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第一話 ある日、早朝のエイダ・エーデルワイスです!

 払暁(ふつぎょう)よりも早い時間。

 あるいは、訓練兵たちをたたき起こす喇叭(らっぱ)が鳴り響く前。

 静寂な朝と夜の境界線に、カリカリと筆の走る音が響いていた。


「失礼します」


 執務室の扉を潜ってすぐ、ザルク少尉は堂の入った敬礼を取る。

 筋骨隆々とした肉体が躍動し、ヒト種としては例外的なサイズの制服がミチリと膨らみ……そのまま萎む。


「……閣下、お目覚めが早いのは結構ですが、いくらなんでもお身体に障りますぞ?」


 執務室の主、エイダがとっくに起床済みで。

 しかも山積みの書類と格闘していたからだ。


 彼は衛生科でも数少ない士官であった。

 同時にエイダの側近でもある。

 だから頼まれていた時間に、上官を起こすべく馳せ参じたのだが……


「今日も健康的な肉体、素敵ですねザルク少尉。しかし、もう少し脂肪をつけて下さい」


 餓死の可能性がありますとエイダ。

 餓死以前に過労死しそうな上司を前にして、ザルクは言葉に困った。

 上官のケアは部下の務め。

 よしと気合いを入れ、彼は小粋なトークを試みる。


「では、今度食事をご一緒願えませんかな? 筋肉が喜ぶ定食屋を知っているのです」

「御馳走は出来ませんよ?」

「おや、閣下は清貧を尊ばれると」

「単純にポケットマネーがありません」


 これには首を傾げざるを得ない。

 衛生課中将ともなれば、相応の蓄財があるはずだからだ。


「それにしても、〝閣下〟というのは馴染みませんね……」


 なんとかなりませんかと、視線も上げずに問い掛けてくるエイダ。

 ザルクはただ、上官の言葉を引用するに止める。


「『軍規は風紀』」

「……私の言ったことですね。発言には責任を持ちます」

「はっ。現状では士気に関わりますので、威厳を保っていただければと」


 事実として、先日の登山訓練で、エイダはその見た目から随分軽んじられていたと聞く。

 無論、勇往邁進(ゆうおうまいしん)を地で行く女性だ。

 行動で全て黙らせたわけだが、だからといって呼び捨てを慣例化させるわけにもいかない。

 本人がそれを望んでいたとしてもだ。


 などとザルクが考える間も、エイダの筆が止まること一瞬たりともない。

 可憐な上司であるが、どうにも働き過ぎ(ワーカーホリック)のきらいがある。


「……働きづめと存じます。すぐにお茶を用意しますので、どうぞご一服を」

「お茶ですか、どなたから頂いたものです?」

「宮廷から、商業ギルド経由で届いたもので、夏摘みの一等品ですな」


 答えつつ思う。この小さな閣下は有能であると。

 軍隊というのは、複雑怪奇な組織だ。

 上司が堅物では、現場というのは立ちゆかない。

 一方で、軟派も過ぎれば規律が乱れる。


 先ほどの会話は一見して自然だが、お互いに指摘の応酬があった。

 エイダは部下への気安さを保ちながら、「袖の下ではないのか?」と懸念を表明し、ザルクは上官であるあなたは気にしなくてもよいと答えた。


 戦時下である。

 袖の下(ワイロ)などどこでも横行している。

 だが、それを上司が知悉(ちしつ)しているかどうかは、部下にとって極めて重要な事柄なのだ。


 だから「では、一つ前の恩賜(おんし)の品ですね?」とエイダが念を押してきたとき、ザルクは内心で唸ってしまった。

 この女性はどうやら、組織における物品の出入を全て記憶しているらしい。


「肯定ですな。軍紀としても問題ないかと」

「では、私よりも現場へ」


 部下を重んじることは、決して悪いことではない。

 前線へ向かう者。

 明日をも知らぬ者たちに、優先して備蓄を回す。

 これをエイダは徹底していた。

 だからこそ今、ザルクは笑顔で答える。


「皆喜んでおりました。これは残りです」

「…………」

「失礼を! 決して、飲み残しを閣下に渡すつもりでは」

「――本音を言えば、お守り(タリスマン)魔術の杖(ワンド)をハリネズミのようにくくりつけて送り出したいのです」


 ぽつりと、白き乙女が呟く。


「しかし、後方ですら物資不足。戦地となれば、私の力も及びません」


 ザルクの背筋は自然と伸びていた。

 上官の顔つきがあまりに真摯で、心より兵士達を悼み、対策を考えていると理解できたからだ。

 彼女は続ける。


「物資不足は改善されました……されたはずでした。しかし、まだ足りません。食料、武器、そして包帯やガーゼ。戦争が金食い虫なのは理解していますが、いささか奇妙です」


 多くの資材が民間から寄贈され、軍需工場でも増産傾向にある。

 されども足りない。

 なぜか?


届いていない(・・・・・・)、と現場からは声が上がっていますな」


 彼の応答は。

 戦場の天使と呼ばれた娘に難しい顔をさせるには十分だった。

 その可憐な口唇から、険しい声がこぼれる。


「物資未達」


 これが、戦線の拡大による不良ならばよい。いずれ経路が整備されれば改善されるからだ。

 しかし、誰かの作為。

 意図的なものであるとしたら?

 葛藤の末、白い上官(エイダ)がしぼり出した言葉は、


「……兵站課(へいたんか)は、どうしていますか?」


 じつに苦々しいものだった。

 兵站課。

 つまり、物資の手配や運搬を主に行う部署である。

 ザルクは言葉を慎重に選び、告げる。


「何も変わらず、我々とは違う(・・・・・・)という顔を貫いております」

「……私は、兵站課の皆さんとも、仲良くしたいのですが」

「難しいでしょうなぁ」


 かねてより兵站課は、衛生課――ひいてはエイダを敵視しており、供給すべき物資を投棄する、期限切れの品を渡す、誤配送すると、あの手この手でいやがらせを続けてきた。


「なにせ、仮想敵です」

「少尉」

「再び失礼を……口が過ぎました」


 直立不動になって謝罪を口にする。

 あらゆる部隊の資材は、兵站課によって搬送、供給される。

 当然、衛生課もその例には漏れない。

 ならば、前提条件を照らし合わせたとき、ある推測こそが浮上するのだ。


 即ち――兵站課こそ、物資未達の根本原因ではないのか?


 無論、エイダはこれを口にしない。

 白き上官は、機を見るに敏である。

 きっと、いまは敵対的行為を取るべきタイミングではないと判断しているのだろう。


「また、お手紙を書きます。可能なら、直接お話したいものです」

「はっ」


 三度背筋を伸ばしたところで、起床の喇叭が鳴り響いた。

 エイダは小さく伸びをすると、


「では、朝食にしましょうか?」


 ようやく書く手を止めて顔を上げ、相好を崩したのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] デスクワークもかなり板についてきましたね〜
[一言] 足を引っ張る味方ほど厄介な敵はいませんなぁ
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