いまさら戻ってこいと言われても判断が遅い!
後日のことである。
ドベルク・オッドーを筆頭とした烈火団は、肩身の狭い思いをしながらトートリウム野戦病院を訪れていた。
特別に人払いがされた応接室で、彼らは出されたお茶にも手をつけず、落ち着かない様子でお互いを見やる。
「あいつ、なんでこんなとこで働いてるんだ……?」
「知るわけないでしょあたしが……」
「我が輩、どうも居心地が悪いのであるが……」
烈火団の悪評を聞きつけたものが回復術士の中にもいたらしく、病院を訪ねた時点で、彼らは敵意の眼差しを向けられていた。
病院全体が針のむしろのように、ドベルクには感じられていた。
「ひょっとしてこのお茶、毒とか入ってんじゃねぇーか?」
などとドベルクがあらぬ疑いを向ければ、
「あるかも」
「ないとは言い切れないであるな」
自分たちはそれだけのことをしでかしたのだからと、残る二人も頷いてみせた。
「確かに、俺たちは――」
ドベルクがなにかを言いかけたとき、ノックの音が響いた。
びくりと身体を震わせ、烈火団は揃って背筋を伸ばす。
そうして、「どーぞ」と、応答した。
「お久しぶりですね、ドベルクさん、ニキータさん、ガベインさん! また会えて、私、すごくうれしいです!」
朗らかな笑顔とともに入室してきたのは、赤い蛇の紋章が入った白衣を纏う少女だった。
エイダ・エーデルワイス。
かつて無能と罵倒して、烈火団がパーティーから追放した回復術士。
そして、
「戦場の天使」
「はい?」
「なんか、おまえ、そう呼ばれてんだろ?」
「そうなんですか?」
「けっ、相変わらずなに考えてんのかわかんねぇ、いけすかない女だぜ」
「ドベルク……!」
他のふたりが、悲鳴のような声を上げて団長の口を塞ぐ。
そうして、エイダに向けて愛想笑いを向けるので、少女は首をかしげるしかない。
「もがもが……ええい、おまえら邪魔すんな! 俺はこいつに、話があるんだよなぁ、これが!」
「話、ですか」
ああ、話だとドベルクは頷いて。
「――すまなかった」
勢いよく、頭を下げた。
ニキータとガベインも、それに続く。
「えっと」
「たりねぇか。たしかに俺なら認めねぇ。じゃあ、こうだ」
勢いよく身を倒し、土下座をするドベルク。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「いいや、待たねぇ」
エイダが戸惑っている間に、他の二名も土下座へと移行する。
そうして、彼らは声を合わせて謝罪の言葉を口にした。
「すまなかった」
泣いていた。
烈火団の三名は、泣きながら、ぐりぐりと床に額を押しつけ、酷い無様を晒しながら謝罪を続ける。
声は潤み、全身が強ばり、彼らが恐怖すら覚えていることを、エイダならずとも見たものは誰しも理解できただろう。
先ほどまでの荒っぽさとは対極にある、罪科に震える繊細な咎人の姿がそこにはあった。
「俺たちが悪かった……!」
「知らなかったのよ……応急手当が、あんなに大事だなんて……」
「おぬしがいなくなって、初めて雑務の大変さが解ったのである。我が輩、計算とか出来ないゆえに……!」
彼らはいま、無防備を晒している。
エイダは元冒険者だ。そして、戦場で鍛え上げられ、死地をくぐったことで増した力は、一線級へと達しようとしている。
そんな彼女の前で無防備を晒すというのは、いつ命を奪われても構わないという、烈火団なりの誠意の表れだった。
そうまでしても、彼らは謝罪をしたかったのだ。
謝罪と、贖罪を。
「あのあと――あの地獄からおまえに助け出されたあと、俺たちは落ちぶれるところまで落ちぶれた」
