㊵作戦会議だよ どうしよう?
「み、みんな、大丈夫かい?」
村人たちの身体から噴き出した毒霧から命からがら逃げおおせたわたしたち。ビャクヤの問いかけに、わたしは上がった息を整えながら頷く。
「はぁ……はぁ……だ、大丈夫。ヒ、ヒヅキとブルーは?」
「…ん、なんとか」
「あたしも大丈夫よ」
どうやら全員無事らしい。そのことに一先ず安堵する。
しかし気を抜いた途端、先程の光景が脳裏に蘇る。
醜く紫に膨れ上がっていく人々。助けを懇願する女性の、見開かれた目。その彼女が目の前で破裂し、物言わぬ肉塊と化す瞬間。
思い出した瞬間、胃の中のものが一気に逆流する。わたしは耐え切れず、その場で嘔吐した。
……助けらなかった。動けなかった。なんの罪もない人々が殺されるのを目の前に、わたしはなにもできなかった。彼らはただ巻き込まれただけなのに……わたしが止められなかったせいで、命が奪われた。こんなのもう、わたしが殺したも同然じゃない……
吐き出すものなんてもう残っていないのに、それでも吐き気は止まらない。地に這いつくばりながら、胃液を吐き続ける。酸っぱい苦みが口いっぱいに広がって、とても不快だった。
そんなわたしの様子を見つめるビャクヤ。
「いったん休憩しようか」
そう言って切株に腰を下ろす。
だれも、何も言わない。サマエルを殺すために人生を賭けてきたブルーさえ、サマエルを追おうとは言いださない。いや、全員、頭では分かっているはずだ。すぐにでもサマエルを追うべきだと。1分、1秒でも早くサマエルを殺し、その凶行を止めるべきだと。
だが先ほどの凄惨な光景が、人の死に慣れているはずのヒヅキたちの口すら噤ませている。昨日からの寝ずの強行軍。敵を目の前にしてなにもできなかったもどかしさ。そして目の前で多くの人が犠牲になった絶望感。それらが確実に、彼女たちの精神を削いでいっている。それがわたしには肌で感じられた。
でも、どんなに精神的、肉体的に辛かろうと、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。サマエルを追わなければ……追わなければ……
……本当にサマエルを追うべきなのだろうか? 神の毒を追いかければ、また罪のない人々を巻き込むのは目に見えている。犠牲者は増える一方だ。サマエルを倒すまでに何十、何百、何千の人々を犠牲にすればいいのか……?
考えただけで胃がズンと重くなる。収まりかけていた吐き気が再び強くなる。ヴェネヌムを倒さなければ、ライトとモモの命はない。だけどサマエルを追いかければ、その数百倍の人命が失われる。
わたしたちはいったいどうすれば……
ピロン
わたしのスマホが鳴った。
そういえばショッキングな出来事の連続で忘れていたけど、チュイッターに質問してたんだっけ……
わたしは藁にも縋る思いで、スマホを取り出した。わたしの質問に対する回答に目を通す。
───これは……!
