第六話 魔術瓶を見てもらいましょう!
「ほう……こいつが〝魔術瓶〟か?」
皆が満腹になった頃。
つまり、エイダが運んできた大量の食料が底をつき、収容されていた亜人たちの体調がいくらか戻ったところで、腕利きの細工師だというドワーフが数名呼び出された。
数時間前まで死に体だった彼らだが、いまはその瞳に、確かな好奇心の輝きを宿している。
ドワーフたちに手渡されたのは、戦地まで食品を冷蔵し、食べるときには加熱することが出来る魔導具――〝魔術瓶〟の試作品だ。
「ジャム瓶の応用かの? いや、本質は魔剣じゃわいな」
「二重に術式が刻まれておるのか、よく思いつく」
「しかし細工が甘い……これでは魔力が集まらんぞ」
「儂らならもっとうまくやれるじゃろうて」
「ならば仕事じゃー!」
「退屈は持て余しておる。仕事は歓迎じゃー!」
わいのわいのと盛り上がり、勝手に分析と試作品の模倣、その段取りをつけはじめる亜人たち。
エイダはこの様子に満足して頷きつつ、弟の方へと向き直った。
「工房の準備は、どうですか?」
「問題となる炉ですが、一帯の辺境を切り拓いて作ることになります。頭数は揃っているので、短時間で敷設できるでしょう。もちろん、彼らに対価を約束する旨、陛下から下知を受けています」
「よく頑張ってくれましたね、エルク。大変だったでしょう?」
「外交こそが僕の本業ですからね」
紅顔の美少年は、気恥ずかしそうに笑う。
それから顎に指先を当て、思案をはじめた。
「魔術瓶が出来上がれば、追って魔剣を作ることも出来るようになります。技術は同じですから、問題は材料。冒険者ギルドを通じて、すでに確保済みのアダマンタイトを使います。ドワーフならばアダマンタイトの加工にも通じているはずなので、増産は時間の問題でしょう。各地の収容所にいる亜人たちに、真っ当な生業を与えられるはずです」
「……私は、傲慢でしょうか」
突然の言葉に、エルクは面食らった。
しかし賢明な彼は、姉の心中を即座に察し、ゆっくりと首を振る。
「死んだように生きるしかなかった彼らに……生きているだけの死に体だった彼らに、姉上は僅かでも明日を与えました。それは、偉業です」
「与えた、ですか。こき使っている、という方が正しくはありませんか」
「なぜ、そう思うのです?」
返された問いに、エイダはしばし考える。
やがて、自分の心中でなにがここまで引っかかっているのか、正しく理解した。
思い返されたのは、聖女から授けられた言葉。
「〝責任〟です」
「?」
「私は、無責任なことをしていないか、そう考えているのです」
「…………」
「特務大尉にはああ言いましたが、私の階級が高く設定されていることもまた事実です。私は、戦地へ衛生兵たちを送り出さなければなりません。そして、一人でも多くの命を明日に繋げるため、いまは罪もない亜人の皆さんを利用しようとしています。助くるために酷使する。これは、大いなる矛盾でしょう」
「それは」
エルクがなにかを言いかけたときだった。
「だったら」
割り込む声が一つ。
薄荷色の髪をなびかせて。
一人の少女が、エイダへ問う。
「ここにいる人類全てを、いますぐ救えるっての?」
放たれたのは無理難題。
若草色の瞳に灯るのは、敵意ではなく無謀を諫める色。
それらを正面から受けて、エイダは。
「できません」
毅然と否定する。
「これだけです」
戦場の天使は両手を広げてみせた。
自分の手が届く距離は、たったこれだけしか無いのだと。
「どんなに大言壮語を吐き出しても、私は一人で、この手は二つしかありません。届く範囲は決まっていて、支えられる人数も虚偽で彩ることは不可能です」
「なら」
「――それでも。私は、こう思うのです。ひとりで出来ないのならば、仲間とともにやればいいと。手を繋げば、もっと遠くまで届くはずだと」
世界で最初の衛生兵。
それが放つ言葉の重みを受けて、少女は口を噤んだ。
潔白の乙女が続ける。
「初めは、自分を量産すればよいなどと思いました。しかし知識の伝達、技の習得は自らの意志で行うものです。強制してよいものでは、決してありません。だというのに、私には多くの仲間がついてきてくれました。カリア・ドロテシアン兵長、ノック・トローン先任伍長、ザルク・バーン少尉――全員の名前をそらんじることが出来ます。あなたの名前も」
「…………」
「パルメ・ラドクリフ訓練兵。今一度お願いします。私を手伝って下さい。一つでも多くの命が、失われることのないように」
差し出される右手。
少女は、拳をぎゅっと握る。
「それは……命令?」
「違います。あのときも、今もです」
「アタシには、お師さまがいるの」
「構いません」
「こっちは構うって」
「……あなたにならば、きっと出来るのです。私一人で手を伸ばすよりも、もっと多くの命を明日へと繋ぐことが」
パルメは目を閉じた。
この白い娘と過ごした、いくつもの日々が脳裏を過る。
そうして、気が付く。
いつの間にか自分は、このひとの背中ばかり、目で追うようになっていたのだと。
「……だったら、約束して」
瞼を開ける。
対峙した赤い瞳の中に、意を決した自分の姿があって。
「まずは自分の身体を労るって――」
拳をゆっくりと開き。
エイダへと、手を差し出そうとした。
そのときだった。
「――伝令!」
「何事かっ?」
駆け込んでくる兵士がひとり。
彼はレーアの元へ駆けつけると、声を張り上げて叫んだ。
「アシバリー凍土にて魔王軍が活性化! これにともない、塹壕が突破されております!」
戦慄する兵士たち。
けれど、彼の言葉には続きがあった。
致命的な文言が、一拍の後、放たれる。
「加えて、未知の奇病が蔓延! 前線の兵士たちが、次々に倒れ伏しているとのことです!」
その日、戦場は幾ばくか姿を変える。
アシバリー戦役において。
魔王軍による浸潤作戦が開始された瞬間だった――