第三話 エイダ・エーデルワイスの知られざる挫折と再起です!
いささか時は遡る。
ナイトバルトが、ヨシュアへと蛇十字資金調査の命令を下す以前。
衛生課へと講師陣がやってきてしばらくのち。
エイダ・エーデルワイスは、ある悩みを抱えていた。
「戦場医療を、市井に還元することは出来ないでしょうか?」
衛生課の発足以来、戦場における医療はめざましい発展を遂げていた。
回復術士の温存、後方待機というシステム自体に変化はない。
しかし、術者がいる地点まで、効率的に傷病兵を運搬するインフラの整備、魔導馬の調整、延命技術などが大きく改善されていたからだ。
これらは発案者の名を取って〝エーデルワイス式プロトコル〟と呼称、実施の前後で損耗率を30%以上低減させていた。
戦争とは、平時の知識を燃料として加速度的に技術を発展させるものである。
少なくとも、いま戦場では、革命的な医療の進歩が起きているのだ。
翻って市民生活は、あまり変化を見せていない。
衛生課が本拠地を置くルメールでは、例外的に健康診断などが実施されているが、汎人類生存圏全体で見れば、治療とはいまだ回復術士による施術を意味するからだ。
「そもそも教会の仕事じゃないの、医療って?」
慣れた様子でお茶の準備をこなしながら、パルメはそう応じる。
エイダが自身にしか出来ない職務へ没頭すること。
これ自体はいつものことでしかないが、本日に限ってはどうも様子が違うとハーフエルフの少女は眉間に皺を寄せた。
またぞろ、余計なものを背負い込もうとしているのではないかと。
だから、いつもより念入りに抽出したハーブティーを手渡す。
芳醇な香りが執務室いっぱいに立ちこめ、エイダの険しい表情が僅かに和らぐ。
白き乙女は一口お茶を飲み、ゆるゆると息を吐いた。
「自律神経に働きかける調合をしましたね?」
「解るってことは、自己認識ぐらい出来てるんでしょう? アンタの精神張り詰めすぎて切れる寸前よ」
「……最近はパルメさんのお茶がないと、元気が出なくてですねー」
「褒めて誤魔化すな」
ずいっと指先を突きつければ、「うぐっ」と言葉に詰まる上司。
ハーブティーを半分も飲んだところで、エイダは観念した。
「教会による医療は、選ばれたものへの医療です」
それは最前、パルメが放った問いかけへの答え。
ハーフエルフの少女は首をかしげる。
「つっても、ヒト種以外にも施しをする教会はあるでしょ?」
「はい、ですが……どちらにせよある程度の〝喜捨〟が必要になるのです」
「あー」
納得する少女。
隠者の庵を出てから、彼女は多くの常識を学んだ。
もはや、世間知らずと呼ばれることはない。
ゆえに解る、教会が慈善団体ではないことも。
翼十字教会。
汎人類に遍く信仰される癒やし処。
これは宗教という形を取っているが、曖昧模糊な教義を掲げているわけでも、実体のない神秘を振りかざしているわけでもない。
奇跡。
聖女のみが可能とする、瀕死状態からの復活や、完全に失われた四肢の復活。
ならびに、教会本山が抱える大量の回復術士こそ、汎人類生存圏を支える柱であり。
長い時間を通じて、人々の精神の在り方や文化へ根付いてきた価値観そのものなのだ。
人々は死よりの復活という幻想に対し、その一端を開示する翼十字へ自然と腰を折り祈りを捧げる。
連綿と続く、人間の歴史へ寄り添う信仰であるがゆえに。
また、教会はその歴史を伝える教育機関としての側面も持つ。
堕天使レーセンスを筆頭とした創世の物語などは、すべて教会が提供してきた知識である。
信頼は絶大であり、結果も強く残していた。
だから傷病に対するとき、民はまず教会へ頼る。
問題は喜捨――予算の折り合いだ。
これがつかない以上、人々は野良の術者へと縋るしかない。
「この、術者というものがくせ者です」
「本当に回復術士かわからないし、ただの賢者崩れって可能性があるからでしょ?」
詰まるところ、真っ当な知識や技術を持たない術者は、多くの場合悲劇をもたらすのだ。
誤魔化しやその場凌ぎは、患者を根治へと導くことはない。
少なくとも、応急手当ほどの有用性はない。
「しかし、戦場で錬磨された技術を市井に応用できれば、助けられる命があるかも知れません」
「それで?」
「はい?」
「だから、あんたはそのために、今度はどんな無茶をしようとしているわけ?」
釘を刺すつもりで訊ねたパルメに。
エイダは、一つ頷き。
「まずは……人類王の承認の元、世界中へ広告をばら撒きます!」
と、言い放ったのだった。
§§
かつて、人類王は白き少女へ広告を打つ権利を与えた。
あらゆる媒体を使い、各種ギルドや酒場、広間に張り紙をつけることを許したのだ。
その時の書類を、エイダは大切に保管していた。
無論、再利用するためである。
かくて、各地へとばら撒かれた広告の内容は簡素。
求む、マンパワー。
募る、寄付。
戦地帰りの技術、命を繋ぐ手段を伝える学び舎を開く。
志ある者は集え。
術理を学ぶ者、看取り、手を差し伸べる者を歓迎する。
報酬は権利、包帯を巻く隣人と、手を取り合えることを保証するものなり。
「つまり、助け合うためにお金と技術を持ち合いましょうってこと?」
パルメの要約を受けて、エイダは強く頷く。
「これは、衛生課による活動ではありません。しかし汎人類にとって、必ず意義のある施策です」
「それ、王侯貴族の仕事」
「為政者の領分だと言われれば、反論は出来ません。なので、承認を得ます。実績を作り、お金と人の流れを生みだし、功績を積み上げ、対話のテーブルへと押し上げるのです」
その一歩を、まずは踏み出さなければならないのだと、エイダは拳を握る。
どうにも気負っているなと、パルメには感じられた。
そしてこう言った場合、物事は得てして上手くいかないものだと経験上知っていた。
事実、彼女の直感は的中する。
「寄付も、人手も、集まりません……!」
白い乙女は、決して物事を楽観視しない。
だから、全くといっていいほど広告に対するレスポンスがなかったときも、さほど取り乱すことはなかった。
精々ソファへと突っ伏し、数十秒ほどいじけた程度。
「まあ、あんたにすれば打ちひしがれたほうか」
「……解っています。人は利益だけで動くわけではありませんが、ゆるやかでも恩恵がなければ感情という燃料は起動しません。見返りがないのに寄付をする貴人や市民など存在しないのです……」
「それ、出来てなかったって反省? それとも泣き言?」
「いいえ、次の一手を打ちます。こうなれば、素直に先人を頼るという決断をするまでです」
パルメはその先が急に聞きたくなくなった。
白い乙女は、自分が人の上に立つような存在ではないと認識しているらしいが、その処理能力と人心掌握術はヨシュアや人類王ですら認めている。
だというのに、もっと頼りになる相手がいるという。
ならばそれは、もはや老獪などというものを通り越した怪物ということになるだろう。
事実として、彼女が口にした名前を聞いたのがパルメ以外だったなら、今頃は震え上がっていたに違いない。
なぜならば、彼女はこう宣言したからだ。
「お父様――ゼンダー・ロア・ページェント辺境伯に、帝王学を学んできます!」