㊴神の毒との対面 非情な決断
春の訪れを告げる、蕾の実った桜並木の中を駆け抜けること数分。突如わたしたちの視界が開けると共に、巨大な湖が姿を現した。
鏡面のように澄んだ水面。湖畔にたたずむ無数の枯れ木。寂寥感を感じさせる静けさの中、そいつはいた。
湖の中央。杖を携えた一人の老紳士───ヴェネヌムがこちらに背を向け、湖面に佇んでいる。
……湖面に立っている?
わたしがそのありえない光景に困惑した次の瞬間だった。
「サマエルゥゥゥゥゥゥッ!」
積年の恨みをぶつけるかのような怒号が空気を震わせると共に、わたしの頭上を巨大なタコ足が通り過ぎていく。同時にこちらを振り返った老紳士。余裕の笑みを見せると、湖面に手に持った杖を突く。
凪いだ水面に幾重にも波紋が広がった。その波紋は波に、波は巨大なうねりに。そして、
ドバァァァァッ!
突如として水面が噴き上がった。それはわたしたちとサマエルを隔てる水壁。それを見たヒヅキが叫ぶ。
「…水に触れちゃダメ! 毒!」
毒……まさかこの湖全部が!? 嘘でしょ!?
「ブルー! 止まって!」
「ヌウウゥゥゥンッ」
わたしは慌ててオカマを制止する。しかし怒りに我を忘れた海の悪魔は止まらない。タコ足が毒液の壁を突き破り、奥のサマエルを襲う。しかし目が見えないはずのヴェネヌムは、水面を滑るように動くと、迫りくる触手をいとも簡単に避けてしまう。
その光景にわたしは唖然とした。
目は見えないはずなのに! いったいどうやって!?
だが、そんな疑問ばかりに構ってもいられない。見れば水壁を穿ったブルーの触手が紫色に変色していっている。それはじわじわとブルー本体へと近づいていっている。痛みに苦悶の表情を浮かべるオカマ。
どうやら、指先一つ触れるだけでアウトらしい。
このままじゃブルーが死ぬ……!
慌てて駆け寄ろうとして、わたしはブルーの次の行動に目を丸くした。なんと巨漢のオカマは毒に侵された触手を自ら引きちぎったではないか。これには余裕の表情だった老紳士も表情を強張らせる。
「なっ!? 自分の肉体を自ら!?」
「これくらい当然よ……あの日からずっと考えてた。触ることも、近づくこともままならないあなたを、どうやったら殺せるか。寝るときも、風呂に浸かってる時も、料理中も、ずっと、ずっと、ずっと……そうして辿り着いた答えの一つがこれよ」
先ほどとは打って変わって低く、腹の底から響くようなドスの利いた声だ。そして引きちぎった触手の断面がぼこぼこ膨らんだかと思うと、「ずりゅん」と新しいタコ足が生えてくる。
「知ってたかしら? タコの足って再生するのよ。だから敵に襲われたとき、タコは自らの足をちぎって囮にすることがある。それを利用すれば……!」
8つの触手が、ぬらりと立ち上がる。
「こんな戦い方ができる!」
タコ足が一斉にうなりをあげてサマエルに襲い掛かった。それを迎え撃つ毒液。しかし触れただけで命を刈り取る猛毒を恐れず、ブルーはそれを真正面から打ち砕く。毒に侵された足をちぎっては再生し、ちぎっては再生しを繰り返し、逃げるサマエルを追いこんでいく。
だが老紳士も外見からは想像もつかない機敏さで、触手を避け、捌き、あるいは腐食させていく。息もつかせぬ攻防。スケートリンクでも滑るかのように触手を避けたヴェネヌムが笑い声をあげる。
「はははは! 身を削ってでもわたしを殺そうとするその執念。一瞬驚きましたが、素晴らしい! 純粋な賛辞を送らせていただきます! けれどもそんな無茶な戦い方、身体に相当な負担がかかるのではないですか?」
サマエルの問いかけにブルーは答えない。ただ無言で触手を繰り出すのみ。しかし彼の額に浮かんだ玉のような汗が、答えを如実に物語っていた。
きっと触手を再生させると、体力を大きく消耗するんだ……
