第二話 未知の病の正体です!
一方で金色のエルフは、不鮮明な報告を受けていた。
「連隊長殿! 第六戦闘団が脱落! 続けて、第二、第三戦闘団も戦闘継続は困難と!」
「右翼と正面に攻勢が集中しているのか? 道すがら報告は受けているが、今一度正確に告げろ! 敵はなんだ? 魔王軍は、一体なにをした?」
「蛇です! 蛇の群が、塹壕を越えてくるのであります」
「蛇?」
蛇如き、薙ぎ払えばすむ話ではないか?
「それが、敵は大きく、なにより近づくとみな病に倒れてしまうのです」
「病……これか」
鷹の目で遺体を見聞し、レーアは眉をひそめた。
剥き出しになっている部分の肌が、どれもこれも糜爛し、目を背けたくなる有様だったからだ。
「戦場魔術師の魔力障壁、さらにお守りを貫通する病……魔眼とは違うのか? とかく、この状態で戦線を立て直すことは難しいな。クリシュ准尉!」
「はっ」
呼ばれた瞬間、どこからともなくハーフリングの准尉が現れ、レーアの前で直立不動の体勢を取る。
レーアは下令を飛ばす。
「連隊及び各所に通達。この時刻をもって、第一防衛線を破棄。第二次防衛線まで後退。その後、体勢を立て直す!」
「いまだ奮戦中の兵は如何なされますか」
「取り残すつもりは微塵もない。私自らが隊を率い、足止めを買って出る」
「しかし、それでは万一の場合」
「殿は誉れだ」
太い笑みが、レーアの口元に刻まれた。
「必要なのは、最大戦力による一当て。衝撃的一撃をもって敵の怯懦と萎縮を招き、この間隙を活用し負傷兵を救出。そのまま離脱を図る。これができるのは、私たちしかおるまい?」
消耗が激しいこの戦況において、余剰戦力はレーアの率いる古参兵たちしかいない。
採れる選択肢は限りなく狭い。
そのなかで最もマシな演算結果を、彼女は吐き出したに過ぎなかった。
最善ではなくとも、次善であると信じて。
「本隊の指揮は、引き続き貴様に任せるぞクリシュ准尉。やり遂げてくれるな?」
「……委細承知! 連隊長殿も、ご武運を!」
「間抜けにも二階級特進しないことを祈っておいてくれ。ここで安売りする命などない。私のものも、無論貴様達のものもな」
「――はっ!」
信頼と心配が等分に配合された敬礼を受けて、皮肉と冗談を交ぜた答礼を返す。
即座に動き出す連隊各員を見遣りつつ、レーアは効力射を要求。
魔王軍へ魔術が降り注いでいく。
「では、諸君。楽しい舞踏会の開幕だ! 此度も死地に飛び込むとしよう。目標、敵軍未知の病疫! 目標、不明の塹壕無効化戦術! 相手は野獣のごときステップを踏むぞ、荒々しい相手をリードすることも淑女の戦場では必要だ」
「連隊長が淑女を語っておられる」
「ダンスなどと、投げ飛ばすの間違いでは?」
「うるさいぞ貴様ら。なにより我らには――」
我らには天使がついていると言いかけて、レーアは言葉を飲み込んだ。
戦意発揚を狙うのならば、エイダを担ぎ上げることは正しい。それで部隊の生存率が上昇するならば言うべきだ。
けれど……同胞であると告げた。
家族であることを、白き乙女は喜んだ。
この真心を利用するのは、如何に己であっても恥じるべきことだと、彼女は瞬間的な葛藤の末に決断する。
「――貴官らには、私という悪魔がついている。なに、怖れる必要は無い。契約の対価は魔族どもの血で贖えばいい。異存はあるか?」
このとき、将兵全員が沈黙を選んだ。
レーアの飲み込んだ言葉を察したのだ。
だからこそ、続く彼女の発破に、全力で応える。
「ならば征こう! 驕り高ぶる魔族どもに目にものを見せてやるのだ。総員の奮励努力を期待する。成し遂げてみせろ!」