人類を守る最強の兵士たち。
それを危険にさらした無能。
魔族に手も足も出なかった冒険者の恥さらし。
傲慢で、嫌みったらしく、金払いも悪いアコギでせせこましい悪党ども。
そんな悪評を、烈火団は貼られることになった。
彼らは反論しなかった。
一切すべてを受け容れた。
それが事実で、自分たちの身の程を弁えたからだ。
けれど、それでも。
どうしても一言、エイダに謝りたくて。
彼らは恥を忍んで、トートリウムを訪れたのである。
「許してくれ……い、いや、許せねぇのは解る。俺なら殴りまくって罵声を浴びせる……だから、そうしてくれ」
「なんでもするわ! 贖罪よ! なんでも命令してちょうだい!」
「我が輩、移動のための足、いや馬になってもよいのである! ひひん!」
くどいぐらいに言葉を重ねるかつての仲間たちを見て、エイダは小さく息をついた。
炎色の瞳が、幾ばくばかりか困惑に揺れ、やがていつもと同じ色になる。
「頭を上げてください」
「……え?」
「私は、みなさんを罰したいなんて、思っていませんよ」
「――――」
その言葉に、思わず三人は顔を上げた。
そうして見た。
少女が。
エイダ・エーデルワイスが浮かべる、慈愛の微笑みを。
「無事でいてくれて、うれしいです。傷が治ったようで、とてもうれしいです。私は、ずっと皆さんに拾ってもらった恩義を返せなくて、それが心残りでした。だから、あの場所で、あの戦場で皆さんの命を繋ぐことが出来て、やっとお役に立てたんだなと、うれしかったんです」
心底からの笑みを浮かべる白髪赤目の少女。
純白のエイダ・エーデルワイス。
「戦場の、天使……」
三人の口から、その言葉は意図せずしてこぼれ落ちていた。
「許すとか、罰するとか。どうでもいいことです」
虐げられてきたはずの彼女が。
エイダ自身が、言うのだ。
ただ、いま生きていてくれることがうれしいと。
「う――うう……ううう!」
決壊した。
ドベルクの涙腺が、崩壊した。
彼は顔を醜くゆがめると、鼻水を垂らしながらボタボタと声を上げて泣き始めた。
つられたようにニキータも、ガベインも泣きじゃくる。
大の大人がみっともなく。
されど、心からの感情に突き動かされて。
「う、ぐす……うう……」
しばらく泣きじゃくったあと、鼻をかんで。
ドベルクはようやく起き上がった。
そうして、憑き物が落ちたような顔つきで、エイダを見つめ。
「こいつは、その……すげぇ身勝手な話だと思ってんだが」
「なんですか?」
「おまえ――烈火団に、戻ってこないか?」
「…………」
「いや、そりゃあよ、名声は地に落ちちまったし、ちゃんと冒険者やれるかどうかもわかんねぇけど。でも、おまえとなら、俺たちはまたやり直せると思うんだ。なあ、おまえらもそう思うだろ?」
同意を求められて、ニキータたちは首肯する。
ドベルクは我が意を得たりとばかりに調子づいて、飲み込んでいた言葉を吐き出すことにした。
「戦場は、やっぱ危ねぇよ。だったら、冒険者の方がマシだ。おまえが怪我しないように、俺たちがこれからは守るから。だから、お願いだぜぇ、烈火団に戻って――」
「それは――いくらなんでも、判断が遅いだろうな」
厳冬のような声が、室内に響き渡った。
§§
「それは――いくらなんでも、判断が遅いだろうな」
突如ドアが開いて、何者かが部屋へと入ってきた。
反射的にドベルクは武器を構えようとして、そしてすぐさま顔を青ざめさせる。
完全装備の兵士たちが、男の背後には控え、既に魔術の発動を準備していたからだ。
「な、なにもんだ、あんたは……!」
「儂か。儂は……」
「お父様!」
「お――」
お父様!?
