㉛悪魔の笑い 我らがリーダーの実力!
「遅くなってしまってすまないね。カエデ。よく時間を稼いでくれた」
わたしを守るように立ち塞がるビャクヤ。予想だにしない援軍に、自身の目頭が熱くなるのが分かる。そんなわたしににこりと笑いかけるビャクヤ。周囲を見回し、「ふむ」と顎を擦る。
「民間人の避難は完了。人質は……まだ近いか。もう少し時間を稼ぐ必要があるね。ヒヅキたちもやられちゃったし……カエデ!」
「ふぇ!? はい!」
「モモが回復しつつある。彼を介抱して、みんなの治療の補助を」
びくりと肩を震わせるわたしに指示を出すビャクヤ。その頭上に突如、獣のごとく襲い掛かる黒い影が差す。それに気が付き、わたしの喉から悲鳴が上がった。
「ビャクヤ!」
「おっと」
ズドォォォォンッッ
なにが起こったのか理解できなかった。気が付くと目の前に、床に叩きつけられたヴォルフの姿があった。呆然とするわたしにリーダーは優しく微笑みかける。
「任せたよ、カエデ」
その笑顔に自然と身体が動いた。わたしは大きく頷くと、いまだに倒れているモモのもとへ駆け寄る。遠目ではよく分からなかったが、どうやらかなりの重症。しかし、傷がみるみるうちに治っていっている。病の王の力だと瞬時に理解。
「モモ! 大丈夫!?」
「……カエデさん……そっか、ビャクヤさんが……来てくれたんだね。なにか指示は……あった?」
わたしが呼びかけると薄目を開け、苦しそうに息をするモモ。
「あなたを介抱して、みんなを治療するようにって」
「そっか……ぼく自身の治療にはもう少し……時間がかかる。だからカエデさん……ぼくをみんなのところに……」
息も絶え絶えに言葉を紡ぐモモ。彼を動かしていいいものかと逡巡するが、少年の瞳に宿る炎を見てわたしはすぐに決断した。
モモを背負い、まずは一番近いヒヅキのもとへ。ヒヅキの身体を桃色の光が包むのを横目に、さきほどから響いている轟音が気になってビャクヤとヴォルフの方へ視線を向ける。
するとそこには、
「はっ!」
「がはぁ!?」
男の強烈なタックルをいなし、背負い投げをするビャクヤの姿。わたしたちが手も足も出なかった相手に傷一つないどころか、涼しい表情でヴォルフを見下ろしている。
しかし男もただやられていたわけじゃないらしい。にやりと笑いながら立ち上がると、「ブチブチブチッ!」と自身のローブを縦に引き裂き、脱ぎ捨てた。日に焼けた筋骨隆々の肉体が露わになる。そしてその背には、赤い龍の翼が。
「おれのタックルに合わせて懐に潜り込み、袖や襟を掴んで投げていたんだろ? おれの突進の勢いをも利用してな。だがこうすりゃ、もうその戦法は通じねぇ。ははぁっ! どうだぁ!?」
なるほど。ビャクヤは柔道の要領で大男を投げていたのか。しかも体格差を埋めるために相手の勢いをも利用する戦い方。見事と言うほかない。だがそれがバレては、あの男にはもう通じないだろう。しかし、冷静さを欠くことなく笑うビャクヤ。
「ふむ、この短時間でよく対処法まで見出したね。素晴らしい」
「ははぁ! いつまで余裕ぶってるつもり……だぁ!?」
再びビャクヤに襲い掛かるヴォルフ。ゴウッと唸る手刀が首を襲うが、それはまるでビャクヤを避けるかのように空を切る。
狙いがズレた? いや、違う。これは……まるで手刀自身が避けたかに見えるほど、ビャクヤが必要最小限、しかも自然な動作で攻撃を躱したのだ。
ハズれたと見るや否や、すぐさま二の拳、三の拳を繰り出すヴォルフ。無数の拳がビャクヤを襲うが、そのどれも命中するどころか、掠りもしない。ゆらゆらと揺れるように流麗な、しかし最小限の動作でビャクヤは拳を躱していく。
さらには残像を残す拳のあいだを縫って、敵の顎に掌底まで叩き込む。「がっ!」と呻きながら、後ろによろめくヴォルフ。ニヤリと楽しそうな笑みを浮かべる。
「やるじゃねぇか、女ぁ。こんなに闘えるやつは久方ぶりだぜぇ」
「お褒めにあずかり光栄だね」
ニコリと爽やかな笑みを返すビャクヤ。ゆったりとした動作とともに、ヴォルフに歩み寄る。
「さて、お互いの力量が分かったところで、少し話をしようか」
「話だぁ? んなもん拳で語り合えれば十分だろ」
「まあまあ。そう慌てないでよ」
黒衣の女はヴォルフの眼前に立つと、男の背にある赤い龍の羽を見つめる。
「古い伝承に書かれていたことだ。遥か昔、一匹の龍が一夜にして五つの国を滅ぼした。龍はもともと人間であり、その背には赤い龍の羽が生えていたという……君のその羽、伝承に聞くものとそっくりだね?」
「ははぁ……そうだなぁ。まさかそんな伝説として語り継がれていたとは。おれも知らなかったぜ」
