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㊾カエデの過去 乗り越える決意

 いつからだろう。わたしが楽な方へと逃げるようになったのは。


 勉強もスポーツも、自ら考えて行動することはない。他人から言われたことをただ卒なくこなすだけ。「ノートを見せて」「課題を代わりにやっておいて」───正しくないと分かっていても、頼まれればただ笑顔で首を縦に振ってきた。


 べつに、これといってきっかけがあったわけではない。ただ経験則から、そうした方が生きやすいと理解した。それだけのこと。


 ある時、父の誕生日にケーキを作った。何日もネットでレシピを調べ、丹精込めて作ったケーキだ。しかし帰宅した父はそれを見て、


「そんなもん作っている暇があったら勉強しろ。一つでもいいから漢字や公式を覚えろ」


 そう言った。それを(たしなめ)めた母と父の口論が始まる。小さな家に響く男女の怒号。小さくなって震えていたわたしは、咄嗟に漢字ドリルを手に取って読み始めた。そうしたら父は満足そうに頷いてくれた。その時の安堵感は、いまも心の奥底に残っている。


 ある時は課題をやってこなかった友達から、ノートを写させてくれと頼まれた。断ろうとしたら、「は? なに? 文句あるの?」と詰められる。だから素直にノートを渡したら、笑顔で「サンキュー!」と言って、友達は去っていった。


 ある時は地元のお祭りに行こうと、友人たちを誘ってみた。ただ友人たちと、夏の思い出作りがしたかっただけ。だけど彼女たちは面倒くさがって、行きたがらなかった。わたしは「行ったらきっと楽しいよ!」と、少しだけ食い下がってみたんだ。


「しつこいんだけど。うざ」


 虫でも見るかのような3人の視線。


「そうだよね。お祭りなんて人多いし、かったるいよね!」


 咄嗟にわたしは笑顔の仮面を張り付け、無理やり同調した。返事は返ってこない。わたしは涙を呑んで、教室をあとにした。


 ……そんな経験の積み重ねだ。それによってわたしは、わたしを押し殺すようになっていった。その場の空気を読み、自分の望みを殺して周囲に同調し、間違ったことでもノリに合わせてやるようになった。


 それがわたしの生きるための(すべ)だった。


 だからだろう。友人たちの命令に従って、寿司を舐めるなんて愚行をしてしまったのは。


 分かっていた。その行動が間違っていることも、それがもたらす結果も。


 だけどあの時のわたしには、どうしても「それはダメだ」という一言。そのたった一言を発する勇気がなかった。目先の脅威を回避するために。友人───少なくともわたしが友人だと思っていた人たち───彼女たちに嫌われないようにするために。


 ……だけど───


 ───だけどもし、いまのわたしなら───異世界で多くの経験を経たいまのわたしなら、ひょっとしたらあの時───


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 薄暗い自室の中、わたしはベッドの上に俯せに寝転がっていた。枕を顔に押し付け、視界をシャットアウトする。


 涙はとうに枯れていた。涙に濡れた枕も乾ききっている。


 わたしは小さく鼻を(すす)った。


 わたしは……ヒヅキのことを友達だと思っていた。自分の気持ちを真っすぐにぶつけられる、お互いに言いたいことを言い合える、かけがえのない友人。初めてできた、本当の友達と呼べる存在。


 だけどヒヅキにとってわたしは、ただ利用するだけの存在だった。目的を果たすための、ただの道具。


 友達だと思っていた人から、裏切られた。それが何よりもショックだった。


 ……わたしはあの頃から何も変わっていないのだろう───頼めばなんでもやってくれる便利屋、ノリのいい奴───友人と思っていた人たちから、そんな風に(ささや)かれていた、あの頃から……


 もう、誰にも会いたくない。傷つきたくない。このまま自分の世界に閉じこもっていたい。


 もう、だれもわたしに構わないで。わたしのことは放っておいて!


