第2話 告白
ギイイィと音を鳴らして鉄製のドアが開いた。
バッサバッサと風にあおられながら、フェンスに寄り添い、時を待っていた治朗は、屋上へと出てきた女子を見て、素早く目をそらした。
ものすごい風が、スカートを、ぐるんぐるんと振り回し、今にも性的な部分が露出してしまいそうであった。
治朗は、女子のパンツを見ても漫画のように興奮などしない。気まずいだけである。
心臓がバックンバックンと激しく動く。緊張で喉が乾く。
手を握ったり、閉じたりしながら、治朗は美弥子が来るのを待った。
一方、美弥子は、風からパンツを守るためにスカートをガッチリ押さえながら、ちょこちょこと小股で歩いた。
おかげで、髪の毛にまで手が回らず、長い黒髪が大いに振り乱された。
治朗が、よりによって一番奥にいるのが、恨めしかった。
パンツと髪の毛を気にするあまり、まるっきり緊張感がないままに、治朗の前にやってくる。
治朗はあらぬ方を向いており、美弥子に気が付かない。
美弥子はコミュニケーション慣れしておらず、人に話かけるのが苦手だった。ましてや、日々、頭の中で異世界転生させている男子とはいえ、初対面である。
治朗君、私はここよ。気づいて。
などと、念じてみる。ひょっとしたら、今、この瞬間に美弥子の秘めたる力が覚醒している可能性も無きにしもあらずだ。
もちろん、今までの人生においてなんの伏線もなかったのに、突如テレパシストになれるはずもなく、ただいたずらに時間が過ぎていくだけであった。
だが、時間が事態を解決させることも確かにある。
治朗が美弥子に気づいたのだ。
あれ、結構、時間経ったはずだけど、空野さん、まだかな?
チラリと見て、すぐ近くに立つ美弥子にギョッとしてのけぞった。
その、のけぞりっぷりは中々のもので、もし、弾丸が飛んできていたら、華麗にかわすことができただろう。
美弥子は治朗ののけぞりっぷりに見とれた。
彼女たちの年代では、『その映画』を連想することはなかったものの、彼の大胆なのけぞりは、夢見がちな美弥子にインスピレーションを与えるには十分すぎるアクションだった。
美弥子の脳裏に、剣士が振るう横なぎの剣をスウェーバックでかわす、治朗の姿が思い浮かぶ。
さすが治朗君。あっちで、剣術スキルSSSは確定ね。
「あ、き、来てたのか。ごめん、気づかなくて」
治朗は美弥子の中で、異世界転生したら剣術スキルSSSを得る伏線が張られたこと、など知る由もない。
ただ自分の挙動不審な態度に慌てた。
「その、今日、風、強いね」
だが、言った側から、あれほど吹き荒んでいた風が、ピタリとやんでしまった。
まるで二人のために、舞台をあつらえたかのように。
治朗は美弥子の顔を正面から見た。
治朗が恋焦がれて止まない美少女は、髪がべったりと顔に張り付き、心霊っぽい雰囲気になっていた。表情がないので、より一層である。
髪の毛の隙間から見える切れ長の目だけが、ギラギラと輝いている。
もちろん、分厚い恋愛フィルターを通して見た治朗の目には、彼女の目がキラキラと輝き、張り付いた長い髪は、『ちょっぴり天然の美少女』みたいなチャームポイントに映った。
「その、手紙、ありがとう。読んだよ」
治朗は言った。
イケメンリア充に好かれる篤霧治朗だが、とりたてて話が上手いわけではない。
彼は聞き上手であった。さらりと会話を誘い、適切なビートで相槌を打つ。
治朗を相手にすると、自分の話がとても面白く聞こえるのだ。まるで、ボクシングのトレーナーが、ミットに良い音を響かせて、自信をつけさせるように。
「楽しかった。特に、アイリスが前世の弁護士だった記憶を生かして、帝国法の穴をついて王子たちをやりこめるところが最高だったよ」
治朗は忌憚のない感想を言った。ラブレターに対する感想としては不適切だが、そもそもラブレターが特異であったので仕方がない。
美弥子は相変わらずの無表情だった。
ただただ、目だけが相変わらずギラギラとして治朗を見つめる。
若干、その目が潤んでいるのが、彼女の気持ちを現している。
良かった。治朗君に伝わった。
美弥子が治朗に対する想いの合間合間に差しはさんだ小話が、きちんと治朗に受け入れられたのだ。楽しんでもらえたのだ。
そのことに満足したため、本来の目的である告白は、スッポリと頭から抜け落ちてしまっていた。
治朗は少し間を開け、美弥子が言葉を発するのを待った。言葉の間が沈黙の時間へと変わる。
美弥子は治朗の感想の余韻に浸っていたのだが、はたから見てそんなことがわかろうはずもない。
我慢できなくなった治朗は、自分から言い出すことにした。
「それで、ええと。空野さんの気持ち、すごく嬉しくて。実は俺も同じ気持ちで」
だが、ここで治朗は、はたっと気がついた。
本当の本当に、美弥子は自分のことが好きだというのだろうか?
このアイドルもかくや、というほどの美少女が、イケメンの狭間で空気のように存在する自分のことを。
転生した悪役令嬢のアイリスに対して、留学していた隣国の王子が抱いていた気持ちと同様の、と言う文章があったので、間違いないはずだが。
よもや勘違いということも……。
不安になってきた。
そもそも、さっきから美弥子からなんの意思表示もない。
「その、俺のこと、す、好きってことで、いいんだよね」
口の中が乾いてきた。
美弥子は、そんな治朗の言葉が聞こえてはいなかった。治朗が自分も同じ気持ちだと言ってくれたことが嬉しくて、体の芯がフルフルとしていた。
治朗君が私のことを……。
彼も私を頭の中で異世界転生させたりしていたのね。
美弥子が答えないので、治朗はますます疑心暗鬼のドツボにはまった。
もはや、あれはラブレターではなく、ただの小説だったという説が、治朗の中で圧倒的優位に立っていた。
そうだ。だいたい、五十枚も書かれたラブレターなんかあるかよ。異世界転生するラブレターなんかあるか。
なんだよ、俺、超自意識過剰じゃん。
その時、奇跡が起こった。
治朗がポケットに入れていたラブレターが一枚、風にあおられ、空へと飛び立とうとしたのだ。
反射的に手を伸ばした治朗。そして美弥子。
二人は同時に手紙をつかんだ。
視線が絡み合う。
治朗は美弥子の濡れた瞳を受けて、体に電気が走ったかのように、ビリビリと痺れた。
次の瞬間、彼は叫んでいた。
「俺、君が好きだ」
コクリと美弥子が頷いた。