「やっぱりそうか……人智を超えた龍の力、筋力、スピード、知覚能力を得られるナイトメアスキル。君は憤怒の王だね」
「当たりだぁ」
笑顔……いや、笑顔というにはあまりにもおぞましい、顔を大きく歪めた笑みを見せるヴォルフ。衝撃の事実にわたしは目を見開く。
まさか七大罪だとは……
と言ってもあまり衝撃はない。あの強さを見せつけられたあとだったからか。七大罪の一人と分かっても、「そうだったのか……」と思うくらいである。よく考えればあいつもわたしと同じでハゲだしね。
「…あいつがサタン……」
背後を振り返ると、赤髪の少女が起き上がっていた。わたしは目を輝かせる。
「ヒヅキ! 目を覚ましたのね!」
「…ん。まだ万全とは言えないけど」
そう言いながら周囲を見回すヒヅキ。すぐさま蜘蛛糸を伸ばしてブルーとライトを回収する。桃色のオーラに包まれる二人を見て、瞬時に状況を把握したヒヅキの洞察力に感服するわたし。
そうこうしているうちにもビャクヤとヴォルフの会話は続く。
「いい加減もういいかぁ? 時間稼ぎに付き合うのもそろそろ飽きてきたぜ」
「まあそう言わず。もう少し付き合ってよ。ここからが本題だからさ」
面倒くさそうにしながらも、鼻を鳴らして話の続きを促すヴォルフ。
「まあいい。さっさと続けろ」
「ありがとう。じゃあまず、麻薬の栽培やミトス教について。実行者は教皇だね。けれども裏で糸を引いていたのは君だ。違うかい?」
「ああ、そうだ。よく分かったな」
「まあね。あの教皇には、こんな手の込んだことをできるだけの力はないように見えたから。その一方で君は、前面に押し出した狂気の奥に理性が垣間見える。言うなれば狂気と理性の化け物。一連の計画は君が立案したという答えを導くのは至極当然」
「ほんで? そんなことを確認したかったのか?」
「いやいや、これは単なる確認だよ」
首を横に振ったビャクヤの目が鋭く光る。
「そんな理性ある君がなぜ麻薬栽培といったことに手を染めたか。それに至った価値観や経験、引いてはどのようにして憤怒の王を手にするに至ったか。本題はそれだよ」
「ははぁ。そんなこと知ってどうするってんだ?」
「さあね。重要な手がかりになるかもしれないし、大して役に立たないかもしれない。とりあえず話してみてよ」
ズイッと顔を近づけて凄むヴォルフ。ビャクヤはそれをのらりくらりと躱す。するとサタンはニヤリと笑い、ビャクヤの言うことを了承した。
「いいぜ。つまらねぇ話だがぁ、聞かせてやるよ。おれが生まれたのは数百年前、とある貧しい寒村だった。いまと違って人の善意なんかクソくらえ。富を求め、人と人が血で血を洗う争いをした時代。おれたち弱者は、ただ搾取されるだけの世界だった。当然、領主はおれたちに重い年貢を課す。その日の飯もやっとやっとの中で、領主はおれたちが育てた麦で贅沢三昧。一方で一人、また一人と飢えで倒れていく村人。そんな中、確かおれが二十八の頃だったか? 領主の蛮行に耐え切れず、おれは反乱を企てた。密かに同士を募り、着々と準備を整えていく。だがその中に裏切り者がいたんだ。そいつは領主に反乱の計画を告げ口し、おれたちを売った。結果、反乱計画は頓挫。おれたち反乱を企てた者は、見せしめもかねて一族郎党含め、全員打ち首。だがおれたちは、見せしめになるくらいなら自ら命を絶った方がマシだと考えた。ほんで獄中、みんな揃って首をくくったんだ。だが……なぜかおれだけ生き残っちまった。冷たく動かなくなった同士を見て呆然としたね。もう一度死のうかとも思った。だが……」
拳をガッ! と握るヴォルフ。凶悪な笑みを見せる。
「だがおれはこの力を手に入れた。すべてを灰燼と化す破壊の力だ。おれはこの力を使っておれたちを売った裏切り者を殺し、領主を殺し、そして領主の行いを是とした国をもぶち壊してやった! 爽快だったぜ。ははぁっ! 最高だぜ? 泣きわめき、命乞いをする弱者どもの顔はよぉ! そして気づいちまったんだ。自分より弱いものをいたぶる気持ちよさによ。それからおれは武力、権力、大量のVPを手に入れることを目標にした。強者となり、弱者どもをいたぶるためになぁ! そしていまやおれは最強だ。なら虐げられてきた分、思うがままに他のやつらを蹂躙したって構わねぇよなぁ!?」
悪魔のような醜い表情で笑うヴォルフ。ビャクヤはニコリと微笑み返す。
「なるほどね。その是非はともかく、君の生い立ちはよく理解できたよ」
「これで満足かぁ?」
「そうだね。欲しかった情報は得られた。感謝するよ」
「ははぁっ! そらぁ良かったな! せいぜい冥土の土産にでもするんだなぁ!」
そう叫ぶと共に、ヴォルフの身体を赤い鱗が覆っていく。全身が龍鱗で覆われた人間。龍人とも言うべき存在へと変貌。そして次の瞬間、
ボンッ!
