第四話 領主様から夜会に招待されました!
パルメは崩れ落ちそうになった。
「アタシも行きます。この人のせいで、衛生課――というか応急手当が勘違いされるの、すっごく嫌なので!」
などと口走ったことを早くも後悔していた。
両耳は、既にげんなりと垂れている。
一行が招待された夜会の会場は、それほどまでに浮き世離れしており。
なによりも欺瞞と権謀術数で満たされていたからだ。
通商都市ルメールを眼下に見おろす大邸宅――クロフォード侯爵邸。
領主である彼の屋敷へとエイダが招待された理由は、ひとえに魔導馬事故で心停止となった赤ん坊――侯爵の子息が恢復したためであった。
この夜会は、快気祝いの場だったのだ。
会場には、戦時下でありながら煌々と魔術の灯りが焚かれ、酒杯や色とりどりの果物などがテーブルを彩っている。
交易の要所らしく、珍しい一品も多い。
滋養強壮によいとされるチョコラトルや紅茶一式、ニシンのパイ、ザワークラウト、野菜が山ほど入ったシチュー、蜂蜜がたっぷりかかった焼き菓子や子牛の丸焼きなども饗されており、クロフォード侯爵の財政力をうかがわせる。
それもそのはずで、ルメール領主とは、世が世なら一国の王を意味していた。
魔王軍による大攻勢をうけ、各国の王侯貴族は人類王のもと一致団結。
その貢献に応じて、現在の地位と所領を認められている。
――少なくとも、表向きは。
このような都市は、人類王の統治下にいくつか存在した。
エイダの父が治める都市、リヒハジャなどが最たる例だ。
そう考えると、自分の上官はお姫様なのではないかという疑念に行き当たり、パルメの目眩は悪化した。
「ラドクリフ訓練兵。気を確かに持ちたまえ。ここは、既に戦場なのだから」
人混み、喧噪、エイダの真実と、多くのショックで卒倒しそうだった彼女を、太い腕が支える。
ザルク少尉だ。
彼が口にした気付けの言葉は、然りなのだろうとパルメは思う。
会場に渦巻く、人の熱、人の夢、人の業。
誰も彼も、豪勢な食事や飲み物になど目もくれない。
ひたすら熱心に、多くの者と言葉を交わす。
貴族や豪商。
彼らにとって社交界とは、文字通り外交の場であり戦場でもあった。
顔を突き合わせ、話術と弁舌を持って相手の懐に入り込み、自らを売り込み縁故を作る。
右手で握手をしながら、足下では互いのすねを蹴り合って牽制、背後に隠した左手で虎視眈々と賄賂を差し込むの瞬間を待つ。
華やかなりし社交界とは表面上の姿。
一皮剥けば、欲望と権謀術数の吹き荒れる最前線がそこにはあった。
そんな夜会の席に。
凜として咲き誇る〝華〟が一輪。
「――――」
衛生兵の正装へと身を包んだ、潔白にして炎眼の乙女。
エイダ・エーデルワイス。
彼女の容姿は、かつて物笑いの種でしかなかった。
奇異な外見ゆえに、醜女として多くの場から排斥されてきた。
だが、いまは違う。
「御覧になって、あれが戦場の天使様よ」
「まあ、無垢なる白百合のよう」
「もしくは気高き新雪だわ」
「真珠だって、あそこまで美しくはないもの……わたくし、お抱えの魔術師に頼んで髪を白く染めてしまおうかしら」
婦人たちの間で飛び交うのは、以前とは対極なる賞賛の言葉。
風聞など、地位や名誉で容易に変動する。
良きにつけ悪しきにつけである。
「広告塔? おおいに結構ではないですか」
会場を訪れる前、エイダはこう語っていた。
人命を守るために役立つなら喜んで着飾り、閣下と呼ばれることも甘受できると。
白き乙女が意志は鋼の如く。
ゆえにパルメはいま、苛立ちに支配される。
なぜ、人を救うことが目的の応急手当を、政争になど利用してしまうのか。
なぜ、こんな小娘に周囲は期待をしてしまうのか。
全員が、致命的に手段と目的をはき違えているように思えてならなかった。
そんな思いとは裏腹に、エイダが出席することを聞きつけ、夜会への参加を望む声は多かった。
衛生課は、それほどまでに注目を集めていたのである。
「でも、この人にとってはそれすらきっと、些細なことなんだ」
パルメを落ち着かせたのは、結局のところ〝呆れ〟だった。
この煌びやかな場で、食事に手をつけるでもなく、誰かと会話をするわけでもなく、白き上司はテーブルに並ぶ品物を熱心に見詰め、メモを取っている。
それがなんともエイダらしく、マイペースで。
パルメは苦笑し。
周囲は大いに困惑した。
お目当てだというのに、誰もエイダへ話しかけることが出来ない。
海千山千の豪商貴族たちが、彼女の熱意にただ戸惑い続けている。
そんな時だ。
「お待ちしておりましたわ!」
喧噪を割って、ひとりの女性がエイダへと駆け寄った。
