ニコメディアの宴
アシア属州から、隣国ビティニアに特使としてむかうことになったカエサルは、
時間が少ないなかで、隣国ビティニアを動かすことができるだろうか?
たるんだ頬に、皺が深く刻まれた目尻をさらに細くしながらその男は、痩身の若者の優雅な態度、挨拶を見つめていた。
涼やかな所作、申し分のない動きは無骨な新興国家ローマを想起させなかった。
無用なことを考えていた、と思い、王は少しだけ眼を閉じて、心を落ち着かせる。
齢50歳を超え、一度は玉座を追われ逃げ出しながらローマの支援によって返り咲いた苦労人こそニコメデスⅣ世であった。その王はゆっくりと挨拶をする。
「ローマの属州総督よりの使者としてよくぞ参られた。ぜひミヌチウス総督の手紙を見せてくれ。ローマの若武者よ。」
ローマでは、特に貴族においては10代そして20代前半まではアドレシェンスとして少年ではないが、大人になり切れていない若者を指していたが、ビティニアや東方の多くの国家においては19歳は大人扱いをされる年だった。
王はその両方に配慮を示した若武者という言い方をした。
頭を下げていたカエサルは、実年齢より一回りは年を重ねているように見える王に自分の名前を名乗り手紙を出したかった。しかし王の前に来る際に役人から、ビティニアでは王の声が絶対であるので、使者様もご自身の話を控えるように、と釘をさされたために我慢して、より深く頭をさげた。
「こちらにローマ総督ミヌチウスからの手紙をお渡いたします。」と役人が言い、カエサルが役人に渡した手紙を王に渡すため、黄金で縁どられたお盆のようなものに置く。
その手紙の入った黄金のお盆をまわしながらうけとり、役人がニコメデスⅣ世王に差し出す。
王はすこしもったいぶった動きをしながら、手紙を取り出して中身を読む。
少し間を置いて、
「ミヌチウス提督のご意見は承った。回答はよく内容を吟味してからお伝えしよう。さて、友人であるローマからの若い使者たちを労うために本日は宴を催させていただく。そこでまたローマの話を若者に伺うとしよう。」
そういうと、周りの皆が、おおっと歓声を挙げる。
そしてすぐに大臣らしき人物が、面会の終了を伝えて、役人がカエサルの横から現れて
「それでは、使者殿はこちらへ」と言われた。
特に喋ることもできなかったが、王への初の謁見が終わり、役人は自分の役目を果たしたとほっとしているようだった。
カエサルは役人に「手紙の返事はどうなりますか?」と軽く聞く。「王陛下が回答されるのに少し時間が必要かもしれません。なので、今日はここまでで、旅の疲れを癒してください。」と言って、謁見の間からの退出をうながす。
さすがに他国の王に、直ぐに回答がほしいなどと言うのも良くないと考え、大人しく従うカエサルたちは、その後、ビティニア側が準備した客室に通される。従者と付き添いの兵士立ちも一緒に、かなり大きな客室に通されることとなった。
大きな客間はカエサルの想像を超えて豪華だった。好奇心の塊でもある痩身の若者はキレイなガラス窓の側に調度品の数々を見て楽しそうに一つ一つを見て回る。
「すばらしいな。」
「しかし、ローマと比較するとごちゃついてみえますね。」と答えたのはダインだった。
「部屋の使い方の違いもあるだろう。」とダインの意見を気にした様子もない。
「東側では調度品を部屋にたくさん飾ることが良いとされているので、ローマの部屋とは趣がだいぶちがうかもしれませんね。」とエセイオスが言った。
部屋自体が木と石で組み立てられているが木の部分には様々な文様があり、色が付けられ鮮やかさが増して見える。
カエサルはその豪華な客室を堪能した後に、ビティニア側の使いに、自分と従者、兵士の分も含めて飲み物をもってくるように頼んだ。
使いが手配に回っている間に、全員を集めて指示を出す。
「来る途中に見たこの都も王宮もすばらしいところだと思う。しかし王宮は一筋縄ではいかない部分も多そうだ。この後、ニコメディアを散策させてもらうつもりだが、エセイオスとザハは、ビティニアの海軍の様子を見に行ってくれ。どのような船でどれくらいの規模であるのか、などを知りたい。噂話も含めて集めてくれ。少し多めの金をわたしておく。」そう言うとジジがエセイオスとザハにそれぞれ金を渡した。
「一緒に動いてもよいし、ばらばらでもよい。ただし夕方には一度戻ってきてくれ。後のメンバーも自分の興味の範囲で良いから、さまざまなもの、人などに目を見晴らしているようにするんだ。そして疑問があったら使いの者にどんどんしていき、ビティニアの状況を把握しよう。」
全員カエサルの狙いを理解した顔つきになった。
ミティリーニの偵察と同じような感じだが、今回は商売人ではなく、味方ではあるが王宮の貴人たちとするわけだ。
カエサルが話し終わるとすぐに使いが飲み物を持ってきた。
よく厳選された美味しい果実酒、茶、さまざまな果物、焼き上げた菓子が準備されており、一行はその味わい深さを楽しめた。
食事と飲み物を楽しんだ後には、カエサルの申し出でニコメディアの街と王宮を見学してまわることになった。
エセイオスとザハは仕事と称して街に紛れていったが兵士たちは特に気にした様子もなかった。
ローマから遠く離れて北東にあるニコメディアの街は栄えていた。黒海が近いこの街は、黒海貿易の拠点の一つとして、また陸上からもアルメニア、パルティアなどの諸国とともに、騎馬民族が並び立つ東の国々との交流もさかんなため、様々な国の文化が流れこんできていた。遥か昔にニコメデス1世がここを首都とすると決めてから順調に成長しつづけているようである。