と、素っ頓狂な声を上げる烈火団。
そう、部屋へと入ってきたのはエイダの父親であり。
「控えろ、下郎!」
近衛のひとりが、声高に叫ぶ。
「こちらに御座す御方をどなたと心得る! この地を治めし大領主にして辺境伯、選定伯にして参謀本部付き参謀次長――ゼンダー・ロア・ページェント准将にあらせられるぞ!」
「う、うへぇ……!?」
「ははー!」
「ひぃいいい!」
反射的に、烈火団はその場にひれ伏した。
彼ら冒険者にしてみても、この地に生きる人間としても、ゼンダー・ロア・ページェントという存在は、遙か雲の上の、下々からすれば直視することも憚られるような大人物だったからである。
ひれ伏した烈火団を、峻厳な眼差しで見つめ、ゼンダーはおもむろに口を開く。
「もはやエイダ・エーデルワイスは、汎人類軍にとって必要不可欠と判断された。今後、彼女は指導者として衛生兵の完熟を任されるだろう。そんな人材を、在野にくれてやることはかなわない。まして――烈火団……だったか? 君たちは一度捨てたのだろう、この子を?」
厳しさを帯びたゼンダーの言葉に、ドベルクたちは震え上がるばかりでなにも言えない。
ゼンダーは続ける、彼らの無能こそを誹る。
「応急手当という叡智を前にしながら、その有用性を見いだせず、あまつさえ酷使し、虐げ、放逐し。そうして都合が悪くなれば戻ってきてほしいと宣う性根。それが、戦士のすることか? 恥を知れ!」
縮み上がったドベルクの心臓は、その一喝で危なく停止するところだった。
……それでも、彼は。
「恐れながら、申し上げます、ページェント辺境伯さま」
「なんだ」
「……エイダ自身は、どう考えているのでしょうか。俺たちのところに、戻ってきたいと考えては」
「貴様! 准将閣下に口答えを!」
「よい」
近衛兵が吠えるのを、片手をあげてゼンダーは押しとどめ。
震えるドベルクから視線を切り。
そうして、娘へと向き直った。
「では、おまえ自身はどう考える? エイダ、おまえは」
「……私は」
「うむ」
「私は、やっぱり少しも烈火団の皆さんを恨んでいません。ですが――」
白い少女は。
戦場の天使と呼ばれる娘は。
「私は、ここで。レイン戦線で、やるべきことを既に見つけてしまいました。なにも考えていなかった頃の私とは、もう違ってしまっているのです。結論が出る前だったら、きっと無邪気に、私は烈火団へと戻ったでしょう。でも」
エイダ・エーデルワイスは、まっすぐに告げた。
「私は、ここで多くの命を助けたい。助けたい人が、たくさん、本当にたくさんいるのです。だから――ごめんなさい皆さん! 私、烈火団には戻れません……! やるべき事が、多すぎるんです!」
「――ああ」
その言葉を、不思議とドベルクは、正面から受け止めることが出来た。
彼の無用なプライドも、どうしようもない鼻持ちならなさも、少女の前では、いまや見る影もなく。
ただ、烈火団の三人は、頭を垂れるのみだった。
§§
「これを、持って行ってください」
「なんだ、これ」
帰り際、ドベルクはエイダに紙包みを手渡された。
それは、なんだか見覚えのあるもので。
「鼻炎のお薬です。ドベルクさん、やっぱり苦しそうだったので」
「……おまえ……っ」
思わず目頭が熱くなったドベルクは、慌てて顔を拭い、洟をすする。
そうして、なんでもないように取り繕って。
少女へと、右手を突き出した。
「おまえ、本当に大丈夫なのかよ」
「はい。大丈夫です。なぜならば!」
彼女は、かつての仲間の手を取りながら。
花咲くような笑みで、こう答えるのだった。
「私は私が笑顔でいるために――皆さんの命を! 手と手を繋いでいくのですから!」
これが、烈火団とエイダ・エーデルワイスの、公式に記録される最後の会話であった。
ブリューナ方面を人類軍が制圧した、春先の出来事である――