07 ディアナはモテる
この物語では「許嫁」と「婚約者」を使い分けています。
許嫁…… 親同士が、幼い時に結婚を決めた相手。(口約束を含む)
教会ができる前からある貴族の習慣で、庶民にはこの習慣は無い。
親同士の同意があれば破棄も可能。
婚約者……教会で正式に「婚約の儀」を済ませた相手。
通常は結婚式の半年から一年前に「婚約の儀」を行う。
神に誓うので、相手が死なない限り破棄はできない。
キリスト教の様に、正式には「婚約の儀」を行うという設定です。
王子とアンナのダンスが終わると、あとは皆が自由に踊る時間になる。
特に下級貴族たちは、素晴らしいダンスを見せれば王様の目に止まる可能性もあるので、気合が入ったダンスを披露していた。
女性が艶やかにターンを決め、男性が軽やかにタッチして引き寄せる。
ダンスをしている皆の顔が輝いていた。
もちろん舞踏会は、新しい出会いの場でもある。
一曲目は伴侶や婚約者、許嫁などと踊るのが普通だが、それが終わると男性は気になっている女性を誘う。
貴族社会だから、皆結婚相手は親同士が決めた相手だ。
中には両想いのカップルもいるだろうが、多くは義務で結婚や婚約をしている。
だからこういう舞踏会は息抜きの場でもあるのだ。
お互いにそれはわかっているので、相手が他の女性を誘っても通常は文句は言わない。
そして、女性から男性に声を掛けることもある。
女性から声を掛けるときは「ダンスに誘ってくださらない?」と、気になっている男性に言うわけだ。
その場合、お互いの身分によって色々なケースはあるが、大抵の場合は相手に恥をかかせないために、断らずに男性から誘いなおして踊ることになる。
姉に劣らず美しく、まだあどけなさが残っているディアナの前を行っては帰り、目が合えば誘おうと思っているような下級貴族の男性もいる。
自分より位の高い家の女性だから、声を掛けづらいのだ。
しかし、ディアナはこの後起こることを知っているから気が気ではない。
父親の方をずっと目で追っていために、結果的に男性たちを無視する形になっていた。
ところがそこに、横から声が掛かった。
「ディアナ?」
声の方を向くと、そこにいたのはアロルド王子だ。
――あら?
「これは殿下」
先ほど挨拶は済ませているので、今回は軽く膝を曲げるだけで済ませる。
「ディアナは、何かに夢中なのかな?」
「い、いえ。別に」
「先ほどから君の気をひこうと男性たちが君の前を行ったり来たりしているが、君が見向きもしないものだから、皆落胆しているよ」
「え?」
ディアナはそう言われて見回してみると、貴族の子息たちが少し遠巻きにして自分の方を気にしているのに気が付いた。
ディアナは少し顔を赤らめる。
「まあ、彼らには悪いが、私が先に君をダンスに誘ってしまおうか」
――え?
お姉さまを置いて私と?
まあ、二曲目だからいいのかもしれないけど、今日はお二人の日なのに。
ディアナは、王子と姉の普段の言動から、現時点では両思いだという事を疑っていない。
夢の中で王子が姉を振ったのは、ディアナが聖女になったからだと思っている。
だから、この様に考えたわけだ。
――でも、どうしましょう。
あまり殿下と親しくすると、夢と同じになってしまいそうで心配だわ。
そういえば私の許嫁のジェラルドは、誘いにも来ないで何をしているの?
すると、その疑問にこたえるかのように王子が言った。
「アンナは侯爵と踊っているし、君の許嫁は君をほったらかしにして、他の女性と踊っているよ。ほら」
王子が顔で示した方を見れば、ジェラルドはどこかの令嬢と楽しそうに踊っている。
――これでも許嫁なのに。
一曲目に誘いにも来ないで……。
今はお父さまのことも心配だけど、殿下の誘いは断れないし。
まだ少し時間はありそうだから、踊るしかないわね。
「はい。では」
それを聞いて王子はディアナを誘いなおす。
「ディアナ嬢。私と踊っていただけますか?」
「はい、喜んで」
ディアナはアロルド王子が差し出した手を取って、一緒にホールの中央に出て踊りに加わる。
しかしディアナは、時々父親の方をチラチラと見ながら踊っていた。
「何か気になるのかい?」
アロルド王子が踊りながら聞いてきた。
「あ、いえ」
「ディアナは、ダンスもうまいのだね?」
「先ほどのお二人も、息が合って素晴らしいダンスでした」
「この日の為に、練習をさせられたからね」
そう言った王子は、少しうんざりした様子だ。
――あら?
