第二話 教会で懺悔します!
ハーフエルフの少女――とザルクが内密でつけた数名の護衛――を引き連れ。
その日、エイダは執務室の外へと出た。
教会へ、謝罪を行うためである。
先日、衛生課は総出で馬車追突事件の被害者へ治療を行った。
この中にルメールを治める領主、クロフォード侯爵家の縁者もいた。
あの赤ん坊である。
緊急時だったとはいえ、回復術士の到着を待たず領主子息の蘇生を行ったこと。
これは教会の威信を傷つけかねない行為であり、高度に政治的な判断が必要だった。
軍部は事態の隠蔽を図るが、筋が通らないとエイダは強弁。
直接教会へと出向いたのである。
もっとも、これに萎縮したのは教会である。
「お、お願いですからお顔を上げてくださいませ、エーデルワイス親任高等官様!」
神の家へ到着するなり懺悔室へとこもり、延々と理路整然とした謝罪を続けるエイダに司祭や術士達はほとほと困り果ててしまう。
衛生課と教会には、そもそも対立関係など無い。
翼十字教会の定める禁断の知識――医療を用いる衛生兵は、確かに教会本山からすると容認しがたい。
とはいえ現在は有事で、人類王からの優遇もある。
加えて、教会はここしばらく、喜捨と信者の増加がめざましかった。
〝戦場の天使〟が打ち立てた戦場伝説。
それが民草へと伝わり、信仰を導いたからだ。
ゆえに教会は事を構えるべきではないと判断し、軽度の罰則で事態を収めようとしていた。
しかし、彼らにとって不幸だったのは、相手がエイダ・エーデルワイスだったことである。
生粋の生真面目さから、あらん限りの謝罪、懺悔、告解の言葉を吐き出していく乙女。
彼女の切々たる訴えを聞き、術士や修道者達の間に、残酷な戦地の有様が克明に喧伝されていく。
あるものは憧れに胸を高鳴らせ、あるものは悲劇に涙して。
このままでは全員が帰俗し、衛生課への入隊を決めるというところにまでなって。
……結局、教会は駐留していた聖女へと泣きつくこととなった。
「それがあたし、ベルナデッタ・アンティオキアってわけ。まあ、仲裁役ね」
ようやく告解室から出て、再発防止を兼ねた協議へと参加したエイダをよそに。
春色の髪に紫色の瞳を持つ聖女、第一種戦時聖別礼装に身を包んだベルナは、紅茶を嗜みつつ、目前の少女を指し示す。
「あなたも大変ね、アズラッド元司教のお弟子さん?」
「……最初に言っておきます、聖女様」
直近からずっと、自分のことを睨み続けている薄荷色の髪をした少女に、ベルナは労いと共感の言葉を投げた。
だが、返ってきたのはじつに刺々しい言葉で。
「アタシ、あなたが嫌いです」
「どうして? あたしがあなたの師匠、その生徒であった時期があるからかしら?」
それだけじゃないと、パルメは首を振る。
この場に、潔き天使と聖女の戦場伝説を知らないものなどいない。
世間に疎いパルメでさえ、同僚たちから聞かされていた。
曰く、天使に活躍する場を与えたのは、気高き聖女であったと。
「聖女様があれを看過したんですよね」
「……なにを言いたいのかしら?」
「どこにでもいる小娘を、都合のいい天使に仕立て上げたのは、あなたでしょうと言ってるの」
ベルナデッタはため息を吐きかけて、飲み込む。
真剣な怒りを顕わにする少女にとって、それは失礼なことだと感じたからだ。
聖女としてのベルナがその気になれば、亜人であるパルメを教会からつまみ出すことなど容易い。
それでも真剣に耳を傾けたのは、少女の内心を汲んでこそ。
「……お節介な忠告をひとつ。ここは教会だから、みだりに天使の名前を出すべきじゃないわ。とくに、ヒト種と複雑な距離感を持つ天使の名前を、ハーフエルフのあなたはね」
「誤魔化すつもり? アンタの過ちを。アイツに、権力を持たせたことを」
食ってかかる少女のいじらしさに、聖女は口元が緩むのを抑えきれない。
なんとか紅茶を飲むことで誤魔化し。
それから誠実に、穏やかに、パルメの言葉を否定する。
