第五話 命の優先順位は決められません!
「かの南方イルパーラル戦線では、いまだに騎士と魔族が直接正面から激突しているらしいが、このレイン戦線では違う。塹壕だ。縦横無尽と走る塹壕の奪い合いこそが、この戦場の本質だ」
そう言ってスコップを地面に突き立て、泥濘のような地面を掘り起こし、彼女――エルフの特務大尉レーア・レヴトゲンは、頭上へと土を投げ捨てた。
積み上げられた土は深い溝を作り、ちょうど人間がひとり立てるかどうかという高さの壁となった。
そんなものが、右にも左にも、ぐねぐねと蛇行しながら、延々と彼方まで続いている。
「これだ。これが塹壕だ。東西に延びるネズミのねぐらにも劣る戦線を走り回り、顔を出した間抜けを撃ち殺すのが我々の仕事だ。おっと失礼、お嬢さん。あなたは命を救うのが仕事でしたか。そうそう、風の噂に聞いたところでは、無能と誹られパーティーを追われたとか……そんなお嬢様に、過酷な戦場勤めが務まりますかなぁ?」
「…………」
「ほぅ!」
試すような嫌味にも動じず、無言で挙手をするエイダを見て、レーアは口の端をゆがめた。
尋常な兵士ですら半時とせずに音を上げるこの場所で、少女の瞳に燃える焔は、未だひとつも陰っていなかったからだ。
使える、と。
レーアの直感が告げていた。
「よろしい。質問を許可しよう」
「レヴトゲン特務大尉、私は」
「兵士の治療にきたと言うのだろう? 結構なことだ。如何に精強な我らが連隊といえども、日増しに戦死者が増える一方なのだ。妖精の手も借りたいというのが本音だとも」
それは、回復術士なら誰でもいい、誰がやっても仕事は変わらないとほのめかしているに過ぎない。
そして、それが事実であることを、エイダは痛感していた。
「見えるかね、お嬢さん。ここから三つ先の塹壕は――くそったれた死で飽和する、現世に堕ちてきた地獄だ」
渡された双眼鏡をのぞき込み、エイダは唇を噛んだ。
ふたつの小さな丸い視界、その内側。
敵方の塹壕を奪取しようと攻め入った味方の兵士が、連続十字火砲魔術を受けてバッタバッタと倒れていく。
中には手足が吹き飛び、存在しない眼球を探して地面を這いずり回っているものもいた。
エルフは嗤う、どうだここはいかにもマシだろうと。
……もはや少女には、一刻の我慢もならなかった。
いますぐ塹壕を飛び出して、傷を負った者たちに手を差し伸べたい。
苦しんでいる者たちを無視などできない。
逼迫した使命感が彼女を突き動かそうとする。呼吸は乱れ、心臓が逸り、拍動が鼓膜を殴りつけるように揺らす。
だが、歯を食いしばる。
深呼吸をする。
無策に塹壕を飛び出す前に、どうしても確認しなくてはならないことがあった。
エイダは、上官へと向き直り、問い掛けた。
「ふたつ、率直にお聞きします」
「いいとも。同胞らの命をすりつぶして得た貴重な説明会だ。悠長な会話を楽しみたいのなら、この場で手に入る最高級のコーヒーを御馳走しようか? 無論、代替豆でもよいのならだが」
「いいえ、無用です。……ひとつ、どうして倒れている兵士が、みな亜人なのですか?」
「ふぅん」
少女の問いに、レーアは感嘆の吐息で応じた。
「なかなかどうして聡いじゃないか。目もいい。ならばむしろ、舌先三寸の茶会を楽しむのも悪くないだろうが……兵は拙速を尊ぶという。判断の速さは美徳だ。答えよう、答えるとも。それは我々が、混成部隊とは名ばかりの、亜人だけで構成された決死隊だからだよ」
223独立特務連隊。
その名こそ誇大なまでに勇壮ではあったが、実際のところレーアが率いているのは、人類からつまはじきにされているものたちの寄せ集めでしかなかった。
世の霊長たるヒト種。
そして、ヒト種を脅かす魔族。
その中間には、無数の亜人が存在する。
ドワーフ、ハーフリング、オーガ、獣人、そしてエルフ。
