第1話 告白の直前
篤霧治朗はソワソワとしながら、屋上へと出た。
強い風が、ぶうぉん、と吹いて、彼の長い前髪と制服の裾をはためかせた。
絶対に、なにがなんでも飛び降り自殺などさせるものか、という意気込みを感じる高すぎるフェンス(上部には、返しまである)。
好都合なことに屋上には誰もいなかった。
治朗は意味もなくフェンスに向かって駆け寄ると、金網をガッチリつかんで、揺さぶった。
ガシャガシャと鳴る。
治朗が意味のない行動をとってしまうのも、仕方がないことだった。
なにしろ彼はラブレターで呼び出された高校1生なのだから。
治朗はスマホで時間を確認した。
もう間もなく、四時半になるところだ。
指定された時間は五時なので、あと三十分ほど待つ必要がある。
治朗は上着のポケットから便箋を出した。
上品な雰囲気の便箋である。ラブレターだからだろうか、なにか光り輝いてさえいるようにすら思えた。
治朗は、朝からもう何十回目にもなる確認をした。手紙に書かれた差出人の名前を一字一字、追っていく。
空野美弥子
間違いなく、空野美弥子である。空野美弥子から篤霧治朗宛てである。治朗の知る限りでは、この学校には空野美弥子も篤霧治朗も、一人ずつしかないない。同姓同名だという可能性はないのだ。
空野美弥子。その名前は、治朗に一つの光景を想起させる。
体育館。
居並ぶ新入生。講壇に立ち、淡々と新入生代表の挨拶を読み上げる長い髪の美しい少女。
一目惚れだった。
その日から、治朗は空野美弥子に恋焦がれてきたのだ。
空野美弥子はその容姿から目立っていた。
だが、入学式から、もう間もなくひと月が経とうというのに、彼女は一人だった。
機会さえあれば美弥子の姿を探してやまない治朗をもってしても、彼女がボッチではない、と証明することはできなかった。
原因ははっきりしている。
美弥子を快く思わない者は彼女を、カラノと呼ぶ。心が空っぽ。感情がない。
常に無表情。極端に口数が少なく、口調も淡々としていて、台本でも読んでいるよう。
きっと不器用なだけなんだ、と治朗は美弥子の噂を気にしなかった。
治朗は彼女の新入生代表挨拶を覚えている。堅苦しさの底に、情熱のようなものが見え隠れしていて、なんだか文学的な趣きがあった。
あんな文章を考えた空野さんが空っぽなわけないじゃないか。
その考えは、ラブレターを貰って確信に変わった。まるで恋愛小説のようなラブレターだった。むしろ、ラブレターの態をなした恋愛小説なのではないか、と治朗は疑ったほどだ。
客観的に見て、治朗が貰ったラブレターは、描写が多く、比喩が多く、なおかつ情熱的であった。
もし、空野美弥子のことを、文学的なセンスの高い美少女と認識していた治朗でなければ、ドン引きしたことだろう。
もったいないけど、関わらない方がいいな、と考えたことだろう。
空野美弥子の美貌をもってしても、マイナスに傾く。それほどの代物だった。
だが、治朗は来た。ソワソワしながら来た。
むしろ、罰ゲームで告白、とかそういうのだったら、超へこむんだけど、と心に予防線を張ったほど、期待を胸にやってきた。
三十分も前からフェンスの前にスタンバって、告白を待ち望んでいた。
◇
その頃。
空野美弥子は屋上へ続く階段に座り、両手で顔を覆っていた。もちろん、イメージトレーニングの真っ最中だ。
顔を覆っているのは、治朗がもし、屋上から戻ってきて階段を通った際に素性がバレることを懸念してのことである。
空野美弥子は、かなり個性的な高校1年生なので、その振る舞いには奇矯な部分が多い。彼女の中では合理的だったり、整合性がとれていたりするのだが、はたかみると少しばかり、エキセントリックすぎるのだ。
早朝五時に登校し、治朗の下駄箱に忍ばせた恋文もその一つだ。
一週間かけて便箋五十枚に及ぶ長大な作品に仕上げた。
途中で飽きが来たりしないように、異世界小説の悪役令嬢ものっぽい小話を挿入したりもした。注釈もたくさんつけた。
我ながらよく書けているわ、と自画自賛してしまうほどのできだった。
篤霧治朗。
その名前は美弥子に一つの光景を想起させる。
体育館。
並んでいる茶色いのブレザーを着た男女。自分を見上げる、無数の顔面。
美弥子は一週間推敲に推敲を重ねた新入生代表挨拶を読み上げた。
いかに、それとわからないように異世界小説の悪役令嬢ものっぽい小話を挿入するかを、悩みに悩んだ、挨拶文。