パルメは驚く。
あのときと、女性の雰囲気が一変していたからだ。
訓練学校へ飛び込んできたときとは明確に異なる、溌剌とした笑顔を浮かべる貴婦人。
彼女――クロフォード侯爵夫人は、勢いよくエイダの手を取る。
「エイダ・エーデルワイス様。よくぞおいで下さいました。歓迎いたします! ほら、あなたもお礼を!」
「そう急かすなって――主催者には主催者の都合があるもんなんだよ」
ずいっと、奥方の背後から姿を現したのは、威風堂々とした、しかし赤ら顔の男だった。
整えられた口ひげに、精強さと威厳の同居する彫り深い顔立ち。
胸元には勇壮なる家紋――黒金の馬が刺繍されている。
どよめく周囲を、片手をあげただけで鎮め、男は名乗る。
「俺はリカルド・ヴァン・クロフォード。この街と、一帯の街道を治める領主様ってやつだ。初めましてだな、エイダ・エーデルワイス親任高等官殿? あるいは、こうお呼びするべきかな――エイダ・ロア・ページェント辺境伯ご令嬢と」
凄味のある言葉。
跳ねっ返りのパルメですら、その貫禄と威風に身が縮む。
けれど白き乙女は、なにひとつ変わらぬ立ち振る舞いで挨拶をしてみせた。
「お目通りが叶って嬉しく思います、クロフォード卿。呼び名はエイダで結構です。私は、衛生兵のエイダですから」
「よく知ってるぜ、俺の国で勝手な商売をはじめようとした不届き者だ」
「健康診断は、今後も無償で実施したいと考えています」
「タダより高けぇものもねーだろ。何をふっかけるつもりだ?」
ぎろりと睨み付けられて。
しかしエイダは、穏やかに微笑む。
侯爵の口元が、皮肉に歪んだ。
「へー……こんだけ無礼た態度を取られても怒らないのかい? 俺と辺境伯の爵位はだいたい同格。おまえさんにある強みは、人類王の親任のみと踏んだ。そんで、俺は陛下を盲信しない、怨んですらいる。だからよ、少しでも媚びてくるようなら容赦しないつもりだったが……おもしれぇな?」
値踏みするような領主の視線。
一方でエイダは、小首を傾ぐ。
そして、不意に領主との距離を詰めると、
「すんすん」
彼の胸元に抱きつくようにして、臭いを嗅いだ。
「……おもしれぇとは言ったが、色仕掛けをするにゃあ肉付きが悪いぜ」
「控えてください」
「なに?」
密着されても顔色を変えなかったリカルドは、しかし怪訝そうに眉を寄せる。
エイダは長身の領主を見上げて、噛んで含めるように告げた。
「お酒を控えてください」
「命令してんのか、俺に、おまえさんが?」
「平常時、手が震えたりしませんか? 運動もしていないのに酷く汗を掻いたり、苛立ちやすくなったりは?」
「いままさに俺は怒鳴りたい気持ちでいっぱいだがな」
「中毒症状です。きっぱりお酒をやめてください」
反論を許さないエイダの言葉に、赤ら顔の領主は目を見開く。
高まる緊張に、周囲は固唾を呑む。
かたや辺境伯の娘にして人類王の後ろ盾を持つ衛生課長官。
かたや物流の発展に寄与し続けてきた熟練の大貴族。
もしもここでふたりが衝突すれば、ただではすまない諍いが起きるだろう。
すくなくとも、王と貴族の間に影響がでることは間違いない。
侯爵の奥方ですら、夫の態度が意外だったのか、オロオロと立ち尽くしている。
一触即発。
そんな言葉が一堂の頭を過った瞬間だった。
「クロフォード卿、お酒の件は後に回します。なので、早速ですが用立てていただきたいものがあるのです」
エイダが、異常なことを口走った。
確かにこの場で、彼女はなんらかの報奨を得ることとなっている。
だが、あくまでそれは領主の腹づもり次第であり、このような物言いは足下を見られることがわかりきっていた。
まして彼女は、いま侯爵の怒りを買うような言葉を発したばかりなのだ。
激昂しかけていた領主は、ここで明らかな失望を浮かべた。
「……確かにここは祝いの席で、あんたを持て成す場だ。息子の命を救ってもらった手前、礼ってことなら引き受けないでもねぇ。だが、いきなり無心とは。俺は、あんたを買いかぶりすぎたかと――」
「あれが、たくさん欲しいのです」
リカルドの言葉を遮り、エイダはテーブルを指差す。
そこにあったのは、一式のティーセットで。
「陶磁器? ふん、美術品をせびるとは、戦場の天使も噂ほどじゃ」
「いえ、欲しいのは〝ジャム瓶〟のほうです」
「――は?」
居合わせた全員が首をかしげた。
なぜならジャム瓶など、平民のこづかいでも購入できるものであり。
「是が非でも都合してください。なぜならば!」
たたみかけるように、エイダは告げる。
「私はジャム瓶で――即座に温められる保存食を作りたいからです!」