㊶ちょっとツラ貸せよ 神の毒vsナイトクラン
湖での激闘から一夜明け。わたしたちナイトクランは炎天下の砂漠のど真ん中で、サマエルが現れるのを待っていた。
熱気でユラユラと蜃気楼のように揺れる地平線を見つめるわたしとヒヅキ、ブルー、そしてビャクヤ。全身から汗が噴き出す端から、熱気に晒され、蒸発していく。
近くに生えるサボテンを物珍しそうに見つめていたヒヅキが、わたしに視線を向ける。
「…サマエルは本当に来る?」
「うん。絶対に来るよ。サマエル本人がそう言ってたから」
わたしは自信たっぷりに答える。するとブルーとビャクヤもこちらに視線を寄越す。
「カエデちゃん、頭だけは冴えてるあのクソ野郎をよく説得したわね」
「まったくだよ。まさか逃げ回るサマエルをここに呼びつけるなんて。あまつさえ、真正面からの戦いを了承させるとは。恐れ入ったよ」
チームの雰囲気は昨日よりも軽い。茶化すような口ぶりの2人だが、その目には感謝、憧憬の念がしっかりと宿っている。わたしはちょっと照れくさくなり、「えへへ、まあね~」と後頭部を掻いた。
昨日、みんなと別れたわたしはその後、案の定、待ち伏せをしていた老紳士との接触に成功した。そしてサマエルの目的や、なぜ正面戦闘を避けるのかを言い当てると共に、ビャクヤが弱っていること、遅くとも4日で回復することを明かす。それによって「わたしたちと真正面から戦え。日時と場所はこちらが指定する」という要求を、ヴェネヌムが飲むメリットを提示した。
当然、疑われもした。一つ、ビャクヤが本当に弱っているのか。二つ、わたしたち視点で見れば、黙っておいてビャクヤの回復を待つのが最善ではないかということ。一つ目については、サマエル本人が、ビャクヤが村人から傷を負わされる瞬間を見ていたため、なんとか信じさせることができた。二つ目については、ライトとモモの余命が迫っているため、早期決戦が不可欠というのが本音。しかしそれをバラせば、決戦を2日後にずらされる可能性があった。そのため「これ以上、無関係の人たちを巻き込まないため」と誤魔化したが……サマエルはあまり納得はしていなさそうな様子。
とはいえ、なんとかサマエルを呼び出すことには成功。決戦の地は砂漠のど真ん中、日時は翌日の正午。そして戦うのはわたし、ヒヅキ、ブルーだけで、ビャクヤは見学。わたしたち3人が敗北した場合、ビャクヤはサマエルに首を差し出すという条件だ。
そうしてわたしの大立ち回りを身振り手振りも交えて、誇張気味に語っていると、頭上に影が差した。見上げると、毒霧の筋斗雲に乗ったサマエルが円を描きながら降りてくるところだった。
先ほどまで話に華を咲かせていた空気はどこへやら。ヒヅキとブルーの表情が引き締まる。
そうして身構えていると、わたしたちから少し距離を置いて着地したサマエルが、優雅な一礼をする。
「ご機嫌麗しゅう、皆さま。本日はこのような場にお招きいただき、胸の内、感涙に濡れております」
老紳士は深々とお辞儀したまま、顔だけを上げる。その目元は笑っておらず、口元だけがニヤリと吊り上がる。
「どうか皆さま───悔いなき"死合"を」
はっ! なにが悔いなき"死合"だ。昨日までだまし討ち、罠、不意打ち、なんでもありの姑息野郎だったくせに。虫のいい話だ。
わたしは一歩前に歩み出ると、サマエルを睨み返す。
「覚悟はできてる?」
「覚悟ですか……ふふふ……当然できていますとも。あなた方を屠り、亡き妻と兄にその首を捧げる覚悟がね!」
大きく顔を歪めるサマエル。その背後に燃え盛る黒い炎が幻視できるようだ。どうやらやる気は満タンの様子。対してわたしは表情を変えることなく、静かな口調でずっと疑問に思っていたことを口にする。
「あなたはリリスを奥さん、サタンを兄と呼ぶ。でもあなたにとってその2人は、ただの他人じゃないの?」
「……どういう意味でしょう?」
「そのままの意味だよ。リリスとサタンがそれぞれあなたの嫁、兄弟なのは伝承上の話。ただナイトメアスキルを手にしただけのあなたは、2人に面識なんてないんじゃないの?」
わたしの言葉に無言で佇むサマエル。背後からギリギリと歯を食いしばる音が響いた。
あっ……これはちょっと不味いか?
