01 ディアナは夢を見る
ソリアーノ王国は、広大な大陸の南に位置している。
北には大河や山岳地帯を挟んでベルクハイム帝国という大国があり、隣にはコンフォーニ王国や神教国がある。
大陸には他にも二十近い国々があるが、ソリアーノ王国はベルクハイム帝国、コンフォーニ王国についで三番目の大きさだ。
その王都は国土の北寄りに位置し、王宮を中心に直径三キロメートルほどの大きさがある。
そして、この世界の他の町と同様に、町の周りには外敵や魔物の侵入を防ぐ壁がめぐらされ、その壁の外側には農地や牧草地が広がっていた。
ここは、その王都の一角にある大きな屋敷。
「ダメー!」
ディアナは思わず叫んで椅子から立ち上がった。
彼女はこのソリアーノ王国の二大公爵家の一つ、アルファーノ家の次女で十六歳だ。
金色の髪に目は緑色で、これはこの国の王族やその分家であるアルファーノ家によく見られる組み合わせである。
まだあどけなさが残っているが、あと数年もすれば絶世の美女と呼ばれるに違いない。
声に驚いた侍女が、控えの部屋から急いでやってくる。
「お嬢様、どうされました!?」
彼女はディアナの専属侍女のソフィア、二十歳だ。
ディアナが十二歳のころから仕えていて、かれこれ四年になる。
彼女はこの国で八割方を占めるライトブラウンの髪と目をしていて、真面目で芯が強そうな印象だ。
ディアナはこのソフィアを友人のように思っており、何でも話す間柄であった。
「あ、ソフィア! お姉さまが……!」
ソフィアは、ディアナが叫んだ理由がわかって安心した顔になる。
この部屋にはディアナの姉、アンナはいないからだ。
「もしかしたら、夢を見られたのですね?」
ディアナはそう言われて我に返り、周りを見回した。
ここは、王都にある公爵邸の自分の部屋で、この部屋の中にはディアナとソフィアしかいない。
「今のは……夢だったの?」
夢の内容がよほどリアルだったに違いない。
「お嬢様は、先ほどからお一人で本を読まれていましたが」
窓からは心地よい陽が差し込んでいて、ディアナは椅子に座って本を読んでいるうちに、いつのまにか寝てしまった様だ。
椅子の横のサイドテーブルの上には、ミア王女から贈られた宝石箱のような魔導オルゴールがあり、その音色がより眠りを誘ったのかもしれない。
ディアナの夢に出てきた姉のアンナはこの国の王子と婚約しており、結婚すればディアナと王子の妹ミア王女は義理の姉妹になる。
それで、懇意の印に先日ミア王女から贈られた物だ。
魔導オルゴールはこの国では作る技術が無いので、おそらく北の帝国から輸入されたものだと思われる。
そして魔導と付く通り、魔力を流すことによって一定の時間だけ音楽が奏でられる。
ちなみに、この世界の人々は個人差はあれど、皆魔力を有している。
ただ、魔力がわずかすぎて魔法という程の魔法が使えない人の方が多いが、魔力は貴族の方が多い傾向にあった。
「夢にしては、ずいぶんとリアルだったわ」
「夢とはそういうものですよ」
「でも……」
ソフィアが床に落ちている本を拾い上げて、そのタイトルを見た。
ディアナが寝てしまう直前まで読んでいたもので、先ほど目が覚めて急いで立ち上がった際に落ちてしまったのだと思われる。
「きっと、この本のせいで変な夢を見られたのですね? この物語は、お嬢様にはまだお早いのでは?」
ディアナが読んでいたのは、最近貴婦人の間で話題になっている架空の国での物語だ。
主人公の貧しい女性が、その美貌や体を使って貴族の男性を誘惑し、時にはライバルを毒殺して成りあがっていく。
もう少しで王妃になれそうなところまで上り詰めたが、最後は聖騎士に罪を暴かれて処刑されるという話だ。
ディアナは頬を少し膨らます。
「もぅ。子ども扱いしないで頂戴。私だってもう十六歳なのよ」
子ども扱いしないでという割には、頬を膨らますなど、まだ子供っぽいところが残っている。
ソフィアはそれをほほえましく思うのだが、もちろん顔には出さない。
「そうですわね」
「でも、夢の内容はその本とは全然関係ないのよ」
「どんな夢なんです?」
「えーっと。来週、王宮で舞踏会が催されるじゃない? 夢の中で私はお父さまたちと一緒にその舞踏会に行くのだけれど……」
一週間後の舞踏会の会場で、父の公爵が突然倒れるのだ。
ディアナは床に倒れた父のもとに急いで駆け寄り、父の手を取る。