息を荒げる仲間を見つめ、わたしは拳を握り締める。
「ヒヅキ! フォーメーション竜の口!」
わたしの声に反応し、毒液による攻撃を捌いていた赤髪の少女がちらりとこちらを見る。彼女が小指を小さく動かすと、蜘蛛糸がわたしの身体を簀巻きに。「…操糸」という少女の呟きと共にわたしはサマエルに向かって勢いよく投擲された。
「自爆特攻ぅぅぅ!」
砲弾の如く迫るわたしを、毒の壁が迎え撃つ。しかしそれはわたしには効果がない。そのまま毒壁に突っ込み破壊。これにはいままで余裕の表情だった老紳士も驚愕を隠せない。
「毒が効かない!?」
慌ててわたしを避けるヴェネヌム。わたしの人間砲弾は空振りに終わる。だが問題ない。わたしの狙いはサマエルに体当たりを食らわせることではないのだから。
「喰らえ!」
わたしはすれ違いざまに隠し持っていた電撃キノコを投擲。老紳士の足元に着弾した瞬間、「バリバリバリッ!」と凄まじいスパークが火花を散らす。
「よっし! 狙い取り!」
サマエルは液体の足場を操作して移動している。ならばその足場を狙ってやればいい。水上ではどこに行こうと電撃からは逃れられない。感電は必至。間違いなく直撃だ。
しかし立ち上がったわたしが見たのは、無傷で佇む老紳士の姿。大きく首を横に振るヴェネヌム。
「キノコを使った特殊な魔法。あなたは酒場で殺したはず。それにわたしの毒を食らってなんともないのはいったい……」
考え込む様子を見せるサマエル。しばらくして合点のいったような表情を浮かべると、口角を吊り上げる。
「───なるほど。あなたが傲慢の王……」
「なっ───なんでわたしのスキルを……!?」
わたしは驚愕に目を見開く。そんなわたしに反して、ヴェネヌムは服の汚れを払いながら、こともなげに答える。
「事前にあなた方のナイトメアスキルについて調査してたんですよ。おかげで助かりました。もし知らなかったら、いまの一撃は間違いなくもらっていたでしょう」
なんてことだ。こちらの情報が洩れているとは……いったいどこから? いや、そんなことはいま気にすることじゃない。それよりもどうやってサマエルは電撃キノコを防いだ? その謎が解けなければ、有効打は与えられない。
身構えるわたしに、ふっと笑いかける老紳士。
「どうやってあなたの電撃を防いだのか。疑問に思っているようですね。いいでしょう。海の悪魔に倣って、わたしもちょっとした豆知識を披露して差し上げます」
毒液でヒヅキやブルーを牽制するサマエルの右手から、黄色の液体が流れだす。それは老紳士の足元に広がり、足場を形成する。
「……それは?」
「ニトロベンゼンです。色は無色から黄色の液体……摂取すると血中のヘモグロビンに作用して呼吸困難や意識障害を引き起こし、最悪は死に至る猛毒です。そしてこちらの毒、実は非電解質なのです」
非電解質……つまり水中で電離しないということか。化学の授業で聞いたことがある。電離しない物質は確か……
「電流を通さない」
「正解です。電流による攻撃を察知してすぐ、これを足場にしました。結果、電流はニトロベンゼンに阻まれ、わたしに届かなかったというわけです」
くっ……まさか電流を通さない毒があるとは。いや、それを知っているサマエルを褒めるべきか……
だが電撃が通じないからなんだと言うのだ。わたしはまだ手の内を晒し切ったわけじゃない。
わたしは両手に凍結キノコを召喚。投擲。
明後日の方向へ投げた青キノコ。サマエルの注意が分散したのを確認し、追尾のスキルを発動。直角に曲がった凍結キノコが、老紳士を左右から襲う。
盛り上がる湖面。毒液が青キノコとサマエルの間に割って入る。次の瞬間、凍結キノコが炸裂。毒液を凍らせ───
られてない!?