みんな私のこの新入生代表挨拶に希望に満ち溢れた未来を想像するに違いないわ、などと思いながら読んだ。
だが、第一章が終わったところで、見渡せばポカンと開いた口や、ひそめられた眉。
美弥子の心は折れかけた。さすがの彼女も盛大に外していることに気づいたのだ。
『ざまあ』はまだまだ先だというのに。
もちろん、新入生代表挨拶で、突然、婚約破棄される公爵令嬢が出てくれば、聴衆が置き去りになるのも無理からぬことである。
どうしよう。第二章を飛ばして、最終章にいった方がいいのかしら。
その時。一人の男子の顔が目に入った。
キラキラとした瞳で、まっすぐに自分を見ていた。
そうよ。ここまできて、怖気づいて、どうするの。どうせ、外したのなら、最後までやりきって満足するべきだわ。
美弥子のハートはとても強かった。
結果、教師に止められ檀上を力づくで降ろされるまで、美弥子は挨拶を読み続けた。
入学式でそんな振る舞いをした美弥子である。
それでなくても目を引かずにはおれない整い過ぎた容姿。入学当初は彼女に話しかける生徒は後をたたなかった。
が、空野美弥子は熟考したり妄想したりするのは得意だが、会話が苦手だった。
今の言葉のどこかに暗喩や示唆が隠されていなかったかしら、と考えている間に、美弥子のターンは終わってしまうのだ。
結果のノーリアクション。無表情。
美貌のために、無表情がより冷え冷えとして見えるのも彼女の敗因の一つだ。
おまけに、小中とボッチを貫いてきた上、両親は仕事で忙しく、コミュニケーション不足。美弥子の表情筋が硬くて、動きが悪いのも無理からざることであった。
ボッチ慣れしている美弥子にとって、クラスメートたちから空気のように扱われることは、気にはならなかった。
入学式から、ひと月の間に彼女を悩ませていたのは、そんな些末なことではない。
入学式で自分を励まし、奮い立たせてくれたあの男子生徒。彼のあのキラキラとした瞳が、ことあるごとに美弥子の心の中に入り込んでくるのだ。心の隙間に、ずざざっと滑り込んでくるのだ。
幸い、男子の名前はすぐに知ることができた。
篤霧治朗。
入学式から三日目。偶然、廊下で見かけた彼に、彼の友達が言っていた。
「お前の名前、なんか外食チェーンにありそうだよな。『あつぎりじろう』ってさ」
さすが治朗君、と美弥子は思った。
なんてナイスな友人を持っているのかしら。
ことあるごとに、治朗を目で探した。ジロリと目だけを動かす、若干嫌らしい探し方で、人込みを見れば治朗をサーチした。
治朗はいつも誰かと一緒にいた。元気なイケメンに囲まれていた。
篤霧治朗は昔からリア充の男子グループに入ってしまうという、謎のスキルを持っており、高校でも入学早々それが発動した結果である。
ただでさえ薄めのキャラクターなので、元気なイケメンリア充に囲まれてしまうと、ほぼ空気となる。
篤霧治朗は気が付けばそこにいて、いなくても気づかれない、そんなステルス系男子なのだ。
美弥子も年頃の女の子なのでイケメンに目が吸い寄せられてしまうのは、仕方のないことである。
あれ、今日は治朗君が見つからない。いつもの、あの見目麗し気で人生を楽しんでいそうな人たちと一緒にいるのに。
……ああ、よく見たらいたわ。
などということになるのも、仕方がないことである。
美弥子は空想好きなので治朗のことで、たくさん妄想した。
治朗が異世界転生して、辺境でスローライフを送るつもりが領主に気に入られたり、国王に気に入られたりして、ほっといてもらえない、みたいな妄想ばかりした。
さすがに、美弥子も、自分が最近少しおかしいことに、気が付いた。
治朗のことばかり考えてしまう。正確をきすならば、治朗が異世界転生して内政チートしたり、ステータスがすごいことになったりするようなことばかり考えてしまうのだが。
とにかく、美弥子は自分が治朗に恋をしていることを自覚した。
こんなに彼を題材にした物語が思い浮かぶのだもの。彼こそ私の男主人公だということだわ。
要するにこれが恋なのね。
美弥子が誰かにそれを相談していれば、「いや、その理屈はおかしい」と言ってもらえただろう。
だが、美弥子は筋がね入りのボッチである。
自己完結型女子である。その上、強靭なハートの持ち主でもあるので、自分の都合の良い解釈が得意であった。
こうして、空野美弥子は篤霧治朗にラブレターを出したのである。
告白の時間は迫っていた。