なにか違和感がするわ。
なにかしら。
続けて王子が聞いてくる。
「君は、知っているかい? 隣のコンフォーニ王国では、許嫁の制度が無いそうだ」
「そうなんですか?」
実際には、コンフォーニ王国でも家同士の仲が良ければ口約束程度のものは行っている。
ただ、このソリアーノ王国ほど束縛が強いものではないということだ。
「大人になってから、結婚相手を決めることが出来るらしい。もし自由に恋愛ができるとしたら、君は誰か添い遂げたい人はいるかい?」
――何て事を聞いてくるのかしら。
「そんなこと、考えたこともありませんわ」
「許嫁のジェラルドは?」
「彼ですか? ここだけの話ですよ。あまり魅力は感じません」
王子はそれを聞いて笑顔になる。
「ふっ。そうか」
――なんか、まずい方向に進みそうだわ。
まさか、お姉さまと殿下は、あまりうまくいっていないのかしら。
えーっと。
それなら、お姉さまと殿下の距離をもっと縮めてもらわないと。
そうだわ。殿下の好きなものを聞いて、お姉さまにそれを贈るように進言してみよう。
「あの。殿下?」
「なんだい?」
「殿下は、何かお好きなものはお有りですか?」
「好きなものか……それは君かも知れないね」
「え?」
「ふふ」
「そんな、ご冗談を」
そうこうしているうちに曲が終わる。
「名残惜しいが、また今度」
と言いながら、王子はディアナの手にキスをする。
「あ」
――この展開って、非常にまずくない?
夢とは少し違うけど、このままいったら……。
アロルド王子はディアナの元を離れて、同じく踊り終わったアンナのところへ行き、二人でいっしょに王族たちの席に戻っていった。
その表情を見ると、二人とも幸せそうだ。
――あら?
とりこし苦労だったのかしら。
二人とも幸せそうだわ。
そこに、知合いの侯爵令嬢が声を掛けてくる。
「ディアナ様? 殿下と楽しそうに踊られていましたわね?」
「そ、そうでしたか?」
「ええ。誰が見ても」
「今度お義兄様になる方ですから。姉の話で盛り上がっていたのですわ」
「さようでしたか。それでは、また」
彼女は意味ありげに微笑みを返すと去って行った。
――今の笑みは何かしら。
さて、夢の中でお父さまが倒れるのは何曲目ぐらいだったかしら。
お父さまはどこに……。
デイアナが父親を探していると、再び声が掛けられた。
「踊ろう」
見ると、今度は許嫁のジェラルドだ。
――今はそれどころじゃ無いのに。
はっきりとは覚えていないけど、もうそれほど時間が無いはずだわ。
「ジェラルド様。ごめんなさい。今日はちょっと」
「さっきは殿下と楽しそうに踊っていたくせに」
――あら?
もしかして焼いているの?
「ちょっと、気になることがあって」
「何がだ?」
「それはちょっと」
「僕たちは許嫁なんだ、教えてくれれば力になる」
――やはり言えないわ。
ジェラルドに何かできるとは思えない。
ジェラルドが言葉を畳みかけてくる。
「僕では力不足なのか?」
「いえ。そういうわけでは……」
「僕たちは許嫁なんだ。世間体もあるから踊っておこう」
――世間体だなんて。
でもそれなら、殿下の前に誘えばいいものを。
「……次回の舞踏会では必ず」
ジェラルドはディアナがしきりに他の方を気にしているのに気が付いたようだ。
「まさか、好きな男でもできたのか?」
「いえ。そんなことは」
「先日兄が、君に似た女性が男性と町中を歩いているの見たそうだが」
――あの時の馬車に乗っていたのは、お兄さんだったのね?
「町中ですか? おそらく見間違いだと」
「うちの馬車を見て隠れたそうじゃないか」
――隠れない方が良かったかしら。
余計に勘ぐられたみたいだわ。
ディアナとジェラルドは許嫁ではあるが、特に付き合っていたわけではない。
今まではお互いに、それほど気にしていなかった。
しかしジェラルドは、ディアナが他の男性と楽しそうにしているのを知って、嫉妬心が芽生えたようだ。
男というものは自分のものだと思っていた女性が離れようとすると、急に後を追いたくなる。
先ほど一曲目にディアナをダンスに誘わなかったのは、兄の話を聞いて、逆にディアナを焦らそうと思ってのことかもしれない。
「ですから、見間違いでは?」
「癒しの力が使えるからって、うぬぼれているんじゃ……」
「え?」
――なぜ癒しの力の事を知っているの?
教会から漏れたのかしら。
「と、とにかく、僕に恥をかかさないでくれ。一曲だけでいいから」
――ふぅ。
ここまで言われたら、しょうがないわね。
「……わかりました。では、一曲だけ」
ディアナは、しょうがなく踊ることにした。