「いいえ。懺悔しましょう。あたしは確かに――あの子を、天使だと否定しなかった。否定したはずだけれど、どこかで認めてしまった。いまの境遇を考えれば、それはとても無責任なことだったのでしょう。けれど」
聖女は続ける。
「では、〝責任〟とは何かしら?」
「それ、は」
言いよどみ、苦々しい顔をするパルメ。
その耳が、シュンと垂れる。
「勘違いしないで頂戴。説教をするつもりも、煙に巻くつもりもないのよ。でもね、きっとあたしたちは、危惧していることがおんなじ」
紫色の瞳で、ベルナデッタは正面から少女を見据える。
「エイダ・エーデルワイスは、早晩身を滅ぼす」
「っ」
「あの子は滅私の精神が強すぎる。何事も、挺身――いいえ、自己犠牲が先に立ってしまう。無責任というなら、これこそが無責任よ。彼女はもう、全てを捨ててしまってよい立場にないし、人間はそもそも他者のために自分を捨ててよいものでもない。教会がどれほど、自己犠牲に美徳を見いだしていてもね」
「……だったら、どうすれば正解だったわけ?」
呻くように。
光を求めるように。
パルメは聖女へと問い掛けた。
「アタシには、アイツが認められない。何もかも気に食わないし、いつか見返してやりたいと思ってる。お師さまのお願いじゃなきゃ、側にだって居ない。けど……」
「放ってはおけない?」
こくり、と少女は頷く。
複雑な感情の形を決めかねて放たれる、教会にふさわしい告白。
だからこそ、安易な回答を与えることをベルナデッタは嫌った。
きっと、それでは迷える少女のためにならないだろうから。
紅茶を飲み、付け合わせのジャムを瓶から一掬い取りだして、口へと運ぶ。
「あなたもどう? リンゴのジャム、甘いわよ?」
「はぐらかさないで。こっちは真剣に――」
「えい」
怒鳴り声を上げようとしたハーフエルフの口の中に、ジャムの載ったさじが突っ込まれる。
周囲の者たちが何事かと視線を向けてくるが、聖女はなんでもないと手を振って見せた。
立ち上がりかけていたパルメが腰を下ろし、もごもごと口を動かす。
「……甘い」
「でしょう? 今年は出来がいいのよね。紹介してくれたあの娘に感謝しなくっちゃ」
「すこし、落ち着きました」
「それはよかった」
聖女に微笑まれ、なんとも言えない顔になったパルメは、ジャム瓶へと手を伸ばした。
何度も洗って再利用されているからだろう、瓶には無数の傷がつき、白く濁っている。
「似てる」
「そうね。擦り切れ、朽ち果て、血にまみれ――そんなのは、聖者だけでたくさんよ」
「アタシ、思うんです。瓶の傷を埋める方法もあるんじゃないかって。傷つかなければ、瓶はいつまでも綺麗なはずだったのにって。だから、誰かが――」
その続きは、結局少女の口から出ることはなかった。
「おふたりとも、お待たせしました!」
元気のよい声が背後から響き、彼女たちの会話を遮ったからだ。
「あっ」
パルメがびっくりして、握っていたジャム瓶を取り落とす。
それは床へと落ち。
――しかし、割れることなくゴロゴロと転がった。
「どうして……?」
「隠者と暮らしていると世間に疎くなるわよね。ジャム瓶には、壊れにくくなる魔術が封入されているのよ。特別な素材を製造時に練り込むことで、恒常的に魔術式が残留するとか……まあ、幼馴染みの受け売りだけど。つまり、あの娘だって簡単には砕けたりしないってことで……?」
落ちた瓶を拾い上げつつ解説してみせるベルナは、すぐに美しい眉を怪訝に寄せることとなった。
聖女の視線の先を辿り、パルメも振り返る。
そこには、赤い瞳を見開いて固まっている白い上官の姿があって。
「そ――それです!」
「なにがよ」
「さすが聖女アンティオキア様!」
「だから、なにが」
「これで――長期保存の利く糧食が用意できます!」
興奮気味に語られる、エイダの素っ頓狂な言葉に。
「「は?」」
パルメとベルナは、揃って首をかしげたのだった。