表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/53

㊲サマエルを追え! 張り巡らされた罠

 神の毒(サマエル)を追い始めて丸一日が経った。


 神の毒(サマエル)が通った場所は、草花や動植物が死に絶える。だから草木が枯れたところを追っていけば、敵の居場所に辿り着くはずなのだが……


「ここも死んでる……」


 夕日の差し込む森の中。目の前の枯れ木に触れると、枝がサラサラと塵にり、風に吹かれていく。ただ死んでいるというよりも、腐り落ちているという表現の方が近いか。


 目の前の木だけじゃない。わたしの周囲には、そんな木々が無数に存在している。青々と茂る森の中、まるでぽっかりと空いた穴のように、広範囲に枯れた木々が密集しているのだ。


 ここに来るまで何度も似たような光景は見てきた。だがここは特に酷い有様である。少し向こうには、巨大な熊まで倒れている。


「あんな大きな生き物まで……」

「…きっと神の毒(サマエル)が長時間滞在していた場所」


 周囲を観察していた赤髪の少女がわたしの独り言に応える。


 神の毒(サマエル)が長い時間とどまれば、それだけ周囲に大きな影響を与えるということだろう。すなわち、ただ通過するだけなら葉が落ちる程度で済むが、しばらく留まった場合は周囲一帯の木が枯れるということ。


 そんな荒れ果てた森の中、わたしは一本の木の前に立ち竦むビャクヤに気が付く。なにかを考え込むように、顎に手を当てる黒衣の女性。


「どうしたの?」

「うん? いや、大したことじゃないんだ。ただ周囲の様子を見る限り、神の毒(サマエル)はかなり長い時間この森に滞在していたように感じてね。もしかしたら敵は、わたしたちが追って来ていることに、気が付いていないのかもしれないと思って」


 確かに、追われる身の人物が、悠長に同じ場所に滞在するとは考えにくい。神の毒(サマエル)がこちらの存在に気が付いていない可能性は高いかもしれない。


「だとしたらチャンスだよ。不意打ちで倒せるかもしれない!」

「そうだね。でも……」


 しかしどこか釈然としないビャクヤの表情。そんなわたしたちを先行するブルーが呼ぶ。


「みんな、なにしてるの? 早く行きましょう!」

「あ、うん! いま行く!」


 わたしは小走りでブルーに追いつくと、スマホを取り出す。スマホを操作するわたしの手元を覗き込むヒヅキ。


「…なにしてるの?」

「ちょっと調べもの」

「…調べもの? なんの?」

「それはね、サマエルの───」

「お、おい、あんたら!」


 突如わたしたちの会話に割り込む男性の声。


 声の方に視線を向けると、枯れ木の影から一人の中年男性が現れる。麦わら帽子を被り、つなぎを着た、一見ただの農夫のような男性だ。その男はどうやら足を怪我しているようで、破れたズボンからは痛々しい裂傷が見える。


 普通なら男性に駆け寄る場面だ。しかし動くものはいない。それどころかヒヅキやブルーなど、いまにも飛びかからんと身構える始末。


 まあそんな反応になるのも仕方ないと言えば仕方ない。目の前にいる男が神の毒(サマエル)の手の者でない保証などないのだから。もしかしたら罠で、怪我した男性を助けようと近づいたら、毒を喰らってしまう……なんてことも考えられる。


 一方、そんなわたしたちの様子に困惑した表情を見せる男性。必死に助けを求めて声を張り上げる。


「助けてくれ! 足を怪我して動けないんだ! おい! なんで無視をする!? なんとか言ってくれ!」


 本来なら慎重を期す場面。だけどわたしなら……


 ちらりとビャクヤを見ると、黒の瞳と目が合った。頷く黒衣の女性。どうやらわたしの意図を汲み取ってくれたらしい。


 それを確認して、わたしは一歩を踏み出した。「カエデちゃ……」と、ブルーがわたしを止めようとする。それをビャクヤが手で制するのを横目に映しながら、わたしは男に近づいていく。