彼らは亜人種と呼ばれ、古くは魔族――魔王の手先とまで呼ばれていた。
「しかし、時代が下るにつれ、我々の先祖はヒト種に寄り添って暮らすようになった。もっとも、貴様らヒト種は我々を家畜と変わらぬように思っていたが……いまは戦時だ。言っただろう、妖精の手も借りたいと」
亜人は、もっとも安価で痛手を被らない使い捨ての兵隊だった。
ヒト種は汎人類連合の名の下に、彼らを徴兵したのだ。
「だが――我々は志願兵だ」
「……戦場にむりやり連れてこられたわけではないと?」
「魔族にもエルフがいる。オーガもドワーフも、トロールなども魔族の尖兵だ」
「同胞同士で戦うんですか?」
「同胞? ハッ!」
レーアは鼻で笑い飛ばす。
同胞という言葉の定義をせせら笑う。
「我々の同胞は、人類と共に歩む者たちだ。今日明日にもその人類に権利を、土地を、仕事を奪われ、生きていくこともままならない家族たちだ。彼らを守るためにはどうしたらいい? どうすれば人類に我々の有用性をアピールできる? それだけを考えて、いまここに立っている」
「だから、軍隊に志願を……」
「そうだ。賢いぞお嬢さん。我々が命を賭して国を守れば、ヒト種は権利を保障すると誓った。口約束にすぎないものだが……見るがいい、私には特務大尉――中佐相当の権限が与えられている。これは、軍部で夢物語をさえずれる程度の地位と名誉だ」
冗談や酔狂で与えられるものではないよと、彼女は断言した。
エイダもこれに同意する。この女性ならば、申し分がない。実績を示し、エイダが望むように病院を改革するための足がかりとして、話をつけるのに順当であると。
だからこそ真意を確かめるために、言葉を継ぐ。
「二つ目の質問はそれです。ここで傷ついているのは特務大尉の大事なお仲間ですよね? その命に優先順位をつけろとは、どういう意味ですか?」
「……字義の通りだ、お嬢さん」
不意に笑みを消したレーアは、目つきを鋭くして言い放った。
「野戦病院から直接来たのだったな。どのぐらいかかった?」
「それは、半日ほど――」
「半日! そう半日だ!」
レーアは大声を張り上げ、両手を強く振ってみせた。
それはいらだちという感情の発露だったが、彼女の口元にはまた酷薄な笑みが張り付いていた。
ぐいっと少女に顔を近づけ、エルフは吠える。
「いいか、解らないと言わせないぞお嬢さん? 半日もの間、腕のもげた人間が生きていられるか? 土手っ腹に穴が開き、爆傷を負った人間が、どうやって生存する? 凍傷で指がもげ、落雷で末端が炭化する。刺傷は絶えず、裂傷すら日常だ。我々は精鋭だが、死人まで後送するほどの余力を持たない。殺すための兵隊であって、救うための兵隊ではない! いいか、レディ! 塹壕に無神論者はいない! 我らは敬虔に〝そうあれかし〟と叫ぶ、〝いつまでも戦い続けられますように〟と!」
だから、確実に生きて戻れる仲間だけを救わねばならぬのだ――と、レーアは拳を握って断言する。
彼女が力説する間にも、戦場では魔術が飛び交い、あちらでは爆発が起き、こちらでは氷の柱が立って、土煙が、爆煙が、もうもうとたちこめている。
無数の命が、今この瞬間にも傷ついている。
救える命には限りがあると、レーアは言う。
エイダにしても、考えなしに反駁するつもりはない。
だが。
「お言葉ですが、レヴトゲン特務大尉」
「……なんだね、お嬢さん」
「私は、特務大尉殿が想定しているよりも多くの友兵を助けることができると考えます」
「それは、なぜだ?」
美貌のエルフが問い掛けたとき、一層激しい爆発が地面を抉った。
破砕され、凶悪な威力を持って四散する飛礫のひとつが、少女の頬をかすめ、一条の傷をつける。
滲む血液。
されどエイダは瞬きひとつせず、まっすぐに上官を見据え。
そして上官とは異なる覚悟に彩られた、強い笑みをもって応えてみせた。
「私には、応急手当の心得があるからです」