「「「応!!!」」」
力の限り放たれた大声が、己たちを鼓舞し、士気を高める。
223連隊において、エイダとはそれほどまでに大切な存在だった。
動き出す。
すべての将兵が、遅滞戦闘という一個の目的に向けて。
熟練の魔術師たちが魔導杖を掲げ、前面へと魔術投射を集中。
白兵要員が突撃を敢行しようと身構えた。
そのときだった――
「〝なにか〟が来る……! 備え!」
レーアの超感覚が、その姿を捉える。
爆煙を超えて現れる影、多数。
うねる巨体。
大木のごとき太い胴回りと、エルフ三人を横に繋げたほどの長い身体。
開かれる大顎と、そこからチロチロと覗く赤い舌。
蛇の王と称される魔獣〝バジリスク〟の群が、塹壕を意にも介さず突破してきたのだ。
おまけに、その背には大量のゴブリンたちを乗せている。
「なるほど、これが塹壕を突破する魔王軍の戦術、その正体か!」
レーアは獰猛な笑みを浮かべ、戦意を剥き出しにした。
だが、内心では舌を巻く。
塹壕とは、いわば防壁である。
直線的な魔術を受け止め、兵隊の突進を阻む堰だ。
しかしバジリスクの巨体ならば――蛇の身体ならば、乗り越えることが出来る。
走破性が違うからだ。
その上で、兵員を積載できるとくれば、事実上塹壕など存在しないに等しい。
数と力のみを誇る魔族が、ここに来て汎人類を上回る戦術を打ち出してきた。
その事実に震撼する。
それでも。
「撃ち方、始め!」
彼女の心は折れない。
どれほど強力無比な戦術であっても、その機動力と走破性が如何に脅威であっても。
為すべき仕事には、何の変わりもなかったからだ。
「的は大きい、狙わずとも当たる! 塹壕におさまらぬマヌケを吹き飛ばせ!」
命令一下、放たれる魔術の数々は、幾つかのゴブリンを射貫き、いくつかのバジリスクを押し返すことに成功した。
バジリスクには魔眼がある。近づけば総身が麻痺し、次の瞬間魔術で打ち抜かれて死ぬだろう。
だが、バジリスクたちは咆哮し、地を舐めるように頭を下げながら威嚇するだけで、前進をやめてしまった。
そのまま魔王軍はある程度の距離を保ち、突出しない。
ゆえに、部隊が転進する時間は、充分稼げると思われた。
「――おかしい」
奇妙な違和感が、レーアを支配する。
なにかがおかしい。
この程度、たったこれだけのことで、自分とともに戦い抜いてきた猛者たちがなすすべもないなどありえない。
事実、魔王軍と白兵戦に臨んでいる者たちは、凄まじい勢いで消耗し、バタバタと倒れ続けている。
いや、爪牙や魔術が命中したわけでもないのに、倒れている……?
もしもこのとき、この場にいたのが223連隊だけだったならば、魔王軍は勝利を手中に収めていただろう。
なぜなら彼らの〝仕込み〟は既に終わっており。
忍び寄る魔の手が、レーアたちを全滅させていたはずだからだ。
しかしこの場には〝彼女〟がいた。
禁断の知識を身につけた、百戦錬磨の元冒険者。
戦場の天使。
エイダ・エーデルワイスが!
「――この臭いはッ」
遺体の死因を検証するため、地に這いつくばっていた白き乙女は、ピクリと鼻をうごめかせる。
鼻腔粘膜を刺激するのは、戦場において不似合いな臭気。
芥子のように鼻をつく害意。
エイダの視線が跳ねる。
遠方で奮闘する兵士たちが、喉を、眼を、顔をかきむしりながら、倒れ伏していく。
その数は一瞬ごとに増え続け――
エイダは立ち上がり、近くにいた通信術士へと向かって、ありったけの声量で叫んだ。
「特務大尉殿にお伝えを! 前面の大気です! 大気を全て、押し返して下さい……! これは病ではありません――バジリスクの毒息です!」