読み進めていくうちに、わたしの心には希望の光が灯り始める。最後のピースを得て、まるで点と点が線で繋がるかのように全ての出来事が繋がっていく。
そうか。サマエルの目的は───
「どうかしたかい?」
ゆっくりと立ち上がったわたしに、ビャクヤが声を掛ける。彼女の目の下にはクッキリと黒い隈ができており、その表情は憔悴しきっている。
わたしはリーダーの目を真っすぐ見つめると、提案した。
「サマエルを追いかけるのをやめよう」
場に沈黙が落ちた。仲間たちの困惑が手に取るように分かる。顔を真っ赤にしたブルーが掴みかかってくる。
「なに言ってるの!? ライトちゃんとモモちゃんを見殺しにするつもり!?」
「違う」
「じゃあ、じゃあ、なんで───!」
「落ち着け。ブルー」
ビャクヤが静かな声でブルーを諭す。プルプル震えながらも掴んでいた襟を放すオカマ。
「なにか考えがあるんだろう?」
静かな瞳を向ける白髪の女性に、わたしはコクリと頷いて見せた。
「けどその前に一つ確認させて」
「うん、なにかな?」
「ビャクヤ……あなた、予知の王が使えないんでしょ?」
苦笑いを浮かべるビャクヤ。あっさりと肯定する。
「バレていたかい。心配をかけないように、黙っていたんだけどね」
「最初から違和感は感じてた。あなたを止めるライト、夫婦の家でのふらつき。そしてなにより、ただの一般人の攻撃すら避けきれなかったことで確信した」
予知の王を使っていたら、憤怒の王すら手玉に取れるビャクヤだ。不意打ちだろうがフェイカーでもない、ただの一般人の攻撃を捌けないはずがない。
「…ビャクヤ」
「ビャクヤちゃん」
ヒヅキとブルーの視線に肩を竦めるビャクヤ。
「2人には嘘を吐いていて申し訳ない。カエデの言う通り、いまのわたしは予知の王を使えないよ」
そう言ってビャクヤは説明をしてくれた。
全世界の物質を量子レベルで知覚、それをもとに未来を予測する予知の王だが、強力すぎるが故に、使えば脳に相当な負担がかかるらしい。特に長時間使ったあとは、しばらくのあいだ使用を控えなければならない。無理に使えば、脳に負荷がかかりすぎて最悪の場合、死ぬとのこと。
「サタン戦で相当スキルを酷使したからね。いまは予知の王をほとんど使えないんだ。君を信用していなかったわけではないんだが……黙っていて本当に申し訳ない」
そう言って頭を下げるビャクヤ。
ナイトメアスキルが使えなくても、部下のために戦場に立つ。いや、彼女は自分の命と引き換えてでもサマエルを殺すつもりだったのだろう。それがリーダーとしての、ビャクヤの覚悟。
「わたしたちに余計な心配をかけたくなかったんでしょ。それは別にいいよ。それよりも、万全の状態に戻るのはあとどれくらいの時間が必要なの?」
「あと3日か4日ってところだね」
ライトたちの余命はあと1日半。全然、間に合わない。だけど問題ない。
大きく頷くわたしに、ヒヅキが問いかける。
「…それで、カエデの考えって?」
「このままサマエルを追い続ければ、際限なく犠牲者が増えていく。だからサマエルを追いかけるんじゃなくて、誘い出すの」
わたしの言葉に目を見開く一同。「誘い出す!?」「いったいどうやって?」と口々に言い寄るみんなを宥めてから、わたしは話を続けた。
「サマエルの目的って、みんなは考えたりした?」
顔を見合わせる一同。
「いや、考えなかった。敵の目的がなんだろうと、サマエルを倒すことに変わりはないからね」
「…ライトたちを助けようとサマエルを追いかけるのに必死で、思い至らなかった」
「正直、あたしは頭に血が上ってそれどころじゃなかったわね」
首を横に振る面々。
「…それで、あいつの目的って?」
「それは、兄と奥さんを殺したわたしたちへの復讐よ」
わたしの答えに、ビャクヤたちの目が点になる。まあ、そうなるのも無理はないだろう。わたしはチュイッターで得た情報を3人に伝える。
まず兄とはサタンのこと。サタンとサマエル、この2体の悪魔は伝承によっては同一視されることがある。つまりサマエルにとってサタンは自分の半身、兄弟のようなものだ。次いで奥さんについて。こちらはかなり有名な話らしいのだが、サマエルはエデンから追放されたリリスを嫁にしているとのこと。ちなみに、サマエルとリリスの間に生まれた大量の悪魔を纏めてリリムと呼ぶのだとか。
「サタンもリリスも殺したのはわたしたち。つまりサマエルの目的は、兄と奥さんの仇であるわたしたちを殺すことなのよ」
これならヴェネヌムがただ逃げるのではなく、わたしたちを待ち伏せていたことや、わたしたちの情報を調べていたことも説明が付く。
