第六話 御笑覧あれ、これが応急手当です!
「ぎぃゃあああああああああああああああああああ――っ!!!!」
一時も止まない戦火の騒音を縫って、野太い絶叫が曇天へと突き抜けていく。
飛び交う攻勢魔術の下、白い少女の髪が血に染まっていた。
「叫ぶだけ叫びなさい! そのほうが痛みをごまかせますから」
「そ、そんな、ふざけて」
「大真面目ですよ!」
泣き叫んでいるのは屈強なオーガの兵士だった。
彼は右腕を半ばから失っていた。
そのちぎれた腕に結節バンドを巻き付け、エイダは思いっきり引き絞った。
「あぎいいいいいいいいいいいい!?」
再び上がる絶叫。
しかし意に介することなく、彼女は傷口のすこし上――太い血管が通っている部分を締め付け圧迫し、重ねて縛り付けていく。
「こ――この拷問になんの意味が」
「拷問ではありません。応急手当。そしてこれは、止血です!」
「そんなもの聴いたこともな――痛テェエエエエエエエエエエエ!?」
「血の一滴は命の一秒と心得なさい! はい止血終了!」
三度念入りに縛り付け――オーガは泡を吹いて白目をむいた――彼女は満足げに額の汗を拭った。
それから、自分の倍ほどもあるオーガの脱力した巨体をむんずと抱え上げると、ズリズリと泥濘の上を引きずりながら、塹壕の内側へと運んでいく。
「素晴らしい……! 素晴らしいぞお嬢さん!」
待ち受けていた金髪碧眼のエルフ――レーア・レヴトゲン特務大尉は、喝采を持って少女を迎えた。
最前線からすこし下がった塹壕。
そこには、少女が戦地から救出してきた無数の負傷兵たちが転がされていた。
ほとんどのものがなにもしなければ落命しても不思議ではない重傷であるのだが、奇妙なことに彼らは痛みにうめき声を上げはしても、急速に症状を悪化させ、ショック死するものなどは見えない。
「これが応急手当か!」
「はい!」
悪魔のような笑みを浮かべ、理解を示した上官に、少女もまた満面の笑みを返す。
そう、エイダがおこなっていたのは、かつての仲間たちに無意味と断じられた医療処置――応急手当だった。
独学と実践によって練り上げられた知恵と技術が、冒険者としての経験を経て独自に昇華されたもの。
賢者たちが魔術文明の裏で隠匿し、独自に受け継いできた無数の未分化な技術体系。
その最も重要な部分を抜粋し、あらゆる状況下での傷病者に即応できる彼女だけが保ちうる技能。
それこそが、応急手当。
「そらお嬢さん、またひとり吹き飛んだぞ」
「行きます」
塹壕から軽やかに飛び出す少女には、恐怖の色がない。
当然の話だった。
彼女は仮にも、勇者の栄誉を受ける冒険者たちとともに、恐ろしい魔族と戦ってきた歴戦の強者なのだから。
度胸も、体力も、常人のそれではないのだ。
「私の声が聞こえますか? ここがどこか解りますか?」
ドワーフの兵士へと駆け寄るなり、エイダは声をかけ、まだ無事な彼の右手首を握った。
しかし、すぐにエイダの表情がゆがんだ。
瞬間の判断。
彼女はドワーフを担ぎ上げると、塹壕へと走る。
「どうしたお嬢さん」
「どうでもいいのですが、私はもうお嬢さんという歳ではありません」
「失礼、エーデルワイス高等官。そいつは助けないのか?」
頭上を通過していく火球を避けて、塹壕に沈み込んだエイダとドワーフを見て、レーアは試すように口元をゆがめる。
対してエイダは、どこまでも冷静に処置を反芻する。
「応急手当の第一は〝意識確認〟。呼びかけ、声をかけて、対象の意識があるかを知ることから始まります」
「そいつ――ダーレフ伍長はどうだ」
「意識はありません。そして」
彼女は、ドワーフの分厚い胸板に耳を当てる。
「拍動がなく」
ついで口元に顔を寄せて、
「自発呼吸が見られない」
レーアが頷いた。
「つまり。死んでいるだろ、これは」
「いいえ、あくまで心臓が止まっているだけです」
それを死んでいると言うんじゃないのか? とレーアは首をかしげかけたが、黙って話を聞く。
「外部から強い衝撃を受けて、そのショックで拍動が停止しているだけですね」
「ふむ? 助ける余地があると」
エイダは、ドワーフの閉じていた瞼を無理矢理に開く。
「瞳孔の収縮が確認できます。つまり、可能です」
