⑬覗きは犯罪です 乙女の攻防
三階建ての木造の宿屋。その屋根からわたしは蜘蛛の糸を伝って、壁をそろりそろりと下っていく。横にはわたしと同じようにして壁を降りるヒヅキの姿。
蜘蛛の糸は彼女が用意してくれたものだ。屋根の一部に貼りつけ、わたしたちの体重を支えてくれている。
そうしてゆっくり降下したわたしとヒヅキは、とある一室の窓を挟んで静止する。木枠で両開きの、簡素な窓だ。目標地点に到着し、わたしは素早く周囲に視線を走らせる。
目の前の通りには不自然なほど人影がなく、その点は一安心だ。そもそも周囲は真っ暗だから、誰かがわたしたちに気が付くことはそうそうないだろうけどさ。しかし、そうは言っても油断は大敵。安易な行動は慎むべきだ。だからわたしたちは声をできるだけ潜めて状況を確認し合う。
(この部屋にライトがいるの?)
(…ん。間違いない。気配がする)
(よし、じゃあ覗こうか)
(…なんで?)
(覗かないと二人の様子が見えないでしょうが!)
(…む、それもそう)
(やれやれ……じゃあ、せーので覗くよ? バレないようにこっそりだよ?)
(…カエデ、安心して。わたしより隠密行動に長けた人間はそういない)
(なんか嘘くさい……)
わたしは胡散臭い目をヒヅキに向けるが、彼女はそれに無言で親指を立てるだけ。まあそれはこの際どうでもいいか。
視線を正面に戻し、わたしは大きく深呼吸をする。
なんだかドキドキしてきた。なんだろう。修学旅行でこっそり友達と宿を抜け出したときのような、独特の高揚感と臨場感を感じる。心臓が早鐘を打ち、緊張で手が震えている。
もう一度大きく息を吐いたあと、わたしはカウントダウンのために三本の指を立てた。カウントダウンとともに指を折り曲げていく。
3……2……1……
せーのっ!
ヒヅキと共に窓の中を覗き込んだ。中は六畳ほどのワンルームのようだが……真っ暗でほとんどなにも見えない。辛うじてソファーやタンス、ベッドらしきものの影が闇に浮かび上がる程度。
わたしは暗闇に目を凝らした。するとベッドの上でなにかが動いているのが分かった。さらに鼻先が窓に引っ付くほど顔を近づけ、部屋の中を凝視する。
くそっ! もっと! もっと見せてくれ! 男女の熱い夜をこの目に焼き付けるまで帰れないんだぁ! あとちょっと……もうちょっとで見えそうなのに……
(…カエデ、興奮しすぎ)
ヒヅキに脇腹を小突かれて我に返る。夢中になりすぎて思わず身を乗り出し過ぎていたようだ。これでは部屋の中からも丸見えである。
慌てて顔を引っ込め、ライトたちに気が付かれていないかをヒヅキに目で確認する。目で彼女が頷くのを見て、わたしはほっと胸を撫でおろした。どうやら気が付かれてはいないようである。
しかしどうしようか。部屋が暗すぎてなにをしているのかよく分からない。……いや、べつに見たいわけじゃないんだよ? ただビャクヤに報告するなら、詳しい様子も知っておいた方がいいと思うだけでさ? 決してわたしがエッチなことに興味があるんじゃなくて……
頭の中、自分に自分で言い訳をしながらわたしは血眼になって使えそうなスキルを探していた。スマホの画面を死に物狂いでスクロールしていく。そして……
見つけた。
スキル 暗視:200000VP
これがあれば部屋の中を見ることができるだろう。
しかしわたしは躊躇する。なぜならついこの前、ちょとした思い付きから新しいスキルを二つ取得したばかり。あまりVPに余裕がないのだ。
スキルを取るかどうかわかたしが悩んでいると、部屋の中をじっと見つめるヒヅキに気が付いた。そんな彼女に小声で尋ねる。
(ヒヅキは部屋の中が見えるの?)
(…ん。見える。我、蜘蛛ぞ? これくらいお茶の子さいさい)
むう……ヒヅキが羨まし……コホンコホン。なんでもない。べつに見えなくてもなんとも思わないもんね!
……けど、やっぱりちょっと気になるから聞いてみることにする。
(二人の様子はどう?)
(…ベッドで一緒に寝てる)
(他は?)
(…いま接吻した)
接吻って……き、キスゥ!? いきなりキスなんて、そんな破廉恥な!? み、見てみたい! 是非とも拝見したい! あぁぁぁぁ! け、けど我慢よカエデ! VPは節約しなきゃなんだから!
一人で葛藤するわたしの様子を見て、不思議そうな眼差しを向けるヒヅキ。首を傾げながらも、実況を続ける。
(…接吻しながら手を絡め合ってる……今度はお互いの身体に手を回し合って抱き合った……つぎは……)
ポチポチポチッ
そこでわたしの理性は吹き飛んだ。手が勝手に動き、気が付いた時にはわたしは暗視のスキルを取得してしまっていた。ついでになぜか『気配遮断』とかいうスキルも。
……だって仕方ないじゃん。ヒヅキの実況だけじゃ物足りなくて、実際に自分の目で見たくなっちゃったんだもん。
というわけでわたしは早速、ウッキウキで暗視スキルを使って部屋の中を覗き込む。するとどうだろう。先ほどまで黒い影だったソファーやクローゼットが真昼のときのようにはっきりと見えるではないか。それだけじゃない。床や天井の木目、模様までくっきりと認識できる。そしてもちろん、ベッドの上で重なる二人の姿も。
おお! これが男女の営み!
お互いの腰に腕を回し、まさぐるように手を動かしている。さらに妖艶な笑みが湛えられたキュラの口からは熱い吐息が漏れ、潤んだ瞳がライトを見つめる。ライトの手がキュラの腰をなぞり、彼女がくすぐったそうに目を細めた。それが終わると今度はキュラがチロリと舌を出し、お返しと言わんばかりにライトの耳を舐める。驚いたようにライトの手がびくりと震えた。そんなライトの様子に悪戯っぽくキュラの目が光り、耳から頬、顎へとキュラの舌が移動していく。
あ、あぁ……なんて煽情的! 興奮しすぎて鼻血が噴き出しそう。うわ、今度は首を舐めてる! エッロ! あぁ、次は大きく開いたキュラの口から二本の牙が輝いて……
……え? 牙?
わたしが首を傾げた次の瞬間、キュラがライトの首筋に噛みついた。彼女の目はまるで爬虫類のように変化し、黄金色に輝いている。艶かしく上気した頬が妖しく動く。そのままコクコクと喉を鳴らすキュラ。しかし次の瞬間、目を見開いた彼女はライトを突き飛ばし、喉を抑えながらげぇげぇと口から赤い液体を吐き出した。
血だ。
白いベッドがみるみるうちに赤く染まっていく。
「…ビンゴ」
「え?」
なにが起きたのか理解できずに困惑するわたしの横でヒヅキが呟くとともに、窓を突き破って部屋に突入する。パリーンと子気味のいい音と共に割れた窓ガラスが破片となって宙を舞うのを見つめながら、わたしはただ間抜けにポカンと口を開けていた。




