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第一話 聖女はハーフエルフへ労いの言葉をかけました!

「愛しい弟子、旅立つ君に、大切なことを伝えよう。『負傷者の運命は、最初に包帯を巻く者へと(ゆだ)ねられる』。覚えていなさい。きっといつか、君はこの言葉の意味を知ることになるでしょうから」


 いつか聞き、忙しさの中で忘れていった師の言葉が、延々と脳裏で再生される。

 意味は、まだわからない。

 ただ、彼女(パルメ・ラドクリフ)をいま支えていたのは、〝ふたりの師〟が施した教育だった。


「――――」


 なにをどうしたのか、パルメは覚えていない。

 ただ、バジリスクを223連隊に任せ、泥濘(でいねい)の中、傷病者を引きずってがむしゃらに走った。

 彼女が止血した兵士と、エイダ・エーデルワイスを連れて。


 途中までは、オーガに担がれていたはずだ。

 すれ違った女顔の同僚が何かを叫んでいたことも覚えている。

 けれど、どこからか彼女は一人で走った。

 周りを駆ける衛生兵たちと同じように、泥と血にまみれながら、延々と走って。


 走って、走って、走って。

 視界が真っ赤に染まるほど走り抜いて。

 気が付けば、目の前に馬車があった。


 崩れ落ちそうになりながら、自分が包帯を巻いた患者たちを荷台に載せ、そして己も乗り込む。

 もしもエイダが小柄ではなく、そして負傷兵がハーフリングでなければ、何より今日までの鍛錬がなければ、ここまでたどり着けなかったかも知れない。

 ぼんやりとそんなことを認識しながら、しかし思考の大部分は他のことに占有されていた。


「絶対に死なせない……死なせたりなんかしない……」


 譫言(うわごと)のように何度も繰り返し、止血から始まる延命処置を思いつく限りエイダに施す。

 上司の状態は危篤と言って差し支えなかった。

 傷口はグズグズに(ただ)れており、毒が回って変色し、放置すれば命に関わることは目に見えていて。

 血も、止まる気配を見せない。


 だから決断する。


 唇を寄せ、毒が残留していると解っていながら、咬瘡(かみきず)より血液を吸い出す。

 入り込んだ毒素が、血液の凝固を妨げていると。

 今日までの過酷な日々で叩き込まれた知識が告げていたからだ。


 口の中が辛辣な痛みを発し、唇が腫れて見るに堪えない状況になっていくが、それでも彼女はやめない。

 何度も、何度も繰り返す。


「起きなさい……起きていつもみたいに笑いなさいよ」


 アルコールで傷口を消毒し、稀少な水をしみこませた布で、血肉を拭き取る。


「一緒に帰るのよ。アタシが、絶対に連れて帰るから!」


 洗い流しては駄目なのだ、水に乗って毒が他の場所を(おか)してしまうとエイダは言ったのだから。


「ちゃんと覚えてる。アンタの言ったこと、間違えたりなんかしないから」


 最後に、血液の凝固を促進するためガーゼを傷口へと押し込み、両手で固定。

 処置は完了する。

 そう、彼女に出来ることは。

 応急手当に出来ることは――ここで完了してしまうのだ。


「だから……戻ってきて、エイダ!」


 蒼白を通り越し、土気色になったエイダの顔を撫で。

 限界を超えた疲労で、パルメが意識を失いそうになったとき。


 馬車が、止まった。


 荷台に何人もの祭服を纏った――右腕に青い腕章を持つ――ものたちが乗り込んできて、傷病者を抱きかかえていく。

 パルメが止血を施した兵士も、そしてエイダも運ばれていく。


「待って、返して! そのひとは――」


 後を追おうと荷台に手をかけて。

 そのまま崩れ落ちる彼女を、抱き留める者がいた。


「あな、たは」


 かすむ視界の中で、パルメは確かに見た。

 青を基調とした第一種戦時聖別礼装の頭巾(ウィンプル)から覗くのは、春色の頭髪。

 なによりも清冽なのは、全てを慈しみ受け止めるアメジスト色の麗眼。

 もはや一言を発することも出来ないほど疲弊したパルメであっても、その人物のことは覚えていた。


 聖女ベルナデッタ・アンティオキア。


