223連隊は魔剣を欲する(2)
「被害の算出、終わりました。損耗、軽微とは言えず。右翼の再構築を許可されたし」
「あちらは第64魔導化大隊が受け持っていたはずだが?」
「士気、著しく低く、落伍兵あり。戦略的転進を行ったと事後連絡が入っております」
副長の報告を聞き。
レーアはうんざりとした顔で、冷え切った代用珈琲を口に運んだ。
眉間を揉む。
心当たりがあったからだ。
「士気が低いのは解る。飯がこれではな」
彼女の手元にあったのは、堅く焼きしめられたビスケットと、カビの生えた脂身の塩漬け。
どちらも気合いを入れなければ口に運ぶことすら憚られる食味である。
「以前のレーションはどうした。角砂糖ぐらいついていただろう。前線基地での兵食はどうなっている?」
「その件ですが、腐ったスープが提供されたとも聞いております。また、温かなメニューは当面出せないとも」
「噛めば口の中が切れるようなパンを、スープに浸すことさえ許されないと? 馬鹿げているな、問題だ」
軍隊において、食事は心身を支える糧である。
加えてこの極寒の中で、熱量すら取れないとなれば行軍自体に支障を来す。
「主計課はなにをしていた?」
「小官は答えを持ち得ませんが」
そこまで言って、クリシュ准尉は、一歩エルフの上官へと歩み寄った。
レーアが身をかがめると、その長い耳元へ、ハーフリングは口を近づけ。
「……市場へ流出している、という噂があります」
「野戦給食がか? 材料の段階で?」
「いま口にされている戦闘糧食も、です」
「なるほど」
レーアは皮肉気な表情となった。
かつてリヒハジャの都市で見た賑わいと、いかにも市井の品とは思えないアイテムが流通していたのを思い出したのだ。
同時に、隠しようのない憤りも覗かせる。
「我らは尽忠報国の徒だ。命を張ることにためらいはない。だが、飯が食えなかったからなどという情けのない理由で兵を失うなど、将として許されない」
「それは、自分たちにとっても無念で不名誉でありますな」
「なにも麦粥にバターを溶かせと贅沢を望んでいるわけではないのだ。飯が食えないのならせめて誇りを……いや、貴官に言っても仕方が無いことだったな。改善の陳述書を認めよう。他にあるか?」
やれやれと頭を振る上官を労りつつ、ハーフリングの准尉は報告を再開する。
「はっ。魔王軍が、こちらの塹壕を調査していた痕跡があるとの報が入っています」
「塹壕の? それは、最前線のものか?」
「はい、後方から取り寄せた耕作機の転用で表土の氷を割り、ようやく先日構築に成功した塹壕。〝騎士の戦い〟を終わらせた塹壕についてです。他の部隊が一部後退した折、そのような動きが見られたと」
「ふむ……」
妙なことが起きているなと、エルフは形のいい顎へと手を当てる。
魔物の知恵を侮るような無能と、彼女は縁遠い。
塹壕を構築し、運用する技術は、当然あちらにもあると知っている。
それでも魔王軍が塹壕構築を拒むのは、この大地に理由があった。
アシバリー凍土。
この地に、一振り目のスコップを入れたとき、人類はただただ驚愕するしかなかった。
埋まっていたのだ、遺体が。
人類ではない。
魔族の屍が、である。
見渡す限りの大氷原。
それは古の時代、勇猛果敢に戦い、そして散っていった魔族たちの墓標だったのである。
「ゆえに、魔族はこの地を掘り返すことをしない。自ら墓標を暴く不敬を行わない。それが、彼奴らの宗教なのだろう」
だからこそ、不思議に思う。いまさら塹壕など調べて、なんになるのかと。
あるいは、画期的な浸潤作戦の用意がある?
だとすれば、先ほどの方陣形成はなんらかの陽動の可能性も?