海沿いではない点がローマと似ていると思い、カエサルは、交易の盛んなニコメディアの海岸にもいきたかったのだが、案内人は、笑顔でお客さまのご案内のルートから外れるため港には行けないとして、その代わりににコメディアの他の素敵な場所を案内すると言われてカエサルも海岸に行くことを断念した。それでもニコメディアの栄華を讃える塔にのぼって、街全体を眺めたり、刺激を受ける散策を楽しんだ。
ニコメディアはエフェソスよりももっと湾の奥に入ったところにある。湾の入口は天然の良港に恵まれて漁業、そして湾岸を忠臣に商業がともに盛んな街だった。その街が発展して特に王都として栄えだしたのがここ200年くらいのところだった。
ニコメデス王家のもとで繁栄してきたために、大きな反乱もおきずにいた。
数年前に隣国ポントスの侵略を受けローマの仲介で領土を回復できたときも、ニコメディアに大きな傷がつくことはなかった。
カエサルはこの、ローマがビティニアの国土回復のために力を尽くした恩義、をうまく活用したいが、恩義に報いるように促すことはビティニアの誇りを汚すことにもなるので、うまくビティニアを誘導する必要性を感じていた。そのために何かをしかけるにしてもまだ情報不足であると判断。まずは客人としてビティニアのおもてなしを受け入れ、楽しむことに決めた。
切り替えの早さとどのような場でも楽しめのはカエサルの長所だった。
その日は、ニコメディアの華やか街の風景や、丘階段が整備されて道が石でしっかりと整備されて歩きやすい整備が行き届いた街をあるいてみたり、アレキサンドリアを模したと言われる図書館を案内されたりと、ニコメディアの豊かさを歩いて体感することになった。
カエサルたちは素直に整備の行き届いた街をみて関心する。ローマやエフェソスにないオリエントに近い彫刻や石造りの飾りを見つけてはしゃいでみることもあった。
特にジジは素直に自分の出自に近い文化を感じたようで、さまざまなものにいつも以上に興味を持って観光を堪能して、自分たちの客室に戻った。
くっきりとした青空に太陽が落ちていく時間となった。
日が沈みつつあるなかで、ニコメデス王に招かれた宴が始まる。。
カエサルは持ってきた重厚なトーガを羽織り、侍従であるダインとジジにもトーガを羽織らせる。ダインは体格もよく良い感じだったが、ジジは間だ身体も小さいため、少し背伸びした子どもがトーガを来ている感じで可愛く見えてしまっていた。
他の兵士たちは参加できないため、3人だけで参加する。ダインはキロと別れてから、自分がキロの役割をこなさなければ、と言う想いから以前よりもよく話をするようになった。その成果がここで発揮されて、ビティニアの偉い人々ともそれなりの会話をしていくことができた。
ジジはまだこれからだったが、背が低く可愛い姿であり話を聞くことが上手だったため、皆が親切に接してくれた。
カエサルは際立って目立っていた。
ローマからの使節の主賓として、痩身の若者がやっているということで、初めは好奇心から多くの貴族の関心を誘った。年齢にしては悠然とした態度、立ち振る舞いからも優雅さを感じ、多くの者が気おされてしまっていた。
ふるまいの素晴らしさに感銘を与えられつつも、若者はビティニアで王族や貴族が来ているオリエント風の服装にも興味を持ち、服の染色やデザインの素晴らしさにも話題がおよんだため、貴族たちも若者を過剰に高い場所に置かず、気持ちよく応じることができた。
さらにどこで勉強してきたのかエーゲ海、黒海あたりの地理や風習にも詳しく、食べ物や酒など幅広い範囲でビティニアの良さをしっかりと理解しようとするカエサルの態度も皆を喜ばせた。
カエサルの好奇心は止まないね、と笑いながらダインが周りのメンバーと話をする。
気が付けばニコメデス王が傍により、痩身の若者に、ビティニアの料理の話をしている。
通例ビティニアでは王はそんなに使者と軽々しく話をしないことが多いのだが、貴族たちの楽しそうな会話に、王が近寄っていったのだった。
カエサルは、心の底からビティニアの良さを理解しようとして、その食べ物、衣類、住居や街の作り方についてまで、自分の関心をもったものをどんどん王や貴族と話をしていた。
特に食べ物、飲み物は宴で催された最高級のさまざまな肉を楽しみ、香辛料の効いた料理を食べ、東方の果てから来た飲み物に喉を焼かれる気分になったりと身体全体で感じながら楽しんでいた。
そんな自然体の姿の使者と従者たちだったので、ニコメディアの街にいる貴族達も彼らの行動を愉快に想い、蔑むでもなく距離を取るでもなく、ただ関心を持って聞いてくれる仲間として受け入れてもらうことができた。
それだけの評価を得ながら、海軍の話になると、みなが無口になった。
カエサルは、ニコメデス王にもっと詳しく話を聞きたいと思ったが、この日はただ、用意された食べ物や飲み物を味わい宴を楽しんだ。
夜になって、王や貴族の宴から解放されたカエサルはダイン、ジジとともに与えられた部屋に向かっていた。帰りはビティニアの役人も途中まで一緒だったが、役人も疲れているようだったので、カエサルがすぐ近くだから大丈夫と言い、役人を帰らせる。
その後、道をあるいているところで、2つの影がカエサルたちに合流した。3人だった影は5つになって与えられた部屋に全員が戻っていった。
ビティニアに無事到着して、特使としての役割を果たそうと思うカエサル。
初日は宴で終わってしまった。
カエサルはビティニアを動かせるのか?