 背後からの鋭い視線を感じながら進むこと数秒。わたしは何事もなく男のもとに辿り着いた。こちらを見上げる男性に手を差し出す。


「立てますか?」

「あ、あぁ。手を貸してもらえれば、たぶん」


 男の肩の下に潜り込み、「せーの」と、掛け声と共に立ち上がる。血の流れる右足を庇いながら、よろよろと立ち上がる男性。「うっ」と表情を歪ませる。


「大丈夫ですか? 痛みますか?」

「あぁ……立つことはできたが、歩くのは厳しそうだ」

「分かりました」


 一先ず、男に怪しい動きはない。もしなにかされても、わたしなら問題ないと考えて接近してみたが……どうやら神の毒(サマエル)とは無関係そうだ。そう判断し、わたしはビャクヤに頷いて見せる。


 それを見て、表情を和らげるリーダー。横のブルーに指示を出す。


「彼を背負ってくれるかい?」

「えぇ。それは構わないけれど……まさかビャクヤちゃん、彼を送って行くつもり?」

「ああ。怪我人をこんな場所に放っておくわけにもいかないだろう」


 目に見えて納得のいっていないブルー。先を急がなければという焦り、怪我人を見捨てられない優しさが葛藤しているのだろう。しかし特には異を唱えず、わたしの腕から男性を受け取ると、軽々とおぶってしまう。


 オカマの巨体に背負われた男性に声を掛けるビャクヤ。


「わたしたちが責任もって、あなたを安全な場所まで送り届けよう。家がどちらの方角か分かるかい?」

「ありがとう。おれの住む村はあっちだ。小一時間も歩けば着くはずだ」


 そう言って男が指を差したのは、木々の枯れた道が続く方角。神の毒(サマエル)の通った方向だった。


 視界の隅で、ビャクヤが目を細めるのが映る。しかし特に何か言うでもなく、彼女は「行こうか」と告げた。その言葉に従い、わたし、ヒヅキ、ブルーも男性の村へと足を踏み出す。


 その道中、男性にいくつかの質問をした。①なぜあんな所にいたのか? そして②その足はどうしたのか? といったことだ。


 それに対する男の回答は以下のようなものである。


 ①森の様子がおかしかったため、その調査に来ていた。

 ②調査の途中で転んでしまい、その際に尖った岩で切ってしまった。


 とのこと。特に変なところはない。森の木々が急に枯れれば気にはなるだろうし、森の中には足場の悪いところもある。転べば大怪我を負うことだってあるだろう。


 そう、変なところはない。唯一気になることと言えば、質問に答える男の声が少し震えているように感じたことくらいか。まあ気のせいかもしれないし、考えすぎかな?


 そうこうしているうちに、一つの村に辿り着いた。森の中にある小さな村だ。男性に言われるまま村の中へと足を踏み入れる。


 通りを進んでいくと、わたしたちに視線が集まる。ヒソヒソと囁き合う主婦たち。家の窓を「バン」と閉める村の人々。中にはこっそりとこちらの様子を窺う人たちも。総じてあまり好意的な視線ではない。どうやら歓迎はされていないようだ。


 部外者に厳しい慣習なのだろうか? それとも───


「ここだ」


 そうこうしているうちに、一軒の家の前に着いた。木造のなんてことはない、平凡な一軒家。男性に促されて扉を潜ると、温かい空間がわたしたちを迎え入れてくれる。ランプと暖炉に明るく照らされたリビング。中央にはテーブルが置かれ、椅子が四つ。部屋の奥には別の部屋に続くのであろう、木製の扉。そして正面のキッチンには、穏やかな雰囲気を纏った中年の女性の姿。料理中なのだろう。彼女の立つキッチンからは良い匂いが漂ってくる。


