37 ディアナは精霊魔法を発動する
周りの魔物の数が減ってきて、誰もが勝利を意識し始めたころ。
大きな足音とともに、奥から身長が四、五メートルはある巨大な魔物、トロルが三匹やってきた。
トロルは太った人間のような形をしていて、腕の太さは大木のようで、胴回りは象ぐらいある。
おそらく体重も象が三頭分ぐらいはありそうだ。
兵士や冒険者たちがそれを見て、顔色を変えた。
トロルは手に巨大なこん棒を持っていて、それを一振りすると兵士の五、六人は一度に吹き飛び、馬に乗っている騎士も馬ごと吹き飛ばされる。
こんなやつに勝てるわけがない、と皆が思い始めたようだ。
姿はまだ見えないが、どこかで魔人が指揮をしているのだろう。
もし始めからトロルが出てきたら、おそらく人間たちは王都に籠もってしまい、戦いは長期戦になる事が予想された。
そうなると、食料がなくなった魔物たちが共食いを始めてしまうかも知れない。
それなら、どこでトロルを投入するのがいいか。
人間たちが勝利を意識し始め、気持ちにゆるみが生まれたタイミングを狙ってトロルを投入したに違いない。
しかも、いくらでも補充がきく弱いゴブリンばかりが討たれ、主力のオークやファングなどはまだだいぶ残っている状態だ。
よほど意思の強い人間でなければ、くじけてしまうだろう。
しかし、公爵は対策を考えていた。
「大丈夫だ! バリスタを出せ!」
公爵が伝令兵に合図をすると、その兵が旗を振って、後方で控えていた兵士たちに伝える。
バリスタというのは、ボウガンのように機械仕掛けと人力を用いた大型弓だ。
公爵がディアナからトロルや魔人の事を聞いて、その対策として用意した武器だった。
後方の兵士たちが、草木の間に草色の布をかぶせて隠しておいた数台のバリスタを押して前に出る。
もちろん、そのバリスタを魔物たちから守る兵士たちもいる。
トロルが射程距離に入ると、その部隊の隊長が指示してバリスタを発射した。
直径五センチもある太くて大きな矢がトロルに向かって飛んでいく。
トロルは大きいゆえに動作が鈍いので、それをよける事が出来ずに、その矢はトロルの肩や胸に突き刺さる。
三匹のうち、二匹が大きな音を立てて倒れ込んだ。
残るは一匹だが、こちらもバリスタの矢が一本刺さって重症だ。
トロルたちが倒れたところを、騎士たちが取り囲んでトドメを刺した。
人間たちが歓声を上げる。
「オー!」「やったぞー!」
今のを見て、兵士たちの士気が再び上がったようだ。
もしバリスタが無ければ、人間側は敗退していただろう。
ところがそこで、またもや皆の希望を失わせるような事が起きた。
トロルたちがやってきた後方から、さらに数千の魔物がやってきたのだ。
しかも、今度はゴブリンなどの弱い魔物はいない。殆どがオークなどの強い魔物ばかりで構成されている。
魔人はさらに隠し玉を用意していたのだった。
しかし、レイナとディアナはこの時を待っていたのだ。
「これで、全てそろったようだな」
と、レイナ。
「私たちの出番ね」
ディアナが言った。
レイナたちは精霊から、まだ数千の魔物が隠れていることを聞いていた。
しかし、レイナとディアナの力を合わせても、この広い戦場を全て網羅するような魔法は一回しか使えない。
それで二人は、それを使うタイミングを待っていたのだ。
そして、ディアナたち五人は戦場の中心に向かって魔物を倒しながら進んでいくうちに、とうとう公爵たちが戦っているところへやって来た。
ところが、公爵とオスカルがオークに取り囲まれている。
二人共、馬はどこかに逃げてしまったか、やられてしまったようだ。
「エドモンド、今はあの二人を援護してやってくれ」
と、レイナ。
「わかりました」
エドモンドが身体強化魔法を掛けられた状態で、二人の助太刀に入る。
「助太刀します」
エドモンドはそう言って公爵とオスカルを囲んでいたオークを切り伏せていく。
「かたじけない」
と、公爵。
公爵とオスカルは、エドモンドがオークを数匹倒してくれたおかげで、戦いがだいぶ楽になったようだ。
公爵が戦いながらエドモンドに聞く。