直後、わたしの予想通り悲痛な叫びが砂漠の中に轟いた。
「なにが家族の仇討ちよ! なにが……なにが……っ!」
サクサクと砂を踏みしめ、サマエルに迫るブルー。慌てて止めようと伸ばしたわたしの手を、背後から何者かが抑える。振り返ると、そこには白髪の女性の姿。ビャクヤがゆるりと首を横に振る。
一瞬の逡巡の後、わたしはその場を見守ることにした。
サマエルの目の前で立ち止まるブルー。握った拳をワナワナと震わせる。
「あなたに……分かるっていうの!? 毒に侵されて、『苦しい』『助けて』って手を伸ばしてくる娘の手を……ただ、握ってあげることしかできなかった、このどうしようもない無力感が! 救いたい……生きててほしい。一秒でも長く、あの子の側にいたかった。でも――救えないのなら……せめて、少しでも早く……楽にしてあげたいって、そんなことを……そんなことを本気で願ってしまう、自分の葛藤が! …………目が見えなくなって、耳も聞こえなくなって……それでも最期に、あの子は笑って、言ったの。『お父さん』って……笑って、笑って、苦しみの中で……わたしを見ていたのよ。その顔が、今でも離れない……目を閉じても、焼き付いたまま……」
天を仰ぐブルー。その頬を伝った雫が砂に落ち、瞬く間に消えていく。
「もっと一緒にいたかった……叱って、泣いて、喧嘩して、仲直りして……そのあとで、手料理をふるまって、いつかは『あんなこともあったね』って、笑い合いたかった……でも……そんな未来は、あんたの手で壊された。───いや、違う。わたしがこの手で、奪ったんだ。だからせめて……せめて仇だけでも討とうと思ったのに……それすら……満足にできやしない……!」
嗚咽を漏らすオカマの言葉を、ただじっと、静かに聞いていたサマエル。その口が静かに開く。
「あなたの気持ち、分かりますよ」
「嘘を吐かないで! あたしの気持ちなんて、あなたには一ミリも理解できるはずない!」
「嘘ではありません。家族を喪った苦しみも後悔も、仇を目の前になにもできない無力感も、そんな自分を責める気持ちも、全てね」
凪いだ水面のように静かな表情。感情の乗った言葉。
あ、ありえない。ありえないのに……なんで? なんでそんな表情ができるの?
本能で分かる。目の前の老紳士の表情が、声が、言葉が嘘ではないと。その場しのぎの出まかせではないと。わたしは混乱した。目の前のブルーも動揺を隠せず、一歩、二歩と後退る。
「ありえない。あなたにあたしの気持ちを理解するなんて……」
「わたしがあなた方にどんな言葉を吐こうとせん無い事。共感も理解も得られないことは分かっています……いえ……あなただけは理解できますかね?」
そう言ってわたしの背後に視線を向けるサマエル。そこにはヒヅキしかいないが……
「………人の命を弄ぶようなクソ野郎の考えも感情も、何一つ理解できることはない」
一瞬の沈黙の後、仮面の少女は冷たい声でサマエルを突き放す。「そうですか」と肩を竦める老紳士。
「これ以上の押し問答は不要のようですね。では改めて……互いの感情、思いを乗せた、いい戦いにしましょう」
そう言ったかと思うと、毒雲を杖で突くヴェネヌム。「ボフンッ!」という破裂音と共に、毒ガスが急速に拡大する。その毒ガスに飲み込まれるブルー。
「ブルー!? くそっ! ヒヅキ!」
「…ん」
すぐさま蜘蛛糸が毒ガスのなかへ。ブルーの身体を引っ張り出す。わたしは放心状態で座り込むオカマのもとへ慌てて駆け寄った。
「大丈夫!?」
しかしブルーは反応しない。とても戦える精神状態ではなさそうだ。
クソッ! サマエルを倒すための作戦を練ったのに……! 初手から予定通りにいかない!
