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㊿謝罪と和解 傲慢の王の裏技

 バエルの巣


 そこは乳白色の異空間だった。外界と巣を遮断する壁面は、牛乳と紅茶を粗く掻き混ぜたようなマーブル模様。広さはよく分からないが……とにかく、とてつもない広さであることは確かだ。


 そしてわたしの正面には、真っ白なスーツに白い髪と肌、そして紅玉を目に宿した暴食の王───バエルの姿。


 わたしの姿を認めた男は、柔和な笑みを浮かべる。


「やぁ、傲慢の王(ルシフェル)。君に僕の能力が効かないことは、あのあとすぐに気が付いたよ。でも不思議だな。なんでここが分かったんだい?」

予知の王(ラプラス)で、ヒヅキの場所を調べてもらった」


 わたしと別れた後、ヒヅキの行先は一つだけ。当然、バエルのもとに向かったに決まっている。暴食の王の支配下にある人間に接触すれば、仇の場所はすぐに分かるのだから。そして帰ってこないことから、彼女が敗れたことも容易に想像できる。


 わたしは男を睨みつけた。


「あの子はどこ?」

「そう睨まないでくれ。僕にとってあの子は、大切な愛娘。この通り、傷一つ付けていないよ」


 バエルの足元が波打ったかと思うと、床が膨らみ、ぐったりとしたヒヅキの姿が現れる。


 それを認めた瞬間、わたしはバエルに飛びかかった。手には凍結(フリージング)キノコ(マッシュルーム)


「おっと」


 繰り出された拳を、飄々(ひょうひょう)と躱すバエル。距離が離れたことを確認し、わたしは警戒しながらヒヅキの脇に屈みこむ。


「ヒヅキ、起きて。ヒヅキ?」


 ペチペチと頬を叩くも、赤髪の少女はピクリとも反応しない。呼吸はあるため死んではいない様子だが、これは───


「あははは! 無駄だよ」


 バエルの哄笑が響き渡る。


「ヒヅキは僕の麻痺毒で眠っている。僕が解毒しない限り、目を覚ますことはないよ」


 麻痺毒……バエルは蜘蛛の姿をした悪魔だ。毒を持っていても不思議はない。


 わたしは大きく深呼吸をする。


 わたし1人でバエルと戦う? いや、可能な限りヒヅキと共に戦うのがベスト。そっちの方が勝算も高い。そのためには解毒をして、ヒヅキの目を覚ます必要があるわけだが……


 ぶっつけ本番だが、方法はある。


 そのために必要なのは───


 時間稼ぎ


「ねぇ、いくつか疑問があるの。聞いてもいい?」

「ん? べつに構わないよ。それで君が僕の計画に加担してくれれば、僕としても万々歳だしね」

「そう」


 わたしは自身の身体を使ってバエルの視界を遮りながら、ヒヅキの手を握る。


「疑問なのは、わたしとヒヅキがあなたの計画のカギっていうこと。これはどういう意味?」

「ああ……なんだ。そんなことか」


 興が削がれたとでも言いたげなバエルの表情。しかし質問には答えてくれる様子。


「まず僕の計画に傲慢の王(ルシフェル)が必要な理由。それは前も言った気がするけど、ある女への切り札としてだよ。実は君とヒヅキ以外にも、僕の能力が効かない存在がいてね。そしてそいつがどうにも僕は苦手で……だからそいつに対する抑止力として、君の力が欲しいのさ」


 暴食の王のスキルが効かない相手……?


「その女って言うのは……」

「この国の君主……とだけ言っとくよ」


 はぐらかされてしまった。どうやら、まともに答える気はないらしい。


「じゃあヒヅキが必要な理由は?」

「それは、僕が神になるためさ」


 は……? 神……?


 困惑するわたしを置いて、バエルの話は続く。


「僕は僕が楽しめる、すべてが思い通りになる、そんな理想の世界を求めてる。だから以前、つまらなくなった世界を壊し、神に新しい世界を創り直させた。けど、そこは僕の理想郷でもなんでもない、陳腐(ちんぷ)な世界。だからまた壊した。創らせた。でもまた、僕の求めた世界にはならなかった。そんなことを繰り返すうちに、気が付いたのさ」


 バエルの口角が吊り上がる。すべての邪悪を宿したような、悪魔の笑み。


「神が創らないなら、僕自身が神になって、理想の世界を創ってしまえばいいんだって」


 理想の世界を……創る……


「そのために、なんでヒヅキが必要なのよ?」

「理由は簡単。蜘蛛の女王(アラクネ)を進化させ、神の世界への扉を開くため」

蜘蛛の女王(アラクネ)を進化? 神の世界への扉を開く?」


 演技でもなんでもなく、わたしは混乱していた。


 こいつはいったい何を言っている?


「これは最近、気が付いたことなんだけど、僕ら悪魔は人々からの認識が変化すると、その力が変化するんだ」

「力が……変化……?」


「そうさ」と、バエルがわたしのことをニコやかに見下ろす。そのとき、ヒヅキの手がピクリと動いた。わたしの手を小さな手が握り返す。


 よし! 上手くいっている! あともう少し!


 内心小躍りしながら、しかし表情には出さずにわたしは話を続ける。


「もしかして、紙芝居のこと?」


 わたしは建国祭で聞いた、蜘蛛の糸もどきの紙芝居を思い出していた。アラクネの糸を使って、地獄から男が抜け出す物語。


 バエルが笑顔で頷く。


「そう、まさにその通り。アラクネの糸を使えば次元を超えられる……僕はそういうストーリーを民衆に広め、ヒヅキの力を変質させることを試みた。成功すれば、僕は彼女の力を使って神の世界へと至れる。そういう算段でね」


「まさかあのとき取り逃がした愛娘が、こんな形で役に立ってくれるとはね~」と笑う男。わたしは奥歯を噛みしめた。


 ヒヅキの幸せを壊して、あまつさえさらに利用しようなんて……! へどが出る! 絶対にこいつの思い通りにはさせない!