「そなた、なかなかの腕だな。さぞかし有名な剣士なのだろう? 名前は?」
「お初にお目にかかります。エドモンドと申します」
こちらも戦いながら。
「ん? もしや」
「はい。義父上殿」
横からオスカルも戦いながら。
「それでは、こちらがディアナの婚約者ですか?」
「さようです。義兄上殿」
対峙していた最後のオークを切り倒した公爵が、周りを見回す。
「まさか、ディアナも来ているのか?」
「叱らないでやってください。彼女の聖女の力がここでは必要です」
そう言っている間にも、後から投入された数千の魔物が三百メートル程の距離に迫る。
エドモンドは公爵とオスカルがもう大丈夫なのを見ると、レイナとディアナのところに戻った。
これから二人が大掛かりな魔法を使うので、その際に無防備になる瞬間を突かれないように守るためだ。
「ディアナ、準備はいいかい?」
と、レイナ。
「ええ。お義母様」
レオポルドとレイナが結婚し、エドモンドとディアナが結婚すれば、二人は義理の母娘になる。
それでディアナはちょっと早いが、親しみを込めてお義母様と呼んだのだ。
ところがそこに、兵士の声が聞こえて来た。
「あの魔物はなんだ!?」
ディアナやレイナを始め、その辺りにいたほとんどの者がその兵士の視線の先を見る。
後からやってきた魔物たちの後ろに、鬼のような形相をした人の形をした魔物が、大型のファングの様な四つ足の魔物に跨っているのが見えた。
それが魔物たちに指示をしているようだった。
「魔人だ」
と、レイナ。
「あれが魔人なの?」
ディアナは初めて見る魔人を凝視する。
前にガポニ村で倒したオーガは猿人に近いような印象もあったが、同じオーガから変異しているにもかかわらず、魔人はかなり人間に近いイメージだ。
どこで手に入れたのか、鎧の様な物も着ている。
もちろん顔は鬼のような形相で、頭には角が二本、口には牙も生えていた。
「ちょっと遠いが、あれは先に始末した方がよさそうだ。逃げ足も速そうだしな」
レイナがそう言うと魔法弓を出して魔人を狙った。
魔人が今乗っている魔物は四つ足で、足が速そうだ。
そうなると当然逃げ足も速いので、ディアナたちが聖属性の範囲魔法を放っているのを見て、残っている魔物を率いて逃げてしまう可能性もある。
もし魔人が魔物たちの先頭にいたら、範囲魔法で一緒に始末できたかも知れないが、後ろでは逃げられる可能性が高い。
そしてこの後ディアナとレイナは、これから一日に一度しか放てないような大規模な魔法を使おうとしている。
魔力を使い果たしたときに、魔人や大量の魔物が戻ってきたらどうすることもできない。
だからレイナは、その前に討ち取っておきたかったのだ。
しかし、やはり距離があったようだ。
レイナは魔人が他の方向を見ているスキを狙って聖属性の矢を飛ばしたが、魔人は飛んできた矢に気が付き、ギリギリのところで持っていた盾で防いでしまった。
「やはり、少し遠かったか」
レイナが少し悔しそうに。
「どうするの?」
ディアナが聞いた。
「私はあの魔人を何とかする。だから、他の魔物はお前さんに任せた」
「えっ? 待って。私ひとりじゃ……」
「大丈夫だ。大精霊マクスウェルを呼ぶんだ。そうすれば魔力は足りるだろう」
始めから大精霊を呼ぶことにしておけばよかったようにも思えるが、大精霊はそうやすやすと力は貸してくれない。
上位の神霊や精霊になればなるほど、人の努力や誠というものを見てくる。
何の努力もしない者には力を貸さないし、他に手段があるのにそれをせずに気軽に呼んでも力を貸してくれない。
しかし、今回の様にディアナ一人でここにいるすべての魔物を討伐しなければならない状況なら、きっと力を貸してくれるだろう。
「でもまだ、実際には一度も呼んだことが……」
以前はたまたま来てくれたような状況だったが、ディアナは大精霊を自分から呼んで力を借りたことはまだ一度も無かった。
だから呼んでも来てくれるかどうかもわからないし、たとえ来たとしても力を貸してもらえるのか自信が持てない。
