09 ディアナは悪役令嬢になる
舞踏会が終わって二日後。
ここは、アルファーノ公爵邸のディアナの部屋。
「どうしよう」
ディアナはそう言って、大きくため息をついた。
「聖女の噂ですか?」
と、侍女のソフィア。
「そう。お父さまが私が聖女ではないと王宮で説明してくれているらしいのだけど、それにもかかわらず聖女だという噂がどんどん広がってるらしいのよ。お兄さまが教えてくださったわ」
「人の口に戸は立てられない、と言いますから」
「お姉さまが、あの場で『聖女の力』なんて言うものだから」
「しかし、アロルド殿下から教会で確認してくるように言われたのでしたら、行かないとまずいでしょうね」
「そうなのよ。今のところは、なんとか引き延ばしているけど。それにお姉さままで顔を合わせるたびに、いつ教会に行くのか聞いてくるし。人の気も知らないで」
「ところで今日は、この後アリーチェ様がお見えになるご予定ですよ」
「今日だった?」
「はい」
アリーチェはグラナータ伯爵家のご令嬢で、ディアナが信頼をおく友人だ。
舞踏会では会えなかったが、今日は前々からお茶をすることになっていた。
アリーチェの到着の知らせがあり、ディアナが庭のテラスで待っていると、屋敷の者に案内されてアリーチェと彼女の侍女がやってくる。
「アリーチェ。よく来てくれたわ」
「この度はお茶にお誘いくださり……」
「二人の時は、そんな堅苦しい言葉使いはやめるように言ったでしょ?」
「はいはい、わかりました。久しぶりね。会いたかったわ」
ディアナとアリーチェは幼い時からの友人なので、昔からくだけた話し方をしている。
ただ、成人してからはアリーチェは令嬢らしい話し方をしようとするが、ディアナはそれを嫌がっていた。
二人が席について、公爵家側の侍女たちがお茶の準備を済ませると、侍女らは少し離れたところに下がる。
ディアナの専属侍女ソフィアとアリーチェの侍女だけは、それぞれの主人の近くで相手の視界に入らないところに控えていた。
「一昨日の舞踏会は体調がすぐれずに行けなかったけど、噂は聞いているわ」
と、アリーチェ。
「え? もうあなたの耳にも?」
「お父さまからね」
ディアナは小さくため息をつく。
「実は、それで困っているのよ」
「どうして? 聖女様なんてすばらしいじゃない」
――アリーチェだから、夢のことを言ってしまおうか。
ディアナは少し離れたところに控えている他の侍女たちに聞かれないように、やや小声になる。
「実はね……」
ディアナは、夢の内容をかいつまんで話した。
先日、夢で父親が舞踏会で倒れるのを知ったこと。
自分に癒しの力がある事が分かって、事前に練習したこと。
夢の中ではその後聖女になるが、王子が姉を振って自分と結婚してしまうこと。
ただし、父親の暗殺の可能性や姉の自殺の結末までは言わないでおいた。
「そうだったの!?」
「だから、聖女にはなりたくないのよ」
「そうね。確かに、仲のいいお姉さまから婚約者を奪えないわよね」
「だからまずは、聖女候補にならないで済むいい方法はないかと思って悩んでいるの」
「うーん……。とりあえず聖女候補にならなければいいの?」
「方法があるの!?」
「ほら。うちって親戚に教会の司教がいるじゃない。彼が家に来た時に、両親と話しているのを聞いた事があるのよ」
「どんな話なの?」
「昔、いたらしいわ。聖女候補になったのに、問題を起こして取り消された人がいたらしいの……」
その話はこうだ。
その聖女候補の女性は貧しい家の出で、聖女候補になると周りに自慢し始めた。
すると色々な人々が近づいてくる。若い男も何人も近寄って来たそうだ。
急にモテ始めた彼女は、その男たちに金を貢がせたり、男をとっかえひっかえして遊んだらしい。
すると、その素行の悪さが噂になって、教会から聖女候補を取り消しされたらしい。
それ以来、平民出身者が聖女候補になると、聖女かどうかの確認ができるまでは教会での保護預かりという事になったらしい。
「なるほど。そういう手があったか」
「でも、この方法はあなたには向かないと思うわ」
「だめかしら」
「あなたに、そんな破廉恥な事は出来ないでしょう? 公爵家だからお金にも不自由はないでしょうし、あなたには許嫁もいるのよ」
「うーん。でも、それしかないなら演技するわ」
「でも、聖女候補にされないためには、相当派手にやらないと」
「許嫁以外の男性と密会しているところを目撃されるとか?」
「それぐらいじゃ駄目よ。男性関係なら、最低でも二人でお泊りでもして、それを目撃されないと」
「えー!?」
「あとは……そうね、誰かを殴ってケガをさせたり?」
「それは、ちょっと」