 そのとき、わたしの背後で「…う……ん?」という小さな呻き声があがる。


「ヒヅキ……!」

「…ん……カエ……デ? どうして……」


 まだ目が虚ろな少女を、わたしは力いっぱい抱きしめた。頬を涙が伝っていく。


「ごめん……! ごめんね……! あなたの苦しみを、孤独を、辛さを、わたしはなにも理解してなかった! 本当に、ごめん……」

「………わたしも、カエデに謝りたかった」


 ヒヅキの腕が、わたしを優しく包む。


「…ずっとカエデのこと騙してた。バエルを止めたい一心で、カエデのことを利用して……分かってたの。カエデがわたしを友達だと思ってくれてたこと。大切にしてくれてたこと。わたしは卑怯だから、そんなカエデの思いを利用した……」


 ヒヅキの腕に力が籠もる。


「ずっと怖かった。それがバレるのが。カエデに嫌われるんじゃないかって……一緒に過ごす毎日が楽しくて……そんな日常を壊してしまうのが、すごく怖かった……!」

「うん……うん……!」

「…ごめんなさい。ずっと黙っててごめんなさい。だましててごめんなさい……!」


 涙ぐむ少女。わたしは静かに身体を離す。そしてヒヅキの目を真正面から見据え───


 ビシッ!


 デコピンをお見舞いしてやる。


「…痛い」


 ハトが豆鉄砲を喰らったような表情になる少女。わたしは「ふんすっ」と鼻を鳴らす。


「まったく! あんたはいつも言葉が足りないのよ! そういうことはあの地下通路で話したときに言いなさいよね! 言い訳一つせず、気持ちは隠して、自分の非だけ認めるんじゃないわよ! かと思えば、どうでもいい時は余計な一言を挟むし!」

「…むぐぐ……! でもそれを言うなら、カエデだってそう。普段はぐちぐちと余計なお世話を焼く癖に……あの時わたしを放って行ったのはカエデの方!」

「な、な、なんですって!?」


 睨み合うわたしとヒヅキ。


 一拍


「ぷっ……」

「…ふ……」


 同時に吹きだす。


「ようやくいつもの調子に戻ったみたいね」

「…ん。お陰様で」


 小さく微笑み合い、立ち上がる。すると横から「パチパチパチ」と拍手の音が響いた。わたしたちは同時にそちらへ向き直る。


「仲直りできたようで良かった良かった。父親として、娘とその友人が和解するのは実に喜ばしいことだよ」


 なんて薄っぺらい言葉だ。わたしは「ふんっ」と鼻を鳴らす。


「そんなに余裕ぶってていいの? わたしたち、あなたを殺す気だけど?」

「あはは。1人が2人になったところで、大して変わらないさ……あ、でも……どうやってヒヅキの目を覚ましたのかは気になるかな。解毒をする様子はなかったように見えたけど……」

「あんたに教えるわけないでしょ」


 対バエルのために考えた奥の手の1つである。そう簡単に種をバラシはしない。


 わたしの返答に肩を竦めるバエル。


「それは残念。でも、なんとなく推測はできるよ? 解毒の種は傲慢の王(ルシフェル)の能力。違うかな?」

「……」

「いまの傲慢の王(ルシフェル)のスキル説明は……『我よりKPの少なき者、我を傷つけること(あた)わず』だったかな? つまり君はこの『我』の意味を拡大解釈したんだ」


 ……正解である。


 きっかけは些細なことだ。それはサタン戦で、脱げた帽子が破れたこと。そこでふと疑問に思ったのだ。


 わたしの服は、どうして傷つかない?


 わたし自身が傷つかないのは傲慢の王(ルシフェル)のスキルで説明が付く。だけど激しい戦闘の最中、身に着けた服まで傷1つ付かないのはどう考えてもおかしい。


 そこで考えた末に辿り着いた答えは、服をわたし自身の一部として認識しているから。


 つまり傲慢の王(ルシフェル)の能力は、わたしがわたし自身と認識するもの、そのすべてに効果が及ぶということ。今回はこれを応用し、ヒヅキを(わたし)の一部だと認識することで、バエルの毒を無効化した。


 異世界に来てから、ほぼずっと一緒にいるヒヅキに対してだからこそ使える、傲慢の王(ルシフェル)の裏技的使用法である。


 だが裏技ゆえ、制限も存在する。それは……


「制限として、身体の一部が触れていなければならない。そうだろう?」


 バエルが、繋がれたわたしとヒヅキの手を指差す。


 チッ……そこまで看破されているか……! 


 わたしはバエルの毒を無効化しているだけで、解毒したわけじゃない。ヒヅキから手を離せば、少女は再び昏倒してしまう。


 バエル……単純な戦闘力だけでなく、頭脳も侮れない。


 わたしがより一層、警戒の色を強めていると、バエルが「うんうん」と頷いた。背筋が寒くなるような笑みが、わたしを見る。


「能力が進化しつつある……? いや、オリジナルに近づいているのかな? うーん……なんだか君、すごくムカつくね。もういいや。傲慢の王(ルシフェル)は他の人間に取得させる。だから───」


 バエルの開いた右手が、こちらを向く。


 まずい───


「君は死ね」


 手から放たれる極光。次の瞬間、わたしの視界は白一色に塗りつぶされた。

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