第一話 ジャム瓶を作る人手が足りません!
白き乙女が衛生課へと凱旋してすぐ。
薄荷髪のハーフエルフは執務室へと駆け込み、エイダの胸ぐらを掴んだ。
震える手、震える唇。
耐え忍んだ末に放たれた雷は――怨念とは無縁のものだった。
「なんで無茶した!」
若草色の双眸から、複雑な感情が露となってこぼれ落ちる寸前。
それを手の甲で拭って、少女は声を張り上げた。
「逮捕されるなんて、聞いてなかったッ」
蒼白な顔色で。
今にも座り込んでしまいそうな足に力を入れて、パルメは立つ。
そうして、目前で戸惑った顔をしている上司の身体を、くまなく調べながら続ける。
「アタシが酷使されるのは正しい。アンタの部下だもん。山みたいな書類整理だって、愚痴垂れながらこなすわよ。でも今回のことは看過できない。自分を大切にしないにもほどがある!」
「心配、して下さるのですか……?」
「するに決まってるでしょ……馬鹿……」
触診を終え、エイダが無事だと確かめたパルメは、安堵の息をつく。
こんなにも心が拉げそうになるなんて思わなかった。
誰かを心配するなんて、師であるアズラッド以外にはいないはずだったのに。
そうやって胸を撫で下ろし――二人を比べてしまった事実に、顔をしかめる。
「誰かに案じていただけるって、嬉しいことですね」
「喜ぶな。それで? どうなったわけ?」
「はい、万事解決しました。これからは忙しくなると思います」
「アンタを嵌めたやつの処罰で?」
「キノワ大佐の件は、穏当に処理されるはずです」
「はぁ!?」
思わず、今度こそ怒りのこもった声を上げると、エイダは説明をはじめた。
そもそも、物資の中抜きは兵站課自体で常態化していたことだった。
キノワは闇市を見逃していただけで、関与はしていない。
彼の目的が、クロフォード侯爵家を繁栄に導くことだったからだ。
ルメールという街の中で、同じパイを奪い合うことなど無意味以上に損が勝る。
それでも、己の足場を盤石とするため。
また、他の領主が治める土地でも同じようにブラックマーケットを開催するため、キノワは立ち回っていたのである。
「重要なのは、闇市によって日々の糧を得て、糊口を凌いでいた人々がいる事実です」
亜人街など、その最たる例だろう。
いきなりすべての不正を暴けば仕組みは崩壊し、結果として大勢が餓えることとなる。
キノワは徹頭徹尾、ルメールの民を守ったのだ。
よってエイダとクロフォード侯爵は連名の形を取り。
軍部に対して、キノワの情状酌量を求めた。
衛生課は取り引き材料として、滞っている物流の事情をまとめた書類を提出。
「結果、キノワ大佐は軍法会議にかけられ降格処分を受けるものの、除隊は免れるとのことでした。兵站課自体を責めきれないという形です。無論、このままにはさせません。抜本的な改善はやって貰います。物資未達の是正を」
「……自分に危害を与えようとした相手を許そうっての? お人好しが過ぎるんじゃない?」
自分なら、徹底的に叩くだろうと少女は思う。
一方で、善人の権化たるこの白髪頭なら否定するだろうとも。
しかし、返ってきたのは予想外の答えだった。
「私とて、聖人ではありません」
「そうであって欲しいわね」
「貸しひとつ、というやつです。兵站課は少しばかり痛い懐をつつかれて、現在火消しに躍起になっています。なので、ここで協力を申し出れば、なかよしになれるやも知れません。なによりこちらの手には、キノワ大佐というカードがあります。憲兵隊と連携し、身柄は抑えさせていただきました。なにもかもを暴き立てることは、容易いのです」
言葉の意味するところを理解して、パルメは顔を引きつらせた。
詰まるところ、相手が弱みを見せたのでつけ込んでやろうというのだ。
「アンタ、思ったより貴族なのね……エグいったらありゃしない」
「……? 有利に交渉を進めるため最善を尽くす、当たり前では? とにかく、キノワ大佐は大丈夫です。おそらくですが、より大きなバックボーンもありそうですし」
「……?」
「こちらの話です」
「なら、忙しくなるってのは、何?」
その問い掛けに、エイダは深く頷く。
「闇市に依存した困窮者への改善処置もそうですが……兵站課という輸送路を確保した以上、私は急務を成し遂げなければなりません。ヨシュア上級大佐に、今回も名付けていただきました。魔剣と同じ術式によって、温度調節が利くジャム瓶。即ち――」
かつて眼鏡の上級大佐をして、〝破天荒〟と言わしめた乙女が、目を輝かせながら宣言する。
「〝魔術瓶〟による、戦闘糧食の改善です!」
§§
「まことに申し訳ないと思いますが! 現状、ギルドはてんてこ舞いにて! エーデルワイス様の望む製品を量産しようにも、これだけの大量発注は捌ききれません!」
進捗を確認しようと商業ギルドを訪ねたエイダを待っていたのは、あからさまに寝不足の様相を呈するギルド長ゴードンの悲鳴だった。
「寝食の暇がない忙しさ、商人の好む環境ではあります。制作を委託された温冷を切り替えられる〝魔術瓶〟の制作、これは名誉であり、なによりギルドの潤す財源。ですが! 量が! 多すぎる! 加減、塩梅、これも商人が重要視する言葉ゆえに」
ゴードンの叫びは、もっともであった。
衛生課が、軍部を経由した根回しの末に民間へと発注したジャム瓶の量は、現在人類連合諸国内に出回っている瓶の量と、ほぼ同数。
元より瓶詰めには、一定の保存性がある。
しかし今回は、より保存性を高め食味も改善するため、温冷二重の術式を付与する必要があった。
つまりは元々あるものを再利用するのではなく、新規に製造しなくてはならないのだ。
一商業ギルドの手には余る一大事業だ。
まず、〝魔術瓶〟は試作品に過ぎず、さらなる研究が必要であり。
加えて通常業務も、キノワの逮捕により闇市が萎縮したことで、さらに忙しさを増している。
とっくの昔に、ゴードンのキャパは溢れていた。
「各地の商業ギルドと連携し、抱え込んでいる職人の多くを動員しています。されど、なお追いつかないのが実情。職人の数が、圧倒的に不足しているのです」
「つまり、人員が足りないのですね。ギルドが抱えているヒト種では足りないと」
「……なにをお考えで?」
不安そうに眉根を寄せる禿頭のギルドマスターに。
エイダは、満面の笑みを返す。
「憧れていると仰ったのは、ギルドマスターさんではないですか」
そうして、告げるのだ。
世界を変える、言の葉を。
「亜人の皆さんへ、働き口を斡旋します!」