㉟久しぶりの酒場! 大道芸を披露しよう!
「「「おおおお!」」」
とある酒場の一角。芸を披露し終えたわたしは、周囲の観衆に優雅な一礼をする。周囲からは「ヒューヒュー」という口笛や、「ブラボー!」という歓声がひっきりなしに飛んでくる。そんな周囲の様子にわたしはニンマリ。
皿回しを披露したのだが、ウケは上々。両手、片足、顎、額による五点皿回しという、なかなかの離れ業を披露したのが良かったのだろう。
……まあ、大道芸スキルを回転スキルで補助するっていう、若干のズルはしているけど。まあ言わなきゃバレないバレない。
そんなこんなで久しぶりの大道芸を終えたわたしは、ルンルン気分のまま奥のカウンター席に腰を下ろす。すると目の前に、オレンジジュースが置かれた。顔を上げると、そこには茶髪のイカツイおばちゃんの姿。この酒場の店主だ。
オレンジジュースを見て、わたしは肩を竦める。
「おばちゃん、わたし頼んでないですよ」
「サービスさ。あんたが毎日のように芸を披露しに来てくれるおかげで、うちは繁盛しているみたいなもんだからね。遠慮なく受け取ってくれ」
そう言ってウインクをするイカしたおばちゃん。「じゃあお言葉に甘えて」と頭を下げると、わたしはコップに口を付ける。とたん口一杯に広がる、芳醇で甘酸っぱいオレンジの香り。うん、すごく美味しい。
「しかし今日は久しぶりだね。ここ一週間くらい、なにか用事でもあったのかい?」
「あ~、それはまあ……レギオンの方にちょっとした用事があって、遠出してたんですよ」
わたしはサタンやミトス教との闘い、囚われの子供たちを思い出しながら、苦笑いと共に答える。実際はちょっとした用事どころか、世界の命運を左右するかもしれない戦いだったのだが……まあそれは言っても仕方あるまい。
一方、わたしの返答に目を丸くするおばちゃん店主。
「レギオンって、あのレギオンかい!? 火山が噴火して消し飛んだっていう!?」
火山噴火……そう言えば、世間的にはそうなってるんだっけ。ガブリエルっていうお偉いさんの能力で、人々の記憶を改ざんしたとかなんとか……
「まあ、そうですね。たまたま現場に居合わせて、人助けをしてたというか、なんと言いますか」
「はぁ~、それは災難だったね。でも人助けってのは素晴らしいじゃないかい。友人がそんな歴史的大事件の中で活躍してたってのは、わたしも鼻が高いよ」
「えへへ、それほどでも……」
ポリポリと頬を掻くわたし。その目の前に、「ドン」と山盛りのポテトフライが置かれる。驚いておばちゃんの顔を見ると、彼女は再びウインク。
「これもサービスさ。これからもウチを贔屓にしておくれよ」
「おばちゃーん! ありがとうございますー!」
わたしは大好物のフライドポテトを口一杯に頬張る。外はカリッと、中はホクホク。たまに味変として、卓上の壺に入ったマスタードを付けて食べると……もう、サイッコーに美味しい!
そうしてフライドポテトに舌鼓を打っていると、わたしの横に一人の男性が立った。横目で見ると、一目で高価だと分かる黒のスーツを身に纏い、シルクハットを被った老紳士の姿。口元に湛えられた優しそうな微笑みと高い鼻からは、理知的な雰囲気を感じる。手には杖を持ち、両目には縦に大きな傷。どうやら盲目らしい。
その老紳士はシルクハットを取ってわたしに深々と一礼。
「お嬢さん、隣のお席、よろしいでしょうか?」
「もぐもぐ……ごくん。はい、いいですよ」
「感謝します」
ニコリと微笑み、気品すら感じさせる所作でカウンターに腰を下ろす老紳士。店主に注文をする。
「マスター、ビールを一杯お願いします」
「あいよ、少々お待ち」
ビールを取りに行くおばちゃん。わたしは老紳士を横目に見ながら、内心で首を傾げる。
けっこう長いことこの店に通ってるけど、見ない顔だな。こんな目立つ人、一目見れば忘れないはずだし……それにこんな小汚い店には、なんだか場違いな人だよね。
そうしてわたしが観察していると、老紳士がわたしの方を向いた。
「初めまして、お嬢さん。わたしはヴェネヌム・デイと申します。貴方の演芸、拝見しましたが、実に見事。長いこと生きていますが、いままで見た演芸の中でも一、二を争う、素晴らしい出来でした。お恥ずかしながらこの老骨、久しく感動で胸が打ち震えましたよ」
おおお、大絶賛! まさかここまでわたしをべた褒めしてくれる人がいるとは。これ以上ない幸せである。
わたしは鼻高々になりながら、胸を大きく張る。
「いやぁー、そこまで絶賛して頂けるなんて。ありがとうございます。良かったら、いまからもう一つ芸をお見せしましょうか?」
「はっはっは! それは嬉しい申し出です。ですが申し訳ない。実はこのあと外せない用事がありまして。あまり時間がないのですよ。ですので、その演芸を見せていただくのはまたの機会に取って置かせてください」
「用事があるんですか。じゃあ仕方ないですね。わたし、毎日この時間にここで芸を披露しているんです。なので機会があればぜひ、また見に来てください!」
「はい、機会があればぜひ、拝見しましょう」
微笑みと共に頷くヴェネヌム。第一印象の通り、すごくいい人である。