ところが、そこで思いがけないことが起こる。
ディアナに癒しの力が発現し、その場で父を治すのだ。
その様子はそこにいた貴族たちに目撃されて、ディアナは聖女候補として扱われる。
その後ディアナは、教会の本山で聖属性魔法に適性がある事が確認されて、晴れて聖女に認定されることになる。
ここで、白魔法の癒しの力を持つ者は数千人に一人と言われ、「癒し手」と呼ばれている。
癒し手は、その魔法によって中程度までのケガや病気を治すことが出来る。
さらに、白魔法の上位にあたる聖属性魔法に適性をもつ者は「聖女」と呼ばれ、重症のケガや病気を治す力があるが、その数は癒し手よりさらに少なく、数十年に一人ぐらいしか現れていない。
聖女が現れると、その国は精霊に祝福されて豊かになり繁栄すると言われている。
だから国も教会も聖女が現れる事を待ち望んでいるし、癒しの力がある女性が現れればまずは聖女候補として大事に扱われる。
その女性が聖女なのかどうかは、正式には神教国にある教会の本部まで行き、そこで魔道具により最終判定することになる。
もしそれで聖女に認定されれば高い地位を与えられ、その時の王位継承者が未婚であれば妃に迎えられる可能性もある。
ちなみに、何代か前の王妃は聖女であったという話が伝わっているが、現在は聖女が不在であった。
「聖女様なんて、素晴らしいではないですか」
「そこまではいいのだけど、その後に問題が起こるの。アロルド殿下がお姉さまとの婚約を破棄して、聖女になった私との結婚を選んでしまうのよ。それで、殿下に婚約を破棄されたお姉さまは、失意のうちに自殺をしてしまうの」
「それで先ほど叫ばれたのですね?」
「ね? この本の内容とは全然違うでしょ?」
「そうですわね」
「でも、私はこれがただの夢だとは思えないの。前にも、見た夢がその通りになった事があることを、話したことがあるでしょ?」
「たしか何年か前に、叔父上様が落馬されるのを夢で見られたのですよね?」
「そう。あの時は夢を見た二日後に叔父様は落馬されて。でも、大した怪我がなくてよかったけど」
「確かにお嬢様が聖女になれば、殿下がお嬢様に興味を持たれるのもわかります。しかし、すでに殿下とアンナ様は教会で婚約の儀を済まされていらっしゃるし、それにお嬢様にも許嫁がいらっしゃるのに、あの殿下がそこまでされるとは考えにくいかと」
貴族の令嬢だから、ディアナにも小さいころに親同士が決めた許嫁がいる。
もう一つの公爵家、バルサノ家の次男ジェラルドだ。
そして、相手がいくら聖女だとしても、すでに済ませた婚約を破棄してまで別の女性と結婚をするのは問題になる。
婚約の儀は教会の神前で行われるので、神に誓いを立てたことになるからだ。
それに話しによると、アロルド王子は良識があり誠実らしい。
だからソフィアも、さすがに王子もそこまではしないだろうから、今回はただの夢で、予知夢ではないのではないかと思っているようだ。
「アロルド殿下は、見た目は誠実そうなんだけど、本当は節操がないのかもしれないわ」
「それは……」
「でも、もし今の夢が予知夢なら、なんとかしないと大変なことになるわ」
ソフィアは小さくため息をついた。
「わかりました。それでは、可能性が少しでもあるのなら、何か対策を考えましょうか」
「ありがとう。でも、どうしたらいい? お父さまやお姉さまに相談した方がいいかしら」
「公爵様はともかく、アンナ様には言わない方がよろしいかと」
「やめた方がいい?」
「その話を聞かれたら、お嬢様とアンナ様の仲がギクシャクすることになるかもしれません」
「それは、絶対イヤだわ。大好きなお姉さまとギクシャクするなんて」
ディアナはそう言われて、よく考えてみる。
――たしかにそうか。
お姉さまからしたら、私に殿下を取られるかも知れないわけだから、私にその気が無いと説明しても心配になるわよね。
「ところで、夢の中で公爵様はお倒れになるのですよね?」
「そう」
「原因はわかりますか?」
「うーん。はっきっりとは覚えていないけど……服に血はついていなかった気がするから、病気か何かだと思うわ」
「公爵様は何か持病か、今患っている病がおありですか?」
「それは無いはずだけど……」
――今朝もお父さまはお元気そうだったし。
もしかして、持病があるのを私たちに隠しているの?