ブルーの力は作戦に必要不可欠。こうなったら───
「わたしが時間を稼ぐ!」
「…ん、じゃあブルーはわたしが」
霧の中から襲い来る毒液の触手を爆裂キノコで弾き飛ばしながら、わたしは2人を庇うように毒霧の前に立ち塞がる。背後で2人が離れていくのを感じながら、わたしは再度声を張り上げた。
「ブルーが立ち直ったら、作戦通りにお願い!」
「…ん、了」
その返事を最後に、わたしの視界は紫一色に染まる。
……毒霧に飲まれたか……
身体の周りに赤キノコを衛星のように回転させながら、周囲を警戒する。視界は悪い。相手はどう仕掛けてくる? それにさっきの毒液は……
四方から襲い来る毒液砲弾を、爆裂キノコで吹き飛ばす。
「躊躇なく火魔法を使うとは……驚きました。ガスが爆発するかもとは考えなかったんですか?」
どこからか響く老紳士の声。出所を探ろうと耳を澄ますが、いまいち掴みどころがなく、特定はできない。
「この毒霧内にはあなた自身もいるんでしょ? 引火するガスを使ってたら、あなた自身も爆発に巻き込まれて死ぬじゃない。あなたはそんなリスクは取らない。違う?」
「はははは! これはこれは賢明な……一本取られましたね。仰る通りです。ここでは、大量の毒液を用意できませんからね。可燃性ガスを使って、万が一あなたが自爆覚悟の特攻を仕掛けてきたら、たまったもんじゃない」
大量の毒液を用意できない……予想通りね。
襲い来る毒液の触手を捌きながら、わたしはどこにいるかも分からない敵に再度語りかける。
「やっぱり、あなたの能力は毒を生成するものじゃないのね」
「ほう、そこまで検討が付いていましたか。それでアンサーは?」
「あなたの能力は、自身から一定範囲の物質を任意の毒物に変化させる能力。違う?」
「ご名答! 素晴らしい! あなたの仰るように、わたしの持つナイトメアスキル『神の毒』は周囲の液体、気体を望んだ毒に変化させる能力です」
やはりか。サマエルが湖で待ち伏せし、その湖すべてが毒液だった時点で怪しいとは思っていた。そもそも無から有を生み出すなど、神の御業。いくらナイトメアスキルでも考えにくい。それなら残った選択肢は、ライトが所持する蛇の王のように自身の体液を毒にするか、あるいは周囲の物質を変化させるか。そして巨大な湖全体を覆うほどの体液などありえない。なら、周囲の物質を毒に変化させる能力と考えるのが妥当だ。
そこまでは予想できていた。だから……
「だから砂漠を戦場に選んだのでしょう?」
「……そうよ。砂漠には水がないから、液体の毒は生成できないと踏んだ。液体毒さえ封じられれば、爆発や凍結、電撃が使える。毒ガスだけならどうにかなる算段もあったし。でも……」
周囲からは毒の砲弾、触手が雨霰の如く降り注いでくる。わたしは眉根を寄せた。
この水はいったいどこから? 砂漠にこれほどの量の水はないはず。外から持ってきた様子もなかったし……
「確かに。わたしの毒液を封じるなら砂漠を戦場に選ぶのは理に適っている。けれど傲慢の王……あなたは一つだけ見落としをしている。それは……サボテンの存在です」
は? サボテン?
毒霧で視界がほぼ利かないなか、「その表情を見るに、御存じなかったようですね」とまるでわたしのことが見えているかのように笑うサマエル。
「仕方ない。レクチャーして差し上げましょう。耳の穴をかっぽじってお聞きなさい。水の少ない砂漠で生き残るために、サボテンは内部に水を貯め込んでいるのですよ」
水を……ため込んでる!?
「ため込む水量は、種類によっては数百リットルに上ります。わたしはそれを利用して、砂漠でも毒液を生成できたわけです。どうです? あなたの敗因が理解できましたか?」
まさかサボテンにわたしの作戦を破られるとは……
「……確かに、してやられたわね。サボテンの水を利用するのは予想できなかった。だけどわたしは負けてない。敗因って言うのは、奢りがすぎるんじゃない?」
「いいえ。チェックメイトです」
は? どういう───
次の瞬間、わたしの足元から水が噴き出した。いや、違う。これは───
「毒!?」
「左様。時間はかかりましたが、砂の中を通してあなたの足元まで運びました」
慌てて飛び退こうとするが、気が付くのが遅すぎた。毒液は足、ふくらはぎ、太もも、腰と、わたしをじわじわと飲み込んでいく。
「あなたにわたしの毒は通じない。けれど窒息ならどうでしょうねぇ?」
液体に全身を飲み込まれる寸前、最期に聞いたのはどこからともなく響くサマエルの笑い声だった。