 コンコンッ


 扉をノックする、乾いた音。わたしは顔を上げない。


 ガチャリと扉が開く音。少し躊躇うような気配のあと、一つの足音が部屋に入ってくる。


「ごめんね。勝手に入ってしまって」


 ビャクヤだ。ハキハキとしていて、だけど冷たくない、頼れるリーダーの声。足音がすぐそばまで近づく。


「どうにも放っておけなくてさ。ほら、わたしってこう見えても責任感が強い方だから」


 ……知ってる。ビャクヤはとても責任感が強い。リーダーとして、仲間のためなら自らを犠牲にしてしまうほど。


「ブルーがご飯を作ってくれてる。一緒にどうかな? ここ3日ほど、ほとんど食べていないだろう?」


 廊下から漂う良い匂いが鼻孔をくすぐる。これは……ハンバーグだろうか? ブルーは優しい。きっとわたしに気を遣って、わたしの好物を作ってくれたのだろう。


「ライトやモモも心配している。ライトはヒヅキの行方を捜しているし、モモは君を元気づけられるような発明をすると意気込んでる」


 ライト……モモ……


 ……ライトは普段おちゃらけているようで案外、周囲をよく見ている。きっとわたしとヒヅキのあいだに何かあったことを薄々感じているのだろう。それでヒヅキを探している。


 モモは幼い故の突拍子もない行動で困らされることが多かった。けど大変な任務のさなか、そのあどけなさや良心に何度も救われたのも事実。


「せめて話してみるというのはどうかな? わたしたちでよければ、いくらでも聞くよ。もしかしたら、話せば少しは気持ちが楽になるかもしれないしね」


 ありがとう、ビャクヤ。ありがとう、みんな。みんなわたしの、大切な仲間たちだ。


 ───だからこそ、話すわけにはいかない。巻き込めば、みんなまでバエルに操られるなんてことになりかねないのだから。


 だからわたしは無言を貫いた。


 しばらく寄り添ってくれていたビャクヤも、わたしが何も言わないことを察したのか、肩を竦める気配とともに足音が遠ざかっていく。


 これでいい……これで……


「机の上に、ヒヅキの日記を置いていくよ。気が向いたら、読んでみてくれ」


 そう言い残し、ビャクヤは扉を閉める。


 ヒヅキの……日記……?


 枕に顔を(うず)めたまま、わたしは横目で机を見る。そこには見覚えのある、一冊のノートが置いてあった。建国際の朝、ヒヅキと奪い合ったものだ。


 いまさらヒヅキの日記なんて……


 わたしはのそりと身体を起こす。


 読んだってどうなるものでもない。ヒヅキがわたしを利用してバエルを追っていた事実は変わらない。


 手が自然と、机の上のノートへと伸びる。


 だけど、もしそれが違うなら……日記の中に、ヒヅキの言葉を否定するなにかがあれば……


 ノートを自身の方へ引き寄せる。


 ヒヅキの真意が知りたい。たとえそれがわたしの望むものでなくとも、本当のヒヅキの言葉を……!


 わたしは一縷の望みを託し、ヒヅキの日記を開いた。


 目に飛び込んでくるのはガサツなヒヅキからは想像もできない、丸っこくて丁寧な文字列。そんな意外なほど女の子らしい文字で、綺麗に文章が(つづ)られている。


 最初の方は、母や姉との思い出。姉からの小言に対する文句だったり、母からの手作りの贈り物に対する喜び、3人で外出した先で見た景色の感動が、(つたな)い言葉で綴ってある。


 それがある時を境に、バエルへの恨み、憎しみ、怨嗟(えんさ)。そして昔を懐かしむものへと変わっている。その恨みつらみは1日おきに、あるいは10年もの間を空けながら、何百年と繰り返し書きなぐられている。


 そんな日記に変化が見え始めたのは、15年前から。ビャクヤと出会ってナイトクランを結成し、ブルー、ライト、そしてモモとの出会いを通して、復讐一色だった日記に、少しずつ喜怒哀楽が見え隠れするようになっていった。


 そして1ヶ月前。


『傲慢の王の保持者が現れた。名前はカエデ。ハゲでうるさい人間。あいつへの手掛かりになるかもしれない』


 わたしとの出会いだ。


 やっぱり、ヒヅキはバエルに繋がるカギと見て、わたしに近づいたのか……


 何度聞いてもショックは大きい。けれどわたしは溢れそうになった涙を拭い、先を読み進める。続くのは最初の任務での出来事や、2回目の任務、何気ない日常について。


『今日、弁当を食べてる時、カエデが横で野菜も食べろ! 重箱2段は食べ過ぎだ! と騒いでた。うざい』

『今日はバエルに接触されたっぽいドラキュラのフェイカーを倒した。カエデが足止めしてくれて助かったけど、一瞬フェイカーを逃がそうとしてた気がする……まあいいか。それより、ライトが一銭も払ってない。騙された。ムカつく』


 1つ目は初任務の時か。お弁当を食べてるときハゲと言われて、ヒヅキと喧嘩したっけ?