 彼女は急な来訪者に驚いた様子だったが、ブルーが背中から男性を下ろすと、飛び上がってこちらに駆け寄ってきた。


「あ、あなた! どうしたんです!? その怪我、大丈夫なんですか!?」

「少しこけてしまってね。けど大丈夫だ。見た目ほど深刻じゃない。それに、この人たちがここまで付き添ってくれたからな」


 奥さんに支えられながら、男性がわたしたちに感謝の眼差しを向ける。つられて視線を向けた女性。表情をはっとしたものに変えると、慌てて頭を下げる。


「主人が大変お世話になりました。ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」


 彼女の目からは涙が溢れそうになっている。ビャクヤは優しい微笑みを浮かべた。


「いえいえ。お気になさらず」

「…ん、当たり前のことをしただけ」


 ヒヅキも静かに頷く。そんな彼女たちの言葉に女性は、俯きながら肩を震わせる。


「それでは先を急ぎますので、わたしたちはこれで」


 頭を下げ、「では、お大事に」と背を向けるビャクヤ。それに倣ってわたしたちも家をあとにしようとすると、


「あ、ちょっと待って……!」



 男性が慌てた様子でわたしたちを呼び止める。振り返ったビャクヤがニコリと微笑む。


「どうかしましたか?」

「いや、なにかお礼をしたいと思ってだな……」

「お心遣い感謝します。ですが大丈夫ですよ」

「そ、そう言わず……せめて食事だけでも……な、なぁ! お前もそう思うだろう!?」


 しどろもどろで言い淀む男性が、隣に立つ奥さんに視線を向ける。驚いたように肩をびくりと震わせた女性。壊れた人形のようにコクコクと首を縦に動かす。


「は、はい! ちょうど食事を作っていたところなんです。スープにパン……お肉もあります」

「…肉?」


 ヒヅキが「肉」というワードに目を光らせる。


 わたしもそんな少女に呆れ返る反面、食事という言葉に少なからず心惹かれる。昨日から(ろく)なものを口にしていない身には、先程から漂ってくる甘い匂いはなかなか(こた)えるものがある。


 グゥーとわたしの腹の虫が鳴った。


「ねぇ、御馳走になってもいいんじゃないかな?」


 わたしの嘆願にも似た提案に苦笑するビャクヤ。固唾を飲む夫婦の様子を盗み見る。


「うーん……そうだねぇ……」

「待ってよ、ビャクヤちゃん。あたしたちには時間がないのよ? こんなところで油を売ってる暇はないわ」

「…ブルーの急ぎたい気持ちも分かる。けど時に休息も大事。突っ走り続けるだけじゃ、いずれ息切れする」


 ヒヅキ……なんかもっともらしいこと言ってるけど、ただ肉が食べたいだけなのがバレバレである。せめて口の端から垂れるよだれを止めなさい。


 わたしは天井を仰ぎ見る。しかし思いのほか、ビャクヤは赤髪の少女に賛成なようだ。


「ここまでずっと気を張り詰めてきたからね。ここらで一度、休憩を入れるのも悪くない」

「ちょ、ビャクヤちゃん───」

「君の言いたいことも分かるよ。だけど腹が減っては戦はできない。わたしたちの目的達成のためにも、休憩は大切だ」


 下唇を噛むブルー。しかしそれ以上は言い返さない。リーダーの意見ももっともだと、頭では理解しているのだろう。それを確認してから、夫婦に向き直るビャクヤ。


「ご迷惑じゃなければ、ぜひご馳走にならせていただきます」


 その返答に、夫婦はほっと胸を撫でおろす。しかしやはりブルーは納得いかないようだ。


「やってられないわ! あたしは外で待ってる!」


 そう言って出ていってしまう。


「あ、ブルー!」

「好きにさせてやれ」


 慌てて後を追おうとするが、そんなわたしの肩を掴むビャクヤ。わたしは後ろ髪を引かれながらも、渋々引き下がる。


 それから数分後、テーブルを囲んだわたしたちの前には豪勢な食事が並んでいた。鹿肉のロースト、山菜の素揚げ、パン。まだ出てきてないが、台所では奥さんがスープの準備もしている様子で、食卓まで良い匂いが漂ってきている。