「ほらね? 無理でしょ」
「うーん。あっ、こういうのはどう? 実際にやるんじゃなくて、あなたが私のそういう悪い噂を社交界で流してくれればいいのよ」
「私が?」
「こんなことを頼めるのは、あなたしかいないわ」
「うーん」
「陰で誰かをいじめてるとか。さっきの話みたいに、男と遊んでいるとか。あとは……誰かにケガをさせて相手は何週間も寝込んだとか。他にも素行が悪そうなことを色々と」
「他に方法はないかぁ」
「じゃあ、お願いね。私はこれから、物語に出てくるような悪役令嬢になるわ!」
ディアナの目が輝いた。
「しょうがないわね。でも、あとで文句を言わないでね」
「もちろんよ。では、来週の王宮で行われる若手の交流パーティで作戦開始よ。お姉さまやお父さまが近くにいるところでは、さすがにまずいから」
「具体的にはどうする?」
「まずは……」
ソフィアがそれを聞いて、ため息をついていた。
後日。若手の交流パーティ会場。
王宮の庭で、立食形式で行われるパーディだ。
これは、成人したばかりの子息や令嬢たちが集まって交流を深めるためのパーディなので、両親たちは参加していない。
それでディアナは、まずはここから悪役令嬢の芝居を始める事にしたわけだ。
そして、「聖女かもしれない」という噂はもう止められないかもしれないが、同時に「聖女にふさわしくないのではないか」という噂を広めれば、教会関係者にも自然と伝わるだろうと期待している。
もし公爵家という事で、悪い噂の方だけが忖度されて口をつぐまれたら、ディアナはアリーチェを通じて彼女の親戚の司教に情報を流してもらうつもりでいる。
それなら始めから教会関係者だけに悪い噂を流せばいいと思うかもしれないが、教会関係者は噂が本当かを確かめるために、知り合いの貴族や大臣などに確認するはずだ。
その際に、誰もその噂を知らなければ話にならない。
そして重要なのは、実際に悪いことをしたかどうかではなく、誰もが聖女にふさわしくないと思うかどうかだ。
もし、それでもいいから聖女候補に、という声が上がった時には、ディアナは別の方法を考えるつもりでいた。
ガチャン!
グラスが割れる音に、近くにいた皆が注目する。
そこには、ディアナが何かに怒り、アリーチェが謝っている姿があった。
「これだから、田舎者の伯爵家は!」
「まことに申し訳ございません」
「もういいわ。私の前から消えて頂戴」
「は、はい」
それを見ていた人々が口々に。
「あのお二人は、いつも仲が良かったはずだけど」
「仲違いかしら」
「ディアナ様って、昔からああだったかしら」
「聖女とか言われて、舞い上がっているんじゃない?」
「いやだわ」
「近づかないようにしましょ」
「何を見ているのよ!」
ディアナが周りの令嬢や子息たちに。
「いえ……」
さっと、周りにいた人々が散っていく。
――うまくいったみたいね。
あとはアリーチェが、あることないこと悪い噂をばらまいてくれれば。
私の近くにいつもいたアリーチェがばらす情報は、信ぴょう性が増すはずだわ。
ところがそこに、運がいいのか悪いのか、王子とその取り巻きの一人でありディアナの許嫁のジェラルドがやってくる。
王子は年齢的に今回のパーティには参加していなかったが、ジェラルドにこの会の事を聞いて見に来たのだ。
その場にいた皆が王子に挨拶する。
女性はカーテシーで、男性は胸に手を当てて頭を下げた。
王子とジェラルドは、その中にディアナを見つけて歩み寄ってくる。
「ディアナ嬢。今日も魅力的だね」
と、ジェラルド。
――まぁ。ジェラルドったら、私にお世辞を言うなんて。
最近、私に少しは興味が出てきたのかしら。
でも、ここは悪役令嬢っぽく。
「フン。皆がそう言うわ」
「何を図に乗ってるんだ」
「あら。怒ったのかしら? ということは、先ほどの言葉はただのお世辞だったのね?」
「お前なんか、本当は嫌いだ。結婚なんてしてやるもんか」
――最近のジェラルドは変ね。
ムキになっているみたい。
「ええ、いいわよ。こちらから、願い下げだわ」
「くっ」
ジェラルドは苦虫を嚙み潰したような表情になる。
「自分に魅力があるとでも思っていたのかしら」
――ちょっと言い過ぎたかしら。
でも、これぐらい言わないと悪役令嬢とは言えないわ。
ところがここで、横で聞いていた王子がジェラルドに。
「それでは、ディアナ嬢は私がもらってもいいな?」
「え? で、殿下。それはいくらなんでも」
近くで聞き耳を立てていた人々も唖然とする。
「私の前でディアナ嬢はお前に魅力はない、結婚も願い下げだと言ったんだ。つまり彼女は私に求婚してほしいに違いない」
――何? その理論。
都合よく解釈しすぎていない?
