵骨に伝わって、非常に不快だった。
まあ、とにかくこいつは動かなくなった。
こいつらを倒すと、レベルが上がったりするのかと思ったが、もう、何体か倒しているが、よくわからない。
さて、持ち込んだハバネロで現実世界に帰ろう。
結局ハバネロ以外の良い方法をいまだに見つけていないので、仕方がない。
胸の痛みが消えたかどうか、明日患者に聞いてみよう。
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