第三話 兵站課からのお客様です!
「……前線に行きたいです。泥濘の中を走り回り、魔術掃射の嵐を掻い潜って、火線救護を行う方が、きっと私の性には合っています。これまでだってそうしてきたのです」
「わがままを申されないでください閣下。あなたの本丸はここです」
先日の悪夢――エイダの戦地訪問を思い出して、ザルクは顔を引きつらせた。
「前線へ……」
「我々全員と人事課のどなたかの首が飛びますが、よろしいですかな?」
具体的には、眼鏡の上級大佐などだ。
「それは……なりませんね」
積み重なった書類と。
責任の重さから一時逃避を試みた上官が正気に戻るのを見届けて、ザルクは全身から力を抜く。
かかる心労は重々理解できるが、今彼女を失うわけにはいかない。
衛生課は新設されたばかりで管理職――将校下士官が圧倒的に不足している。
エイダの決裁を常時待っている状態だ。
おまけに彼女は、兵達の指導まで任されていた。
機能不全は目前と言っていい。
かつてザルクは、別の部署で勤務していた。
そこに件の人物――陸軍人事課のヨシュア・ヴィトゲンシュタイン上級大佐がやってきて、衛生課への転属を強く薦めてきたのは、この事態を見越してのことだろう。
面接の際、眼鏡の上級大佐はこのように告げた。
「いいか、よく聞くんだザルク少尉。まず、最悪を想定する。あの天使はその斜め上を予想外の方向に突き抜けていく。君の使命は、これを極力低い弾道に抑えることである」
つまり、トンデモ上司のストッパーであるが、現状は満足にこなせているとは言えない。
この役目に限っては、いずれ適任が現れたら任せたいと考えていた。
「しっつれいしまーす」
主張の激しいノック音が響く。
返事を待たずして、薄荷色の少女が入室してきた。
さらなる問題児の登場に、ザルクは眉間を押さえる。
「ラドクリフ訓練兵。閣下にことわりもなく入ってくるなど、もってのほかである」
「失礼って言ったけど?」
「……上官を友達か何かと勘違いしているのか? 場合によって処罰対象だ」
「それよりお客さん来てるけど、待たせていいわけ?」
この時間に、来客の予定など無い。
急な用件だろうか。
主へと伺いを立てれば、白い頭が小さく上下をした。
「すぐに応接室へお通しください」
「その必要はないねェ」
突如甲高い声が響く。
入り口に、全員の視線が集中した。
そこに立っていたのは、軍装の伊達男。
中肉中背。
髪は油で固めて、ピシリとオールバックに撫でつけている。
口元には軽薄な笑みと、とってつけたような髭。
神経質な目つきで、男は室内を見渡したのち、
「兵站課大佐キノワ・ランペルージである!」
と、見得を切った。
反射的にザルクは敬礼を行うが、ハーフエルフの少女は困惑して動けない。
ザルクが叱責するよりも早く、伊達男は動いた。
手にしていた鞭で、パルメを打ち据えようとしたのだ。
「キノワ大佐、どうかそこまでで」
凜とした声音が、伊達男の腕を不可視の力で止めた。
否。
パルメとキノワ。
二人の間に、いつの間にかエイダが割って入っていたのである。
「むぎゅ」
……なので必然、応戦しようとしていたパルメは、エイダの背に押し込められてしまう。
伊達男はエイダを睨めつけ、やがて鼻を鳴らし鞭を収めた。
「エーデルワイス親任高等官殿ぉ。きみぃ。きみは、僕の上官かねぇ?」
「いいえ、キノワ大佐。私はあくまで、衛生課を預かっているだけです」
「そうだよねぇ……よって、敬礼は省略させて貰ったしぃ? 僕は礼儀の至らぬ兵卒へ教育的指導をしてやろうとしただけ。解るかねぇ?」
……そこがややこしいところだと、答礼がないので腕を下ろせぬままザルクは考える。
エイダの地位は、あくまで〝見做し中将〟。
厳密な軍の階級ではない。
やろうと思えば――それは相当な無礼であるが――目前の大佐がやったように、無視することが可能だった。
そしてキノワは、衛生課がルメールに出来てからというもの、度々訪ねてきてはこのような傍若無人を働いているのだ。
「そういえば聞いたよぉ? 領主殿から、勝手な商いをするなと警告を受けたそうじゃないか」
「健康診断のことでしたら、あれは慣熟訓練の一環で、無償のものです。商いではありません」
「反抗的な態度だなぁ……領主殿に楯突こうというのかい?」
「いいえ、いずれご協力を仰ぎたいと考えています。ところで大佐殿は、本日どのような御用向きでしたか?」
「ん、ああ……」
そこで、伊達男は言いよどみ。
「プレゼントを用意してきた」
「受け取れません」
即断。
伊達男が言い終えるよりも早く、エイダはにこやかに告げた。
気圧されて、思わず一歩、キノワが下がる。
白き言葉の追撃。
「賄賂はいただけません。個人的なものでもです。それは、本来あるべき場所でお使いください」
「失敬な! 僕はまだ何もォ」
「ところで!」
珍しいエイダの大声。
ただでさえよく通る声音は、キノワの甘ったるい言葉をかき消すには充分だった。
「最近、最前線では物資の未達が問題になっているそうですね。届いても、食料が腐っているとか、欠品が多いとか。これについて、大佐はどう思われますか? そう――アシバリー凍土方面軍隷下兵站参謀副長キノワ・ランペルージ大佐のご意見をお伺いしたいのですが?」
アシバリー凍土方面軍――つまりは魔王軍討滅の急先鋒、これを支える兵站課のナンバー2こそ、キノワであった。
この事実を突きつけられ、伊達男は顔を紅潮させて激昂し。
スッと表情を消す。
「急用を思い出したねぇ。今日のところは、これで失礼させて貰うよ」
「解りました。ザルク少尉、お見送りを」
ようやく腕を降ろし、ザルクは命令を履行する。
去り際、伊達男は一度振り返り、彼を猛然と睨み付けている薄荷色の少女を見て、
「デミを飼うとは、まったく悪趣味だ」
わざと聞こえる声量で、吐き捨てるように蔑んだのだった。