「具体的には?」
「心肺蘇生術を試みます」
「それは、どういった意味の――」
訊ねかけて、秀麗なエルフの顔に驚きが走った。
エイダが。
見目麗しい少女が――亜人からすれば髪の色も瞳の色も気にならない――ためらいもなく厳めしい髭面の、泥と血にまみれたドワーフへと口づけたからだ。
「エーデルワイス高等官。死者を愚弄する趣味は控えてほしい!」
「命を生かすためなら、尊厳の愚弄がなんですか!」
叫ぶなり、エイダは両手を組んで拳を作り、ドワーフの胸の中央、やや左寄りを殴りつけた。
「貴様!」
「おまえ、なにをやって!」
「ダーレフ!」
周囲のまだ余裕のあった兵士たちが次々に立ち上がりエイダを怒鳴りつける。
戦友は、彼らにとってなにより大事だったからだ。
だが、少女は意にも介さず、またドワーフへと口づけ、そして胸を殴る。
「いい加減に……!」
「待て、クリシュ准尉。見ろ」
クリシュと呼ばれたハーフリングの青年が殴りかかろうとしたところを、エルフの特務大尉が肩を掴んで止めた。
「げ、げぶっ」
ドワーフの口から、呼気が、血混じりの唾をともなって飛び出した。
そうして、今の今まで動きもしなかった胸が、緩やかに上下をはじめたのだ。
呼吸が、再開したのである。
「信じられない……」
クリシュは大きく目を見開いた。
呆然と開いた彼の口から、自然と言葉が漏れ出す。
それは、現状を過不足なく適切に言い表すものだった。
「――奇跡だ」
「いいえ、これは応急手当です。命は、これから繋ぎます」
エイダは決然と言い放ち、双眸の焔を猛々しく燃え上がらせた。
ハーフリングの目には、その血まみれの少女が、白く、どこまでも潔く映った。
まるで、自らを助ける天上の御遣いのように。
「では、負傷者を連れて、野戦病院に向け出発します」
彼女は自力で動けない者たちを、事前に用意していた荷車へと乗せていく。
そうして、戦術魔術が途切れた瞬間を見計らって、223連隊の傷病者たちは、一斉に塹壕から後方へと護送されていった。
それからきっかり半日後。
古城を即席で活用した野戦病院に、数台の荷馬車が到着した。
それは負傷兵を満載したもので、迎え入れた病院の責任者である聖女は驚愕することになる。
「彼らはどこから送られてきたのかしら?」
「はっ、最前線、ウィローヒルの丘からです」
「そ――そんなこと有り得ないわ!? だって、こんな重傷者が最前線からこの病院まで保つわけがない。一命を取り留められるわけが……」
「しかし、これは事実で」
「だとしたら……これは奇跡よ。二度と起こりえない、神や天使の加護があったとしか……と、ともかく治療! みな、ヒールの準備を!」
聖女の号令一下、回復術士たちが次々に兵士たちを癒やしはじめる。
そして最前線。
エイダ・エーデルワイスが去り、いままさに戻ってこようとしているその場所で、美しいエルフが狂ったような哄笑をあげていた。
「は、はははは――はーはははははは! 素晴らしい、貴様は本当に素晴らしいな、エーデルワイス高等官! これで――これで我々はもっと死を恐れずに戦える!」
彼女はスコップを相手役に見立て、ステップを踏みながら、破壊と轟音の中で独り言を続ける。
飛来する無数の魔術や投槍の類いは、まるで自らそうしているかのように軌道を変え、彼女に命中することは決してない。
それは、どこまでも魔的な現象で。
「歓迎する。歓迎するとも。そして認める。貴官は有能で有用だ! 勇者のパーティーを追放された無能? 否、断じて否! 私だけは認めよう、我々こそが抱き留めよう。掃きだめの、使い捨ての、無用のコマとして使い潰されるこの223連隊が受け容れる! 同志だ! 貴官は同志だエーデルワイス高等官! この悍ましい戦場で、誉れ高き最悪の地獄で、ともに血みどろのダンスを踊ろうじゃないか! はははは、ははははははははは、あははははははははは!」
塹壕には、ただひたすらにレーアの。
尽忠報国に燃える亜人の歓喜に打ち震えるかのような高笑いが、爆裂魔術を背景としながら、いつまでも響き渡っていた。
その姿は、天使というよりも――その真逆に位置するものにこそ、近かった。