「いただきます」と手を合わせるビャクヤとヒヅキ。わたしもそれに倣って手を合わせると共に、鹿肉を口に運ぶ。しかしブルーのことが気がかりで、あまり味がしない。


 2,3口食べた後、わたしはバスケットのパンを2つ掴んで席を立つ。


「ちょっとブルーの様子を見てくる」


 家の外に出ると、すぐ横に巨漢のオカマが腕を組んで壁にもたれかかっていた。ブルーはわたしに気が付くと薄目を開ける。


「もう休憩は終わった?」

「いや、まだだけど……これ」


 わたしはおずおずと手に持ったパンを差し出す。そのパンをじっと凝視するブルー。


「やっぱりなにも食べないのは良くないと思って。だからこれ、ブルーの分……余計なお世話だったかな?」

「ううん。そんなことないわ。ありがとう」


 首を横に振り、小さく微笑むブルー。なんだか久しぶりに見る、彼女の笑みだった。


「優しいのね……あたしの娘も、カエデちゃんみたいに優しい子だったわ」


 パンを齧りながら、ブルーがぽつりと零す。彼女は酷く遠い目をしていた。わたしは思わず聞き返してしまう。


「娘さんはサマエルに……?」

「……そうとも言えるし、違うとも言える。前に話したわね。あの子を殺したのは、あたしなの」


 たしかサマエルの毒に苦しんで死を待つだけだった娘を、楽にしてあげるために自ら愛娘を手にかけたんだったか?


 わたしは毅然と、首を横に振る。


「違う。そんなのサマエルが殺したも同然だよ! ブルーは悪くない。だって娘を苦しみから救ってあげるためなんだから……もしわたしがブルーの立場でも、同じ選択をするよ」

「ありがとう……でも、悪いとか悪くないとか、間違ってるとか正しいとか、そういう問題じゃないの。あの子の心臓を刺した感触が、いまも手に残ってる。あの子の最期の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。あの子を失った悲しみ、後悔。それらが棘になって、あたしの心に深く、深く突き刺さってる…………そんな苦しみを誤魔化すために、サマエルを憎んで、恨んで、憎悪して……あの子が死んでからの時間すべてを、復讐のために費やして、でもサマエルを殺すことはできなくて、そんな自分の無力さが嫌になって……でもいまさら立ち止まることもできなくて……」


 初めて、ブルーの心の一端に触れた気がした。想像するしかない。だけど、それだけで分かる。彼女の深い、深い絶望が。


 愛娘を手にかけ、仇を憎み、憎み、憎み、それだけを糧に10年以上も過ごすのがどれだけ辛かったか、苦しかったか。これまで見てきた彼女の笑顔の下に、どれほどの憎悪の炎が燃えていたのか。その炎がどれだけ彼女の身を焼いたか。それらを(おもんばか)り、わたしはとてもやるせない気持ちになった。なんて声を掛けたらいいだろうか。浅い慰めの言葉など、彼の心には響かない。


 わたしがどう声を掛けたもんかと悩んでいると、ブルーは小さく笑った。こちらに顔を少し傾ける。


「ごめんなさいね。せっかくパンを持ってきてくれたのに、こんな湿っぽい話をして」


 わたしの頭を優しく撫でるブルー。その大きな手の温かさに、なんだか泣きそうになってしまう。ブルーの愛情の籠った瞳。わたしと死んだ愛娘を重なているのか……


「ううn───」

 ガシャ───ン!


「ううん、そんなことない。ブルーのことを知れて良かった」と言おうとしたのだが、わたしの言葉は家の中から響いた食器の割れる音に遮られた。


 何事!?


 慌てて2人で家に飛び込むと、目に飛び込むのはひっくり返った食卓。そして男の首を掴み、女性とは思えない腕力で持ち上げるビャクヤの姿。


 わたしはそばのヒヅキに尋ねる。


「な、なにこの状況? なにがあったの?」

「…スープに毒が盛られてるって、ビャクヤが」


 ドク……? どく……


「毒!?」


 ど、どういうこと!?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