奇妙な音と共にサタンの姿が消え、直後、石の床が弾けたようにひび割れた。ビャクヤの眼前に出現したヴォルフ。その拳が亜音速で繰り出される。
明らかに先ほどまでのパワー、スピードとは別次元。ヴォルフも全力ということか。
しかし、それでもゆらりと揺れるように、半身になって拳を避ける黒衣の女。超高速で繰り出される連撃を右に左に、華麗に避けていく。
それを見て「あわわわわ」と口に手をやるわたし。その一方で背後からは暢気なお喋りが聞こえてくる。
「う~ん、さすがはビャクヤちゃんね~」
「うんうん。我らがリーダーは頼りになるねー」
振り返るといつの間にかブルーとライトが立っていた。二人の言葉にヒヅキとモモも頷いている。わたしはそんな彼らとビャクヤの間で忙しなく視線を動かす。
「え? え? 回復したならビャクヤの援護に向かわないの!?」
「大丈夫よぉ。ビャクヤちゃんならわたしたちが復活したことは分かるし、そのうえで指示がないなら待機ってこと」
そ、そういうもん?
どこか納得いかないわたしに反して、ビャクヤは掠っただけでも致命傷になるであろう無数の拳をなんなく捌いていく。しかも避けるだけじゃなく、繰り出されたヴォルフの拳に手を軽く添え、逸らすという神業までしているではないか。
視認することすらほぼ不可能。残像を発生させるほどの連撃だ。避けるだけでも異常なのに、まさか軽々と捌くとは。これには流石に度肝を抜かれる。
「な、なんであれを避けられるの?」
「…予知の王の力」
「え? ラプラス?」
首を傾げるわたしにヒヅキが解説をしてくれる。
「…予知の王は未来を予知するナイトメアスキル。おまけにビャクヤはもともと世界有数の武道家。どれだけ速かろうと、未来の見えるビャクヤに攻撃を当てるのはほぼ不可能」
そう話しているあいだに、繰り出された拳を掴んだビャクヤ。軽く手を捻ると、
ボキッ
「ぐはっ!?」
ヴォルフの腕から嫌な音が鳴る。うん、ありゃ折れたね。
「けどさ、未来が見えただけで敵の腕を折ったり、掠ったら死ぬ拳を捌くなんて芸当できる?」
「…ん。ただ未来が見えるだけだと難しい。だけど予知の王はただ映像として未来を見る能力じゃない。その真価は世界を粒子レベルで知覚し、それがどのように動くか瞬時に計算する力。未来の状態を見て、自身がどう動けばどのような結果になるかがビャクヤには分かる。だからどこにどう力をかければ安全に拳を逸らせるか、相手の腕が折れるかも分かるし、ああいうことも可能」
ヒヅキに言われて視線をビャクヤに戻すと、大きく体勢を崩したヴォルフの胸に、半身になって拳を当てるビャクヤの姿。そして次の瞬間、
「ふんっ!」
バキバキバキバキッ!
ビャクヤの前足の床が放射状に砕け、凄まじい衝撃がヴォルフの身体を突き抜ける。吹き飛び、仰向けに倒れるサタン。「ゴプッ……」と口から血を吐きながら、爬虫類の目がビャクヤを見上げる。
「な……ぜ……龍鱗の防……御が……」
「なに。簡単なことだ。確かに君の鱗は硬い。しかし硬いものとは衝撃を吸収する能力は低いもの。ならばどの部位にいつ、どのように、どんな力を加えれば衝撃を身体の内に伝えられるか。それさえ分かれば君の装甲は紙に等しくなる」
まじかよ……
それもスキルで計算して導き出したわけだ。未来が見えるため攻撃は当たらず、対してビャクヤはどこを攻撃すれば的確にダメージを与えられるかが分かる。いくらビャクヤ自身の卓越した技量があってこそ実現可能とは言え、あまりにもチートすぎないだろうか?
「ビャクヤ、強すぎない?」
「…ん。ビャクヤは近接戦闘において最強」
わたしの呟きをヒヅキが肯定する。そんなわたしたちの前で、ヴォルフにツカツカと歩み寄るビャクヤ。
「さきほど君は弱者をいたぶるのが好きだと言ったね? 力があるから、今度は自分が弱者を虐げる番だとも…………」
よろよろと起き上がり、片膝立ちになるサタン。その前に立った黒衣の女は拳を大きく振り上げる。とどめを刺す気だ。
「さて、いま目の前にいるわたしは君より強者なわけだが……久しぶりに味わった弱者の気分はどうだったかな?」
「ははぁっ……クソみたいな気分だ」
「そうかい。それは良かった」
次の瞬間、ビャクヤの拳がサタンの顔面に振り下ろされた。




