第四話 強制収容所は悪夢の牢獄です!
荒寥とした大地に建ち並ぶのは、犇めく仮設長屋。
中を覗けばゴザも敷布もない地面に、亜人たちが直接転がされていた。
建物ひとつにつき、数百人。
隙間無く地べたへ敷き詰められるようにして、彼らは横たえられている。
亜人は皆、骨と皮だけだった。
屈強なドワーフですら頬はこけ、窶れ果てている。
室内にはすえた臭いが充満し、下着同然の服の上ではシラミが飛び跳ね。
彼らの瞳に光はなく、生気は無く、意志もない。
ただ朽ちるのを待つようにして、口を開けて横たわり続けている。
どこからか一匹のハエが飛んできて、亜人の眼球へと止まった。
彼は微動だにしない。
そんな意欲も、反射を行う体力も残されていなかったのだ。
「――――」
これに、パルメ・ラドクリフは絶句した。
同時にレーアが引き連れてきた新兵たちも、言葉を失う。
この場で起きていることは、彼らの想像を遙かに超えていたのだ。
中には目を背けようとするものもいたが。
それを、金色のエルフは許さなかった。
「逃避は認めん。刮目し、篤と視よ。敵性亜人種の誹りを受けた我らが同胞が、如何なる地獄に身をやつすのかを」
魔族と汎人類による大戦。
その中にあって、亜人は選択を迫られた。
もとより、亜人とはヒト種よりも魔族に近い生態を持っている。
どちらに与するか、彼らは議論を重ねた末、三つに分かれた。
魔族の軍門に降るもの。
人類であると宣言するもの。
そして、中立であることを選んだものたち。
結果として、人類生存圏に残った亜人たちをヒト種は持て余した。
いまは従順であっても、いずれ敵方へ寝返るかも知れない。そんな疑念を、誰も捨てきれなかったのだ。
だから、地位や財力を持つ一部の特例を亜人街へと追いやり。
それ以外を、あつめて隔離した。
これが汎人類の業、悪名高き政策の極地。
『ヒト種及び亜人保護のための王令』に基づく、強制収容処置だった。
かくて亜人たちは保護の名目で隔離施設へと収容され、全てを奪われた。
例外だったのは新兵達の出身地のような、ヒト種とは縁のない極限環境に隠れ住む者たちだけ。
「彼らが取り上げられたものはなにか? 自由か? 財産か? 尊厳か? 無論それは正しい。だが、失われた最大のものは〝権利〟と〝義務〟だ。人間として生きる権利。そして、日々の糧を得るために、生きるために必要な労働の義務さえ奪われたのだ」
レーアの言葉は事実である。
収容された亜人たちは、一切の労働を禁止された。
意欲を持つことを奪われた。
ただ寝そべり、日によって異なる時間に与えられる一欠片のパンと、具のないスープを口にしてまた眠る。
そのような虐待を強要されたのだ。
「惨い……こんなのって――」
「そうだ、非道だ! 無道だ! やっぱりヒト種は最悪だ!」
青ざめるパルメと、ヒト種を許すなと叫ぶ新兵達。
けれど、そんななかで一人。
ただ一人、別の行動を取っているものがいた。
彼女は施設内を見渡し、動くことのない亜人たちを子細なく観察すると。
次の瞬間には、全てを開始する。
「イラギ上等兵殿! 私を肩車して下さい」
「おいらが? 閣下殿を?」
「閣下でもなんでもいいですから、はやく!」
「な、なぜに?」
オーガの問い掛けに、乙女は眦を決しながら答える。
「この施設は、換気がなっていません。これでは病の蔓延は時間の問題です。だから、窓を作ります。全員に水浴びもしてもらいます。健康診断もします! 治療を覚悟しておいてください。いいですね!」
「お、おい! 病気が感染――」
「関係ありません。命がっ! 優先されますっ!」
新兵の誰かが叫んだ忠告を、エイダは一刀のもとに斬り捨て動く。
困惑するイラギに見切りをつけると、一番近くにいたハーフリングの子どもを抱き上げ、シラミや病が感染する可能性など考慮もせずに、コ・ヒールを発動。
そうして、続ける。
「応急手当を行います。終わり次第、責任者のところへ行きましょう。権利を奪われたとか、義務を奪われたとか、そんなことはもうおしまいです。私は、そのためにやってきたのですから」
啖呵を切ると同時に、エイダは本格的な検診を始める。
亜人の若者たちが声高に叫ぶだけだったとき。
たったひとり行動に移したのは、皮肉なことにヒト種のエイダだけだった。
そんな戦場の天使を見ながら、レーアが僅かに口元を歪める。
彼女はゆっくりと振り返り、新兵たちへと告げた。
「そうだ、終わりにしなければならない。ここは、悪夢の牢獄だ。否――牢獄だった! しかし、最早違う。我々が武勲を積み上げた結果、発言権を有したいま――悪辣を廃する改革が始まるのだ。諸君。新兵諸君。もしも貴君らの胸に同胞を思う心あらば! 彼らに人生を取り戻させてやりたいと願う炎があるならば。どうか戦場にて、赫々たる武功をあげて欲しい。諸君の奮励努力が、彼らの明日を、義務と権利を作るのだから!」
金色エルフの演説を耳にして、ざわめいていた新兵たちは静まりかえった。
彼らは真剣な表情で考え、悩み、隣の様子を伺い。
けれど最終的に、己の意志をもって行動した。
「応!」
突き上げられる拳。
誓約の雄叫び。
新兵たちは、各々が出来ることを模索しはじめる。
エイダ・エーデルワイスという乙女が、まるで旗手を務めるように。
彼らは彼女のあとへ続く。
ヒト種だからと嫌っていた姿は最早ない。
自己犠牲を目の当たりにして。
何よりも優先すべき同胞達を前にして、彼らは結束したのである。
その情景を、ハーフエルフの少女はずっと見ていた。
激昂はとっくに醒めて、けれど揺れる眼差しを上司へと向ける。
「すぐそうやってアンタは――」
慈愛深く、衰えた亜人を助け起こすエイダ・エーデルワイス。
パルメは知っている。
回復術士や高位の魔術師は、病や魔術に対する耐性が僅かに高い。
だから、理屈の上ではエイダが無謀な真似をしていないことを理解できる。
それでも納得いかなかったし。
なにより、また行動が遅れた自分が恥ずかしかった。
「アンタ、ちょっと休憩しなさい! あとはアタシがやっとくから」
早速オーバーワークを始めようとする白き乙女へと注意を飛ばし。
パルメもまた、輪の中へと入っていく。
彼女はザルクからの一つの頼まれごとをしていた。
エイダの隣にいること。
その、制止役であることを。
「絶対、無理なんかさせないんだから」
言われるまでもない。
薄荷色の少女は強く、決意をつぶやいた。