「なにを考えている、魔族四天王〝髑蛇のバジリスク〟……」
四天王とは、ただ一体を持って戦局を左右しうる魔族個体のことを指す。
それは戦略魔術――地形を変化させるほどの〝絶技〟を有する。
そうして〝髑蛇のバジリスク〟は、これまでほとんど人類軍と接敵しなかったがゆえに、手札のわからない未知の存在だった。
バジリスクとは、蛇の王とも呼ばれる、本来は砂漠に住まう魔物だ。
しかし、この個体は凍土に適応し――すなわち魔族本土への侵攻、その緒戦となる第一防衛ラインを任されている。
けっして油断の出来る相手ではない。
アシバリー凍土防衛を務める墓守にして敵大将。
その存在について幾つか推測を脳裏に浮かべ。
……結局レーアは、意図的に思索を切り上げた。
まずは差し迫った目前の対処こそ、肝要であったからだ。
223連隊は、ジーフ死火山攻略戦から続く激烈なる連戦によって、戦力を著しく削られていた。
相手は未知の動きをし、こちらは人的資源の損耗が激しい。
このままでは亜人を快く思わない上層部一派が意図したとおり、近く壊滅の危機さえある。
「新兵の調練はどうなっている。連隊の再編制については、再三再四上申していたはずだが?」
「ナイトバルト少将より許可はおりています。隠れ里の同胞達が、近々動員されると。連隊長殿には一時戦線を離れ、これの練成へと尽力すべしとも意見が出ておりますが」
「……嫌な感触がするのは、私だけか?」
「奇遇でありますな、連隊長殿。自分もです」
おそらくろくでもない戦力なのだと、二人は顔を見合わせ苦々しく笑う。
事実として、ナイトバルト少将が意図した亜人の精鋭を223連隊に集中させるという計画は、多方面からの妨害に遭っていた。
皮肉なことにナイトバルト以外のヒト種至上主義者たちが、剣付き銀十字勲章受章者という今世最大の武功を持つレーアに、これ以上の力を持たせることを嫌ったためである。
遙か上空で繰り広げられている政争について、知らないまでもおおよその推察をつけたからこそ、ふたりは苦笑するしかなかったのだ。
「しかし」
レーアは気分転換に、懐から針のように細い煙草を取りだして、火をつけるでもなく咥える。
とある人物から支給されている、上質な煙草であった。
「部隊の増強は、どう考えても必要だ。それは上も解っている。だから私の独断をよしとしている。だが、同胞たちの疲労は色濃い。教育課程を終えたばかりの新兵でどこまで埋め合わせが効くか……数を補うための、個人の資質を超えた魔術の多用も問題にすべきだろう。ならば、どうする?」
そこまで考えたとき脳裏に浮かんだのは、白髪赤目をした乙女の顔だった。
「冒険者……魔剣……魔剣か」
ぽつりと、つぶやく。
「連隊長殿?」
「……我が連隊の、魔剣普及率は?」
「一部が護身用に持ち歩く程度です。我が連隊は皆、魔術に優れますから」
魔剣とは、魔力を貯蔵する性質を持つ特殊な金属と、刻まれた魔術式によって作られた魔導具だ。
術者の魔力消費無しに下位の魔術を発動できる。
魔術の行使を円滑に行う媒介であると同時に、威力を底上げする通常の魔導具とは異なり、それ単体に決められた魔術が封入されている。
この魔術式を切り替えることで、二つ以上の魔術を発動することも理論上は可能。
冒険者の間では、護身用として重宝されてきた歴史があることを、彼女はとある衛生兵の長から聞き及んでいた。
炎の魔剣を愛用する凄腕の双剣士がいたことも確認している。
その手から離れてなお、魔剣が燃えさかっていた事実も。
軍で採用率が低いのは、単純に単発の威力が低いからだ。
術者を必要としない持久力こそ評価に値するが、瞬間的な火力としては無詠唱よりも下。自決の用すら為さない。
詠唱のコストを惜しんで衝撃力を落としては、前線という概念自体が崩壊する。
精々給食係が、種火や少量の水を生成するため持ち歩いている程度だが。
この程度の魔術は、魔剣が無くても一般的な人類ならば誰でも発動することが出来た。
また生産コスト――材料、技術ともに、高水準のものが必要とされる。
軍の予算もレーアの権限も、無尽蔵ではない。
されどもと。
ここで金色の悪魔は発想を転じる。
膨大な資本力によって魔剣が量産され、223連隊全体へと配給することが出来たのならば。
一時的に足止めを行い、そこへ高射魔術なり極大呪法なりをたたき込む隙が生じるのではないか?
でなくとも、魔力を消費しなければ、継戦能力は高まるはずでは?
それは、新たな戦術の構築に繋がるのではないか……と。
無論、自分が思いつくようなことである。
軍学校で戦術研究を行っている学者はいるであろうし、お偉方にも腹案を持っているものは必ずいるだろう。
だからこそ、賛同を得られる可能性もある。
「クリシュ准尉」
「はっ」
「……気が進まないが、ここはひとつ、コネを使うことにする」
レーアは煙草の箱へと視線を落とす。
あの衛生兵の長と、よく似た笑みを浮かべる御曹司の姿が、ぼんやりとそこに重なった。
「……我々は、新たな戦術を試す試験部隊としての側面を、大いに活用することとしよう。書状を書く、筆と紙を持て」
「文面はどうなさるので?」
「決まっているだろう」
レーアは不敵に笑い、煙草の頭を天に向かせた。
「『ダンスをご一緒しませんか?』と書いてやるのさ」
「つまり?」
文字通り。
「〝悪巧み〟のお誘いだとも」