凍るどころか、うねりをあげて迫る毒液の波。わたしは舌打ちをしながら飛び退く。
くそっ! 恐らく凍らない毒液……! サマエルの得意げな笑みが無性に腹立つ。
おまけに鼻を突く硫黄の臭い。恐らくは硫化水素。可燃性の毒ガスだ。これでは爆裂キノコも使えない。使えば仲間もろともドカンである。
……くそ、打つ手なしだ。このままではライトとモモ、それにあの女の子が……
なにもできない歯がゆさに、わたしは奥歯を噛みしめる。
「……まさか、そこまでわたしのスキルを調べて、対策まで考えてくるなんてね」
「お褒めにあずかり光栄です。微に入り細を穿つ……わたしの信条ですから。もちろん、調べたのはあなただけじゃありませんよ。ナイトクラン全員のスキル、戦闘スタイル、弱点……すべて把握済みです」
わたしたち全員……!
「ラプラス、アラクネ、マルバス、クラーケン、バジリスク……それぞれに対する対策も怠っていません。まずわたしの毒が効かない、あるいは無効化される可能性のあるマルバスとバジリスクに接触。彼らはわたしの容姿を知らないので、簡単に殺せました」
……ん? 殺した? ライトとモモはまだ生きているんだけど……
ちょっとした違和感に眉を顰めるが、サマエルは気が付かずに滔々と語り続ける。
「次にラプラス。驚異的な能力ではありますが、彼女の戦闘スタイルは近接格闘。毒ガスで近づかせなければ、どうということはない。万が一、接近されたとしても、踏み切ることのできない水上では満足な打撃は繰り出せないでしょう。これはクラーケンについても同様でしたが……まさか足の破壊と再生を繰り返して抗ってくるとは。これは想定外でしたが、まあ大した脅威ではありません」
確かに近接メインのビャクヤとブルーはサマエルとすこぶる相性が悪い。毒ガスで近づくことすらままならず、たとえ近づけても触れれば致命傷。タコ足の再生を活かしたとしても、その再生とて無限ではない。
だがヒヅキは近接戦闘以外ももこなせる。糸を使った遠距離攻撃は脅威のはずだ。実際、こうして話している間も、ヴェネヌムは蜘蛛糸による攻撃を受け続けている。
「アラクネについては入念に準備をしました。彼女はなかなかの脅威ですからね。まず、蜘蛛糸の対策を考えました。その答えがこちら……水酸化ナトリウムです」
水酸化ナトリウム?
「アルカリ性の水酸化ナトリウムは、蜘蛛糸を加水分解してシルクの構造を破壊。ゼラチン化してしまいます。それにより蜘蛛糸の操作を阻害」
まさか蜘蛛糸にそんな弱点があるとは。確かに、サマエルの操る液体に触れた蜘蛛糸はドロドロとしたゼラチンになり、地に落ちていく。だがそれだけでヒヅキを抑え込めるとは思えない。他にもなにか仕掛けが……
「そして極めつけはカフェインです」
「は? カフェイン?」
カフェインって、コーヒーに入ってるあれ?
予想外の単語に、間抜けな表情で聞き返すわたし。老紳士が薄っすらと口の端を釣りあげる。
「はい、カフェインです。実は蜘蛛はカフェインを摂取させると、人間でいうところの酩酊状態になります」
「つまり、お酒に酔っぱらったようになる?」
「左様です。先ほど口にした食事には、カフェインが混入していたのですよ。毒ではないので警戒されることはない。されど、確実に対象の戦闘力を奪う一手です。気丈に振る舞ってはいますが、彼女は意識が朦朧とし、焦点も定まらない状況にあるのですよ」
な、なんてことだ。
慌ててヒヅキの方に視線を向けると、なるほど。遠目にも赤髪の少女の目はトロンとし、身体のキレも心なしかないように見える。つまり彼女はいま、精緻な蜘蛛糸の操作が不可能ということ。
わたしは無力。ビャクヤは近づけない。頼みの綱のヒヅキもダメ。ブルーは体力の限界が近い。まずい。打つ手がない。なにか、なにかないか?