 2つ目は、キュラが逃げようとしたときの話かな。確かにあのとき、ヒヅキの声で咄嗟に身体が動かなかったら、隠れたままやり過ごしていただろう。まさかバレていたとは……


 わたしはそんな思い出に浸りながら、少し苦笑い。次は修行を付けてもらった時の話だ。


『カエデに修行を付けた。筋は悪くない……と思う。飲み込みは早いし、アドバイスもよく聞いてる。カエデ、素直。あと喉が渇いてたら、水を分けてくれた。カエデ、いいやつ』


 あんな物欲しそうにじっと見られたら、誰でも分けるよ。それにたったそれだけでいいやつ認定とは。ヒヅキよ、ちょっとチョロ過ぎやしないかい?


 わたしはあの時のヒヅキの様子を思い出し、自然と頬を緩ませる。


『カエデと一緒にお祭りに行った。人が多い場所はあまり好きじゃない。けどカエデとのお祭りは、すごく楽しかった。来年も、また一緒に行けたらいいなと思う。けど最後、わたしを置いて消えたのは許すまじ』


 うん、それはごめんね。あれはわたしのせいじゃなくて、ビャクヤが悪いの。なぜか引っ張られて、スラム街を見せられて……


 ていうかヒヅキも、お祭りを楽しんでいたのか。それはなんというか……良かった。


「うざい」「いいやつ」「また一緒に行きたい」───ヒヅキの素直な言葉に触れていく中で、次第にわたしの心に温かさが戻っていくのを実感する。これまでの思い出は、わたしだけのものじゃない。ヒヅキも同じように楽しんでくれていた、心を動かされていた。その事実が真綿に水が染み込むように、わたしの心をほぐしていく。


 わたしは優しい気持ちのまま、ページを捲る。しかし次のページからは、これまでの穏やかな内容から少し内容が変化していた。そこにあったのは、小さな少女の使命と罪悪感の言葉。


『サタンを倒した。だけど、あいつに繋がる手がかりは見つからない。カエデの方も、特に進捗はなし』

『胸の奥が痛む。本当にこのままでいいのだろうか? わたしはカエデを騙している。一緒に過ごす中で、そのことに罪悪感が募っていく。すべてが終わったら謝りたい。カエデは許してくれるだろうか? 分からない。怖い』

『止まることはできない。あいつは確実に、その毒牙を伸ばしている。世界に牙を突き立てる瞬間を、虎視眈々と狙っている。倒せるのは、わたしだけ。わたしはいまの世界が好き。ビャクヤが、ブルーが、ライトが、モモが、そしてカエデと一緒に過ごせる今が幸せ。だからそんな今を壊すかもしれないあいつを、絶対に止める』

『胸が痛む。1人で戦うのはもう疲れた。カエデに、皆にすべてをぶちまけてしまいたい。だけどできない。そんなことをすれば、皆はあいつの存在を知る。あいつの手駒になってしまう。そんなことは許されない。わたしは、戦わなければならない』


 日記はそこで終わっていた。


「……ヒヅキのバカ。なんであの時、これを言わないのよ」


 ノートを閉じたわたしの目頭には、光る雫が浮かんでいた。


 ヒヅキは1人で戦ってた。誰にも言わず、誰にも頼らず、皆を守るために。わたしはそんなヒヅキの孤独に気が付いてあげられなかった。あまつさえわたしは、最後になんと言ったか?


『あなたとはもう、話したくない』


 わたしは拳を握り締めると、勢いよく部屋を飛び出す。


 ヒヅキに謝らけばならない。1人で苦しむ少女の苦悩に気が付いてあげられず、あまつさえ突き放した。友達だなどとほざきながら、なんてザマだ。わたしなんかより、ヒヅキの方がよっぽどわたしのことを大切にしてくれていたというのに。


 わたしは食堂へ続く扉を開け放す。


 思い思いに過ごしていた仲間たちが驚いたように、一斉に視線をこちらに向けた。


 わたしはもう逃げない。ヒヅキに謝り、そして並び立って戦う。バエルと、正面から向き合う。それがわたしの選択だ。

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