……まあ、多少は疑問が残るけどね。けどその疑問を解消しようと思ったら、サマエル本人に尋ねるしかないのでいったんパス。
そんなわたしの言葉に、納得顔で頷くビャクヤとブルー。
「なるほど。確かに、サマエルの目的がわたしたちへの復讐である可能性は高そうだ」
「でも、それと敵を誘い出すことはどう繋がるの?」
「その二つが直接つながるわけじゃない。でもビャクヤが弱っていることを間に挟むことで、サマエルを誘い出せる可能性が出てくる」
サマエルは強力なフェイカーだ。直接ナイトクランに殴り込みをかけても、勝算は大いにある。しかしヴェネヌムはそれをせず、ライトとモモ、それに失敗したがわたしに毒を盛ってから逃走することを選んだ。さらに湖での戦闘でも逃走。罠を仕掛けることで、正面からの戦いを徹底的に避けている。
それはなぜか? 答えは『ビャクヤが怖いから』だ。
「考えてもみてよ。白兵戦最強で、予知能力で的確に味方に指示も出せる。さらに一撃で確実に敵を殺せる奴がいたとして、真正面から戦いたいと思う? わたしなら絶対ごめんだね。せめて周囲の仲間たちを一人ひとり確実に減らしていって、タイマンの状況にでもしないと」
「…だからサマエルは罠を張り巡らせて、わたしたちの戦力を削ごうとしていると?」
「そういうこと。だけど当のビャクヤが予知の王を使えないほど弱っているとなると、話は変わってくる。逃げながらこちらの戦力をじわじわ減らすよりも、ビャクヤが回復する前に叩いてしまった方がいい」
特にヴェネヌムはライトたちがまだ生きていることを知らない様子だった。本来はこちらにある時間制限。それが相手からは見えない。むしろ、ビャクヤの回復が3日から4日程度と明かすことで、逆に相手に時間制限を課すことができる。
そこで腕を組んで瞑目していたビャクヤが目を開く。
「確かに筋は通っている。だけどそれは仮定の上に仮定を重ねた推論とも呼べないものだ。そもそもその妄想が正しかったとして、サマエルが誘いに乗る保証は? わたしが回復するとしても、時間をかけて追い詰める方を選ぶかもしれない」
「確かにそうかもしれない。だけど、サマエルがあなたを強く意識していることは間違いない」
ヴェネヌムが「あなたたちを決して甘く見ていない」と言ったとき、間違いなくビャクヤの方を見ていた。それだけヴェネヌムの中でビャクヤの存在が大きいのは確実。
「それにわたしの予測が正しかった場合、サマエルはまた罠を張って待ち伏せしている。接触するだけなら簡単だよ。わたしが直接いって、交渉してくる」
ヒヅキとブルーが「…一人じゃあぶない。わたしが監視に……」「あたしも! あたしも付いて行くわ! カエデちゃんだけを危険に晒すわけにはいかない!」と口々に喚く。しかしそれでヴェネヌムに逃げられては元も子もない。敵の毒が効かず、こちらの攻撃もサマエルに通じない。互いに有効打を持たないわたしが一人で向かうのがベストだ。そう言ってなんとか二人を宥めたわたしは、ビャクヤと向かい合う。
凪いだ水面のように静かな瞳でわたしのことを見つめたビャクヤ。しばらくして表情を崩し、苦笑する。
「分かった。君に託すよ、カエデ。明日までにサマエルを倒すには、それしか方法がなさそうだしね」
その言葉に大きく大きく息を吸い込み、胸を膨らませる。そうして、わたしは大きく頷いた。
「うん! 任せて!」
そうしてさっそくサマエルのもとへ向かおうとするが、その前にやることが少々。
ブルーとヒヅキの方へ顔を向ける。
「ねえ、砂漠ってこの近くにある?」
「あるけど……急にどうしたの?」
「ちょっとね……サマエルと戦うならそこがいいと思って……あとヒヅキ……ゴニョゴニョ……」
ヒヅキの耳元に口を寄せ、とあるお願いをする。それを聞いて驚いた素振りを見せる少女。しかしすぐに口元を綻ばせると、首を縦に振る。
「…なかなかの無茶ぶり。でも任せて」
「ありがとう! あとはっと……」
わたしはチュイッタ―を開くと、文字を打ち始める。それを覗きこんだヒヅキが不思議そうに尋ねた。
「…今度はなにしてる?」
「これはねぇ、目が見えないはずのサマエルが、どうやってわたしたちを認識しているのか調べてるの……まあもう仮説は立ってるんだけど……」
いろいろと聞きたそうなヒヅキ。しかし教えたくても、まだ予測の範疇を出ない。不確実な情報を共有して、余計な混乱を招きたくはない。
「あとでみんなにも共有するから!」
投稿を終えてそう告げると、わたしはサマエルを追って森の奥へと駆け出すのだった。
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