王子は国中の若い女性は全員が自分と結婚したいと願っていると思い、それを疑っていない様だ。
たしかに、八割方の女性はそう思っているかも知れない。
王子と結婚し、いずれは王妃になり、贅沢な暮らしをすることを夢見ている女性は多いだろう。
王子はディアナもそうだろうと勝手にそう思い込んでいるから、こういう発言が出てくるわけだ。
そして、許嫁のジェラルドとの縁が切れさえすれば、当然自分との結婚を望むだろうとも。
さらに、すでに結んでいる婚約については、ディアナが聖女であればどうにでもなると思っている可能性がある。
それだけ聖女は国や教会が望んでいるからだ。
もし聖女がこの国に現れれば、他の国の王子たちも求婚してくる可能性が高い。
他の国に取られないためにも、国王やこの国の教会も多少の事は目をつむってくれるはずだ。
――これはやばい流れになりそうだわ。
夢の通りになってしまう。
どうしたらいいの?
そうだ。殿下もちょっとだけ怒らせてみようか。
「殿下。私の心を射止めたいなら、ますは靴にキスをしてくださらないかしら」
そう言ってディアナはドレスのスカートの裾を少し上げて、自分の片足を王子の方に少し出す。
――うん。
これなら、悪役令嬢っぽいわよね。
殿下も怒り出すに違いないわ。
周りで遠巻きに見ていた人々が息をのむ。
靴にキスをするといことは、ますはディアナの前にひざまずく必要がある。
婚約者もいる王子がどうするのか、皆の注目が集まった。
「君が望むなら、喜んで」
王子はそう言って、ディアナの前にひざまずこうとする。
「え?」
――待ってよ。
本当にやる気?
「ま、待って。また今度」
ディアナは顔を赤くして、その場を急いで立ち去った。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
その夜。
バルサノ公爵家では、公爵とジェラルドが話をしていた。
「……それで、ディアナは僕との結婚は願い下げだとか、王子に対しては靴にキスしろだなんて」
「ほう? 昼間にそんな事が?」
ジェラルドから若手の交流パーティので様子を聞いていたバルサノ公爵は、そう言ってニヤリとした。
ただしジェラルドは、王子がディアナに執心かもしれないことは言わなかった。
王子に靴にキスするように言ったことは伝えたが、その前に王子がディアナをもらうと言ったことは伝えなかった。
それを言ったら、父親が王子のご機嫌取りのために、ジェラルドを差し置いてディアナと王子をくっつけてしまいそうな気がしたからだ。
「最近ディアナは、僕のことを蔑ろにするんです」
「しかし、それはちょうどいい」
「え?」
「ジェラルド。ディアナはあきらめろ」
「なぜです? 僕はディアナがいい」
「ダメだ。もともとお前の許嫁にしたのは間違いだった」
「そんな」
「こちら側につくようにお前が引き込めたならまだ良かったのだが、逆にお前が虜になっているではないか」
「それは……でも、もう少し時間があれば」
「もう時間がない」
「なぜです?」
「……さる方からのご命令なのだ」
「さる方? とは、どなたの事です?」
「お前はまだ知る必要はない。とにかく決定に従うのだ。あの娘には、いなくなってもらう」
「いなくなってもらうって……」