それとも、何かその場でショックなことでも聞いて、倒れてしまうのかしら。
「それだと、前もって治療というわけにもいきませんね。でも、夢ではお嬢様の魔法で助かるのですよね?」
「そう」
「でしたら、とりあえず今は公爵様のお体の心配はいらないとして……あとは、お嬢様が癒しの力を発動されても、聖女候補にされなければいいわけですね……」
ソフィアはそう言って少し考え込む。
「そういうことよね?」
「ところで、お嬢様は今までに癒しの力の兆候などが現れたことは、おありですか?」
「兆候……? 特には……あっ、待って」
「あるのですか!?」
「そういえば小さいころ、庭で遊んでいてケガをしたことがあるの。ケガをしたことがお母さまに知れたら、庭に出るのを禁止されると思って、ケガを治したいと思ったの。そうしたら、パッっと光が出て……」
「光が?」
「それでいつの間にか、ケガが治っていたような気がするわ」
「それでは、少なくとも癒し手の可能性はあるわけですね。そして夢の通りなら、本当に聖女の可能性も……」
ソフィアはそう言って再び考え込む。
「でも、それ以来その光が出た記憶がないし……」
「本当なら教会で見てもらうところでしょうが、そうすると聖女候補にされかねないですし……」
「もしそうなったら、それこそ夢の通りになって、お姉さまから婚約相手を奪ってしまうことになるわ。なんとか隠し通さないと」
「それでは、お嬢様はこの一週間の間に、癒しの力が上手くコントロールできるように練習されるのがよろしいかと思います」
「え?」
「夢の中では公爵様を心配されて、意図せずに癒しの力が発動されたのですよね? 力を自由にコントロールできなければ結局夢と同じになって、その場にいる方々に力を知られてしまいます」
「なるほど、そうね。それに癒しの力を使うにしても、お父さまと二人きりになれる場所に移動してから使わないといけないわね。そのためには、いつでも使いたい時に力が発揮できるように練習が必要ね?」
「力のコントロールさえできるようになれば、あとは、公爵様を治すのはお嬢様でなくても、舞踏会の控室に教会の癒し手を前もって呼んでおいてもいいかもしれません」
「できることなら人任せにしないで、私が治したいわ」
「そうですか……。でももし可能なら、来週の舞踏会に公爵様が欠席されるのが一番かもしれませんが」
――そう言われれば、そうよね。
父親が倒れる原因はまだ分からないが、そもそも父親が公の場所で倒れなければ、ディアナが癒しの力を使うことはないわけだ。
そうすれば聖女候補にされることもないだろう。
――もし倒れるような出来事が会場であるのなら、お父さまには舞踏会には行かず家でゆっくりしていてもらいたいわね。
でも、今回の舞踏会は王様が主催のはず。
よほどのことがなければ欠席は難しいかもしれない。
「わかったわ。まずはお父さまに、舞踏会を欠席できるか聞いてみる」
「はい」
「それで欠席できない舞踏会なら、私が確実に癒しの力がコントロールできるように練習ね?」
「それが、よろしいかと思います。でも、もし癒やしの力が自由に使えるようになっても、ご友人にも見せびらかしたりしてはいけませんよ。この館の人間なら口は堅いと思いますが」
「わかってるわ」
癒しの力を練習して自由に使えるようになると、力を使いたくなるのが人情だ。
そうなると、今回はうまく力を隠しおおせても、いつかは噂になって聖女候補にされる可能性が出てくる。
少なくとも姉が無事に王子と結婚するまでは、世間にはバレないようにしなければならない。
文中に出てくる「リアル」や「コントロール」などは元々英語なので異世界にはふさわしくありませんが、最近の日本の日常会話で自然に使われているために、そのまま使用しました。
今後の文章にも同様に英語由来などの外来語が出てくると思われますが、ご了承ください。
また、ソフィアがディアナの父親を、二人の時に限って「公爵様」と呼ぶようにしました。
「公爵閣下」や「閣下」は堅すぎるし、日本のように「殿」や「御屋形様」と呼ぶと和風に聞こえてしまうので、内輪で話すときはこう呼ばせることにしました。