 理解する。

 自分たちが、戦場から最も近く、そして最も偉大なる野戦病院へと辿り着いたのだという事実を。


「おねがい」


 パルメは、残る体力を振り絞って訴える。


「このひとを」


 エイダ・エーデルワイスを。


「――――」


 最早指先一つ満足に動かせない少女は、ただ一つ自由になる榛色の眼差しで訴える。


 その切なる祈りは。

 砕けそうな真心がしぼり出した正しき願いは。


「任せなさい」


 偉大なる聖女へと、確かに届く。


「決してこの()を死なせたりしない。願いを叶えて捨てられるような偶像には、神に誓ってさせない。人が、天使である必要など無いのだから」


 エイダ・エーデルワイスを都合のいい天使になどさせない。

 身命を賭し、人生すらなげうって誰かを救う存在に。

 報酬も賞賛も顧みず、人を助けるためだけの装置に。

 願いを叶えるだけの器などにはさせないと。彼女たちは、間違いなく同じ想いを抱いたのだから。


 お願いしますと、もう一度口にしたつもりで。

 パルメはそのまま、意識を失った。



§§



「――っ!」


 再び目を覚ましたとき、すでに日は落ちていた。

 ベッドの上にいることから、先ほどまでの出来事がなにかの悪夢のように思えて仕方がなかった。

 けれど、ノックの音とともに入室してきた人物を見て、何もかもが現実だったのだとパルメは痛感する。


 看護師。

 その姿を認めると同時にパルメは跳ね起き、掴みかかりそうな勢いで問いただした。


「アイツは! エイダは、どこ!?」


 連れて行かれた先は、特別な病室だった。

 野戦病院の中にあってことさら静謐で、白い部屋。


 そこで、乙女が横たわっていた。


 死んだように静かに、ピクリとも動くことなく。

 顔色は屍蝋(しろう)のように青白く、エイダは仰向けに安置されている。

 呆然と立ち尽くしたパルメは、しばらくしてよろよろとベッドへ歩み寄り、白い衛生兵の口元へと耳を寄せた。

 長く尖った耳を、ピンと張り詰めて意識を集中する。

 微かな呼吸の音が、少女の耳朶をくすぐった。


「生きてる……」

「当たり前です。私が直々に〝奇跡〟を施したのよ?」


 鈴のような声音に振り返ると、入り口には、すまし顔のベルナが立っていた。

 案内を務めた看護師が、頭を下げて退出していく。

 残されたのはパルメと、意識のないエイダと、聖女だけで。


「まず、ひとつ」


 口火を切ったのは、聖女だった。


「よく、ここまで保たせてくれました。あと半刻遅ければ、私でも処置できなかったでしょう」

「それって」

「ええ、エイダ・エーデルワイスは死んでいた、ということよ。けれど、あなたが全霊を尽くしてくれたのでしょう? ゆえに、解毒と蘇生が間に合いました」


 翼十字を切るベルナ。

 へなへなと、腰が抜けたようにへたり込む少女。

 エイダは生きているのだという事実が、彼女に安堵を与えていた。


「的確な施術でした。訓練兵とは思えない腕前です。なにせあなたは、二つの命を救ったのですから」

「ふたつ……」

「……混乱しているのかしら? 無理もありません。あなただって、猛毒で死にかけていたのだから」

「…………」

「さあ、部屋へと戻りましょう。身体を休め、それから――」

「アタシ、ここに残ります」


 聖女は眼を細め、口の端を小さく綻ばせる。

 パルメが次になにを言い出すか、たやすく予想がついたからだ。


「このひとの看病をする。目を覚ましたら、一番に言ってやりたいことがあるから!」


 決然としたその言葉を。

 野戦病院の長たるベルナは、静かに承認したのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] きっと師匠も褒めてくれる
[良い点]  よかったー! エイダと負傷兵が助かったことももちろんですが、パルメさんのこれまでがようやく報われたことが嬉しいです!!
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