第閑話 ヨシュア大佐に昇進お祝いを贈りたいです!
ハッピークリスマス(イブ)!
60000pt突破のお祝いに、ささやかながら番外編をご用意しました。
とくにクリスマスネタでもありませんが、お楽しみいただければ幸いです。
「謹啓、親愛なるヨシュア・ヴィトゲンシュタイン大佐殿」
銀杏並木が美しく色づく、リヒハジャの風景を見おろしながら、エイダ・エーデルワイスは手紙を書いていた。
忙しく駆け回る日々の中、物資調達のため立ち寄った実家でのことだ。
内容は、彼女が従軍を決めた頃からお世話になっている、ヨシュア大佐の昇進についてだった。
アシバリー凍土の攻略を前に、大規模な軍備編成をはじめた汎人類軍において、彼は大佐から上級大佐へと、異例の出世を果たしていたのである。
常日頃から気に掛けてもらっている――少なくともエイダはそう考えている――ヨシュアへ、贈り物をしたいと考えるのは、少女にとってごく自然なことだった。
「えっと……ご昇進ということで、大恩あるヨシュア大佐に贈り物をしたいと考えております。内容は――」
と、そこまで筆を進めて、白い髪に赤い瞳の衛生兵は、ピタリと筆を止めた。
コトンと、その小さな頭が、横に倒れる。
「さて、なにを贈ればいいのでしょうか」
戦時下である。
贈答できる物となると、限られてくる。
なにより、彼が好むものの心当たりが、いまいちエイダにはない。
エイダ・エーデルワイスは、親任高等官という立場にあった。
どんな品物でも、たとえば多額の金子であっても、検閲を押し通してヨシュアの元へ届けることが出来るだろう。
しかし、そんなことをしても、眼鏡の大佐が喜ばない事を、エイダはよく知っていた。
「一度、食事を共にしたことがありましたね」
筆を口先へ当てながら、過去の出来事を思い返す。
なにが贈り物として妥当かと思案する。
視察に来たヨシュアと会食した時、彼だけが兵站課から付け届けを受けた。
いわゆる賄賂の類いである。
ヨシュアはしかし、これを頑なに拒んだ。
「自分に袖の下を忍ばせる〝ゆとり〟とやらがあるのなら、前線兵士の食糧事情を改善しては如何か?」
こうまで言い切った彼のことを、エイダは素直に尊敬していた。
……実際は、親任高等官という人類王直轄の耳目が側にいて、冷や汗を掻いていただけなのだが。
それどころか彼女が、
「バランスの取れた食事は、長期的な兵役において必要不可欠な物です。この改善に着手してくださるとは、さすが大佐です!」
などと手放しに絶賛したため、ただでさえ苦み走っていたヨシュアの顔は、大層引きつることとなった。
これが兵站課と人事課の確執に繋がり、以降、眼鏡の上級大佐はその矢面へと立つことになるのだが、いまは別の話である。
「煙草は……召し上がらない方でしたね」
親任高等官になったばかりの頃、エイダは軍部の会議へ同席を求められたことがあった。
会議中、多くの佐官たちは頻りに煙草を吹かしており、彼女はけほけほと咳き込んでしまう。
帰り道、ヨシュアとすれ違った彼女は、簡単な挨拶を交わしたあと思うところあって、その軍服を嗅ぐことにした。
ぴったりと身を寄せて、胸元辺りでスンスンと鼻を鳴らす。
「……なんのつもりだ、エイダ・エーデルワイス親任高等官」
「…………」
「……人目が、あるのだが」
「大佐は、煙の匂いがしませんね」
「あ、ああ。美味いと思えたことがなくてな」
「とてもよいと思います! たいへん健康的です!」
「ゴホン。貴官は、なんというか、徹底しているな……」
わざとらしい咳ばらいをして、平静を装おう彼に。
少女はただ、首をかしげることしかできなかった。
煙草を吸わない一方で、ヨシュアは度の過ぎた珈琲党であった。
「あれはいただけません。朝から晩まで、ことあるごとに珈琲、珈琲。珈琲を万能薬か何かと勘違いしているようで」
それでは胃を痛めることがわかりきっていると、エイダはたびたび忠言を申し立てていたが、彼は渋面になるばかりで聞き入れない。
「これだけだ。これだけが、自分の楽しみなのだ。飲料の自由まで奪われたら、自分は――うっ」
と、腹部をおさえるヨシュアを少女は思い出す。
たしかに、疲労困憊の彼である。無理矢理好物を奪えば、ショックで倒れてしまうかも知れない。
ならばせめて、心が安らぐような――
「……あ!」
そこで、白い少女は閃いた。
ひょっとするとかの上級大佐は、珈琲以外の味を知らないのではないだろうかと。
「でしたら、お茶を贈ることにしましょう。ちょうど、とびきりに香りのよいリンゴを戴いたばかりでしたし」
部屋の隅に詰まれた真っ赤なリンゴをひとつ、手元によせて。
胸いっぱいにその匂いを嗅ぎながら、エイダは手紙の続きを書くのだった。
§§
『 謹啓
親愛なるヨシュア・ヴィトゲンシュタイン大佐殿。
リヒハジャの銀杏並木も色鮮やかに紅葉している今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
ヨシュア大佐がお元気であられることを、私は切々と祈っております。
いえ、もう大佐ではないのでしたね。
上級大佐へのご出世、心よりお祝い申し上げます。
王都中央でのご活躍は、レインの止まない雨に打たれながら、私も聞き及んでおります。
なんでも、憲兵隊と合同で、兵站課の方々を交え楽しい遊戯の時間を過ごされたとか。
知性の象徴たる眼鏡を輝かせているヨシュア大佐の様子が、瞼の下に浮かぶようです。
さて、ご昇進と言うことで、大恩あるヨシュア上級大佐に贈り物をしたいと考えております。
内容は、紅茶とリンゴを選びました。
果肉は美味しく食べられます。皮を煮だしたお湯で、どうぞ薫り高い紅茶をお楽しみください。
きっと心身が安らぐと思います。
それでは、恩人であるヨシュア上級大佐の、今後益々のご活躍と、なによりも健康を祈りながら。
エイダ・エーデルワイスより、喜びを込めて。
謹白』
「……ふふ」
届いたばかりの手紙を読み終えて。
ヨシュア上級大佐は、同梱されていた茶葉と真っ赤なリンゴを代わる代わる持ち上げ、鼻先へと近づける。
瑞々しい芳香に、彼のしかめっ面がわずかに緩む。
「紅茶か。ひさしく口にしていなかったな……おい、誰か湯を沸かしてくれ」
はい、と部下から応答がくるのを待って、もう一度読み直そうかと、手紙に指先を這わせ。
「――ん?」
表情を、ギチリと硬直させた。
手紙には、続きがあったからである。
『 追伸
ところで衛生兵の今後について、ご相談があります。
具体的には、教導できる人員の確保、拡充を考えています。
別途その旨を書き記した計画書を同封しますので、ご一読いただければ幸いです。 』
「…………」
届いた荷物を無言であさると、分厚い封筒が顔を見せた。
ヨシュアは。
「い、痛たたたたた……」
すっかり持病となった胃痛に苦しみながら、机の上に常備しているエイダ謹製の薬を探す。
「まったく。まったくあの戦場の天使は、相変わらず解っていない……!」
彼は、せっかくほぐれた表情筋を引きつらせながら、天を仰いで呻くのだった。
「一番の心労の種は、他ならない貴官なのだがな!」
贈ってもらったばかりの紅茶は。
どうやら胃薬を飲むため、使われることになりそうだった。