礼儀正しいし、優しいし、なによりわたしの芸を大絶賛してくれる。これは腕が鳴るというもの。老紳士はどう見てもいいとこの出だ。この調子で芸を披露し、彼を喜ばせ続けられれば、パトロンになってくれたり……グヘヘ。
わたしがそんなゲスい思考を巡らせていると、店主がビールの入ったジョッキと共に戻ってきた。
「あいよ、ビール一丁お待ち!」
「ありがとうございます、マスター」
ジョッキを受け取る老紳士。彼はそのビールをわたしの前に置く。
「演芸のお嬢さん、こちらをどうぞ。見事な演芸を見せていただいた、ほんのお礼です」
「え、えぇ!? いいですよ、お礼なんて! お礼ならVPって形でもう貰ってるようなもんだし……それにわたし……」
未成年だからビールは飲めないんですと続けようとするが、ヴェネヌムがわたしの言葉を遮る。
「いえ、ぜひお受け取り下さい。実はわたし、先日のレギオンの火山噴火で兄を失ったんです」
「それは……ご愁傷様です」
なんて答えていいか分からず、ありきたりな返答をする。
というか急にどうした? 兄を失ったことと、わたしにお礼をすることの繋がりがいまいち見えない。
「妻を失った矢先の出来事でした。わたしは妻と兄を一挙に失ったのです。そんな絶望の中、あなたと出会いました。あなたの演芸を見て、わたしの心は打ち震えた。生きる活力を取り戻すことができた。だからあなたにお礼がしたいのです。どうか受け取っていただけませんか?」
わたしは差し出されたジョッキと老紳士の顔を交互に見る。
妻と兄を失った絶望の中、わたしの芸が生きるための光になった。そんな話を聞かされては、目の前のビールを無下にするのも気が引けてしまう。うん、仕方ない。
しばしの逡巡の後、わたしはジョッキを受け取る。
「分かりました。そういうことなら、頂こうと思います」
「それは良かった。さて、お礼もできたことですし、わたしはこの辺で」
ニコリと微笑むヴェネヌム。帽子と杖を手に取ると、席を立つ。
「はい、またいつでもいらして下さい……あ、目が不自由なんですよね。お店の前までですけど、付き添いますよ」
「お気遣いありがとうございます。ですが大丈夫ですよ。この目とも長い付き合いですから」
「そうですか? じゃあ、お気を付けて下さいね」
「ありがとうございます。では、さようなら。演芸のお嬢さん」
そうして老紳士はお店をあとにする。彼が出ていったのを確認して、わたしは大きく息を吐いた。
さてこのお酒、どうしたものか。老紳士の手前、受け取ってしまったが、わたしは仮にも高校生。アルコールには抵抗感がある。かと言って捨てるのも申し訳ないし……
そうして目の前のジョッキとにらめっこしていると、わたしはふと違和感を覚えた。
あれ……ヴェネヌムさんって目が見えないはずだよね? なのにどうしてわたしの大道芸を見ることができたんだろう?
盲目の老紳士がわたしの大道芸を見ることはできないはず。いや、本当は目が見えている? でもそんな嘘を吐く必要もないはずだが……
そうしてわたしが考え込んでいると、一人の酔っ払い男性が絡んできた。
「どうした、嬢ちゃん。その酒、飲まないのか?」
どうやらわたしが一向にビールに手を付けないのを見て、たかりに来たらしい。鼻を刺すアルコールの臭いに顔をしかめながら、わたしは頷いた。
「はい、まあちょっと……」
「ふーん。そういうことならおれが飲んでやるよ」
「え? あ、ちょっと」
静止する間もなくジョッキをかすめ取り、煽る男性。それを見て、わたしは肩を竦めた。
まあいいか。どうせ飲まなかっただろうし。それなら酒好きの人にあげる方が、よっぽど有意義だろう。
ガシャン───
突然、男性の手からジョッキが滑り落ち、床に転がった。白目を剥き、苦しみ始める男。
「が、があぁぁぁぁ!」
床に転がり、首を掻きむしる。彼の肌には紫の斑点がつぎつぎと現れ、広がっていく。
これは……毒? もしかしてあのお酒に!?
わたしが驚愕に目を見開いていると、おばちゃんの怒号が響いた。
「落ち着きな! この中に医者はいるかい!? いないならだれか呼んできな!」
従業員に指示を出し、自分は痙攣する男性のもとに向かう。そんな彼女の口の端からは赤い液体が流れていた。それに気が付いたわたしは、震える唇で声を絞り出す。
「おばちゃん、それ……」
「うん? ……なんだい、これは……」
口元に触れ、自分の手に付いたそれに気が付いた彼女が、怪訝な表情を浮かべる。その次の瞬間だった。
「がふっ!?」
店主が盛大に血を吐き、倒れ込んだ。いや、彼女だけじゃない。
「うぐっ!?」
「あが……」
「な、にが……」
店にいた客、従業員。わたし以外の全員が血を吐き、つぎつぎと倒れ込んでいく。
い、いったい何が……
わたしはただ呆然とその光景を見つめることしかできない。その時だ。
カランカランと客の来訪を告げるベルが鳴り響き、勢いよく店のドアが開いた。そちらに視線を向けると、そこには息を荒げたヒヅキの姿。店の惨状に小さく目を見開く赤髪の少女。しかしすぐに座り込むわたしの方へと視線を向けると、切羽詰まった様子で叫ぶのだった。
「…ライトとモモが襲われた!」