必死に思考を巡らせるが、妙案は出てこない。
クソッ! もうイチかバチか、自爆覚悟で爆裂キノコを使うか? ビャクヤたちには離れてもらって、わたし自身は毒液の中に潜れば死にはしないはずだ。
背後に隠した手に赤キノコを生成する。しかし、そこでわたしはあることに気が付く。わたしたちは追い込まれているように見える。だが……
「攻撃してこないの?」
サマエルはこちらの攻撃を捌くだけ。一向にこちらに攻撃をする素振りを見せない。薄っすらと笑うヴェネヌム。
「一見、わたしがあなたたちを追い込んでいるように見えます。しかし、これだけの策を弄し、どれだけ追い詰めようと、わたしはあなたたちを甘く見ていません」
そこでチラリと視線を横に向けるサマエル。その先にはビャクヤの姿。わたしに視線を戻すと、肩を竦めて見せる。
「あなたの自爆攻撃。自傷をいとわないクラーケンの覚悟。それになにより、ラプラスの脅威……わたしが負ける可能性もゼロじゃない。なので万全を期して、この場はいったん引かせてもらいますよ」
そう言うが早いが、脱兎のごとく踵を返すサマエル。毒液の絨毯に乗って森の中へと向かう。
「追え! 絶対に逃がすな!」
轟くビャクヤの叱責。それに弾かれたように、わたしたちはヴェネヌムの背を追いかけ始めた。
絶対に逃がしてなるものか!
「喰らえ!」
わたしの凍結キノコ、ヒヅキの蜘蛛糸、ブルーの触手が逃げるサマエルの背を襲う。しかしそれらは種々の毒液に阻まれ、サマエルには届かない。
そしてなにより、サマエルが予想外に速い。一向に距離は縮まらず、胸中には焦りだけが募っていく。いや、逆に距離が開いてもいないのだが……
距離が縮まりもせず、開きもしない!? それってただの偶然? それとも……
まさか罠!?
わたしがその可能性に気が付いた次の瞬間だった。木の陰から黒い影が飛び出し、ビャクヤに襲い掛かる。
「なっ!?」
「う、うわぁぁぁぁ!」
木陰から飛び出した男は、手に持った鍬を白髪の女性の頭部めがけて振り下ろす。一瞬、驚愕で足を止めるビャクヤ。咄嗟に身体を捩り、寸でのところで直撃は避ける。しかし避けきることはできず、鍬が肩を掠め、鮮血が飛び散った。
それが合図だったかのように、周囲の木々の陰から老若男女問わず50人以上の人間が姿を現し、わたしたちに襲い掛かってくる。
「おおおお!」
「うあああぁぁぁ!」
「やあああ!」
農具や鈍器を武器に襲い掛かってくる彼らはいったい……? ただの村人にしか見えないけど……
わたしは包丁を突き出してきた女性を避ける。涙目で手を震わせる彼女は、闇雲に包丁を振り回して襲い掛かってくる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……でもあなたたちを足止めしないと、わたしたちは……」
まさか彼女たちはサマエルに脅されて!? 毒を飲まされて、無理やり従わされているの!?
「ビャクヤ! この人たちは脅されて無理やり従わされてる、ただの一般人!」
「だからなんだって言うんだい?」
襲い掛かってきた男性のみぞおちに拳を叩き込みながら、ビャクヤが応える。
「だから殺しちゃダメ!」
「殺しちゃダメ……か……」
黒衣の女性が髪をなびかせながら、「ふっ」と小さく笑う。それは酷く冷たい笑み。わたしの背に悪寒が走る。
「カエデ、君は勘違いしているようだ。わたしたちが優先するべきはフェイカーの存在を秘匿すること、引いてはやつらをこの世から消すことだ。決して目の前の人命を救うことじゃない」
「で、でもレギオンでは住民や囚われた人たちを避難させたじゃない!」
「勘違いしないで欲しい。わたしたちは非情だが、非道ではない。救える命があるなら救いもする。だが、今回はべつだ。この人たちを急いで処理しなければ、サマエルを取り逃がす」
感情の一切を排し、使命の火だけを瞳に宿すビャクヤ。包丁を持った少年の腕に蹴りを叩き込む。「ボキッ!」と嫌な音を響かせながら、少年の肘があり得ない方向に曲がる。森の中に少年の悲痛な悲鳴が木霊した。
わたしはその光景を見て、ただ呆然と立ち尽くす。身体に打ち付けられる農具や鈍器も気にならない。
ビャクヤの言うことは分かる。早くしなければ、サマエルを取り逃がしてしまう。そうなればモモたちを救うことはできない。
でも、だからと言って目の前の人々を犠牲にするなんて、わたしにはとてもできない。わたしは藁にも縋る思いで、他の2人に叫ぶ。
「ヒヅキ! ブルー! 2人からもなんか言ってよ!」
しかし2人ともなにも答えてはくれない。
「どうして!? なんの罪もない人たちを傷つけて、それでフェイカーを倒せたら全て良しなの!? そんなの間違ってるよ! わたしは……わたしはそんなことしたくない! この人たちを救ったうえで、サマエルも倒したい!