「お前さんなら、できるさ。思い出すんだ。人々を救いたいという想いが精霊を動かす」
ディアナは癒やしの練習をした時に、その人を救いたいという気持ちを込めるほど、病気やケガの治りが良くなったことを思い出す。
一方魔人は、先ほどの聖属性の矢を見て、ここに聖女がいることに驚いたようだ。
魔物である以上、魔人も聖属性魔法に弱い。
矢は遠くから飛んできたのでなんとか防げたが、もし聖女が放つ聖属性魔法に巻き込まれたら盾では防げないので終わりだ。
魔人は乗っていた四足の魔物を反転させて、一人で逃げ始めた。
それを見たレイナは、自分に身体強化を掛けてものすごい勢いで魔人を追いかけて行ってしまった。
「行ってしまったわ」
ディアナが一人になって不安そうなのを見たエドモンドがそばに来る。
「ディアナ、君ならきっとできる」
「でも……」
「できないことをレイナさんが言うはずがないさ」
「確かにそうね。わかったわ。やってみる。でも、そばにいてね」
「いつも一緒だ」
新たにやってきた魔物たちが加わり、魔物たちがそこにいた人間たちを逃さないように大きく取り囲む。
アルファーノ公爵や兄のオスカルもディアナたちのところに集まってきた。
「手があるのか?」
と、公爵。
「今からディアナが精霊魔法を使います。その間我々が守りましょう」
エドモンドが答えた。
「わかった」
エドモンド、父親、兄、そしてファビオやソフィアがディアナを囲んで守る。
さらにその周りを、残っていた兵士たちが集まってきて守るように取り囲んだ。
その間にも魔物たちは囲んでいた輪を縮めてくるが、ディアナは信頼できる仲間や家族に囲まれることによって、安心して魔法に集中することができるようになった。
まずディアナは、手を組んで精霊に祈る。
「大精霊マクスウェル様。この人々を守ることができますよう、どうかお力をお貸しください。魔物たちとの戦いを終わらせ、人々が元の暮らしに戻る事ができるように。マクスウェル様どうか……」
すると、ディアナの頭上から明るい光が差した。
――これは。
初めてマクスウェル様を感じた時と同じだわ。
今ならきっと……。
「攻魔・回復の光!」
ディアナによって、精霊魔法が発動した。
ディアナを中心に光のドームがどんどん広がっていく。
これに触れると魔物は消滅し、人間は大ケガも癒される大聖女の精霊魔法だ。
光が人間や魔物をすべて包み込みながら、戦場全体に広がっていく。
やがて光が消えると、そこにいた全ての魔物が消滅してしまい、後にはあっけにとられている兵士や冒険者だけが残った。
同時に発動した「回復の光」によって、瀕死だった兵士や騎士たちも傷が治って起き上がる。
「何が起きたんだ」
「ケガが治っているぞ」
信心深い者が膝をつく。
「神よ。感謝します」
少し離れた所では、ベテランの冒険者たちが魔物に向かって突き出したままだった剣を下ろした。
「もしかしてこれは……」
「たぶん、伝説の聖女の魔法だ」
「俺たちは勝ったのか?」
「そうだとも、俺たちは勝ったんだ!」
「やったぞー!」
やがてそこかしこで、喜びの雄たけびが沸き起こる。
「「「「ウォー!」」」」
あっけにとられていたエドモンドも我に返って両手をディアナの肩に添えた。
「すごいぞディアナ!」
「エドモンド」
二人は抱き合った。
「聖女の魔法がこれほどのものとは」
と、アルファーノ公爵。
ディアナは次に父親にも抱き着いた。
「お父様」
父親はディアナを抱きよせる。
「ああ、ディアナ。愛しい娘よ」
「えっと。そういえば、ここに来た事怒ってませんよね?」
ディアナが恐る恐る聞いた。
「大丈夫だ。逆に礼を言わなければならないな。おかげで我々は勝利することができた。でも、その仮面は何だね?」
「そうでした。せっかく仮面をつけたのに、よく私だと分かりましたね」
ディアナを知っている人が見れば、すぐに彼女だと分かってしまう程度の変装だ。
父と兄、エドモンドが顔を見合わせて笑った。
「もぅ。そんなにおかしいかしら」
ディアナがすねて見せる。
「いや、わるかった」
エドモンドが謝った。