「そんなのはただの理想論。不可能だよ」
「不可能なんてだれが決めたの!? 探せばきっとある! ライトもモモも、人質の女の子も、この人たちもみんな助かる道が! だから……だから……!」
わたしの嘆願に、ヒヅキの動きが止まった。紙一重で首ちょんぱを免れた青年が悲鳴を上げて腰を抜かすのを見下ろしながら、小さく息を吐く仮面の少女。
「…やめよう、ビャクヤ。いまから追っても、もう追いつけない。それに……たぶんこの人たち、本当に”ただの足止め”しか命じられてない。わたしたちが手を引けば、これ以上無用な血を流さなくて済む」
先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように、森は静まり返っていた。ビャクヤたちの圧倒的な強さ、容赦のなさに、村人たちはすでに戦意を失いつつある。しかし、わたしたちを通せば自分たちが殺される───そんな板挟みの恐怖が、彼らをその場に縫いつけていた。攻撃してくることもなく、ただサマエルの逃げた方角を塞ぐように陣取る。
ビャクヤが一歩踏み出し、鋭く睨みつけると、その視線だけで彼らはびくりと肩を震わせ、後ずさった。白髪の女性が大きく首を横に振る。
「やれやれ……君の言うことももっともだ。いまからでは到底、やつには追いつけまい。それなら、彼らを傷つける意味もない……か。ブルーも、そいつを放してやれ」
男性の顔を鷲掴みに、身体を持ち上げていたブルーに声を掛けるビャクヤ。巨漢のオカマは肩を小さく震わせた後、歯を食いしばりながらも男性を解放する。
それを確認してから、再び村人たちに向き直るビャクヤ。
「もうわたしたちがやつを追うことはない。だから君たちが戦う必要もない。武器を下ろしてくれ」
顔を見合わせる村人たち。怯え、疑心暗鬼に染まる表情のなかに、一筋の安堵や希望の光が差す。それを見て、わたしもほっと胸を撫でおろした。
良かった。これで彼らは死ななくて済む。本当に、本当に……
「うっ!?」
突然、一人の女性が苦しげな声を漏らした。
怪我かと思い、駆け寄ろうとしたその瞬間───わたしは、異変に気づく。
呻き声は一人だけじゃない。
次々と、村人たちがうずくまり、呻き、倒れていく。
その肌に紫の痣が広がり、全身が異様に膨れ上がっていく。
「ブチッ、ブチブチッ!」
肉の裂ける、耐え難い音が森に響く。
な、なに……これ……? いったい何が───
「だ……だずげ……」
紫に膨れ上がった女性が、涙を流しながら手を伸ばしてくる。その顔はもう、人の面影を留めていなかった。けれど、わたしは動けない。脳が痺れ、現実を処理することを拒絶する。まるで悪夢の中にいるみたいだった。
視界の端で、黒コートの女が身を翻すのが見えた。
「逃げろぉぉぉぉ!」
ビャクヤの絶叫が響いた。
───ボンッ!
直後、村人たちの身体が一斉に破裂した。
紫の毒霧が噴き上がり、わたしたちは逃げる間もなく、それに呑まれていった。
ちょっと小話
サマエルがカエデの凍結キノコを防ぐ際に使用したのは、高濃度のグリセリンです。高濃度で経口摂取すると強い毒性を持つグリセリンですが、実は水と混ぜると、マイナス30℃まで凍らなくなるんです!
……え? 低濃度なら? 毒の解釈が広すぎる? そもそも大量に摂取したら大概のものは毒になるって?
……
ではまた次回!




